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閉塞学級  作者: 成春リラ
9章 私のかわいい生徒たち
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63話 出席番号十六番

 入学式のときに見かけた母親は小さくて病弱そうな人だったから、じゃあ父親が大きいのだろうと思ったら、こちらもあまり背が高い方ではなかったので驚いた。子の身長は遺伝で八割決まると言われているが、こんな例外もあるものだ。


 背中を丸めて備考欄のコメントに目を通していた生徒は、「あ、えっと、よかったら父さんも見る?」と滑らせるように成績表を差し出した。「ん」と低い声で応えた父親に手元を覗き込まれ、驚いた顔で両手を机の下へ引っ込める。父親は息子の成績をざっと確認すると、すぐに姿勢を戻した。まるで爆発物でも扱っているかのようだ。


 面談が始まってから二人はずっとこの調子だった。父親はごく普通の会社勤めだったはずだが、普段はあまり顔を合わせないのだろうか。初々しさすら感じられる親子の様子に、対面で座っている稜子も釣られてぎこちない口調になる。


「……えー、それでは、次の資料をお渡ししますね」


 照れたように微笑んでいた生徒は、机の中からゆっくりと出された一枚の紙を見て一瞬で青ざめた。学校からの指示なので仕方ないとは言え、三者面談中に親の前でこれを見せるのは担任としても気が重い。特に、この生徒に関しては。


「何かの、検査結果でしょうか」


 息子に代わって資料を手に取った父親の声は冷静だった。


「はい。検査と言っても、性格検査ですが。YGPIをご存知でしょうか」


 YGPI。もしくは、YG性格検査。

 日本心理テスト研究所が提供するアンケート形式の性格検査であり、日本全国の教育現場で導入されている。紅黄中学校の生徒は入学直後に一律で受験することが決まっていた。


 個人の性格や行動について問う百二十の質問に対して「はい」「いいえ」「わからない」の三択で回答する。その結果得られた十二の因子――攻撃性、活動性といった性格特性を表す尺度の強弱をグラフ化することで、受検者の性格傾向を判断する、というものだ。


 生徒に配られる診断結果には、性格特性のグラフと項目別性格特徴、簡単なコメントが記されている。だが、教師が持つ個人判定表に記載されているのはそれだけではない。

 十二因子の偏りから判定される五つの性格傾向。この性格タイプ判定によって生徒を分類することこそが、本校でYGPIを実施する大きな目的である。


 例えば、初日に面談を行った小田巻智春はD型(安定積極型)の典型だ。情緒が常に安定しており、対人関係も良好。社会的外向性が高く(はつ)(らつ)としているため、クラスの中ではリーダーシップを発揮する傾向が見られる。紛れもなくC組の中心的存在であろう。


 また、このクラスではC型(安定適応消極型)に分類された生徒も多い。既に面談した生徒の中では錦辺詩央もこれにあたる。自己主張が少なく授業中も消極的だが、穏やかで真面目。良い意味でも悪い意味でもお利口、という印象の強いタイプだ。


 そして、稜子の目の前で父親と検査結果を見ている少年――()()(やま)(りん)は、E型(不安定不適応消極型)だった。


「と、父さん、あの、違うんだ……これ、父さんも見るなんて知らなくって、何も考えずに書いちゃったから……」


 学校側としては、結果を気にして取り繕った回答をされる方が困るのだが。

 凛が制服の袖で必死で隠そうとしている検査結果には、抑うつ性や劣等感、回帰的傾向が強いということが記されていた。どれも情緒安定性因子に分類される尺度だ。オブラートに包んだ表現で記載されているものの、結果の言わんとするところは伝わったらしい。

 父親は無言で凛の手元を見つめている。寡黙な人なのかもしれない。


「凛くん。この検査は凛くん自身の良し悪しを調べるためのものではないんですよ。成績には全く影響のないものですし、書いてあることはあまり参考にしなくても」


 はい、と蚊の鳴くような返事をして、凛は蓋をするように判定表を裏返した。本人は気落ちしているようだが、稜子としては想定内の結果だ。そもそも、紅黄中学校は千葉山凛に情緒不安定傾向があることを彼の入学前から把握していたのだ。


 一年生のクラス分けをするにあたって、小学校側から「この生徒とこの生徒はクラスを離してほしい」「この二人は同じクラスにしてほしい」という申し送りが何件かあった。こういった要望を運営に反映させるか否かは学校によると思われるが、紅黄中では参考にするように決まっている。生徒間の無用なトラブルをなるべく避けるためだ。


 千葉山凛は特定の生徒と別のクラスにすることを推奨された子だった。それも一人や二人ではない。何でも、小六の頃に酷いいじめを受けて不登校になっていたそうだ。申し送り事項には加害者の名前が五十音順に並べられていた。彼の在籍中には誰も対策を講じなかったというのに、引き継ぎの段階になって知らせてくるというのも無責任な話である。


