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軽く握ったオニギリとアジサイの花

 ハヤブサは、まだ空高くゆっくりと旋回している。

「そういえば、エジプトの古くからの考えだと、ハヤブサは天空の神ホルスの化身なんだそうです。

 ハヤブサを通じて、天空の神の『まなざし』を感じたのでしょう。

 だから、ホルスの目には空の色である()()、ラピスラズリが()め込まれているんだと聞きました」

 いつの間に仕込んだのかと思われるような話を諭吉は、語った。

「このような果てなき蒼き天蓋(てんがい)のもとにあれば、そのように考えるのもうなずけまするな」

 秋坪が賛意を表し、言葉を続けた。

「私は、これまで儒者の(はし)くれとして『天道は、是なり』という考えに、疑念を抱いたことはござりませぬ。

 だが、その解釈については少々、修正しなければならぬと、今は思っておりまする」

 その言葉に反応して諭吉と弘安の顔が、秋坪に向けられた。

「『天』は人間どもがやることに介入なさらぬが、『長い目で見守っていなさる』と考えることはできませんかねえ。

 さらに申せば、人間たちが、自分たちの気づきと努力で『英知のピラミッド』を築き、『天』に近づいてくるのを辛抱(しんぼう)強く待っていなさると……」

 「どうですかな?」と言いたげな様子で、諭吉と弘安の顔を交互に見た。

「箕作さぁらしか、立派なお考えでごわすな。

 おいも、まったく同感でごわす」

 弘安が、すぐに笑顔で反応した。

「私も、そう思います……というより『そう願いたい』というのが正直なところですね。

『天』の目から見れば、未だ人間は幼児のようなもので、成長の途上にあると思いたい」

 諭吉もまた、いかにも彼らしい答え方をした。

(確かに儒教以前から人間の都合を超えたところで、「天の意思」は存在するかもしれない。長い人間の歴史の()(ふく)を数えて清算すれば、「福」の方が多くなるのかもしれない。

 「天の見えざる計画と()(わざ)」によって、知らず知らずのうちに我々自身も駒として動かされている可能性はある。この後、五、六千年もすれば、その是非は、はっきりするであろう。

 

「それもしても、腹が減りましたな。あの三角石塚が、握り飯に見えてござる」

 秋坪が、言った。実感が、こもっている。そろそろ正午だ。

 長い船旅と異国暮らしの中で、うまい米の飯など口にできるはずもなかった。

 だからこそ湯気の立つ炊き立ての飯で作った握り飯のイメージは一同の胃袋を刺激し、大量の(つば)を湧き上がらせた。

「若い女子が、そっと軽く握った握り飯……適度に塩が効いていたら、具などなくとも良いですね」

 (つぶ)の立った飯、口の中へ入れたらホロリと崩れるほどの握り飯、……思わず(のど)が鳴る。

「『適塾』にいた頃は、勉学中に冷えた飯をギュッと握ったやつを食っていました。

 すきっ腹には有難かったですが、やはりうまくはない――」

 諭吉は、若い頃の思い出を語った。

(国の在り方も、軽く握って粒の立ったままの握り飯のようであれば…….)

 そんなことも考えた。

 もう一つ浮かんだイメージがある。

 幼き日に母、於順(おじゅん)と共に眺めたアジサイの花。

 雨に煙る縁側で、膝に(いだ)かれながら……。

 小さな花が、寄り集まって大輪を成していた。

 一つ一つの花が、輝いて見えた。

(個人の独立なくして、国家の独立などありえない)

 コトッと何かが、胸に落ちた。


「とこいで、ナポレオン三世の施政については、どう思われもすかな?」

 弘安が、尋ねた。まだ心に引っ掛かっていた。

 帝政による専制政治下でも、施政はうまくいっているようであるし、民衆の支持もある。否定する要素はないように見える。

「フランスへ行ってから、自分の目と耳で確かめないとわかりせん。

 でも、新しい思想や科学技術があることだけは、確かです。まずは、それを学ばなければなりません。施政に関する是非の判断は、それからでしょう」

 ちょっと顔をしかめながら諭吉は、言った。レセップスの傲岸(ごうがん)な態度を思い出したのだ。

「『西洋の長きを()りて、短きを(おぎな)う』ということで良いのではござらんか」

 秋坪が、言葉を添えた。

 優れた点を、今の日本に必要な分だけ取り入れれば良いということである。

 

