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閉塞学級  作者: 成春リラ
10章 二十一グラムの秘密
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79話 二十一グラムの秘密⑦

 半泣きでぶつけた精一杯の言葉に、男子生徒の顔はみるみる青ざめていく。十和子も十和子で膝の震えが収まらなかった。崖の上から一息に飛び降りたような気持ちだ。

 ──やってしまった。もう後戻りはできない。


 脅しているのかと慎は言った。そう、これは紛れもなく脅迫だ。十和子は今、弱みにつけ込むような形でクラスメイトを脅迫している。

 もちろん人生で初めての経験だった。こんな影の薄い同級生に脅されるだなんて、慎も想像していなかったのだろう。彼は驚きと焦りが()い交ぜになったような表情で口を閉ざしている。顔を見るのも申し訳なくて、十和子は思わず目を伏せた。


 中庭を吹き荒ぶ木枯らしに(さら)されているうちに、じわじわと自責の念がこみ上げてくる。本当にこれで良かったのだろうか。間違ったことをしているのではないだろうか。この場から逃げ出したい気持ちに苛まれながらも、十和子はかぶりを振って前を向いた。

 だって真夜ちゃんが言ったんだもの。「お願いがある」「手柴さんに頼みたい」って――



「私の願いを聞いてくれたら、きみの願いを何でも一つ叶えてあげる」


 期末テストが始まる五日前。三時間目の体育倉庫にお姫様の声がこだまする。青く穢れのない声色は十和子の耳孔を静かに脅かした。クラスメイトの快活な笑い声もホイッスルの音も、瞬く間に感覚の外へ追いやられていく。


 十和子の注意は真夜に包み込まれた右手に向かっていた。お姫様の手が冷たい。そして自分の手は火傷しそうなほど熱い。全身の神経が一箇所に集まっているみたいだ。

 真夜に手を握られている。その単純な事実がどれほど十和子を高揚させ、絶望させ、感動させるのか、きっと彼女は知る(よし)もないのだろう。


「ま、真夜ちゃんの、お願い?」

「玲矢って、わかる?」


 十和子の返答も待たないまま真夜は一方的に話し始めた。捉えられた手が気になって話を聞くどころではなかったが、しばらくは離してくれそうもない。


「え……えっと……うちのクラスの網瀬くん、だよね?」


 真夜の不可解な物言いに早速首を傾げる。わかるも何も、玲矢は十和子の隣の席に座っている男子だ。そもそも彼の名前を知らない生徒はこのクラスにはいないだろう。

 いかなる感情も発言の意図も読み取れない顔で、お姫様は小さく頷いた。


「手柴さんには、()()と同じ背格好の男子で、こちらの要求を何でも呑んでくれる人を探してきてほしいんだ」

「よ、要求?」


 引っかかりを覚える指示語にさらに首をひねったのも束の間、突如飛び出してきた物々しい単語に意識が逸れてしまう。なんだか真夜らしからぬ言葉遣いだ。


「誰かに、頼みたいことがあるの?」

「そう。引き受けてくれる?」

「何でもって……どんなことをお願いするの」

「ここでは言えないようなこと。だから、絶対にこちらに従ってくれて、誰にも話さないことを約束してくれる人がいい」


 気づかないうちに十和子は息を止めていた。本を引き取ってほしいと頼まれたときとは段違いに不穏な雰囲気だ。閉め切った暗い部屋にお姫様と二人きりであることも相まって、禁忌に触れているような心地さえする。


「わ、わたし、男の子の友達いないから……」

「別に友達ではなくてもいい。頼みを聞いてくれる人なら誰でも」


 一呼吸置いて、真夜はたった今思いついたように続けた。


「例えば、人に知られたくない秘密を抱えている、とか」

「……えっと」


 察しの悪い十和子でも話が読めてきた。つまり、真夜はクラスメイトを脅して言うことを聞かせてほしいと言っているのだ。十和子はつい後ろを振り返って、周りに他の生徒がいないことを確認した。


