6話:腹ごしらえ
カナメが森の前まで到着した時には既に、日は山の向こうへと沈み切ろうかというところだった。辺りはすっかり薄暗くなっており、未知の生物達の鳴き声が絶えず聞こえるせいで、どこか不気味な印象さえ覚えてしまう。
可能であれば明るいうちに辿り着きたいと考えていたものの、周囲の警戒をしたり体力の配分を考えていたら予想よりも時間がかかってしまったのだ。ただ、殆ど寄り道せずにいたにも関わらずこの有様となれば、もはやどうしようもなかったとして諦める他無いのだろう。
(奥は案の定明かり無し、と……。さて、どうすっかな)
一息つきながら森の中の様子を眺めていたのだが、様相は兼ね兼ね予想通りといったところだった。人工的な明かりである街灯などはないし、道のようなものも見当たらない。見るからに管理されているような様子もなく、やはりというべきか人が頻繁に出入りするような場所では無いのかもしれない。
そのうえ、上から見下ろしていた時に見えた煙も、この場所からでは木が邪魔でどこにあるのかわからなかった。向かうとなれば、おおよその方角を目指すか、周囲の木にでも登って探してみるほかないだろう。無論、後者はいざとなればにしておきたいところではあるが。
(さっきも木にでかいトカゲがいたしな……。肉食ではないと思うけど、触らぬ神になんとやらだ)
森に向かう途中、太い木の下で休憩を取ろうとした時に見かけたのがその大トカゲだった。木の模様に溶け込むようにして張り付いており、その大きさは一メートルほどもあろうかという巨体で、拳大の目玉がギョロギョロと小刻みに動いていたのが脳裏に強く焼き付いている。特に危害を加えられた訳ではないのだが、その規格外の存在はカナメの肝を冷やすには充分過ぎた。
その後はすぐにその場から離れて駆け出したのだが、同じような経験をするのは真っ平御免である。過ぎさった記憶を振り払うように小さく頭を振ったカナメは、意識を今の状況に向け直していた。
(とりあえずは食料の確保、だな。生食出来そうな物を探すか)
既に空腹感は一週回ったようであまり感じていなかったものの、腹の虫は幾度となく鳴り続けている。それ故、今後どんな行動を取るにしろ、一先ずは空腹を満たしておきたかった。いざという時に空腹で力が出ない、なんてのはあまりに間抜けすぎるし、死因が餓死になるのも遠慮したい。
あまり森の中へは入り込みすぎないよう注意しながら、木の根元や茂みを漁っていく。ここまで来て候補すら見付からなければどうしたものかと考えていたが、さすがにそんなことにはならず、幸いにもいくつか食べられそうなものは見つけることが出来た。欲を言えば果物のようなものがあればよかったのだが、おそらくそういったものは森の奥地に入り込まなければ見つけられないのだろう。もちろん贅沢を言える状況ではないというのもわかってはいるため、ひとまずは見つけたものを一か所に集めることにした。
(このキノコはどうだろ。そんでこれは種……か?やけにでかいけど、多分どんぐりみたいなもんだろ。あとは……)
近場に生えていた植物やキノコを大方集め終えた頃、ふとカナメの目に留まったのは小さな虫たちだった。
小さいといっても、この辺りにいた他の生き物に比べてという話で、日本にいたものに比べれば大分大振りではある。ただ、比較的馴染みのあるサイズ感や見た目に近いせいか、頑張れば食用としていけるのでは?という考えが浮かんでしまったのだ。
(イナゴとか芋虫とかなら、食えるって聞いたことある気がするんだよな。そもそもキノコや種だけで腹が膨れるとは思えんし……。でもさすがに生はヤバイ……というか無理か?)
たまたま近くの地面から顔を出していたミミズのような生き物を片手で捕まえたカナメは、しばしの間その様子を観察することにしていた。頭部と思しき先端を掴んでいるせいか、胴体の部分が激しくうねり、必死で逃げ出そうとする。太さは直径5cmほどで、触感としては水撒き用のホースを掴んだ時の物に近い。その様子を眺めつつ、食べたときの食感や味を想像してみたものの、とてもじゃないが美味しそうとは言えなかった。
せめて火が起こせればどうにかなるかもしれないが、残念なことにそんなサバイバル力は持っていない。道具の一つも持っていないことを改めて悔やんでいたカナメだったが、手元に変化が起きたのもそれと同じタイミングだった。
(うおっ!?)
