疑念
「ただいまー」
それから少しして、エルナは自室へと戻っていった。
「おや、エルナさん。お帰りなさい」
すると、先に帰っていたニュクスが彼女を出迎えた。
「あれから気分が優れないようでしたが、大丈夫ですか?」
「ええ、もう大丈夫よ。ありがとう」
別に依頼をこなしたというわけでもないのにどっと疲れたとでもいうように、エルナは自分のベッドに勢いよく腰を下ろす。
「そういえば、先程までケントさんの部屋に行っていたんでしたよね?」
「ええ、そうだけど……どうして?」
「いえ、大したことではないのですが……」
ニュクスは立ち上がると、おもむろにエルナの隣に座ってから話を続けた。
「彼、自分を冒険者だと名乗っていましたが、それにしては武器どころか身を守るような防具すら持ってないようですし、とても冒険者という風には見えないんですよね」
「そ、そうかしら……?」
「別にあの人のことを悪く言うつもりではないのですが、それでもどうしてそのような方と一緒に仕事をしているのかが気になるものでして」
「え!? そ、それは……」
彼女の言う通り、ケント自身には戦う力はなく、実際にそのような人間と組むメリットは無い。ただ一つ、彼の持つ他の人間にはない唯一無二の特殊な能力を知ったこと。そしてそれに命を救われたことがきっかけで、彼と行動を共にすることを決めたのだ。だがそれはみだりに周囲に漏らすべきではないため、エルナは返答に窮してしどろもどろとする。
「そういえば先程一緒に食事をした時、彼は自分のことを近くの森で記憶喪失の状態で倒れていたと言っていましたね」
「え、ええ、そうね……」
「これは私の勘なんですが……彼、何か秘密があるんじゃないかって思うんですよね。そしてあなたが彼に同行するのはその秘密を共有しているからではないか、と……」
「――っ!?」
まさにその通りだった。ニュクスの推察は本当に勘なのかどうかが疑わしいほどに核心まで迫っており、エルナはそんな彼女の洞察力に動揺し、思わず口から声が漏れそうになるのを必死で堪えた。
「どうでしょう? 当たっていますか?」
「…………」
元々嘘をつくのは得意ではないため否定が出来ず、だからといって正直に話すわけにもいかない。エルナは苦肉の策として、無言を貫くのがやっとだった。
「……やはり、教えてはくれませんか?」
「……ごめんなさい」
後ろめたさを拭うことが出来ず、エルナはニュクスから目をそらす。
「そうですか……残念です。もっとあなたたちのことを知りたかったのですが」
「うっ……」
「とはいえ、仕方がないですよね。私たち、知り合ってまだ二日しか経っていませんから、秘密を打ち明けるほど親しい間柄とまではいかないでしょうし」
「ううっ……」
「いずれは相部屋も解消されるでしょうし、そうなればお会いできる機会も少なくなってしまいますから、その前にもっと仲良くなれればと思っていたのですが……」
「うううっ……」
そしてニュクスは再び立ち上がり、悲しげな顔を作るとエルナに向き合ってこう言った。
「あなたとは良き友人になりたかったのですが……本当に、残念です」
「ま、待って!」
エルナは思わず立ち上がる。自分から友達になりたいと言った手前、親睦を深めようとする彼女の言葉を無下にするような真似をしていることに耐えられなくなっていた。
「分かったわ。その、話してもいいけど、一つだけ約束してほしいことがあるの」
「はい、何でしょう?」
「他の人には、絶対に内緒にしてもらえる?」
「ええ、その程度でしたら構いませんよ?」
「分かったわ、じゃあ……」
エルナはケントが持っている能力について、自身の経験を交えながらニュクスに話した。
「キ、キスをすると強くなる、ですか……!?」
「ええ、そうなのよ」
「それは、なんと言いますか……」
ケントの秘密――すなわち彼の能力があまりにも予想外なものであったため、ニュクスは驚きのあまり言葉を失っていた。
「にわかに信じがたい話ではありますが、なるほど。たしかにキスをするというのは、あまり公然と言って回りたくはない話ですねえ……」
「そうでしょう? だからお願い、ニュクス! もしこのことが他の冒険者に知られたら、ケントは悪い意味で有名になってこの街に、下手すればこの国にいられなくなるわ! だから、絶対に内緒にして!?」
