友達
一方その頃、ケントとエルナは同じ部屋で顔を合わせていた。
「ニュクス、帰ってこないわね……」
「そうだな……」
すると、ケントは立ち上がって部屋を出ようとする。
「ケント? どこに行くの?」
「あいつを探しに行く。エルナも付いてきてくれないか?」
「うん。だけど……」
「だけど、どうした?」
「あの子に何を言えばいいのかが分からないの……」
エルナはケントから視線を外すと、俯きながらこう続けた。
「あの子は十歳で両親を亡くして、それからすごく辛くて、大変な思いをしながら生きてきたんだと思うわ。だけど、私は違う。私のお父さんとお母さんは今も生きてて、二人にすごく大切にされて育ってきた。そんな、とても幸せに今までを生きてきた私が何を言ったって、あの子の心にはきっと届かない。だから……」
「エルナ」
ケントは自分の正面に手をかざして、エルナの言葉を遮った。
「お前は、あいつと友達になりたいんだろ?」
「……うん。そうだけど……」
「なら、それを伝えに行けばいい。伝わるかどうかなんて問題じゃない。本当にあいつを思うなら、あいつの気持ちに向き合って、その上で自分の思いをぶつけてやるんだ。幸い、あいつは俺たちを殺さないって言ったからな。会うことさえ出来ればこっちのものだ」
「ケント……うん、そうよね!」
ケントの言葉を聞いて、エルナは吹っ切れたかのように決意に満ちた顔をした。
「ありがとう、ケント。決めたわ! 私、あの子に会う。会って、私の気持ちを伝えるわ!」
そして、ベッドから立ち上がりケントの元へと駆けていく。
「でも、あの子が今どこにいるのかなんて……」
「……一つだけ、もしかしたらっていう場所がある」
「えっ、本当に!?」
「って言っても、正直ほとんど自信はないけどな。だけど、それでも運が良ければ手掛かりくらいは見つかるかもしれない」
根拠としてはあまりにも薄すぎるが、それでも今は出来る限りのことをしようと、ケントは部屋の扉を開ける。
「だからそこに向かう。付いてきてくれ」
「ええ、分かったわ!」
「……ん」
ニュクスが目を覚ますと、そこは見知らぬ家の中だった。
「……っ! これは……」
そこで彼女は身体を動かそうとして、自分の手足が縄で縛られていることに気付いた。
「よお」
その時、不意に男の声がした。ニュクスは身をよじって声のした方向に振り向く。
「あなたは……」
それは、昨晩に彼女が殺し損ねた男だった。彼はあれからニュクスが顔を見た自分のことを放ってはおかないだろうと考え、切られた右腕の仕返しをしようと逆に待ち伏せていたのだ。
「会いたかったぜ? 昨日はよくもやってくれやがったじゃねえか。この右腕の落とし前、どうつけてくれるんだ、ああ?」
男はそう言って、身動きが取れないニュクスの元まで詰め追っていく。
「オラァ!」
そして、彼女の腹部に一発の蹴りを見舞った。
「うぐっ……!? ごほっ、ごほっ……!?」
「ハッ、いい眺めじゃねえか、ええ!?」
男はニュクスの左手でニュクスの髪を引っ張って無理やり起こすと、そのまま頭を壁に叩きつけて顔を自分に向けさせた。
「ぐっ……」
「テメェのそのなり、暗殺者だな? 誰に依頼された? 何故俺を狙った? 答えろ。そうすりゃあ、命だけは助けてやる」
「……ふふっ」
怒りの形相で睨みつけてくる男を、ニュクスは一笑に付した。
「何がおかしいっ!?」
「依頼人の情報をむざむざと話すわけないでしょう。それに、わざわざ私に聞かずとも、自分の胸に聞けば分かることでしょう? それとも、心当たりがありすぎて教えてもらわなければ分かりませんか?」
「何だと……?」
「あなたは恨みを買い過ぎたんですよ。だからその報いを受けた。それだけのことです」
「ちっ……まぁ大方、俺が金を騙し取った新人冒険者どもに頼まれたんだろうが……」
すると男は、ニュクスを小馬鹿にするようにして鼻で笑った。
「んなもん、弱えのが悪いんだろうが! 弱えやつはなぁ、強えやつに奪われるために生きてんだ! この世界はなあ、そういうふうにできてんだよ!」
「…………」