 立ち入り禁止のテープを知らず知らずのうちに踏み越えてしまっていたような恐れが突如押し寄せてくる。このまま話を聞き続けていても大丈夫だろうか? それとも、もう引き返せないところまで来てしまっているのだろうか。

 心臓のごとく脈打つ十和子の手は依然として包み込まれたままだ。


「口実があれば何でもいい。手段は問わない。恩を売るとか、罠に嵌めるとか」

「わ、わたし!」


 十和子は咄嗟に真夜の言葉を遮った。


「そういうのは、やや、やったことない、から……難しいと、思う」


 いくら真夜のお願いとは言っても物には限度がある。

 罪悪感云々の問題ではない。単純な力不足だ。よく知りもしない男子を脅迫するだなんて高度な交渉、自分にはとてもできそうにない。普段から他人と話すこともままならないのだから。

 でも――本当は、これ以上真夜の唇から物騒な言葉が飛び出すのを見たくないという気持ちの方が強かった。


「そう」と、真夜はあっさり十和子から視線を逸らした。


「できないなら、いい」


 冷ややかな手が蒸発するように離れていく。いきなり解放された十和子の右手は行き場を失って床に落ちた。肌の触れていた部分が物足りなさを訴えるみたいにジンと疼く。


 真っ直ぐ立ち上がった真夜の瞳はもう十和子を映していなかった。その事実にどこか安堵すると同時に、別の予感がざわりと胸を()く。

 十和子は反射的に「ちょっと待って!」と叫び、無我夢中で真夜の服を掴んだ。


「わたしがしなかったら……他の人に頼むの?」


 真夜は頷いて「必要があるから」と(てら)いなく答える。凜々しい双眸に迷いはない。

 他の人。それはきっと、お姫様を変えた「誰か」とは無関係の人だ。真夜はお願いを聞いてくれる人が現れるまで何度でも他を当たるのだろう。もしかしたら対象の男子生徒を直接脅しにいくかもしれない。遍く降り注がれるはずのお姫様の視線を、全く関わりのない他人が独占してしまうのだ。


 そのとき十和子の目の前に鮮明なイメージが映し出された。茜色の夕日に満ちた(ひと)()のない南校舎。埃被った廊下の片隅で、真夜が見知らぬ男子生徒の耳元に口を寄せている。けたたましく響き渡る放課後のチャイムが二人を覆い隠していく――


 ゾクリ、と背筋を悪寒が駆け抜ける。気管に水が入ったような異物感と共に、十和子の中にはっきりと「嫌だ」という想いが生まれた。

 それは嫌だ。真夜が変わってしまうことより、彼女の視界に自分が入ることよりずっとずっと嫌だ。


「それなら、わたしがやる……」


 十和子は後先も考えずに呆然と呟いていた。

 お姫様の切れ長の目が見開かれる。すぐに後悔が喉元まで膨れ上がってくるも、宣言を取り消すことはもうできなかった。

 真夜はやると言ったら必ずやる。有象無象が跪いて縋ったところで止まることはない。ならば、十和子に選択の余地など初めからなかったのだろう。

 よろめくように立ち上がって、十和子は真夜を正面から見つめ返した。


「誰でもいいなら、わたしがやる。やりたい」


 今度は確かな決意を込めて繰り返す。声が震えないように。お姫様の気高さに少しでも見劣りしないように。

 当の真夜は僅かに黙り込んだだけだった。「じゃあ、はい」と再び手を差し伸べてくる。


「へっ?」

「願いを教えて」


 数秒思考が凍り付いた後、真夜が最初に「きみの願いを何でも一つ叶えてあげる」と言っていたことを思い出す。頼みの内容にばかり囚われていて、見返りがあることは全然頭になかった。


