甘く、激しく
「うん……うん?」
ケントの唐突な発言に、エルナは理解が追い付いていない様子だった。
「前に、俺がお前に人工呼吸をしたら強くなったって話をしたのは覚えてるか?」
「ええ、したわね」
「あの時に俺は、『キスをした相手を強くする力』が自分にはあるかもしれないって言ったけど、考えてみれば俺がキスをしたのはその一回だけだ。となると、俺の力が発動する条件はもしかすると違う可能性があるかもしれないって思ってな」
「……つまり、それを確かめるために、もう一度私とキスをしたいってこと……?」
「まあその……そういうことになる」
「……いや」
エルナは膝の上で拳を握りしめながら、そう呟く。
「エルナ……?」
「嫌よ! 絶対に嫌!」
ケントの言葉を遮るようにして、エルナは大声を上げた。
「だっていきなりそんなこと言われても、恥ずかしくて出来るわけないじゃない! それに私、キスをするのはそうでもしないと助からない時だけって言ったはずよ!?」
「いや、そのそうでもしないと助からない時に、もし俺の力の発動条件がキスじゃなかったとしたらまずいだろ? 嫌なのは分かるが、命に関わる問題なんだからしっかりと確認をした方が……」
「そんなこと言って、本当は私とキスをするための口実が出来たって思ってるでしょ!?」
「…………」
ケントはしばらくの間沈黙する。
そして――――
「……………………………………そんなことはない」
「今の間は何!? そしてちゃんと目を見て言いなさい!」
「頼む、この通りだ!」
ケントはベッドの上で正座をすると、まるでベッドを叩き割らんとするような勢いで頭を下げた。
「今度は土下座!?」
「もしエルナが少しでも不愉快だって思ったら、そこで止めてもいい。だから一回だけ、一回だけでいいからキスをさせてほしい。俺の力を確かめるためなら、多分その一回で十分なはずだ」
「う、うぅ~~~~~~~~っ!」
エルナは喉の奥から絞り出すような唸り声を上げる。ケントの言い分は理解できる。自分たちの命を救うための手段となり得るのだから、うやむやのままにはすべきでない。しかし、だからと言って恥ずかしいという感情を捨て去ることだって、簡単に出来ることではない。
エルナの理性と感情はせめぎ合い、まるで不安定な天秤のようにゆらゆらと揺れ動く。そして長い葛藤の末、彼女の心の天秤は、辛うじて理性の方へと傾いた。
「分かったわよ! するわ! すればいいんでしょ!?」
エルナは覚悟を固め、ベッドの縁から中心へと移動する。
「ただし、本当に一回だけなんだからね!?」
「あ、ああ! ありがとう、エルナ!」
「はぁ~~……私って、頼まれたら断れないタイプなのかしら……」
押しに押された結果、つい承諾してしまったと、エルナは自分の性格を見つめなおさずにはいられなかった。
しばらくしてから、二人は居ずまいを正して、互いに向き合う。
「それじゃあ、エルナ」
「う、うん。いいわ……」
エルナはそう言うと、深呼吸をしてからゆっくりと目を閉じる。
「よし、じゃあ……」
そんな彼女の肩に、ケントはそっと手を置いた。
「んっ……」
触られたことに驚いて、彼女の肩はピクンと跳ねる。そして、ケントはそのまま顔を近付けていった。
「…………」
しかし、ケントは途中で動きを止める。彼の視線は、ある一点に注がれていた。
「……? ケント?」
「エルナの髪、綺麗だな」
それは、彼女の髪だった。触れたらすり抜けてしまうと錯覚させられるほどにさらさらとした、腰まで伸びた一分のくすみもない見事なまでの金色に、ケントは思わず目を奪われていた。
「……っ!? そ、そういうのいいからっ!」
エルナは顔を真っ赤にしながら、顔の前でわたわたと手を横に振る。
「もう! 早くしてよ……」