「テメェも暗殺者として生きてきたならそんくらい分かってんだろ? これまで散々人の命を奪ってきたんだろうが……最後は奪われる側になるってんだから、なんとも皮肉な話じゃねえか、なあ!?」
「……ふっ、随分な大口を叩きますね。あの時邪魔が入らなければ、奪われていたのはあなたの方だというのに」
滑稽にしか聞こえない話をする男に対して、ニュクスは冷笑で返す。
「……さて。あなたに話すこともないですし、もういいですよ、殺しても」
「ああ……?」
「暗殺者として生きると決めた時から、きっとこんな死に方をするだろうとは思っていました。それに、私が死んで悲しむ人間もいない。なので、生きることに未練はありません。どうぞ、気のすむまでその右腕のお返しをなさったらどうです?」
「――――っ! この女ァ!」
この状況でなおも殊勝な態度を取り続けるニュクスに完全に激昂した男は、彼女の頭を勢いよく壁に叩きつけた。
「クソが! クソがクソがクソが! この俺をコケにしやがってえええええ!」
そして、横っ面を殴打してから、倒れた彼女を激情に任せて何度も何度も足蹴にする。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
しばらくして多少は頭から血の気が引いたようで、男はニュクスに向かってこう言い放った。
「……ハッ、テメェはただじゃ殺さねえよ。これからたっぷり時間をかけて嬲って、女に生まれてきたことを後悔させてから殺してやる」
そして、男は下卑た笑みを浮かべながらニュクスの服に手をかける。
「…………」
ニュクスはもはや絶望すらしなかった。大切な人を奪われ、正しく生きる道を奪われ、最後は自分の命を奪われる。この六年間、彼女には一切の希望を失うには十分過ぎるほどの理不尽しかなかった。だからもう、何もかもどうでもいい。これですべてが終わるのだから。そう思った彼女は、ゆっくりと目をつむる。
「そこまでよ!」
その時だった。少女の声と共に、男が居る家の扉が勢いよく開かれる。
「な、なんだテメェら! 勝手に入ってきやがって!」
それは、エルナとケントだった。エルナはニュクスの服に手をかけている男の姿を見るや否や、即座に弓を構えて矢をつがえた。
「今すぐその子を離しなさい!」
「ちいっ!」
男は立ち上がると、近くに立て掛けてあった棍棒を手に取ろうとする。
「させないわ!」
だが、それはエルナが放った魔法矢が左手に命中したことで阻止された。
「ぐっ……!?」
さらに、彼女はそこへ立て続けに二発目の矢を射る。
「ぐがあああっ……!?」
昨晩のニュクスに対して行った攻撃と同じ、刺さらないようにする代わりに衝撃を与える形状の矢。それは眉間に的確に命中し、男はそのまま意識を失って倒れた。
「ふうっ……」
エルナは一息ついてから弓をしまうと、すぐにニュクスの元へ駆け寄る。
「ニュクス!」
そして、彼女の手足を縛っている縄を解いた。
「……どうして、私がここにいると分かったんですか?」
「別に分かったわけじゃない。ただ……」
ケントは、自分たちがここまで来た経緯をニュクスに説明する。
それは昨晩、二人が彼女と戦った後のことだった。あれからケントは、ニュクスに関する情報を少しでも掴めないかと辺りを探っていたところ、地面に血痕が残っており、それが道なりに点々と続いているのを発見した。彼はすぐにそれがニュクスに襲われていた男の血であると思い至り、それを辿ることで男の家を突き止めた。そして今日、もしかしたらニュクスが自分の顔を見た男を、証拠隠滅のために殺そうとするのではないかと考え、この家に向かったのだった。
「……というわけだ」
「……随分と滅茶苦茶な推測ですね。あなたたちが来る前に、私がこの男を殺していたらどうしていたんですか?」
「そうなったら、しらみつぶしに街中を探すことになっただろうな。もっとも、俺にとってはお前が逆にここで捕まっていたことの方が予想外だったけどな」
ケントは話し終えると同時に、少し前までニュクスを縛っていた縄を手に取り、それで男を拘束した。
