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閉塞学級  作者: 成春リラ
11章 ぼくら友達一年生
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83話 翼を折った日

 誰にも姿が見えなくなるから、電灯の消えた自室は心地良い。


 立ち込めた暗闇を切り抜くようにスマホの画面が光っている。音もなくポップアップするLINEのトーク履歴が古い通知を押し流していく。くたびれた鞄をベッドの上へ乱暴に放り出し、端末を左手で掴み上げる。

 スライド、パスコード入力、ロック解除。赤い未読バッジには百近い数字が表示されていた。部活動のチームメイトや友達からの個別メッセージもあるが、大半は一年C組のグループトークの会話だ。

 高速で履歴を遡っている内に、先日行われた文化祭のものと思しき写真が目に入った。軽く三十枚は載せられているようだ。さらに遡ると、未読部分の一番上に『合唱コンの時のです』という文言がある。


『写真部の人が撮ってくれました! 課題曲と自由曲両方あるよ。ざっとしか見てないけど一応全員映ってると思う~』


 今度は比較的ゆっくりと下へスライドさせて、会話を時系列順に流し読みしていく。


『ななみん有能か』

『たくさんありがとう! 助かる』

『まだあるの? めっちゃ多いんだけど』

俊輔(しゅんすけ)は真面目に歌ってないだろ』

『みんな変な顔してるね』

『うわっ右端のやつブス笑』

(かな)()顔面崩壊してる』


 冷めた眼差しで同級生の会話を追っていた(ささ)(むら)(かな)()は、親指を滑らかに動かし『おい! 誰が顔面崩壊してるだって』と打ち込んだ。ついでに怒り顔のクマのスタンプを送っておく。二十二時を過ぎているにも拘わらず、すぐに十二人分の既読がついた。

 皆はきっと、今頃自分の部屋のベッドやリビングのソファに寝そべってスナック菓子でも摘まみながらスマホを弄っているのだろう。そう気づいて、疎外感とも羨望ともつかない気持ちに襲われる。


 ふいに耳の上の辺りが疼痛を訴え、奏斗は思わず顔をしかめた。ずきん、ずきんと脈打つような痛みが右側頭部に広がっていく。汗ばんだ体から熱が逃げていく感覚に身震いし、思わず奥歯を噛みしめる。

 頭痛と寒気の原因には心当たりがあった。制服の移行期間が過ぎても空気を読まずに夏服を着ていたことだ。もし本当ならあまりにも馬鹿馬鹿しい。

 だが、「笹村奏斗」は空気を読まないことを求められている。皆に期待されているのだ。


「奏斗! もう夜遅いんだから早くお風呂に入りなさい!」


 一階から聞こえる怒号に頭痛はいっそう酷くなった。帰りが遅くなったのは母の強制でクラブチームの見学に行かされていたからだ。「わぁーってるよ!」と努めて明るい声を返し、ふらつきながらパジャマを取り出す。

 扉を開ければ、部屋の中の暗闇は失われる。一人きりの静かな時間はお終いだ。


 廊下が眩しいからだろうか。それとも眠いのだろうか。階段の出窓に飾ってある写真立ての輪郭を認識できない。眉を寄せても焦点は合わず、余計にぐにゃりと歪んでしまう。塞がっていない方の手で疼く頭を押さえながら、階段までの道を一歩ずつ進む。

 一階に下りる前に「顔」を作り替えなければ、と思った。口角を上げ、目を見開いて、眉に寄ったしわを取り除くのだ。他人の前では頭痛なんて少しも無いという(てい)を装わなければならない。


「お前は絶対、季節の変わり目で風邪引くとかいうキャラじゃないよな」


 同級生の何気ない言葉がどこからか聞こえた。今日の学校での会話だ。確か、C組で体調不良による欠席者が続出しているという文脈だったような気がする。


「わかるぅ。てか、奏斗が熱出したことある?」

「奏斗って、小学校のときから冬でも半袖短パンだったよね」

「うっそ、ほんとにそんな奴いるんだ」

「見てなくても想像つくよね」

「高校生になっても同じことしてそう」


 軽はずみな言葉と重石のような期待が頭を締め付ける。「笹村奏斗」に覆い被される。クラスメイトに何と言い返したのか覚えていない。覚えていられるはずもない。だって、自分が人前で言うことは所詮空っぽだから。


「笹村くんのセンスは天才的だよ」と、今度は大人の男の声がした。


「学校のサッカー部でのんびりプレーするのも楽しいとは思うけど、ここで本格的なトレーニングをした方が確実に伸びると思う。君がフォワードに来てくれたら、うちももっと強くなれるんだけどなあ」

「ほら奏斗、(あか)(さき)コーチだってこう言ってるでしょう。どうして誘いを受けないの? 一体どこに不満があるの?」


 何もかも全部不満しかないよ、お母さん。でもあんたはどうせ何を言ったって聞いてくれないじゃないか。

 言われたことが、言えないことが、胸の内に延々と溜まる。濾過されていない感情が積み重なるように沈んでいく。体が重い。頭が痛い。前が見えない──


 目の前にかかっていた(もや)が唐突に晴れた瞬間、腹の底が冷えるような浮遊感があった。

 何が起こったのかすぐにはわからなかった。一呼吸遅れて階段から落ちそうになっているのだと気づき、慌てて体勢を立て直そうとしたが頭が思うように動かない。もつれた足がステップから離れ、奏斗は前のめりで宙に投げ出された。

 視界が回転する。廊下の明かりに目を灼かれる。咄嗟に伸ばした指先が手すりを引っ掻く。脳裏を過ったのはつい先ほどまで履いていたサッカーシューズのことだった。


 頭は守らなければ、こんな脚が無ければ──どちらが意識に上ったのかはわからない。

 気がつくと、奏斗は自ら左足を階下へ向けていた。

 初めからわかっていた。足場が不安定なまま歩いていたら、「自分」はいつか転げ落ちてしまうのだと。

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