「い、いいよ、真夜ちゃんに何かしてもらうなんて……わたし、まだ何もやってないし」

「遠慮はしなくていい。無理なお願いをしていることは私もわかっているから。それに、私の方から頼んでいるのだから、先に手柴さんの要望を叶えるのは当然」


 真夜はきっぱりと言い放って鉄扉の前に立ち塞がった。十和子が何かをお願いするまで帰さないつもりのようだ。そろそろ戻らないと皆が不審がるかもしれないのに。

 この場ですぐに済ませることができて、かつ真夜の負担にならないこと。何があるだろう。真夜とお話をする妄想は花浜町にいた頃から何度もしてきたけれど、その中にこんな場面はもちろんなかった。


 十和子はふと、友達のことを思い出した。那由や環、それから吹奏楽部の部員。いつも鈍臭い十和子を気遣ってくれる優しい人たちだ。

 そうか。きっとこれぐらいなら――


「あ、えっと。そしたら、十和子って呼んでくれる……?」

「十和子」


 間髪入れず発せられた一言が、意味も価値もない三文字が、十和子の心臓の中心を貫く。

 衝撃は十和子の想定を遥かに超えていた。自分から頼んだはずなのに、何が起こったのかしばらくわからなかったほどだ。

 真夜の透き通った声が耳の奥へ滑り込んで全身を駆け巡り、脳髄に到達してようやく言葉の意味を理解する。我にもなく溢れた涙がはらはらと零れ落ちていく。十和子、十和子、十和子。

 真夜ちゃんがわたしのこと、十和子って呼んだ!


「どうして泣いているの?」


 お姫様は怪訝そうに首を傾げている。十和子は頬を伝う涙を拭いながら「ごめんね、何でもないの」と謝った。

 わたし、真夜ちゃんの役に立てるようにがんばるから。最後にそう言い残して、十和子は体育倉庫を後にした。心は夏空のように澄み渡っていた。


 無論十和子とて、全く何の当てもないまま頼みを引き受けたわけではない。

 茅森慎。網瀬玲矢と同じ背格好の男子生徒と言われて最初に思いついたのが彼だった。

 玲矢も慎も背の順で並んだときは真ん中より少し前の方にいるし、すらりとした体型もよく似ている。真夜の提示する条件に十分当てはまるだろう。

 何よりも、十和子は慎の「秘密」を知っていた。


 しばらくは思い出すこともなかったけれど、記憶の引き出しの四段目ぐらいを開けると見えやすい位置に置かれている。その程度には印象的な出来事だった。

 小学校五年生のときのことだ。母の指示で葵ヶ(あおいが)(はら)女学園の中等部を志望していた十和子は紅黄市内の進学塾に通っていた。コースは成績順に分けられていて、十和子はもちろん一番下。だが、模試を受験する日は別のコースの生徒も合わせて大教室に集められていた。

 そのとき十和子の斜め前の席に座っていたのが、当時のクラスメイトである慎だった。

 そして十和子は目撃してしまった。慎が隣の生徒の答案用紙を盗み見るのを。


 造作もない様子で他人の解答を書き写し、それを平然と講師に提出する慎のことを、十和子はただ眺めることしかできなかった。だって、相手は自分よりずっと器用で成績優秀な生徒なのだ。告げ口をすることで恨みを買うかもしれないと考えると、怖くて言い出せなかった。

 小学校を卒業して紅黄中に進学し、また慎と同じクラスになっても、十和子は頑なに彼の秘密を守っていた。


 

 もしも慎が常習犯であるならば、期末テストでもカンニングをするかもしれない。きっとするだろうという確信があった。小学生のときの慎の振る舞いはとても手慣れているように見えたから。


「お、お願いを聞いてくれたら、このことは黙っててあげる」


 あのとき事もなげにカンニングをしていた少年が、今は目の前で十和子の一言一句に怯えている。慎の肩が跳ねる度にチクリと針で刺されるような気持ちになる。

 ごめんなさい、やっぱりいいです。誰にも言わないのでわたしと話したことは忘れてください。そう口走ってしまいそうになるのをぎりぎりで押しとどめる。十和子は良心に鞭打って震える膝に力を込めた。