そう言うとエルナは目を閉じて、顔をやや前方に突き出す。彼女の顔は羞恥と緊張でほんのりと赤くなっおり、普段は絶対に見せることのないであろうその姿に、ケントは自身の胸の鼓動が高鳴っているのを感じていた。
二人の距離は段々と近くなり、やがては互いの吐息を感じられる程までになる。そして、とうとう二人は唇を重ねた。
「んっ……!」
エルナは背筋にゾクッとするような感覚が走り、身体を震わせる。しかし嫌な感覚というわけではなかったようで、彼女はケントの唇を抵抗することなく受け入れていた。
しばらくしてから、ケントはエルナから顔を離した。
「どうだ、エルナ?」
「……うん。あの時と同じ、身体の内側が熱くなって、それに全身から力が湧いてくる感じがするわ」
「そうか。となると、やっぱり唇へのキスが鍵になるのかもしれないな……」
ケントはそう呟くと、エルナを見つめた。
「どうしたの、ケント? いきなり考え込んで」
「いや、もし唇以外の場所にキスをしたら、効果はあるのかと思ったんだけど……」
そこで、ケントは顔色を窺うようにしてエルナを見る。
「……分かったわよ。こうなったらとことんまで付き合うわ。その代わり明日の食事の代金、全部あなた持ちにしてもらうわよ?」
「ああ、お安いご用だ」
ケントは改めてエルナに向き直ると、キスをしようと顔を近づける。
「んっ……!」
エルナが短い悲鳴を漏らす。ケントがキスをしたのは、彼女の頬だった。
「あっ、やっ……!」
そしてゆっくりと顔を下ろしていき、今度は彼女の首に唇で触れる。
「ちょ、ちょっと……!」
さらに、彼女の白く柔らかな肌触りの首筋を甘噛みし、舌を這わせてそっとなぞった。
「ひゃうっ……!? く、くび……だめぇっ……!」
エルナは身体をビクッと跳ねらせる。
「や、やっぱり無理っ! もう限界っ!」
さすがに恥ずかしさが頂点に達したようで、エルナはケントを両手で思い切り突き飛ばす。
「のわああああああああああああああああああああああああっ!?」
その時だった。ケントは勢いよく吹っ飛び、そのまま盛大に壁に激突した。部屋を震わすほどのすさまじい衝撃音が、部屋中に響き渡る。
「……え? あ……」
そこでエルナは、ケントがあり得ない程の勢いで吹っ飛んだのは、自分が彼のキスによって強くなっている状態で突き飛ばしたからだと、ようやく理解した。
「ごめんケント! 大丈夫!?」
エルナは慌てて、ケントの元へと駆け寄る。
「……って、今のはあなたが悪い! あんなにいやらしい感じにする必要はないでしょ!?」
そしてケントに向かってビシッと指をさすと、直前の自分の発言を撤回した。
「……そうだな。全面的に俺が悪かった」
ケントは頭を押さえながら、よろよろと立ち上がる。
「それでその、何か変わったことはあるか?」
「……特にはないわね。最初の時みたいな、身体の内側が熱くなって、全身から力が湧いてくるような感覚はしなかったわ」
「そうか。ってことは、唇同士でのキスじゃないと駄目と見てよさそうだな」
甘い時間の末に、ケントの持つ力が『相手と唇を重ねること』だと確定した瞬間だった。
「悪かったな、エルナ。無理に付き合ってもらって」
「……まあ何はともあれ、これでいざという時も大丈夫ね」
そこで、エルナは腰に手を当てて上半身をやや前方に傾ける。
「でも! 言っておくけど、本当にいざという時にしかしないんだからね!」
エルナはそう言うと、部屋から出ようとドアの取っ手を握る。
「それじゃあ私は部屋に帰るけど、絶対にそのことを忘れないように!」
「ああ」
「……絶対よ!」
「分かったって……」
こうして、エルナはドアを開けると、部屋から退出した。
「まったく……」
しかしそのまま自室へとは向かわず、ゆったりとドアにもたれる。
「…………」
そして、右手の指を自分の唇に押し当てて赤面する。
「(もう、馬鹿馬鹿、ケントの馬鹿っ……!)」
エルナはしばらくの間、自分の唇が味わった感触を悶々と思い返していた。