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閉塞学級  作者: 成春リラ
9章 私のかわいい生徒たち
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64話 出席番号十七番

 昨日は有名なゲームのシリーズ最新作が発売される日だったらしく、稜子の兄も嬉しそうに通販の箱を開封していた。C組の男子の間でもそのゲームの話題で持ちきりになっており、中には徹夜でプレイしていた生徒もいるようだ。


 こくり、こくりと、稜子の向かいで船を漕いでいる生徒は、隣の席についた保護者にばしんと背中を叩かれると弾かれたように目を見開き、面倒くさそうにのそのそと背筋を伸ばした。反抗的に保護者の方を向くも、彼女の形相を見るや否や花が萎れるように身を縮こませてしまう。その、保護者というのが――


「日野先生すみません、こいつ昨日ベッドにゲーム持ち込んで朝まで遊んでたんですよ。携帯機になった途端にこれだから本当に油断も隙もないですよね」


 胸元で揺れるロイヤルブルーのリボン。しわ一つないカッターシャツ。紅黄市内の中学生が揃いも揃って憧れるという私立()(おん)(かん)高校の制服だ。綺麗に整えられた黒髪をポニーテールにして、涼しげな色合いのシュシュでまとめている。きりりとした顔立ちは、やはり隣に座る弟によく似ていた。弟の方はというと、精悍さの欠片もない表情をしているが。


「ええと、(ひろ)()くんのお姉さん、ですよね? 今日はお母様がいらっしゃると聞いていたのですが」

「ごめんなさい。母は急用で来られなくなったんです。日を改めてもらおうかとも思ったんですけど、ちょうど部活が休みだったので、代わりに私が来ちゃいました」


 背の高い姉の陰に隠れるように座っている(ひろ)()は、「来ちゃいました、って」と小柄なわりに低い声でぼやいた。


「三者面談で姉貴が来るとか、漫画とかラノベでしか聞いたことねえよ……凛もびっくりしてただろうが。ったく、これだから暇人は」

「は? 今何つった?」

「……アー、我が偉大なるお姉様は、明日塾の模試を受けるとお聞きしていましたが、お勉強はなされなくて大丈夫なのでしょうか」

「私はあんたと違って成績優秀だから平気です。ほら、ビシッとしなさいってば!」


 再び背中を叩かれた大樹は「いってえ」と呻くと、渋々といった風に座り直した。

 姉に「あんたと違って」と評されたものの、(つつみ)(ひろ)()の一学期の成績は可もなく不可もなくといったところだった。性格検査の結果もA型(平均型)で、特に問題点は見つからない。休み時間は概ね教室で本を読んだり友達と話したりしているようだが、偶に他の男子に引きずられるように連れ出されて外で遊んでいる様子も見受けられる。中学生らしく斜に構えたような発言をすることもあるが、根は良い子なのだろうと思う。


 大樹の姉は()()といって、久遠館高等部の二年生だそうだ。初めは高校生とは思えないほど受け答えがしっかりした子という認識だったが、しばらく大樹の面談を進めているとハイティーンらしい我の強さが見えてきた。


 成績表や通知表、検査結果を配られる度に目の前で繰り広げられる姉弟喧嘩を、稜子は微笑ましさ半分、苦笑半分といった気持ちで眺めた。少し羨ましくも思う。稜子と兄は歳が離れているので、こんな風に言い合いになることはほとんどなかったのだ。


「では、次は夏休みの宿題をお配りしますね」


 机の上にどさりと置かれた分厚い紙袋や問題集の山を見て、大樹は露骨にうんざりした顔になった。沙樹の方はというと、「夏の生活」と書かれた問題集を指差し「わあ、まだこれ使ってるんですね! 懐かしいなあ」と顔をほころばせている。


「えー、じゃあ姉貴がやってくんない?」

「はいって言うとでも思ったの? あんたさあ、去年の夏休みも最終日になって泣きついてきたでしょ。今年は絶対助けてやんないからね」

「いやあの、泣きついた覚えはないんだが……」

「だいたい、お母さんはあんたに甘いのよ。いっつも私ばかり手伝わされるんだから」

「べ、別に頼んでねえし」

「だから甘いって言ってんの。少しは(こうべ)を垂れなさいよ馬鹿」

「あー、はいはい、愚弟ですんません……」


 夏の到来を知らせるかのように、アブラゼミの合唱が三階の教室まで聞こえてくる。蝉の鳴き声にも姉弟の口喧嘩にも負けないように、いつもより少しだけ声を張って「宿題の説明をしてもいいですか?」と訊くと、堤姉弟はピタリと同時に口をつぐんで申し訳なさそうに居住まいを正した。つい笑ってしまいそうになる。稜子は口元を引き締めた。