「我々は、ひょっとして孫悟空と猪八戒(ちょはっかい)()悟浄(ごじょう)の生まれ変わりかもしれませんな。

 今の我々にとっての天竺(てんじく)は、とりあえず西洋でござる。

 経典ならぬ西洋の文典をどっさりと背負って帰らねばなりませぬぞ」

 今朝、()り上げたばかりのツルツル頭をペシペシ片手で叩きながら、秋坪がおどけてみせた。

「チェースト!

 (きん)()(うん)ば乗って、西洋までひとっ飛びじゃ」

 ふだんは冗談ひとつ言わない弘安までもが、軽口交じりの雄叫びを挙げ、片手の拳を突き上げる。

 これまで抱えていた胸の内のモヤモヤが消え去ったせいもあろう。

「よおっしゃあ、世界の果てまで行っちゃるぞ!」

 諭吉もまた、叫んだ。

 同時にダダッと駆け出し、前方に置かれてあった大理石製の腰掛石を踏み台として、その勢いのまま、「バン!」と高く跳躍した。

 両手両足を広げて飛んだ諭吉の目の先には、悠然(ゆうぜん)と流れるナイルの大河、ピラミッド、その向こうの遥か彼方に砂漠の地平線があった。


 二日後、使節団の一行は、また汽車に乗り砂漠の中をアレキサンドリアへ向かった。そこから船に乗り換えれば、もう西欧である。

 車窓から移りゆく外の景色を眺めながら諭吉は、自国の独立への道を切り拓いた英雄、ムハンマド・アリーの名を持つあの貧しい少年のことを思った。

(また会おうムハンマド!

 襤褸をまとい、手に何一つ持たぬ身であっても、君は誇りを失っていなかった。

 おそらく英雄ムハンマド・アリーの物語を心の部屋に飾り、独立と栄達への意志を胸に固く誓っていたのであろう。

 その意志の輝きは、君の瞳から溢れ出ていた。

 それを見逃していた私は、(おろ)かだった。君は、きっとその名に恥じない道を歩むはずだ。

 私も、一人でも多く「独立自尊」の精神を持つ若者たちを育てていく。

 君と私は、同じ天の下にある!)


 さて、帰国後の彼らは――。

 福沢諭吉は、前回のアメリカと今回のヨーロッパ渡航で見聞し、また、集めてきた書籍を基にして一八六六年 (慶応二年)、欧米の政治や軍事、文化や歴史などを解説し紹介した本『西洋事情』初編三冊を刊行した。

 この本は当時の人々に広く読まれ、カルチャーショックを与えた。そして、明治政府の基本方針を示した「五箇条の誓文」の下敷きともなった。

 さらに一八七二年 (明治五年)、『学問のすゝめ』初編を出版した。

 この著書で示された「自由と平等、そして、独立の精神」は、新鮮な衝撃とともに当時の若者たちの心に浸透していった。

 改革への意欲に火をつけ、新しさに満ちた「明治という時代」を創り上げていく原動力となった。


 箕作秋坪は明治維新後、洋学塾『三叉学舎』を開いて若者を育て、また、「民心の一新=国民意識の醸成」をめざす啓蒙思想家として福沢諭吉と共に文明開化を推し進める活動をおこなった。


 松木弘安は薩摩藩へ帰り、藩主親子に自分が見てきた西洋の事情を進講し、一刻でも早く西洋の文化を取り入れ国力を高めないと、藩のみならず国の存在すら危うくなることを説いた。

 ()しくも翌年七月、薩英戦争が起こり、それをきっかけにして薩摩藩は開国論に転じ、英国へ秘密留学生を送るまでに至った。

 その提言と実現に松木は五代才助(友厚)とともにかかわり、派遣の際には、案内役として再び西欧の地を踏むことになる。

 明治になってからは外務卿、寺島宗則として外交の第一線に立ち続け、不平等条約の改正など国の真の独立(自立)のために力を尽くしたことは周知のとおりである。       

                                            (了)

