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スエズ運河の設計者、レセップスと出遭う

 街路を抜け、モカッタムの丘を登り、ようやく城砦の中にあるムハンマド・アリー・モスクに到着した。

 このモスクは、初代のムハンマド・アリーが手がけ、十八年の歳月を経て現総督サイード・パシャが五年前に完成させたばかりの豪華なイスラム寺院である。

 帽子(ぼうし)のような丸屋根が陽に輝き、尖塔(せんとう)が二本、空に向かって直立していた。建物の壁や柱はアラバスター(雪花石膏)で飾られている。

 城門をくぐったところで、休憩していた一行と合流することができた。

 いっしょに建物の中に入る。

 屋根までの高さは五十二メートルあり、それを四本の巨大な大理石の方形柱が四方を支えていた。

 中央には大きなシャンデリアが座し、それを囲むようにして無数の灯火が下がっている。

 そのやわらかな光が、壁に彫り込まれた花鳥や金銀その他で(いろど)られた室内装飾の華やかさを(きわ)()たせていた。


「見事でござるなあ!」

 秋坪は、堂内に足を踏み入れたとたん、感嘆の声をあげた。

「何と、きらびやかな……」

 続いて弘安も、その壮麗さに息を呑んだ。

「……」

 諭吉は周囲をぐるりと見回し、空間の圧倒的な質量感に言葉を失った。

「案内人の説明では、初代の()(がい)が納められているそうでござる」

 秋坪は、先ほど小耳にはさんだばかりの情報を披露した。

「初代とは?」

 弘安が、問い返す。

「ムハンマド・アリーというお方らしいでござるよ」

 秋坪が、答える。

「ムハンマド・アリー?」

 諭吉は、ちょっと驚き、思わず問い返した。さっき耳にしたばかりの名であったからだ。

 少年の誇らしげな顔と目の輝きが、思い出された。

「なるほどねえ」

 ()(てん)がいった。思わず笑みがこぼれる。


 こちらのムハンマド・アリーはアルバニア地方(現ギリシャ北東部)の生まれで、初めは商人であった。 だが、オスマン帝国の軍人となり、エジプトに侵攻してきたナポレオン・ボナパルトを相手として数々の戦いに勝ち抜いた。

 その結果としてエジプト総督の地位を獲得し、実質的な支配者となった人物である。

 支配者となってからはヨーロッパの技術を積極的に導入し、軍隊や工業の近代化をはかった。

 以後、一九一四年に正式にオスマン帝国のもとを離れ、一九二二年にはイギリスの保護国の立場からも脱し、自主権を回復して正式に国王(マリク)の称号を得るまでに至っている。それまでには、数代かかった。


「豊臣秀吉のよな、お人でございもすな。

 (ごう)()絢爛(けんらん)な建物がお好きなとこいもよく似とう」

 秋坪が語り終わると、弘安が感想を述べた。

 そのとき松木は秀吉ではなく、島津斉(なり)(あきら)の祖父で、七十七万石の雄藩大名として、また、十一代将軍、徳川家斉の(しゅうと)として権勢を誇った重豪(しげひで)の姿を思い浮かべていた。

 重豪は英邁(えいまい)ではあったが外国製品好きで、「蘭癖(らんぺき)大名」と陰で呼ばれていた。

 浪費が過ぎ、薩摩藩の財政を逼迫(ひっぱく)させたと伝え聞いている。


 本堂を見学した後、諭吉と松木は、城砦の広いテラスに出た。

 秋坪は、また案内人をつかまえて、あれこれ質問しているらしい。

 気温はグングン上昇し、汗ばむほどの陽気となった。

 二人は、やってきたカイロ市街を眺めた。高台なので街全体が一望の(もと)に見渡せる。

 そこから見た家々は、はっきりと二種類に分かれていた。三・四階建ての石造りの邸宅と、土を練って積み上げただけの庶民の家だ。それは、遠くからだとアリか()(ばち)の巣のようにしか見えない。