エルナは両手のひらを合わせて懇願する。
「ええまあ、誰にも言うつもりはありませんが。それにしても、ですねえ……」
ニュクスは顎に指を当てると、何やら含みのある笑みを浮かべる。
「な、何……?」
「これまでのお話を聞く限り、エルナさんはケントさんと随分と仲がよろしいようで」
「なっ……!?」
エルナは顔を赤らめると、ニュクスの言葉を否定するように両手を突き出してぶんぶんと振る。
「べ、別にそんなことは……」
「そうですか? その割には、彼のことをとても気に掛けているようですが」
「そ、それは……」
エルナは一瞬言葉に詰まった後、意外にもこう返した。
「それは、そうなのかも……」
「おや、そこは否定しないのですね」
「うーん。なんていうかね、ケントと一緒にいると不思議と楽しいって感じるの。正直、頼りないかなって思うことはあるし、それにもしかしたら変態かもしれないけど……でも、自分のことにも、私のことにもすごく真っ直ぐに向き合ってて、信じられる人だなって安心するの。命を助けてもらったってこともあるけど、そういう人だから私も力になってあげたくなるのかなって……」
ケントの話をしているうちにエルナは、いつの間にか優しい表情を浮かべていた。
「ふふっ。そこまで言うなんて、彼は本当にいい人のようですね」
「うん、そうよ! ねえ、ニュクス。もし良かったら明日、私とケントと一緒に依頼を受けてみるのはどう? そうすれば、私の言ったことも分かるかもしれないわ!」
「明日、ですか……」
ニュクスは何やら考え込むような素振りを見せる。
「すみませんが、明日は用事がありまして……」
「あら、そうなの? じゃあ、都合の合う日ができたらいつでも言って?」
「ええ、分かりました」
「ふふ、楽しみにしてるわ、約束よ?」
そんなやり取りを終えた後、エルナはいつも通りの冒険者生活に戻っていった。
そして、一週間が経過した。あれからエルナは、ニュクスを何度も冒険者の仕事に誘っているのだが、何かと理由をつけて断られていた。理由を聞いても適当にはぐらかすばかりで答えてはもらえず、一向に約束を果たそうとする気配のない彼女に対して、さすがのエルナも不信感を募らせつつあった。
「それでは、行ってきますね」
「待って、ニュクス」
エルナは部屋から出ていこうとするニュクスを引き留める。
「あなたって、いつも夜中の依頼しか受けていないの?」
「ええ、まあ。夜の依頼は時間当たりの報酬がいいものですから」
「なら、明日は私と一緒にやってみない?」
「……すみません。どうしても一人でやりたいので」
「そう……」
これ以上追及したところで目の前の少女の考えが変わるとも思えず、エルナは何も言えなかった。
「ねえ、ニュクス」
「何でしょう?」
「いつか本当に、私やケントと一緒に仕事をしてくれるのよね?」
「…………」
ニュクスは視線を右上に動かす。そして、しばらく間を置いてからこう言った。
「……はい、必ず」
それだけ言うと、ニュクスは部屋を出ていった。
「ニュクス……」
部屋の中で一人残ったエルナは、彼女が去ったいくのをただ寂しげに見つめていた。
その翌日、エルナはリリエッタにある目的で会うためにギルドへと足を運んだ。しかし、彼女は今日は休みのようで、他の受付嬢からもしかしたら酒場にいるのではないかという情報を聞き、そちらへと向かう。
「あ、いた! リリエッタさん!」
「ん、その声は……」
リリエッタは声がした方向に顔を向ける。
「おお、やっぱりエルナちゃんだ! 相変わらず可愛いねえ!」
リリエッタはエルナの姿を見ると、笑顔になって手を振る。テーブルには木製の酒器がいくつも置かれ、更には彼女の顔は朱を帯びており、誰の目から見ても酔いが回っているのは明白だった。
「もう。まだお昼なのに、お酒なんて飲んで……」
「いいのいいの。だって私夜勤明けで、今日はオフなんだから」
そう言ってリリエッタはを酒が並々注がれた酒器に口をつけてから、それをエルナに差し出す。
「エルナちゃんも一緒にどう? お姉ちゃんがおごるよ?」
