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ニュクスの過去 

 翌朝、あれから二人はベッドに寝かせたニュクスの目が覚めるのをずっと待っていた。


「ん……」


 しばらくすると、ニュクスは目を開けてゆっくりと起き上がった。


「ここは……?」

「気が付いた?」


 状況を飲み込めず辺りを見回すニュクスに、エルナはそっと声を掛ける。


「あなたたちは……ああ、そうでしたね」


 そこで、ニュクスは自分の身に起こったことを理解し、ケントの顔を見た。


「完全に予想外でしたよ。まさか、あなたを殺せなくなってしまうなんて」

「俺を殺せなくなった……? どういうことだ?」

「知りませんね。ただ言えることは、あなたを殺そうとした瞬間、まるで殺そうとする意思をかき消されたかのように身体が動かなくなったということだけです。恐らくですが、あなたとキスをした人間は、あなたを殺すことができなくなるのでしょう。あまりにも馬鹿げた話ですが、考えられるとすればそれくらいです」

「……エルナ」


 ケントはニュクスの言葉がどこまで本当かどうかを試すために、エルナに話しかける。


「ちょっと俺の頬をつねってみてくれないか?」

「え? う、うん」


 エルナは言われたとおりにケントの頬に手を伸ばしてみる。


「痛っててててて!」


 だが、ケントの予想に反して、エルナは何の問題もなく彼の頬をつねることが出来た。


「ごっ、ごめんケント!」


 エルナは驚いて、ケントの頬から慌てて指を離す。


「……大方、攻撃ではなく殺意にのみ反応するとか、そんなところでしょう」 

「そういえば私、前にキスされた時に、ケントを突き飛ばしたことがあったわね……」


 そのようなやり取りの後、三人の間に静寂が訪れる。しかし程なくして、エルナがその静寂を破るようにして口を開いた。


「ニュクス、そろそろ話してくれる? あの時、あなたは何をしていたの? あなたは、一体何者なの?」

「……あなたたちには関係のないことです」

「……っ! 何だと……!?」


 ニュクスのその言葉を聞くと、ケントは激昂して立ち上がった。


「ふざけるな! 俺とエルナはお前に殺されかけたんだぞ!? なのに関係ないなんて、そんな話があるわけないだろ!」

「……っ! 待って、ケント! 気持ちは分かるけど落ち着いて!」


 エルナは今にもニュクスに食って掛かりそうなケントの腕を掴んで引き留める。


「お願い、ニュクス。あなたをこのまま放ってはおけないの。だから、せめて話だけでも聞かせて?」

「…………」


 ここまで来たら誤魔化しは効かず、二人は自分が話すまでいつまでも食い下がってくるだろう。

 もはや逃げ場はないと判断したのか、ニュクスは観念したように口を開いた。


「もう分かっているとは思いますが、冒険者というのは私の正体を隠すための仮の姿でしかありません。本業は……暗殺者です」

「えっ……?」

「暗殺者、だと……?」


 暗殺者、それは冒険者のような表の仕事とは全く異なるもので、依頼人から頼まれた人物を抹殺する代わりに報酬を受け取る、まさに裏の仕事である。ニュクスがいつも夜に外に出ていたのは、冒険者の仕事ではなく、暗殺者としての仕事を目立たないようにこなすためだった。


「この世の中には誰かに殺したいと思われるほど恨まれたり、憎まれたりするような人間というのが少なからずいましてね。そういった人間の被害にあった方から依頼を受けて、夜中の間にひっそりと殺しているんです」

「それじゃあ、昨日の夜に襲っていた男の人は……」

「はい。なんでも彼は悪質な冒険者だったようで、被害を受けたという冒険者の方から依頼を受けて暗殺を実行しました。まあ、失敗してしまいましたが」

「……待てよ。もしかして、エルナを騙したっていうあの男はまさか……」

「ええ。その方を殺したのは私です」


 ニュクスはそれまで二人に隠していた事実を淡々と告げた。


「どうして……どうして、そんなことをしているの!? 冒険者として生きていくことだってできたはずなのに、どうして……」

「……以前、私の両親は既に死んでいると話したのを覚えていますか?」

「え、ええ……」


 エルナは初めてニュクスと会った日のことを思い出す。


「あれは少し間違いで、正確には死んだというよりも、殺されたんです」

「……え?」

「今から六年前のことです。私の家に盗賊が押し入ってきまして、その時に私の両親は殺されました」

「そんな……」


 ニュクスの口から語られた過去があまりにも衝撃的だったのか、エルナは思わず口元を覆った。


「その言い方だと、お前もその場にいたのか? どうしてお前は殺されずに済んだんだ?」

「追い詰められた父と母が、死に物狂いで二階の窓から私を逃して、そのおかげで私だけは助かったんです」


 そして残ったニュクスの両親は殺され、盗めるものを盗んだ賊は家に火を放ってから逃走した。更に悪いことに、彼女の家は街の外れにあったため大きな騒ぎにもならず、近くに住んでいた人々も出火の方に気を取られてニュクスや盗賊に目を向けるものはいなかった。

 