「この国の有様が、手に取るようにわかりますね」

 諭吉は朝、窓を開けて町の様子をザッと眺め、そのとき受けた印象が、間違いなかったことを再認識した。

「富むう者と貧しか者たち……、露骨なくらいはっきいしておいもす」

 弘安も諭吉の意を察し、うなずいた。


「あっ、ここでござったか」

 秋坪が、少し息を切らしながら、やってきた。

 手には、和紙を(つづ)った手帳があった。

「やあ、よい眺めでござるなあ」

 二人の横に並び立ち、フウッと一息ついて呼吸を整える。

「また興味深い話を仕入れてまいりましたぞ」

 ニヤッとして手にした手帳をポンと叩いた。

 秋坪は、調査が得意である。

 ペリーの黒船来航のときも藩の命で探索(たんさく)(おもむ)き、詳細を報告している。

「ほほう、どんな話でごわすか?」

 弘安が、関心を示した。

「私らが船でやってきた紅海と地中海を結ぶための大運河を、掘っているそうでござる」

 ここからでは見えないが紅海の方角を指差しながら、ちょっと得意そうな表情で秋坪は、言った。

「大陸の結び目を切い()くわけでごわすな!」

 スエズ運河のことである。理工系の弘安は、声を(はず)ませた。


「そうなんですよ。まさに『切り裂く』んです」

 背後から声が飛んできた。それも日本語だ。

 驚いて三人は振り返った。

 そこには、この炎天下にもかかわらず白茶色のスーツを着込んだ青年が立っていた。同色の帽子を片手にして微笑んでいる。髪は黒く、きれいに整えられていた。年恰好は、三十歳前後であろうか。

 その隣には、同じような服装の西洋人がステッキを突き、()(あい)()な表情で並んでいた。おそらく五十歳代後半くらいであろう。灰色まじりの白髪で、鼻の下に両翼の張ったカイゼル髭を蓄えている。

「日本の使節団の方々ですね」

 青年は笑みを浮かべたまま、話しかけた。

「ええ……」

 諭吉は、答えた。

「失礼致しました。私は、シラハタ・ケンゴと申す者。

 皆様方のことは、宮殿で耳にしており申した。

 こんな場所でお目にかかるとは思いも致しておりませんでした。

 それで、懐かしさのあまり、つい声をお掛けしてしまい申した」

 何か変な日本語である。長いこと使っていなかったような感じだ。言葉遣いや抑揚に、(さつ)()(なま)りがあった。

「……」

 三人は、どう反応してよいかわからず、軽く腰を折って挨拶した。

「こちらは、レセップス(かっ)()です」

 初老の男は両手をステッキに置いたまま、見下ろし気味に一瞥(いちべつ)したのみだった。

(少年の言っていた「肌の白い外国人」とは、この男のことか――)

 諭吉は、すぐに思った。

 