「エルナ、こいつはどうする?」
「そうね、悪質な冒険者みたいだし、ひとまずギルドに突き出しておけば後は向こうで何とかしてくれると思うわ。それよりも……」
エルナはニュクスを起こして壁に寄り掛からせると、男に殴られて痣だらけになった彼女の頬に触る。
「酷い怪我……急いで手当てしないと」
「……その必要はありませんよ」
ニュクスはそう言って、エルナの手を払いのける。
「私のことは放っておいてくださいと言ったはずです。それに、私はもう生きるつもりなんてないですから」
「……っ! そんな、どうして!?」
「気付いたんですよ。私にも、この世界にも、生きるだけの価値がないと」
両親を失って酷く絶望して、それでも死ぬことは出来ず、生きるために非道にすら手を染めた。ひと時も心が安らぐことはなく、罪の意識に苛まれながら、それでもなお生にしがみついた。しかし、そこまでしても結局彼女には何も残らなかった。どれだけあがいても、生きる希望を見出すことが出来なかったのだ。
「六年前のあの日から、私の人生は奪うか奪われるかの、醜悪で無意味なものでしかなかった。そして、それはこれからもきっと変わらない。だから、もうここで止めにするんです。私にはもう、こんな世界で生きる理由なんて……」
「――っ! ふざけるな!」
その時だった。ケントは怒りの声を上げながら、ニュクスの両肩を掴んだ。
「お前の両親がどうして命を懸けてお前を助けたと思ってる!? お前に、生きてほしいと願ったからだろ! 今お前がしようとしてることは、そんな二人の想いを無駄にすることじゃないのか!?」
「――――っ!」
その言葉にニュクスは激昂し、普段の人畜無害な物腰からは想像も出来ないほどの剣幕でこう叫んだ。
「分かってますよそんなことは! だけど、こんな醜い世界で、こんな辛い思いをして生きるくらいだったら、あの時一緒に盗賊に殺されていた方がよかった……私の気持ちも知らず、分かったような口をきかないでください!」
「全然分かってないだろうが! お前の両親はたとえ醜い世界だったとしても、これから先どんなに辛い思いをすることになったとしても、それでも生きて、幸せになってほしいって、そう思ったからお前を助けたんだ! お前の言うこの醜い世界で、お前の命を救う選択をしたのは、そういうことじゃないのか!?」
「……っ!」
「二人は、お前に絶望しながら生きて、そして死ぬことなんて望んでないはずだ。そんな二人の気持ちを、無駄にしようとするな!」
「くっ……!」
ニュクスは何も言えなかった。ケントの言う通り、自分のしようとしていることは自分を助けてくれた両親に対する何よりの裏切りに他ならないと、頭では分かっていたからだ。
「……だったら、私にどうしろと言うんですかっ……!」
「これからは冒険者でも何でもいい、自分が楽しいと、幸せだと思えることを見つけて生きればいい。それが、お前の幸せを願った両親に対する、一番の手向けになるはずだ」
ケントはそれまでの大声を抑えると、努めて冷静になりながらニュクスにそう語りかける。
「……無理ですよ」
しかし、ニュクスは力なくそう呟いた。
「私は暗殺者として、これまで何人もの命を奪ってきました。真っ当に生きるには、私の手は血で汚れすぎているんです。今更、後戻りなんて出来はしない。こんな私に、幸せになる資格なんて……」
「いや、ある」
そう言うとケントはニュクスの手をがっしりと握りしめ、引き上げるようにして彼女を立ち上がらせた。
「ケント、さん……?」
「たしかに戻ることは出来ないかもしれない。だけど変わることは、これから正しい道を進むことは出来るはずだ。一人じゃ無理だっていうなら、俺たちが付いている。お前がまた道を踏み外しそうになった時は、何度でも俺たちが引っ張り上げてやる。だから、生きろ。死のうなんて考えるな」
すると、エルナもまた、目に涙を溜めながら彼女のもう片方の手をそっと握った。
「エルナさん……」
「ねえ、ニュクス?」
伝えたいことはたくさんあった。だが、その中でも一番に伝えたいことを、彼女は口にした。