掴んでいたミミズが動きを止めたと思えば、その身がほんの少しばかり熱をもち始める。その直後には、突如として発生したぬめりによって手元からすり抜けるように逃げられてしまっていた。
再び地面へと潜っていくミミズをよそに、カナメの手に残るのは不快感に満ちた物質。突然の出来事に、思わず呆気に取られていたカナメだったが、取り乱すようなことはせず、すぐさま我に返っていた。
(……すっげえヌメヌメする。ほんとに訳わからねえな……)
手に残された謎のぬめりの感触に、思わず溜息が漏れてしまう。恐らくは危機を感知した時の分泌液のようなものだとは思うが、ミミズがそんなものを出すとはさすがに予想できない。更には、付けられたその液体があっという間に乾いてしまったことも余計に不可解だった。
付けられてから数秒しか経っていないにも関わらず、元から何もかけられていなかったかのように、手には何一つ残されていない。狐に抓まれたような感覚という言葉が、これ程までに当てはまる状況はないとさえ思えてしまう。ただ一つ間違いなく言えるのは、食べなくて正解だった、ということだった。
(やっぱり生物は辞めといたほうがよさそうだ。あんな妙な液体持ってるやつを生食とか無理だわ)
既にぬめりの取れている手を近くの葉っぱで拭きなおしつつ、初めに集めたキノコ類へと向き直る。他にもバッタのような生き物も候補にはあったのだが、今のような経験をしてしまった以上、捕まえようという気さえ起きない。奇妙な体験のせいで吹っ切れたカナメは、もはや躊躇することも無く集めたものを口に運んでいくのだった。
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(なんかリスにでもなった気分だ……)
集めたものをあらかた食べ終えたカナメは、膨れたような気のする腹をさすりながら森の奥を見つめていた。
集めた時には様々な種類の物をバランスよく揃えたものの、結局まともに食べることが出来たのは木の実だけだったという結果に終わってしまった。草は苦みが強すぎて駄目だったし、キノコは毒が怖くて手を付けられず。馴染みのない未知の植物たちについても、変な粘液を出すんじゃないかと実食段階で怖気づいてしまったのだ。
木の実に関しては大きさが見慣れたものより数倍あることから、味も大味じゃないかと予想していたのだが、案外そんなことは無かった。うまいかまずいかで言えばまずい寄りだったが、例えるならば苦みを少し増したアーモンドのようで、十分食べられる範囲内だったと言える。そのうえ一つ一つが大きく、まとまって落ちていることが多かったため、見つけるのも簡単だった。あとは食べたものの中に毒を含むものが無いことを祈るくらいだが、今のところ中毒症状が一切出ていないことから、おそらくは問題ないんじゃないだろうか。
(……少しだけ奥に入ってみるか?とりあえず飯には困らなそうだし)
少しだけとはいえ、空腹を紛らわすことが出来たカナメには、無意識的に心に余裕が生まれていた。実際のところ、空腹がカナメの中で大きな焦りの要因となっていたのだ。食事とも言い難い貧相なモノではあったものの、腹が満たされたことに変わりはない。それにこの調子ならば、おそらく森の中に入ってもカナメが食べたものと同じものがあるだろう。ともすれば、食事問題は解決したも同然じゃないだろうか。
そうなると、残る不安は野生生物に襲われないかという点ぐらいである。
(しばらく見てたけど特に何もなかったし、案外平和な森なのかもしれんな)
食事を済ませている間も森の方は注視し続けていたのだが、特にこれといって変化は起きなかった。生物が争っている声もしなかったし、急に何かが飛び出してくるということもなく。木の上に止まっているであろう鳥の声が時折騒がしくなったりはしたものの、こちらに対して危害を加えてくる様子もない。ようやく辺りの暗さに目が慣れてきたということもあり、カナメの行動方針は決まりつつあった。
(多分煙はもう消えちまってるけど……。森が安全だとしたら当分何とかなりそうだ)
煙が上がっているのを見つけてから、既にそこそこの時間が経っている為、その場所を見つけるのは正直厳しいだろう。だが森の中の様子次第では、そこを拠点に動き回ることが出来るかもしれない。危険だったならば、どのみち煙が上がっていた場所へも行けないだろうし、何にせよ中の様子を確かめておく必要はあるのだ。
(……よし、行くか。さっきよりかは体調もマシになったし、最悪逃げるってなっても多少は無茶できるしな)
中でも取れるとは思いつつも、念のため非常食として木の実をポケットに詰めておく。そして軽く呼吸を整えるために深呼吸をしたり、小さくストレッチを済ませてからカナメは森の奥へと歩き出した。奥に進むにつれて再び不安が増していくものの、もはや後には引けない。
丘から出てからおよそ二時間。既に空では月が輝き始めていた。