 スエズ運河は一八五九年四月、フランス人外交官、レセップスが発案し、その指揮によって工事が始められた。開通したのは十年後の一八六九年であった。

 このレセップスは、外交官であると同時に現総督サイード・パシャの少年時代、家庭教師も務めていた。よって、サイードのレセップスへの信頼度は絶大である。

 そのためかスエズ運河会社へ土地を実質的に無償(むしょう)で与え、領土的主権も与え、さらにはエジプト農民を動員することまで許可した。

 おかげで毎年、二万五千人から四万人の農民たちが()り出されることとなった。

 フランスもまた、この計画を強力にバックアップしている。


「閣下は、工事の進み具合を監察(かんさつ)なさるため、いらっしゃいました。

 ()(ぐう)ではござるが、閣下に面会できることなど(めっ)()にござりませぬ。名誉なことですぞ」

 シラハタと名乗った青年は、小鼻をふくらませながら、誇らしげに言った。

「はぁ、それはどうも――」

 諭吉が、気のない返事をした。

 レセップスとスエズ運河の話は(がい)(りゃく)ではあるが、すでに聞き及んでいた。

 もっと感激するかと思っていたのか、シラハタは()(ぜん)とした表情になった。

「この運河が完成すれば、世界の片隅にある日本からも、船に乗ったまま欧州の地を踏むことができまする。

 労せずして進んだ英知の光に浴することができるのでござる。

 素晴らしいことだとは思いませぬか?」

 押し付けがましい物言いだ。

「――ということは、西洋諸国も、すぐにアジアへ大艦隊でやってくることができるようになるということですね」

 諭吉は間を置かず、言い返した。

「西洋諸国にとってスエズ運河の掘削(くっさく)は、大変な偉業ちゅうことでございもすな。

 じゃっどん、エジプトやアジア諸国にとうては、どげなじゃろうか?」

 弘安も坊主頭を軽く左右に振りながら、疑問を(てい)した。

 本格的な薩摩弁を耳にしたシラハタは、ギョとしたようだ。(おび)えの影が見えた。

「サイード・パシャは、自国の民草(たみくさ)のことを考えなかったのでござろうか?」

 秋坪も両腕を組んだ。

「温厚で哀れみ深い総督と聞いていますから、たぶん考えたでしょう。

 しかし、尊敬するレセップス先生に『偉業には、犠牲が付きもの』とでも言われたんじゃないですかね」

 当の本人を目の前にしていても、容赦(ようしゃ)なかった。

 日本人同士が何を話しているかわからず「()()の外」にいるレセップスは、(いぶか)しげな顔でやりとりを眺めるばかりだった。

 松木弘安は、再び島津重豪と、その愛する孫である斉彬を思い浮かべた。

 そして、無意識のうちに、その姿をムハンマド・アリーとサイード・パシャ親子に重ね合わせていた。

(いや、そんなはずはない。御二人とも英邁な方々だ。似ているはずがない!)

 弘安は、心の中で強く否定し、自分を責めた。

 だが、諭吉の皮肉な一言は、完全には振り払えず、心にしこりとなって残った。

「偉業とは、ほんとに口当たりが良くて便利な言葉ですよね。

 犠牲になる人間への罪悪感を消し去ってくれるんですから――。

 歴史を振り返っても、その時々の権力者は、みな同じ台詞(せりふ)を吐く」

 諭吉の痛烈な言葉は、続いた。

「……」

 シラハタは、押し黙ったままだ。

「しかし、多少の犠牲は伴っても、万民のために成し遂げなければならぬこともござらぬか?」

 言ったのは、箕作秋坪であった。

一八五三年から幕府に登用され、外国奉行手付、「蕃書(ばんしょ)調所(しらべしょ)」教授職手伝などと、幕府の仕事に携わってきた。

 現在、幕府の翻訳方(ほんやくかた)(やと)われている身分にありながら、言いたい放題言っている諭吉をたしなめなければならないと思った。

「そうはおっしゃいますが『万民』とは、誰のことを指すんでしょうかねえ。

 いま過酷な()(えき)に苦しんでいる人たちは、その中に入らないんですか?」

 少し突っかかる言い方になっていた。

 緒方洪庵「適塾」の先輩でもある秋坪に対しては、諭吉なりに敬意と親しみを持って接してきたが、このときばかりは舌鋒(ぜっぽう)が鋭くなった。

 それは、諭吉自身が内心においては「偉業には、犠牲が付きもの」という言葉に(あがら)いきれない気持ちを抱えていたからであろう。

 秋坪は、諭吉の問いには答えず、城砦の外へと視線を向けた。

 しばし、気まずい雰囲気が流れた。

 その間にシラハタはレセップスへ、やりとりの要旨を伝えていた。

 レセップスの顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。

 そして、激しい口調でまくし立て始めた。(こぶし)さえ、振っている。

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