「あなたと、友達になりたいの」
「あ……」
二人の手から伝わる感触に、ニュクスは思わず声を漏らす。その感触を、彼女は知っていた。
ケントの不器用で、それでいて何があっても手を放さないという意思を感じさせる力強い手。そしてエルナのそっと包み込むような、柔らかく安心感のある優しい手。それは在りし日の、彼女の父と母の手の感触にとてもよく似ていた。
「わた、し……私、は……」
もう二度と、誰かに手を握ってもらうことなどないと思っていた。強く、優しく、そんな二人の手の温もりは、氷のように凍てついたニュクスの心を溶かしていく。気が付けば、彼女は涙を流していた。
「ううっ……ぐすっ……父、さん……母、さん……っ!」
幸せと、人の暖かさを感じる心。怒りや悲しみ、そして憎しみに長く囚われていたことですっかりと忘れてしまっていた。だがその心を、ニュクスは少しずつ取り戻そうとしていた。
「うう、うううっ……わああああああああああああああああああああっ!」
そして、とうとうニュクスは大声で泣きだした。今まで抑圧されてきた、行き場のない感情を迸らせながら、涙に乗せて洗い流すように。喉が枯れ、身体中の水分が抜けるのではないかというほどに長く、そうしていた。
「…………」
そんな彼女が落ち着くまで、二人はただ手を握りながら、じっと見守っていた。
それから、二人はニュクスを連れて宿に戻ると、すぐに彼女の傷の手当てを始めた。
「……ふう。こんなものね」
エルナはニュクスの頬に手をかざすと、彼女に治癒の魔法を施した。それにより、痣など目立った外傷は消えたものの、まだまだ完全に回復したとは言い難かった。
「ごめんなさい。私の力じゃ、これくらいが限界で……」
「いえ、いいですよ。あなたが私のためにしてくれたというだけでも、十分に嬉しいですから。それに、あるじゃないですか? 簡単に怪我を治す方法が」
「……え?」
ニュクスは立ち上がると、部屋の壁に背中を預けているケントに近づいて彼の真正面に向き合う。
「ねえ、ケントさん?」
「え……? んっ……!?」
そして、彼の頭の後ろに両手を回すと、そっと唇を重ね合わせた。
「んむ……んっ、れろ……」
舌を絡めた濃厚なキスを交わすと、ニュクスはケントから離れてゆっくりと後ずさる。すると、彼女の身体の傷は瞬く間に塞がっていった。
「ふふっ。本当に面白い能力ですね、これ」
「あ、あ……」
エルナはわなわなと震えると、近くに置いてあった枕を手にして勢いよく立ち上がる。
「ケーンートー!」
「おっ、おい待て! 今のは俺じゃなくてニュクスが先に……」
「言い訳無用!」
そして、手に持った枕を思い切りケントに投げつけた。
「うおおおおおっ!?」
飛んできた枕を顔面で受け止めたケントは、そのまま床に倒れ伏した。
「理不尽だ……」
「……ふふっ」
そんなやり取りを見たニュクスは、あまりにも可笑しかったのかつい吹き出してしまう。
「ふ、ふふっ……あははははははははははっ!」
堪えようとしても堪えきれず、とうとう彼女は大声を上げて笑い始めた。それはこれまで二人に見せていた、顔の表面に貼りつけたような無機質な作り笑いとはまるで違う。彼女の解放された感情がもたらした、心の底からこみ上げてくる笑いだった。
「エルナさん、ケントさん……」
そして、ひとしきり笑い終えた後、ニュクスは二人にこう言った。
「これからも……よろしくお願いしますね?」
「……うん!」
「ああ、よろしく頼むよ」
そんなニュクスの言葉に、二人は少しの間顔を見合わせてから、笑顔で彼女に向き合った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回以降の更新について、誠に申し訳ございませんが私用のため11月の半ば頃まで更新速度を隔日から3日に1回へと変更させていただきます。
これまで読んでいただいている皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、予めご了承いただけますと幸いです。