ナポレオン三世の光と影――専制政治の功罪
「閣下は、怒っていらっしゃる。
『東洋の黄色い猿』が、何を言うかと――」
表情を消したシラハタは、レセップスの「演説」を通訳し始めた。
「極東で何百年も惰眠をむさぼり、何も知らぬお前たちに教えてやろう」
レセップスは諭吉を指差し、睨み付けながら言った。
「今のフランスが、世界の中心にいるのは、なぜか。民が繁栄を享受できているのはなぜか。
それは皇帝、ナポレオン三世のおかげだ。
その存在と施策が、フランスに富と栄誉をもたらした」
語気強く、断定した。
三世、ルイ・ナポレオンは、ナポレオン一世の甥である。
「フランス革命で王を死刑台へ送ったが、国は治まるどころか乱れに乱れた」
大袈裟に両手を広げ、呆れたといったポーズを示す。
共和政の樹立を宣言したが、すぐに党派対立が始まり、血で血を洗う権力争いを繰り返した。この抗争の過程で、何万もの命が失われた。また、革命の波及を恐れた周辺国から戦いを仕掛けられた。
やがてナポレオン・ボナパルトが現れ、群がる敵を蹴散らし、さらには兵力を大陸の各地に送り、覇権を拡げた。最後には、皇帝にまでなった。
その後、ナポレオンは失脚して、国は再び共和政となったが、前と同じく党利党略が優先され、国政は停滞した。
「失望した民は国をまとめ、栄光に導いたナポレオン一世を追慕し、ルイ・ナポレオンを大統領に選んだ」
胸を張り、誇らしげな様子である。
ルイは、大統領に選ばれた。しかし、その権限は国民議会によって制限されており、思うような施策が打てなかった。
「そこでクーデターを起こして実権を握り、国民投票をおこなった。
民は、彼に圧倒的な支持を与えた。民の総意で、皇帝の座に就いたのだ」
片手でガッツポーズをとり、天を仰ぐ。
「権力を得たナポレオン三世は、ただちにパリ市街の大改造に取り掛かった」
晴れやかな顔になった。
鉄道を敷設し、道路と下水道を整備した。よって、交通の便と衛生環境が、見違えるほど良くなった。
貿易を盛んにし、アフリカやアジアに植民地を増やした。そのため、外貨や豊かな物資が国内へ流れ込むようになった。
「民衆はナポレオン三世を賛美し、この世の春を謳歌している。
賢帝が強権をもって国を治めれば、これほどの改革が一気に進むのである」
諭吉たちの顔を見回す。
「文句はあるか」と、言いたげな態度だ。
「考えの異なる人間が、時間をかけて議論したところで何事も決まらない。
決まったとしても、妥協の積み重ねの産物だ。毒にも薬にもなりはしない」
フン!と鼻を鳴らし、ニヤッとした。
「念のため、最後に言っておいてやろう。
『民に夢や理想、希望を与えるのは、残酷な仕打ちである』ということをな――。
民が求めているのは、毎日のパンだ。加えて少々の肉と野菜の端切れが入ったスープを添えられれば、満足する。それ以上は、望んでいない。
夢は、いずれ絶望を招く。希望は、能力と資産がある者にしか抱けない。
民は、それを良く知っている。一連の革命騒ぎで、思い知ったはずだ。
目先の満足だけ考えていれば、失望することもない。
神から与えられたものに感謝し、飢えずに日々を無事に過ごせれば良い。それが、『民の幸せ』というものだ。
陛下は、それをよくご存知である。
だからこそ『人間社会のあるべき姿』を思い描き、その理想の実現のために、ご自身が皇帝となられた。
そして、それを実現すべく突き進まれているのだ。
慈悲深い陛下の眼差しは、常に社会の底辺にいる民たちに注がれている――」
自分の言葉に感激したのか、薄っすらと涙が滲んでいる。
ルイ・ナポレオンは、確かに「理想主義者」ではあった。
ナポレオン一世の失脚に伴って国を追われたルイは、各地を転々とした。
青年期になってサン・シモンの「空想社会主義」と出会い、傾倒した。
この思想は人間が皆、平等に暮らせる「地上の楽園」を築こうというものであった。
だが、理想を語るばかりで実現手段に言及していなかったため、後に「空想」という言葉が載せられた。
ルイは自分が思い描いた理想を追い求めて、何度か一揆を起こした。だが、いずれも失敗に終わる。
獄中生活を送る中で政治研究に勤しみ一八四四年、『貧困の根絶』を著わす。
その著書の中で「身分制の時代は終わった。これからの政治は、大衆とともにあらねばならない」と述べている。とくに「労働者階級の保護」を強く訴えた。
ルイにとって底辺の民は弱者であり、「神に選ばれし力ある者」が慈しみ世話を焼いてやらればならない存在であったのであろう。
サン・シモンの理想主義は、皇帝になってからも抱き続けていた。パリ大改造などの社会資本整備に賭ける熱意は、そこからきているとも言われる。
皇帝として署名する際は、「ナポレオン、神の恩寵と国民的意思によるフランス皇帝」と記した。彼の中では、帝政と国民主権は、矛盾していなかったらしい。
帝政の当初は専制政治をおこない、警察権力を駆使して反対派を弾圧した。だが、ほぼ一掃した一八六〇年以降は、「自由帝政」と呼ばれるような緩やかな統治へと変わっていった。
ようやく口を閉じたレセップスの顔は、自信と誇りに満ちていた。
諭吉たちを見下ろす。「どうだ、わかったか」と言わんばかりである。
「レセップス閣下は、皇帝の従兄弟に当たられる方です。義理の……」
通訳を終えたシラハタは最後に、そう付け加えた。
レセップスは、ナポレオン三世の皇后と従兄弟関係にあった。
諭吉は蘭語と英語を学び、幕府の外国方で公文書の翻訳をおこなっていた。
フランス革命と、その後の動乱及び二転三転した政治体制の変遷も、おおよそは知っていた。
また、ナポレオン三世の動向とフランスの情勢変化も使節団派遣に際しての情報収集で、ある程度は把握していた。
レセップスの話には、一理ある。
だが、身体に棲みついている「反骨の虫」が騒いだ。
「だから、どうだって言うんですか?
