始まりと出会い
「…………」
どこにでもあるようなごく普通の街。しかし、今だけは様子が違った。
歩道に人だかりができている。そのすぐ傍には、ボンネットがへこんだ一台の車。衝突事故が起きたのだということを察するには十分過ぎる光景だった。
「大変だ!」
人だかりの中心にいたのは一人の少年だった。目を閉じて、ぐったりとしている。衝突事故の被害者だった。
「まだ息がある! 早く救急車を!」
身体からは血が流れており、骨も折れている。息があるといっても、本当にただ息があるというだけだ。
「(身体が……痛え……俺は、死ぬのか……?)」
風前の灯火にも満たない微かな意識の中で、その少年――ケントはそのようなことを考える。
「(ああ……駄目だ……なんだか、眠い……)」
やがて、ケントの意識は果ての無い深淵の中へと溶けていった。
「……ん?」
ケントが目覚めるとそこは静かな森の中で、彼は開けた場所にある草むらの上で横になっていた。
「ここはどこだ? 俺は一体……?」
ケントは上体を起こすと、そのままぽかんとした様子で虚空を見つめる。ここはどこなのか、そもそも自分はどうしてここにいるのか。ここにいる前は何をしていたのか。自分の置かれている状況が何一つ理解できていなかった。
「……ん? 何だこの本?」
ひとまず何か無いかと辺りをキョロキョロと見回してみると、足元に一冊の本が置いてあるのを発見した。今の状況について何か分かるかもしれないと、ケントは淡い期待を込めてそれを手に取り、適当なページを開いてみる。
「おいおい、何て書いてあるんだこれ……」
しかしケントは困惑した。その本に書かれている文字が、まるで読めなかったからだ。
その時だった、ケントの背後からガサガサと何かがうごめくような物音がした。
「……っ! 何だ!?」
ケントは咄嗟に立ち上がって、音がした方向に振り返る。それは、見たことのない生き物だった。
頭は狼のような見た目をしており、背丈はケントの腰より少し高いくらいの生き物。何より特徴的なのは、そのような獣じみた風貌にも関わらず二足歩行であり、手にはささくれ立った太い木の棒を持っているということだ。
「グルルルルル……」
完全に目が合ってしまった。それは低く唸り声をあげながら、ケントにゆっくりとにじり寄る。目が覚めてから分からないことだらけではあるが、少なくとも目の前の生物が友好的ではないということだけは、ケントにも理解できた。
「ちょ、ちょっと待て! なんだコイツ……」
無論目の前の生物がその問いに答えるはずもなく、まるでその代わりとでもいったように武器のこん棒を振りかざすと、ケントに襲い掛かった。
「グルルォォォォォォ!」
「なっ、え!?」
ケントはとっさに回避行動を取ろうとするも、あまりにも唐突な出来事であったため、驚いて反応が遅れてしまう。
「ぐっ!? ああああああああっ!?」
その結果、脚をこん棒で殴られてしまった。幸い骨までは到達していないが、それでも殴られたことによる鈍い痛みと、ささくれた部分が皮膚を抉った痛みは尋常ではない。ケントは思わずその場にへたり込んでしまった。
「(ヤバい、早く逃げないと……だけど、脚が……!)」
殺される。脚を走る激痛と流れる血が、ケントの中にある生物としての本能に刻まれた死の恐怖を、これでもかというほどに呼び起こしていた。
「グゥゥゥ……」
それでも、目の前の謎の生き物が手を緩めようとする様子はない。今度はとどめを刺すためにこん棒を振り上げ、地面を蹴るようにして飛び跳ねた。
「うわああああああっ!?」
せめて少しでも痛みを軽くしようという咄嗟の防衛本能からか、ケントは目をつぶって両腕で頭を守るように、半ば反射的に身体を動かした。
「――――ッ!」
やがて来るであろう痛みに耐えるため、ケントは全身に力を込める。
「…………?」
しかし、いつまで経ってもそれは来ず、ケントは恐る恐る目を開けた。
「え……?」
そこには、狼の頭をした生物が血を流して、ピクピクとしながら横たわっている姿があった。よく見ると急所である左胸を、何やら光を帯びた矢で射られている。
「おーーい!」
今度は人の声がした。ケントはその声の方向へと振り向く。
すると、自分と同じ年齢くらいの少女が駆け足で近付いてくるのが見えた。