 この小説のテーマは、二つある。

 一つ目は、表題に掲げた「ガラスの(おり)」の問題。

 自分が育った社会や家族の中で、「無意識のうちに(かぶ)せられた制約」についてである。

 これは社会規範や道徳、または「周囲の人と上手く付き合っていくための知恵」として必要な要素ではあるが、過ぎると「人の潜在能力や前向きな意欲を抑圧してしまうという側面」について述べた。

 詳しくは「前書き」で触れているので、ご参照いただきたい。

 二つ目は、「オニギリとアジサイの花」の問題。

 国家を頂点とする社会集団と個人の関係についてである。

 日本では、これまで「二つの考え方」が、せめぎ合ってきた。

 「国家や家を守り継続させていくためには、個人は身を犠牲にしても尽くさなくてはならない」という集団優位の考え方。

 「国家は個人の意思の集合体であり、その関係は、契約によってなる。

 公共の福祉に反しない限り、『個人の自由』は尊重されなければならない」という個人を基点とする考え方。

 ――この「二つの考え方」は、時代の流れの中で浮き沈みを繰り返してきた。

 現在においても、変わりはない。

 

 福沢諭吉は、「独立自尊」や「個人の独立なくして、国家の独立なし」といった言葉を残している。後者に重きを置いた考え方だ。

 自国の防衛に関しても、「国家が主導するのではなく、私情(個人の思い)の集積として発せられるものだ」との趣旨を述べている。

 こうした考え方は江戸期においては特異なものであり、福沢自身の中でも葛藤(かっとう)してきたものだ。

 しかし、この考え方は、明治になって若者たちに受け入れられ、自由民権運動の出発点ともなった。政治だけでなく、「イエ」と「私」の間で葛藤する人間の心模様を描いた「私小説」をも生んだ。

 さらに言えば、太平洋戦争後の「民主主義」へも(つな)がっていく。

 

 「オニギリとアジサイの花」の話は、ぜひ注目していただきたいものだ。

 「軽くふんわり握られ、温かくて粒の立ったオニギリ」に例えられる集団と「固くギュッと握られ、冷たく粒のつぶれたオニギリ」みたいな集団――。

 どちらが、美味しい(望ましい)だろうか?

 多くの人は、前者であると答えるであろう。

 しかし、現実は、後者の方が一般的であるような気がする。

 昨今、「同調圧力」が、話題となっている。「自分たちと異なる者を排除しようとする力」だ。この傾向は、学校のみならず企業や国家にも見受けられる。

「個性を生かせ」「自分らしさを表そう」と口では唱えながら、自分たちとは違う考え方や行動をする人間を「ちょっと変わった人」「ヘンなやつ」「空気が読めない」「コミュショ障」などとレッテルを貼って「異物扱い」をする。

 その背景には「みんな一緒に」という一見、良さそうなスローガンがある。

 だが、「みんな」とは、誰のことを指すのだろうか?

 そうした周囲の視線に()び、「いいね」を貰うために「良い子ちゃん」を演じる。だが、本人は、それを演じていることにすら気が付かない。

 相手に受けそうな「キャラ」を演じ、笑いを誘う話を提供し、人の噂話に興じ、笑顔を振りまき、くだらない話にも興味深そうに「ウン、ウン」と頷く。

 その一方で、心が冷え、疲労が()まっていく。

「私は、誰なんだろう?」

 自分の存在が、わからなくなってしまう。

 自分という「(つぶ)」が、つぶれていく。


 アジサイの花は「私は、私」と言って、「自分らしさ」を表現している小さな花々が寄り集まって大輪となっている。

 雨に打たれても(りん)として、それぞれが輝きを放つ。調和を保ちながら――。

「独立自尊」「個人の独立なくして、国家の独立なし」に通じる光景では、ないだろうか。

 そんな社会であって欲しいと、私は願う。

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