 入学から現在まで、稜子はこの生徒にとりわけ注意を払ってきた。さりげなく最近の調子を尋ねたり、人間関係で悩み事がないか探ったり。幸い、凛は一度も学校を休むことなく教室で授業を受けている。他の生徒に怯えている様子も見受けられない。


 それでも、やはり担任には話せない苦しみがあるのだろうか。


 本人に話したことは嘘ではない。D型だから良い、E型だから悪いということはなく、どの性格特性にも長所と短所がある。C組のようなおとなしい子が多い環境においては、活発な性格がかえって(あだ)となることも多いだろう。また、E型と判定されたからと言って全員に抑うつ傾向があるわけではない。だが、凛に関しては不安が多いのも事実だった。


 稜子は早めに性格検査の話題を切り上げることにした。元より生徒の成績や性格の話だけで終わる面談ではないのだ。生徒の親から聞き出しておきたいことは色々とある。

 そのうちの一つが自宅での様子だった。


「ええと、どうでしょうか、凛くんは。ご自宅でも勉強が進んでいるように見えますか」

「あ、はい! 一応、毎日授業の復習をしていま、す……」


 父親の方に訊いたつもりだったのに、答えたのは凛だった。稜子が反応する前に会話の行き違いに気づいたのか、凛は小さく「あっ」と息を呑み、隣の父親に目配せする。改めて「お父様の目から見ると、いかがでしょう」と尋ねると、父親は小さく首を傾げた。


「……さあ。凛はいつも、家事を済ませた後は部屋にこもってしまうので」

「家事?」


 言い回しに引っかかりを覚えて聞き返すも、父親は黙り込んでしまう。一方で、凛はぴんと背筋を正した。これは褒めるチャンスかもしれないと、稜子も身を乗り出す。


「凛くんはお家のお手伝いも頑張っているんですね! どんなことを?」

「せ、洗濯とか、料理とか……?」

「料理! 部活や勉強で忙しいのに、偉いですね」


 何気なく付け加えた「偉いですね」に、凛はますます申し訳なさそうに背中を丸めた。彼の父親の様子を見るに、褒められ慣れていないのだろう。


「そ、それぐらい、みんなやってますから……」

「そうだとしても、他の人がやっていることを当たり前にできるのはすごいことですよ。きっとお母さんもお父さんも助かっているでしょう」

「――あ、」


 ほんの少し焦れるような間の後、


「り、がとうございます……」と続いた。


 ――うん?


 引き出しから次のプリントを取り出していた稜子が思わず顔を上げると、凛は慎ましく微笑んでいた。普段から彼の笑顔は大人びていて控えめだ。クラスメイトが冗談を言ってクラス中がどっと沸いても、決して大口を開けて笑うことはない。


 気のせい、だろうか。

 稜子の視界の端で、凛の口角がわずかに攣ったように見えたのは。


 小骨を飲んだような違和感は面談の時間が終わる頃になると消えていた。時計を見てわたわたと立ち上がった凛は「今日の晩ご飯要る?」「鍋の中にカレーあるからね」と二言三言父親に言い残し、頭を下げながら急ぎ足で教室を後にした。


 父親も凛と一緒に出て行くのだろうとばかり思って机の位置を調整していた稜子は、彼がなかなか席を立とうとしないことに気づく。「あの、何か」と遠慮がちに声を掛けると、凛の父親は静かに口を開いた。


「先生、うちの息子のことですが」

「はい」

「あいつに、学校の友達はいるんでしょうか」


 数秒、言葉に詰まった。三者面談中は会話を凛に任せて積極的に発言しなかったというのに、このタイミングで新しく質問してくるのは反則だ。子どものいないところで担任に訊きたいことがあるからと、生徒が教室を出た後に話を続けようとする親は時々いるらしいが、一年C組の面談ではこれが初めてだった。


「えーっと、そうですね、はい。積極的に人の輪に入っていくタイプではないかと思いますが、仲の良い子はいるみたいですよ。同じ卓球部の(つつみ)くんとか……他のクラスメイトとも概ね上手くやっているように見えます」


 稜子は教室の時計をちらりと確認した。元々凛の面談は始まる前から少し時間が押していたのだ。これ以上遅らせるわけにはいかない。「帰ったら、凛くんにも訊いてみてはいかがでしょうか」と付け加える。そうしてほしいという気持ちを込めて。


「そうですか」


 温度のない淡々とした声。稜子の焦燥とは裏腹に、凛の父親はあっさりと引き下がった。無言で軽く一礼をすると、息子と同じように去っていく。

 最後の質問に意味があったのかどうか、稜子が知ることはついぞなかった。

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