ただ自慢したいだけですか」
諭吉は、言い放った。
これまでも鋭い毒舌で上の者に楯突き、何度も騒動を起こしている。
シラハタは、蒼白となった。さすがに通訳しかねている。松木と箕作も、諭吉の袖を引いた。これから海を越えて、そのフランスへ赴くのである。もしレセップスが一言、当の政府関係者へ告げたら、外交交渉どころではなくなってしまう。
不穏な空気を察したレセップスが、口を開いた。演説の高揚は、収まったようだ。落ち着いた様相を示していた。
「我々は、賢明なる皇帝陛下の指導の下、我が国にとって何が望ましいかを大局的に考え、果断に施策を打っているのだ。
それは、水が流れるように下々の民にまで及び、利益をもたらす。
目先の瑣末な問題に囚われていたら、改革は進まない。
エジプトにとっても、同じことが言えよう。
確かに多少の犠牲は伴う。それは、折込み済みだ。その尊い犠牲の上に偉業は達成され、子々孫々まで幸福が約束される。
親と言うものは、子どもや孫の幸せのためなら自ら犠牲になることも厭わぬもの。今は怨嗟の声を上げていても、いつかはわかるであろう」
レセップスは、出来の悪い生徒に教え諭すように語った。
そして、諭吉たちに背を向け、スタスタと階段へ向かって歩んでいった。シラハタも、後を追う。その際、心配そうな顔で、チラッと松木の方へ視線を走らせた。
その不審な挙動に松木は、疑問を持った。
帰国後、薩摩藩の関係者に聞いて回ったところ、わかったことがある。
それは以前、ある若い武士が藩内で殺傷沙汰を起こし、逃亡した事件があったということだった。
噂によれば、上海を経由して西欧にまで行ったのではないかという。シラハタが、その当人であるかどうかは、わからずじまいだった。
これも後日談となるが、スエズ運河の十年間にわたる工事全体では約百五十万人が動員され、うち十二万五千人が劣悪な労働環境やコレラなどの流行り病によって死亡したと推定されている。
これほどの犠牲を払ったにもかかわらず、後に対外債務を抱えたエジプトは運河管理会社をイギリスへ売却するはめとなり、結局のところスエズ運河は、フランスとイギリス両国の管理下に置かれてしまった。そのことと合わせて両国は、治外法権まで手にしている。
エジプトの近代化を推進し名君との評価もあるサイード・パシャであるが、農民たちに対しては地獄の苦しみを与えただけの結果になってしまった。
むろんそのような運命は、この時点では、お互いに知る由もない。
「やはり堯舜の時代から人の世は、天に選ばれし者にしか治められぬ宿命にあるんでござりましょうな。
民は、その庇護の下に、腹を満たすことができれば満足なのでござろう」
秋坪は、何度も頷きながら言った。漢学者らしい感慨である。
「堯・舜」とは、中国古代における伝説の皇帝である。
血縁でなく、「徳」のある者へ政権を受け継ぐ「禅譲」のモデルとなった。
「……」
普段の諭吉であったなら、すぐに反論したところである。だが、今は言葉が出なかった。それだけ打ちのめされていた。
レセップスの語ったことは、真実とは言えないにしても「事実」であった。フランスは現在、隆盛の一途にある。国の民も熱烈に支持しているらしい。
もっとショックだったのは、アメリカの独立宣言書に最も大きな影響を与えたのが、フランス革命の際に発せられた「人権宣言」であったことに思い至ったからだ。
その本家本元の国が今や皇帝を仰ぎ、上意下達の治世のもとに様々な改革を効率よく着々と進めている。
(アメリカで見聞きしてきたことは、いったい何だったのだろうか――。
あの国も、いずれフランスのようになるのであろうか)
諭吉の心に、ふと迷いが生じた。
(いや、レセップスの言説に惑わされてはならない。権力の座にある者の都合の良い言説に過ぎない。
「夢や理想は、民には残酷」だと――!抱いたり描いたりしてはいけないと言いたいのか。
「多少の犠牲」、何て言い草だ!
自分の家族が、その立場になっても、そう言えるのか)
工事で父を失ったムハンマド少年の顔が、思い浮かんだ。
歯を噛み締め、ギシギシさせた。
打ち消してみても、イラ立ちが込み上げてくる。