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ピラミッドを眺める――尊厳ある独立のかたち

「おお!ピラミッドが見えもすぞ」

 南西方向に向かいテラスの端に立った弘安が、叫ぶように言った。

 その声に促されて二人は、弘安のもとへ歩み寄った。

 手をかざして遥か向こうを遠望する。

 ナイル河を挟んで、十二キロ先に三角の構造物が二対立ち並んでいるのが見えた。(実際は三つ並んでいるが、この城砦からは、二つにしか見えない)

「あれが、三角石塚でござるか」

 秋坪は、感に()えないといった様子で、食い入るように見つめた。

 諭吉もまた、言葉は発しなかったものの感慨にふけっているようだった。

 当時、中国で活動していたアメリカ人牧師、リチャード・クォーターマン・ウェイ(中国名:理哲)が著した世界地理(地誌)書『地球説略』という漢訳本がある。

 その訓点(くんてん)本が一八六〇年(万延元年)に刊行されていた。遣欧使節団が旅立つ二年前のことだ。訓点を(ほどこ)したのは、箕作秋坪の義父、蕃書調所教授の箕作阮甫である。

 ここには、三角石塚(ピラミッド)巨大首塚(スフィンクス)のことが、詳しく紹介されており、よって、その存在自体は、松木たちも知っていた。とくに秋坪は、訓点作業を手伝ったので、格別な思い入れがあった。


「『地球説略』に記されている通りの三角石塚ですね。

高さ四百尺(約百二十メートル)、底柱の径六百尺(約百八十メートル)とのことですよ」

 諭吉は手帳を取り出し、書き留めてあった覚え書きを見ながら言った。

「すごかなあ。あんよなものを誰が、いけな方法で作りよったんじゃろか」

 弘安が、腹の底からの感嘆を表した。

「およそ四千年前の王、オブス(クフ)の(はか)(じるし)とのことですよ。

毎年三ヶ月間、十万人が働いて、二十年かかったらしいですわ」

 当時は、紀元前四五〇年頃にエジプトを訪れたギリシャの歴史家、ヘロドトスの著書『歴史』の記述内容によって語られることがほとんどだった。

 諭吉の覚え書きの基となっている書物も、その説を典拠としていると思われる。

「やはい賦役でごわしょうな」

 弘安は、先ほどの興奮が急に()めたような憂いを含んだ声で言った。

「でしょうね」

 諭吉も、短く淡然と応える。

「それにしても、すごかなあ」

 弘安は、あらためて感動冷めやらぬといった調子の言葉を漏らした。

 その成立の過程に長年にわたる過酷な労働があったとしても、建造物としてのピラミッドの威容は、見る者の心に畏敬の念を起こさせた。

 それは、とりもなおさず「このような巨大な人工物が、人の手によって成し遂げられた」ということに対する単純な驚きと賛嘆でもあった。

(偉業を達成するためには、「多少の犠牲」はやむを得ないのか)