 これはお姫様直々のお願いなのだ。自分の願いも既に叶えてもらっている。今更引き返すことはできない。


 それに、慎が許されないことをしているのは本当だ。他人の答案や模範解答を見て良い点を取るのは卑怯だ。平気な顔で悪事を重ねていた方が悪いに決まっている。

 これは真夜ちゃんのため。わたしは間違っていない。

 わたしなんて、テストの成績が悪かったら部活を辞めさせられるかもしれないのに。


「あなたのような無能の役立たずがどんなに練習したところで上手くなるわけがないでしょう?」

「お姫様からきみに、頼みたいことがある」


 母の冷たい微笑みと真夜の真剣な眼差しが十和子の脳裏を交互に反響する。

 こんな無能の役立たずにもできることがある。真夜の役に立てる。力になれる。それはきっと、この上なく幸福なことだ。





 図書室で古い本の香りを嗅ぐと、耳の奥がむず痒くなる。インクと埃の湿った匂いの中に蜜のような甘さが混ざっている。だが、それは記憶を呼び起こすことなく一瞬で霧散していった。

 虚しく空を掴んだ手には見慣れたガーゼが巻かれており、窓の方へかざすと夕日を浴びて橙色に染まった。(あみ)()(うら)()は開ききらない眼で自分の指先を見つめ、糸が切れたようにテーブルに倒れ込んだ。


 同時に校舎のチャイムが鳴り響く。貸し出しカウンターの上に置かれている時計の針は十六時半を指していた。無風の湖みたいに静かで変化のない時間だ。先生に名前を呼ばれることも廊下を歩いて行くことも、誰かが隣にいることもない。同じ空間にいる複数名の生徒は会話や読書に夢中で、突っ伏した心良を気に掛けることはなかった。

 心良は今日も部活が終わるまで一人で玲矢の帰りを待っている。退屈だとは感じない。元より中身のない時間をぼんやりと過ごすことには慣れていた。空っぽの自分が満たされることは永久にないのと同じだ。


 テーブルに頬をくっつけて瞼を閉じると、世界が暗くなる。ひんやりとした天板越しに聞こえてくるのは、図書室を歩き回る生徒の足音と話し声、校庭の歓声。それから――

 蝉の喧騒。バスの降車ボタン。ハンドベルの音と、誰かの囁き。


「私の前で、嘘のような話を、本当にしてみせて?」


 耳元で誰かの声がした。ここよりずっと広くてきれいな図書館の児童書コーナーが視界を埋め尽くしていく。ぴかぴかのテーブルには数冊の本が雑然と広げられており、隣には女の子が座っていた。絡めた小指を上下に振って、微笑みながらあの子に誓う。

 ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのます。


 ぱち、と心良は目を開けた。

 思わず起き上がって辺りを見渡すも、至っていつも通りの小さな図書室だ。置き時計の長針はほとんど動いていない。本棚から落ちる影の濃さも変わらない。それなのにどうにも不安が止まらなかった。


 不規則に波打つ心臓の近くを押さえて、ふらつきながら席を立つ。心配を紛らわせるように本棚伝いに歩いても動悸は収まらず、むしろ怖気が加速度的に増していった。

 考えてはだめだ。記憶を探ってはだめだ。誰より大切な玲矢と約束したのだから。もう二度と何も思い出さない、玲矢だけの人形になるって。


「……あっ」


 手を付こうとした場所にはちょうど本がなく、心良は棚にもたれるように転んだ。その拍子に掴んでしまった本が一緒に床へ落下する。

 落ちた本の表紙には「なつやすみのじゆうけんきゅう」と書かれていた。別に怖いタイトルでもないのに、どこか不気味な気配のする本だ。何も考えずに本へ手を伸ばそうとしたそのときだった。


「ねえ、心良くん」


 一斉に産毛が逆立って、全身が硬直する。振り返らなくても誰なのかわかった。先日の文化祭以降、心良が接触を避け続けている女子生徒だ。

 くずおれた心良の前へ回り込んで、早乙女真夜――否、鬼城真夜は、その人間離れした美貌に似つかわしい蠱惑的な微笑みを湛えた。胸元の真っ赤なリボンが凛と揺れる。スカートのポケットの中からは金属が触れ合うような音がした。


