アメリカ人に、名刺と紙巻煙草を貰った秋坪だが
じつは以前、学問のあり方について諭吉と言い争いになりかけたことがあった。
航行中のある日、秋坪は、若者たちとビールを飲みながら四方山話をしていた。
漢学の世界でも箕作秋坪の名は知られていたので、四書五経に出てくる言葉の解釈の話となった。
とりわけ今回の航海には、好奇心旺盛で学問好きな若者たちが乗り込んでいたので、彼らの熱い視線を感じた秋坪の舌も、滑らかに回っていた。
「かの伊藤東涯先生は……」と、儒学の大家による字句解釈を述べるに及んだときのことだった。
若者たちの輪の外で、左手を懐へ入れ右の親指と人差し指で顎を揉むようにしながら柱に背を預け、話に耳を傾けていた諭吉が口をはさんだ。
「それで、伊藤東涯先生は、ようするに一生をかけて何をなさったんですかねえ」
小首を傾げながらのさりげない問いかけであった。
「何をなさったって……、伊藤先生の業績は、みなが認めるところでござる」
思ってもいなかった疑問に秋坪は一瞬、言葉をつまらせた。
だが、すぐに姿勢を正して、「なぜそんな自明なことを質問するのか?」といった調子で答えた。
「それは、そうかもしれません。
しかし、その字句解釈を積み上げたことが学問の業績とするならば、それは世の中に対して何の役に立ったんでしょうか?」
諭吉の様子は、秋坪を問い詰めるというよりも、自分に向かって問うようであった。
秋坪にとって、その質問は、いちゃもんに近いものであった。
「学問というものは、必ずしも俗世間に直接、影響を及ぼすものではござらぬ。
だからといって無意味なものとは言えぬであろう」
ムッとした表情で言い返す。
「確かに……、でも、それは辞書を厚くするだけのこと。
『文字の問屋』『飯を食う字引』になる修業をすることが学問の道なんでしょうか?」
皮肉屋、諭吉の真骨頂を示す一言が飛んだ。
「……」
秋坪は膝の上で両手の拳を握り締め、すぐさま反論しようと肩をいからせ身構えた。しかし、固く結ばれた口から言葉が発せられることはなかった。
諭吉は、身を震わせんばかりの秋坪に気づいたふうもなく、考え込んだ様子のままスッと立ち上がり、その場から去ってしまった。
(私は、学問一筋に生きてきた。
それが、儒者の家に生まれたものの務めであり、また、弟子の一人に過ぎなかった私を見込んで婿として箕作家へ迎えてくださった阮甫先生への恩返しだと思ってきた。
だが、よく考えてみると学問をする目的など、ついぞ考えたこともなかった)
当時にあって儒学といえば朱子学のことであり、その学問のかたちは、四書五経などの字句の解釈に終始することであった。
そうした中で、ひたすら学問を究めることしか頭になかった秋坪であった。
しかし、いま目の前に歩むべき一本の「道」が、ふっと現れたように思った。
「学問は、人々のために活かすものでござるな」
秋坪は、自らに言い聞かすようにつぶやく。
様々な思いが、胸に去来した。
儒者の家に生まれはしたが、後に蘭学や英学を学んだ。頑迷な漢学者とは、一線を画していると思っていた。
師匠であり義父でもある箕作阮甫は英学の大家であり、ペリー来航以来、外交文書の翻訳に携わっていた。秋坪も、それを手助けしてきた。
また、津山藩の命によって、姿を現した黒船に小舟で近づいて様子を観察したり、使節団の動向を探ったりした。
最後は米人と挨拶を交わし、紙巻煙草や名刺を貰ったりするような関係にまで至った。
(私は、旧弊に囚われない、開かれた人間のつもりでいた。
だが……。
『適塾』の後輩である福沢氏に突っ込まれて、醜態をさらしてしまった。
抗弁しようとしたが、根拠ある言葉が出てこなかった。
やはり弘安さんと同じく『儒者の尻尾』をブラ下げていたのかもしれない)
「フフッ」という軽い笑いが、もれた。
空を見上げる。
諭吉と松木も、つられるようにして顔を上げた。
「『天』とは、ほんとは、どのような存在なんでしょうねえ」
諭吉は、最初の思いに立ち戻る。
儒教倫理の大元としての「天」は、時の世の支配者に権力の源泉として使われ続けてきた。
昨今では過激な攘夷論者が、己を「天の意思を表す代理人」として「天誅」を叫んだりしている。
また、「大義(天の意思)の前にして、人の命など鴻毛のごとし!」と嘯いてもいる。
「天下国家のためなら人間の命など、鳥の羽のように軽い」と言うのだ。
そのような思想が、無差別のテロを生んだ。
(「天」が、いちいち人の世に手を突っ込んで、誰かの背中を押しているはずがない。
もしあったとしたら、司馬遷が疑問に思ったように不正義や不平等が世に跋扈しているはずがない)
史家や儒者が机上で行う「天道は、是か非か」という論議においては、「天道は非」である。天然の真理を表す言葉過ぎないと諭吉は考えた。
だが、完全に否定してしまうのもためらわれた。
朝日を「お天道様」と儒教の言葉を借りて呼んでいても、田畑や庭先で手を合わせる庶民の心は、素朴で純粋なものだ。
儒教以前から人の心の奥底にある「天」は、人々に「意思あるもの」として思い描かれている。「天」に見守られているという感覚を持っている。だから、感謝をし、願ったりする。