 心の奥底から再び、小さな泡粒(あわつぶ)のような思いが、またポッと浮かび上がった。押さえ込んだ指の間を()り抜けてくるのだ。

 まっすぐ遠方を眺めながら、しばらく黙ったまま考え込んだ。


「あのように広く蒼き天に向かって独り立つ三角形を見ていると、何か感銘を覚えますな。天に比べればちっぽけでござるが、きりっとした尊厳のようなものが感じられまする」

 傍らで秋坪が、さも感服したような様子で明るく言った。

「天に対して独り立つ……ちっぽけだが、キリッとした尊厳のようなもの?」

 諭吉は、胸の内に遠雷を聞いた。

 改めて見つめてみれば、その鋭角を天に向けて立つ姿は、一個の存在として、毅然として己の存在を示しているように見える。

「――そうですよね!」

 諭吉は、言った。

 秋坪は、思いがこもった語気に驚き、ヒクッとした。

「独立と尊厳ですよ」

 バッと二人に顔を向けた。

 秋坪と弘安は、()訝(げん「)そうな(おも)()ちで見つめた。

「独立と尊厳とは?」

 秋坪は、尋ねた。自分の何気ない一言に対する諭吉の反応に戸惑い、また、その意を解しかねていた。

「香港で見られたでしょう。あの、人を人とも思わない英国人の横暴ぶりを……。

 自分たちのみが文明人で、アジア人種などは、みな未開人だと見下げているんですよ」

 (くや)しさを前面に表し諭吉は、言った。

「しかし、奴らだけを非難しても、(こと)は変わりません。

 むしろ、問題なのは、英国人の傲慢(ごうまん)な態度の前で、卑屈になっている現地人の方だと私は考えているんですわ。

 卑屈になるということは、人を恐れるということです。

 そして、反抗心を押し殺して()びへつらうようになる。終いには、その権力に頼ろうとさえする。

 そのうち、それが習い性になってしまい、ますます奴らを付け上がらせてしまう」

 そうした場面に遭遇する度に諭吉は、イラ立った。

(傲慢と卑屈の取り合わせは、日本も同じだ)

 身分の低い武士は一つでも上位の者には媚びへつらうが、農民や商人に対しては傲慢な態度を見せる。 そんな場合でも、農民や商人たちは、卑屈に「恐れ入る」ばかりだ。

 「長いものには巻かれろ」「()(とう)と泣く子には勝てない」などと、その卑屈さを正当化す言葉を並べ立て、自分自身を納得させている。

 身分制度社会にあっては、仕方がないことではある。

 だが、諭吉には受け入れ難いことだった。卑屈な態度に対するイラ立ちは(つの)るばかりだった。

「人は『飼い犬の幸せ』で、心から満足できるんでしょうかね――」

 (つか)んだ言葉を、自ら確かめるかのように言った。

 与えられる(えさ)に満足できさえすれば、飢えることも(こご)えることもない。

 いきなり荒野へ放たれてしまったら、力の強いものに襲われたり飢え死にしたりしてしまうであろう。

(どうしたら、卑屈な精神や態度が習い性となってしまった人間の意識を変えることができるのだろうか?)

 諭吉の思考は、いつもそこで行き詰まった。


 日本を含むアジアの民の卑屈な精神や態度の背後には、やはり「天」があるのではないかと諭吉は思った。

 森羅万象(しんらばんしょう)を司(つあkさど)る「天」を前にして一個の人の命などは、あまりにも(はかな)い存在であった。無力とも言ってよい。ただ「天」に祈り、なりゆきに身を任せるだけだ。

 継がれる命の(れん)()を一つのものと思い、その流れに浮かんでいるだけの存在――。時を経ずして消える泡沫(うたかた)であると思い定めて、(あきら)めを(むね)とする人生観を分かち合ってきた。


 だが、いま目の前にあるピラミッドは、圧倒的な広がりを持つ「天」に対して、小さな一点であっても大地に根ざして、その存在を主張するかのように立っていた。

そして、その形は、「(いし)()み」によって成っている――。

(そうか!

 これだ)

 天啓のように(ひらめ)いた。


「自尊心と独立の気概は、不可分なものです」

その言葉は、確信に満ちていた。

「それに、あのピラミッドは、一つ一つの石が組み合わさって全体として成り立っているんです。数個でも欠けたら、そこから崩れていってしまいます」

 諭吉は言った。

「そう()えば、昔の城の石垣も、そうでもすな。

 近江の坂本から参った穴太衆(あのうしゅう)の石工が言うちょりもした。

 丈夫で長持ちする石垣を築くには、一個一個の『石の声』を聴きながら積んでゆかんとならんと――」

 戦国時代までの城は、主に「()(づら)積み」で石垣を築いていた。これは、「大小の自然石の形状を良く見て、平らな面を合わせ、隙間には小石を詰めて組み上げていく方法」である。あまり加工は施さない。四角に切り揃えた石材で築くよりも、持ちが良いと言われる。

 「穴太衆」とは、比叡山の(ふもと)に住んでいた専門の石工集団のことである。全国各地の大名たちに招かれて築城に(たずさ)わった。その技術は「穴太積み」と称され、現代にも伝わっている。

「ほう――、さすが『象先堂』の塾頭まで務められた方ですな」

 秋坪は、率直に賛辞を送った。

 理工系の蘭学塾「象先堂」において築城術は、必修科目であった。よって、弘安は、日本の城についても調べていた。

「石垣を築くには一個一個の石……国づくりには一人ひとりの意志、その声を聴きながらやっていかなくてはならないということですよね」

 自分の言葉遊びにちょっとテレながら、諭吉は言った。

 

 頭の中でカチカチと音を立てながら、思考の歯車が回り始めていた。自分の語った言葉に触発され、スイッチが入ったようだ。

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