「私と一緒に来てほしい。()()()()()()()()()()()()


 真夜は含みのある言葉と共に手を差し伸べてくる。じりじりと後退することで、心良は緩やかに彼女を拒絶した。

 だめ、に決まっている。

 真夜と関わってはならないと、玲矢には強く言い聞かせられている。ついていくなんて以ての外だ。この前だって真夜に渡り廊下へ連れ出されたことをきつく叱られたというのに。

 背中に残るカッターの切り傷を思い出して、無意識に自分の腕を抱く。真夜は微笑みを絶やさないまま揺さぶりをかけてきた。


「本当に来なくていいの? 玲矢もいるのに」


 馴染み深い言葉が曖昧な思考をクリアにしていく。玲矢。今、この子は玲矢と言ったのか。

 玲矢が真夜と一緒にいるなんて、そんなこと本当にあるのだろうか。ましてや真夜に自分を連れて来させるだなんて。

 あり得ない、とは言い切れなかった。


「今日の文化祭、俺は欠席するから。りょうちゃんには風邪って言っておいて」


 先日の発言が思い出される。玲矢が仮病で学校を休んだのは初めてのことだった。あの日玲矢が何をしていたのか、心良は少しも聞かされていない。ただ、玲矢の帰宅が翌日の朝だったことだけは覚えている。

 玲矢に行動の理由を問うことはできない。その権利を心良は持ち合わせていない。

 だから、玲矢がどんな行動を取ろうとするのか心良にはもうわからないのだ。


 一時の迷いにつけ込むように、真夜は「行こう」と心良の手を引っ張り上げた。言いつけを破る勇気も手を振り払うほどの力もなく、玲矢の判断を仰ぐこともできず、そのままずるずると図書室の外へ連れ出される。

 玲矢が呼んでいるのなら仕方ない。これは玲矢の頼みだから。強引に手を引かれながら、心良は言い訳するように胸中で繰り返す。


 されるがままに連れて行かれた先は南校舎一階の端にある金工室だった。入学式のオリエンテーション以降一度も入ったことのない教室だ。真夜は難なく出入り口の鍵を開けると、何の説明もなく一人で入っていく。心良はこわごわと中を覗いた。


 心良の目に飛び込んできたのは奇妙な光景だった。学ランを着た生徒がだらけた姿勢で教壇の前に座っており、頭から雑に紙袋を被せられている。分厚い紙で出来ているのか、中の人間の顔は透けて見えない。

 正体不明の男子生徒が足を動かして、つい下へ目が吸い寄せられる。彼は心良と同じ赤い上靴を履いていた。あっ、と息を呑む。

 見覚えのある筆跡で爪先に名前が書かれていたのだ。「網瀬玲矢」と。


「待って」


 反射的に駆け寄ろうとした心良を真夜は片手で制した。


「そこから入らないでくれる」


 決して大声ではないのに威厳のある命令に足踏みしてしまう。もう一度目を凝らして男子生徒の足元を見ると、やはり玲矢が普段履いている上靴だった。言われてみれば体格も似ているような気がする。

 あれが本当に玲矢であるのなら、どうして紙袋なんて被って座っているのだろう。

 ここ数年ですっかり機能しなくなってしまった心良の危機意識が警報を鳴らしていた。


「これ、知ってる? 心良くんには使い方、わかるのかな」


 真夜は机の上に設置されている黄色いスポンジの乗った台を指差した。コーンのような形状のホルダーに見たことのない器具が収まっている。器具から伸びる黒いコードは教室のコンセントにしっかりと突き刺さっていた。

 思考する段階を飛ばして皮膚が粟立つ。「それ」の名称を心良は知らない。けれど、どうやって使うのかは本能的に察してしまった。この身の芯に刻み込まれていた。


「れい――」


 心良が行動に移すより遥かに早く、真夜は()()()()の持ち手を握った。玲矢の袖をたくし上げると、剥き出しの腕に先端を押し当てる。

 ジュッと、皮膚の溶ける音がした。

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