5話:コインは二度投げられる
「こりゃなかなか……。いわゆる絶景ってやつか?」
丘の頂上で一息つきながら景色を眺めていたカナメは、広がる光景に思わず感嘆の息を漏らしていた。
徐々にオレンジ色に変わりつつある日に差された森や草原は、より強く存在感を発揮し、その雄大さを増している。どこまでも広がるように見える、穏やかな新緑の地。カメラを持っていたなら、迷わずフィルムに収めることを選んだだろう。それほどまでに見事なものだった。
ただ、わざわざこんなところまで足を運んだのは、素晴らしい景色を見るためでは無い。
荒みつつあった心には多少なりとも響いたものの、本命は人が居そうな場所を見つける事だった。
日の眩しさに目を細めつつ、じっくりと辺りを見回していく。視力には自信があった為、何かあれば見過ごすということも無いだろう。しかし予想通りと言うべきか、どこを見ても広がるのは自然豊かな地ばかり。少なくとも、見渡せる範囲には人の住んでいるような場所を見つける事は出来なかった。
それでも、すぐに諦める訳にはいかない。既に行く宛が無い以上、ここで何も得られなければ、立ち止まる他無くなってしまう。闇雲に歩き回るには体力が不足しているし、日が完全に沈んでしまえば、周囲は完全に闇に呑まれるだろう。
そうなってしまえば、もはやそれまでだ。明日を迎えられるかどうかすら怪しくなる。
ただ、死ぬかもしれないということに関しては、不思議とそれほど恐怖はなかった。元々自分は、生に関してそれほど執着していなかったのかもしれない。それか、自分の現状がどこか他人事のようで、現実味を覚えていないだけなのだろうか。
だからといって自ら死を選びたいという訳でもないのだが、どうにもカナメは必死になりきれずにいた。何とかしなくてはならないという焦りはあるものの、みっともなく足掻くのも気が引けてしまう。どっちつかずの状態で彷徨っているのが、今の自分の現状だった。
(さっきの年寄りから無理にでも話を訊き出すべきだったか?いやでも居心地が悪いってレベルじゃなかったしな……)
辺りを見渡す最中、カナメはふと先程出会った老人のことを思い出していた。見知らぬ土地で初めて出会った人間ではあったものの、どうにも信用できず別れたあの老人。
何も訊けなかったことが、少しばかり後悔の念として残ってはいたのだが、あの時の判断が間違えていたとも思えないし、思いたくは無い。それほどまでに嫌悪感を抱いたことを同時に思い出し、自然と意識は老人と会った場所とは反対の方向へと向かう。
その方角にあったのは、終わりが見えないほどの巨大な森。背の高い木が群生しているせいで、中がどうなっているかは殆ど見ることが出来ないが、既に薄暗くなっていることは安易に想像出来た。だからこそ、カナメがあまり意識して見ていない部分でもあった。
森の中に住居があるという可能性も決してゼロではないものの、日が落ちた状態で森に入るのは危険という考えがどうにも捨てられなかったのだ。
未知の生物だらけな上に、周りもまともに見えない。そんな場所に丸腰の自分が迷い込めば、碌な結果は生まれないだろう。
(まあ森の中に明らかな人の痕跡でも見えたら話は別かもしれないが……。ん?!)
そんな諦め半分な気持ちで目を凝らしていたカナメの目に留まったのは、かすかに見える煙だった。
森の中でも少し遠く離れたあたり、規模としても小さめなそれは、せいぜい木々の先からちらちらと見える程度のものでしかない。だが少しの間眺めていても燃え広がる気配がないことから、恐らくは自然発生したものではないだろう。
(焚き火って訳でもなさそうだが……。人がいるのは多分間違いないよな……)
今もなお上がり続けている煙を見ながら、カナメは腕を組んで思案していた。現状他にめぼしい物は見つけられておらず、目的地として選ぶならばあの森以外にはない。となると、迷うべきは今すぐに行くか行かないかだ。
夜間に森に入ることは出来れば避けたい。だからといって一度朝まで睡眠を取り、その後出立するのも少々問題がある。なにせ火を起こしている存在がその地点に留まり続けているとは限らないため、悠長にしていると痕跡すら見付けられない恐れがあるのだ。そうなってしまえば徒労どころの話ではないし、そもそもこんな無防備な場所で満足に寝られるとは思えない。
無論今すぐに向かった場合でも同様の事は起こりうるとは思うが、可能性としてはいくらか低くなるだろう。ただその場合は、依然として夜の森を進む必要があるのが問題となる。
その他にも、火を起こしているのが人とは限らない点や、人だとしても友好的であるとは限らない点がネックとなっていた。しかしそれでも、向かってみる価値はあるんじゃないだろうかとカナメは考えていた。
(またしても賭けだな……。今のところ、どっちを選ぶかは五分五分ってとこか)
再び天秤が脳内で揺れだし、カナメは思わず顔をしかめた。情報が欠如しているあまり、良い方に転ぶか悪い方に転ぶか、どうにも図ることが出来ない。行動を決定するための一押しが、不足しているようにしか思えなかった。
思考のせめぎ合いに身を投じ、次第に頭の中がごちゃごちゃと雑多な状態になっていく。
そうして考え事に集中していたカナメだったが、不意に鳴った自分の腹の音によってふと我に返り、再び意識を森の中へと向けていた。
(……食えるものなら森のほうがありそうか?)
突然の思い付きながら、今懸念している要素の一つである空腹を満たすならば、森のほうが分があるように思えたのだ。草やキノコといったものに関する知識は元から持ってない上に、生えているのが未知のものだらけであることから、所詮はただの希望的観測に過ぎない。しかし、今そこらに生えている雑草よりは遥かにましなものが見つかるんじゃないだろうか。
実際問題この丘にはまともに生食出来そうなものは、ほぼ無いに等しかった。食欲を満たせるというだけでも、森に入る意味は充分にあるんじゃないだろうか。
(……よし。とりあえず森の前まではいこう。奥に進むかはそれから決めればいい)
いずれにせよ言えるのは、森に入ってみなければ何もわからないという事だった。最終的に決め手となったのは食欲だったが、カナメはその足で丘を下り始めていく。
森の中に入ることへの嫌悪感は未だあったものの、手前までならば問題は無いないだろう。近くまで行って無理そうならば、そこで次の手を考えればいい。
鬼が出るか蛇が出るかといった心持ちで進むカナメの足取りは、もはや疲れを隠すこともない。足を引きずるようにして進んだ末、森の前へと辿り着いたのは、丘から出て一時間以上の時間が経過してからだった。