「ううん、遠慮しておくわ。それより、今日はリリエッタさんに聞きたいことがあって来たの」
エルナはリリエッタの向かいの席に座ると、無造作に置かれている空の酒器をテーブルの端に寄せる。
「うん? 聞きたいことって?」
「リリエッタさんってたしか、この街のギルドに登録している冒険者の顔を全員覚えているのよね?」
「うーん、全員と言われると自信がないかなあ……エルナちゃんみたいな可愛い女の子の顔だったら全員覚えているんだけどね!」
「そ、そう……」
リリエッタは可愛い女の子に目がないため普段からこのような調子なのだが、今は酔っ払っているせいかそれが輪をかけてひどくなっていた。そんな彼女に合わせても仕方がないと、エルナはひとまず聞き流した。
「で、それがどうかしたの?」
「うん。実は気になる冒険者が一人いて、その子について教えてほしいの。ニュクスって名前の女の子なんだけど……」
「うーん、名前だけじゃなんとも……他の特徴を教えてもらえる?」
「えっと、年は私と変わらないくらいよ。髪は首元まで伸ばした薄紫色で、私より少しだけ背が小さいわね」
「ふんふん……」
リリエッタは顎に手を当てて考え込むような仕草をする。
「……胸は?」
「……え?」
「胸の大きさはどれくらい?」
「……その情報、必要なの?」
「もちろん必要だとも! それも立派な身体的特徴だからね!」
「はぁ……」
ぐへへとでも形容すべき奇妙な笑い方をしているリリエッタを尻目に、エルナは言うべきか言わざるべきかを考える。そして少しの間迷った後、彼女はこう答えた。
「……私より、大きいわね。少し……」
「ほうほう、エルナちゃんより大きいのかー、いいねいいねー。それじゃあ、腰回りはどうかな?」
「それは、服の上からだとよく分からないわ」
「なるほど。じゃあ……お尻は?」
「そんなのしっかり見てるわけないでしょう……」
「じゃあ、どんな下着を履いて……」
「リリエッタさん! それ本当に必要な情報なのよね!?」
こればかりは絶対に必要ない情報だと、そう確信したエルナはリリエッタの質問を遮るようにしてそう叫んだ。
「あははは! ごめんごめん、冗談だって。今思い出してみるから、ちょっと待ってね」
リリエッタは自分の記憶を辿ろうと、目を閉じて集中する。しばらくすると思い出したようで、彼女は指を鳴らしてこう言った。
「……ああ! そういえばふた月くらい前に、そんな感じの子が冒険者登録をしに来てたね!」
「本当!?」
「うん。だけどその子、それっきりギルドで姿を見かけてないんだよね」
「え……?」
エルナは驚愕した。これまでのニュクスの発言は、リリエッタの言葉とは食い違っていた。
「そんな! その子、いつも夜の警備依頼を受けてるみたいで、昨日も受けてたわ! それなのに、ギルドで姿を見てないの?」
「うん。少なくとも、昨日警備依頼を受けに来た人の中に、そんな女の子はいなかった」
「嘘……」
たとえ酔っていたとしてもリリエッタが依頼に関してそのような嘘を言うとは考えにくく、もしも彼女の言ってることが本当に正しいのであれば、ニュクスはエルナを騙していたことになる。その理由は分からないが、彼女は最初から自分のことを信用していなかったのだと、エルナはひどく落胆した。
そして同時に、やはり彼女の真意を探らねばならないと、そう決心して席を立つ。
「……ありがとう、リリエッタさん」
「いやいや。これも他ならぬエルナちゃんの頼みだからね~」
エルナはリリエッタにお礼を言うと、酒場を後にした。
その日の夜、エルナはケントの部屋を訪れる。どうして嘘をついたのか、本来ならば本人に直接問いただせればよかったのだが、出会ったときからずっと嘘をついてまで隠したいことであるならば、聞いてもまともに答えてはくれないだろうと、そう考えたエルナはある計画を考えて、ケントの部屋まで来ていた。
「ケント、相談があるの」
「……何だ?」
「実はね……」
ニュクス本人の口から直接語らせることが出来ないのであれば、自分の手で真相を掴むほかない。そのためにもエルナは、ケントに協力を要請しようと考えた。
「……それじゃあ今日の夜、お願いするわね?」
「ああ、分かった」
そんな彼女の申し出を、ケントは快く承諾した。