「あなた、ギルドの人? こんなところでどうしたの!?」
「え、いや……痛っ!?」
ケントは立ち上がろうとしたが出来ず、先程の生物によって負傷させられた脚の傷口を押さえた。彼にとってはようやく出会えた人間だったが、自分がここにいる理由を説明しようにも出来ず、更には先程の謎の生き物に攻撃された箇所がズキズキと痛むことで、彼の思考は絡まった糸のようにグチャグチャになり、喋ろうにも言葉が出なかった。
「あっ、ごめんなさい。まずは怪我の手当が先よね?」
そんな彼の様子を見るや否や、少女は慌てながらしゃがんで、傷口にそっと手を添える。
「《治癒》!」
少女がそう言うと手のひらから青白い光が発せられ、傷口を優しく包み込む。すると、それまでの激痛は嘘のように引いていき、傷口も少しではあるが塞がっていた。
「ごめんなさい。私の力だとこれくらいが限界なの」
「いや、十分楽になったよ。ありがとう」
ケントは礼とともに、少女の手を借りながらゆっくりと立ち上がる。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はエルナ。ギルドの冒険者見習いよ!」
エルナと名乗った金色の長い髪が特徴の少女は、朗らかな笑顔でそう言った。
「あー……俺はケントだ。よろしく……」
分からないことも聞きたいことも山ほどあったが、ケントはひとまず最低限の礼儀として自分の名前を名乗ることにした。
「うん! よろしくね!」
簡単に自己紹介を済ませてから、エルナはケントにこう尋ねた。
「それで、ケントは何をしにここに来たの?」
「あーいや、それが分からないんだ。気が付いたらここにいて、それで近くに落ちてたこの本を読んでたらさっきの奴に襲われて……」
「えーっと……え?」
ケントの発言があまりにも突拍子もないことであったため、エルナは理解できずに首をかしげる。
「気が付いたらここにいたって……どういうこと?」
「言葉通り、本当に気が付いたらって感じなんだ。それまで自分が何をしてたかとか、そういうのも全然分からなくて……」
「うーん。それじゃ、他に何か覚えていることはある?」
「いや、自分の名前以外は何も」
それを聞いたエルナは、ますます理解できないといった様子できょとんとした表情になる。しかし、少しすると自分の頭にある一つの考えが思い浮かんだようで、それを確かめるような口調でケントにこう尋ねた。
「……もしかして、記憶喪失?」
「多分、そうなんだろうな。はあ、記憶は無いわ変な生き物に襲われるわ、これからどうしたらいいんだ……」
ケントはがっくりと肩を落とす。自分は一体何者なのか。記憶喪失なのだとして、これから先どうすればいいのだろうか。まるで自分だけがこの世界から除け者にされているような感覚に見舞われ、彼の心には不安の種が芽生え始めていた。
「ケント……」
エルナはそんなケントの心情を察したようで、せめて励まそうと彼の両手をガシッと掴んでこう言った。
「大丈夫よ、元気出して! たしかに自分のことが分からないのは不安だとは思うけど、それでも後ろ向きにならずに前向きに進んでいれば、きっと良いことだってあるはずよ?」
「えっと、エルナ?」
「そうだ! あなた、これから行く当てはあるの? もしなかったら、私に付いてきてみない? この近くに街があるのだけど、そこならあなたのことも何か分かるかもしれないわ!」
「街か……」
この世界のことも、自分のことも分からないというのではどうしようもない。それに、いつまでもこんなところにいても仕方がない、今は事態を少しでも進展させるために、とにかく情報を集めるべきだ。
ケントはそう考えて、エルナの誘いに乗ることにした。
「そうだな。それじゃあ、案内してくれないか?」
「うん、決まりね! じゃあ早速行きましょう? こっちよ!」
「お、おい。一人で歩けるって……」
エルナはケントの手を引きながら、街へと向かっていった。
この度、初めて小説家になろうに投稿させていただきました。
完結を目指して頑張って参りますので、これからもお付き合いいただけますと幸いです。
まだまだ未熟な身であるため、お読みいただけた際には是非とも忌憚のない感想を述べていただけると励みになりますので、どうかよろしくお願いいたします。