 小学校から中学校に上がったばかりの生徒にとって、夏休みの宿題の量は一気に増えたように感じられるだろう。主要五教科の問題集や計算ドリル、漢字ドリルはもちろんのこと、理科の自由研究とその発表資料作り、技術科の木工工作、家庭科の調理実習、美術科のポスター制作等々、リストにするだけでA4の再生紙を埋め尽くしてしまう。


 学生にはお馴染みの作文に至っては三つもある。一つは読書感想文、一つは市の環境美化コンクールに提出する作文。どちらも規定は原稿用紙四枚以上。

 そしてもう一つが、「将来の夢」をテーマとする作文だった。


「私のときにも書かされたなあ」と、沙樹は紙面を指でなぞって呟く。


「これ、二学期の最初の授業参観で発表して、投票で一番良かったのを代表として選ぶやつですよね。教室の後ろに全員分貼り出して……」

「そ、そうですね」


 どうやら数年前から宿題の内容は変わっていないらしく、稜子が説明しようと思っていたことはほとんど言われてしまった。姉の隣でぴょこんとプリントを覗き込んだ大樹が、「将来の夢かあ……」と渋い顔をしている。


「オレ、特にやりたい仕事とか思いつかないんですけど、何書けばいいんですかね」

「大樹は子どものくせに夢がないなあ。私はアニメーターになりたいって書いたよ。将来の夢なんて、何書いたっていいじゃない」

「姉貴には訊いてないって……」


 プリントを睨んでいる大樹に、稜子はにっこりと微笑みかけた。


「お姉さんの言うように、好きなことを書いていいんですよ。そうですね……大樹くんは、何が好きなんでしたっけ?」

「え、うーん……ゲーム、とか」

「だったら、ゲームを作っているお仕事について調べてみてください。ゲーム制作には、思っているよりずっと多くの、様々な分野の人が携わっているんですよ。あとは、そうですね、具体的な職業名でなくても構いません。大樹くんの尊敬する人の話をして、その人のようになりたい、などでも大丈夫です」


 なるほど、と大樹はこくこく頷いた。あまり理解しているようには見えないが、彼はいつもなんだかんだ最後にはちゃんと宿題を提出する生徒なので大丈夫だろう。家には世話焼きの姉もいることだし。


「そんなこと言って、どうせ夏休みの最後になったらまた姉貴が考えてくれって言ってくるに決まってるよ。サーティーワンのレギュラーダブル賭けてもいいね」

「くそ……その台詞覚えてろよ、絶対(おご)らせるからな……!」


 再びきゃいきゃいと騒ぎ始めた仲の良い姉弟をたしなめている内に下校時刻を知らせるチャイムが鳴り、堤大樹の三者面談は終了した。姉に頭を小突かれながら教室を出て行く大樹を見送って、ふうと溜息をつく。今日の面談は大樹が最後だったのだ。


 開け放された窓からは温い夏の風が吹き込んでくる。稜子はハンカチで手汗を拭くと、机の上に置いた宿題のリストに視線を落とした。生徒から質問を受けても答えられるように、自分用に印刷しておいたものだ。大事な箇所にはマーカーを、空欄には補足説明を。

 丸っこいゴシック体で綴られた「将来の夢」の上で、稜子の指が止まる。


 一年C組の生徒三十四人のうち、どれだけの生徒がこの宿題に真面目に向き合ってくるのだろう。今までに説明した生徒たちの中には、端から適当に済ませようと考えているのがありありと伝わってくる子もいた。

 別にそれでもいい、と稜子は思う。


「何書いたっていいじゃない」


 大樹の姉の気楽そうな声が、脳裏に反響している。あの子は中学生のときに夢見ていたことを、今もまだ胸に抱いているのだろうか。


 そう、何を書いたって構わない。

 どうせ忘れてしまうのだから。

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