「そうだったのか……」

「ですが、その時の私はまだ十歳で、一人で生きるにはあまりにも非力すぎました。お金もなく、働こうにも何ができるというわけでもない。ただ、飢えて死ぬのを待つだけでした」


 平穏な日常は唐突に終わりを告げ、ニュクスは家族も住居も、一夜のうちにすべてを失った。そして残された幼く非力な少女に手を差し伸べる者は誰もおらず、ただみなしごに対して侮蔑と哀れみの視線を送るだけだった。


「そんな時でした。空腹で動けなくなっていた私に、手を差し伸べてくれた女性がいたんです。その人は私を自分の家まで連れて行って、パンと温かいスープを食べさせてくれました。そしてこう言ったんです。『これからは、ここを自分の家だと思っていい』と。私は何も考えずに、その言葉に甘えました」


 家族を失い、頼れる人もおらず、更には空腹に追い詰められていた彼女にとって、その言葉はさながら天からの福音であるかのように感じられた。それ故に、女性に対して何ら疑いを持つこともなく付いていった。


「ですが、それが間違いでした。その日の夜、私を寝室に案内したその女性は急に人が変わったように、私を乱暴にベッドに押し倒したんです。そして……」


 そこまで言うと、ニュクスは自分の身体を両腕で抱き締めて俯く。家族を奪われ、そのうえ自分を助けてくれたと思った人間にも騙され、肉体的にも精神的にも極限まで追い詰められた彼女は、遂にどす黒い感情に心が支配されてしまった。

 

「それから何日かして、私は耐えかねてその女性を殺そうと決めました。こっそりと家の中を探してナイフを手に入れ、それから夜になっていつものようにベッドで私に覆い被さろうとしてきたときに……首を掻っ切って殺したんです。それが、私の初めての殺人で、そして暗殺者として生きようと思ったきっかけです」


 しかし、その後の生活も決して楽なものではなかった。暗殺だけでは生計を立てられなかったため、食べられるかも分からない草や木の実を口に入れ、時には市場で気付かれないようにパンを盗んで食べ繋ぐ。そんな一時も心が休まることのない日々に、ニュクスの心はますます荒んでいった。


「……父と母は、とても優しい人でした。少なくとも、殺されるべき人間ではなかったはずです。なのに、どうして殺されなければならなかったんですか? 二人のように真面目に生きていた人間が、そうでない人間に理不尽に命を奪われるなんて間違ってる。そうは思いませんか?」

「それは……」

「この世界は、そんな間違いが平然とまかり通っている。だから、私は殺すと決めたんです。身勝手に他者を虐げ、奪おうとする人間を……」


 ニュクスはギリ、と歯を(きし)らせると、やり場のない感情をぶつけるようにベッドのシーツをぎゅっと握りしめた。


「お二人は優しい人です。私に殺されかけたというのに私を殺そうとはせず、それどころか心配までしてくれている。だから、あなたたちを殺すのはやめにします。その代わり、もう二度と私に関わらないでください」


 ニュクスはそう言ってベッドから出ると、軽く身支度を整えてから部屋から出ようとする。そして、扉の前まで立つと、二人に振り向くことなくこう言った。


「……約束、守れなくてすみません」

「……っ! 待って、ニュクス!」


 しかし、ニュクスはそんなエルナの静止の声に耳を貸すこともなく、そのまま部屋を出ていった。




 それから夜になった。ニュクスは行く当てもなく、あんなことがあった後では宿に戻るということもできないため、街中をふらふらとして時間を潰していた。


「ここは……」


 そして、彼女はある場所で足を止める。そこは、昨晩に標的を始末し損ね、そしてケントとエルナの二人と戦った場所だった。元々人通りの少ない裏路地ではあるが、それでも今日のうちに誰かが整備したのか昨晩のやり取りで地面に付いた血痕はすっかり見当たらなくなっていた。

 彼女は手ごろな建物の壁にもたれると、ゆっくりと腰を下ろす。


「…………」


 そこでニュクスは、ふと二人の顔を思い浮かべた。

 もしあの時、二人と一緒に冒険者の依頼を受けていたとしたら、友達になっていたとしたら、今とは違う道を進めていたかもしれないと、そのようなことを考える。


「ふふっ、何を馬鹿なことを……」


 しかし、それはあり得ない、あってはならないことだと、彼女はすぐに自嘲の笑みを浮かべた。

 自分は暗殺者だ。たとえ殺す対象が悪であろうと、これまで何人もの命を奪ってきた。外道を憎んでおきながら、その実自分自身も外道に堕ちてしまっているのだ。そんな自分に、二人と同じ道を進む資格などない。大切な家族を奪われたあの日から、自分の進む道は逃れえぬ闇の中だと決まっているのだ。

 そのようなことを考えてから、ニュクスは立ち上がる。


「さて……」


 そして、いつまでもこのような場所にいても仕方がないと、彼女はその場を離れようとする。


 ――その時だった。


「……っ!?」


 ニュクスは不意に後ろから気配を感じて、振り向こうとする。


「がっ……!?」


 だが、遅かった。後頭部に思い切り衝撃を叩き込まれたニュクスは、その場で気を失った。

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