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閉塞学級  作者: 成春リラ
5章 人形の掟
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26話 人形の左手②

 美少女転校生こと鬼城真夜。大樹は、彼女のことが苦手だった。


 真夜が美しいのは事実である。至る所で噂が立つのも無理はない。目鼻の整った顔立ちも、腰に届くほど長い真っ直ぐでしなやかな髪も、聞く者の耳にこだまする温度の低い淡々とした声も、すべてが工芸品みたいだ。それだけならいい。こんな寂れた地方都市の公立中学校に類い稀な美貌を持つ少女が転校してくることの非現実性は置いておくとして、本当にそれだけなら、彼女に焦がれることはあっても、苦手に思うことはないだろう。


 あの、目だ。目が駄目だ。


 鋭利なオニキスの瞳の奥に、ぎらぎらとした強烈な「何か」が宿っている。それが怨恨なのか、憎悪なのか、敵意なのか、渇望なのかは知る由もないが、とにかく彼女の純粋で透明な印象とはあまりにも不釣り合いだ。


 美しさは本物でも、冷たさは見掛け倒し。内側には、もっと得体の知れない激情がある。


 ――なんていうのはほとんどが大樹の妄想であって、実際の鬼城真夜とは一切関係ないのである。フィクションだ。ちょっと恥ずかしすぎて、凛にも話したことがない。


 本題に戻る。その鬼城真夜が、大樹のことを現在進行形で睨み付けている。

 実を言うと、真夜に見られるのはこれが初めてではない。大抵は授業時間外、何の気なしに視線を窓際に向けると、ばっちりと目が合ってしまう。大樹の方はすぐに目を逸らすのだが、その後も不気味な念が絡みついて離れないのを感じていた。


 美少女に見つめられているとだけ書くと、羨望と嫉妬の的になりそうな感じがするのに、どう解釈しても真夜の凛々しい目つきからその手の甘酸っぱいストーリーは期待できなかった。謙虚に慎ましく生きている大樹にそこまでの自惚れはない。都合の良い恋愛モノみたいな展開が、大樹の身に起こるわけがないのだ、悲しいことに。


 真夜と話したことは無論一度もない。前述の戯言を人前で口にしてもいない。

 それならば、過去ではなく、現在の行動に原因があるのかもしれない。と言っても、大樹は後ろの席の同級生に挨拶をしただけなのだが。


 試しに、自分の身体で隠した左手で真夜の方をちょいちょいと指し示しつつ「なあ、あれどう思うよ」と心良にボソボソ話しかけてみた。話しかけた直後に、ああこれでは伝わらないのだった、と思い出す。


「……」


 案の定心良の顔は標準装備で固定中。睫毛一つ動かさないのは逆に才能ではないだろうか。

 だが、背後の視線は明らかに強くなった。

 いきなり大当たりを引いて、大樹は思わず生唾を飲み込んだ。まじかよ、と内心で独りごちる。噂の転校生の興味の対象が、よりによってこいつ?

 この無気力で無表情な男子生徒に何か文句があるとすれば窃盗の件だろうが、いささか日が経ちすぎているし、心良に話しかける大樹までとばっちりを受ける理由はあるまい。


 大樹は、「あー、えっとな」と言葉を選んで、


「鬼城真夜って、お前となんかあったの?」


 思い切って直接的に尋ねた。


 ちりちりと沁みるような視線に耐えながら返答を待つ。一秒、二秒。

 三秒が限界だった。


「わりぃ、やっぱいいわ」


 体の向きを元に戻すと、眼光も掻き消えた。

 まあいい。事情は不明だが、どうも真夜は大樹が心良と話していることがご不満らしい。ならば今まで通り、極力話しかけないまでだ。大樹とて、言葉の通じない故障品と深く関わるのも、美少女に何かと睨まれるのも御免こうむりたい。


 黒板の方を向いた真夜を、今度はこちら側から注目してやった。ピンと伸びた背筋には、真夜の意思の強さが表れている。身長は大樹とそう変わらないぐらいなのに、猫背の凛よりも大きく見えた。

 授業中積極的に発言することもなく、無口で物静かなところは心良と似ているのに、在り方は正反対だ。存在感がなく空っぽな心良と、そこにいるだけで目立つ真っ直ぐな真夜。

 だから、尚更わからない。一体どうして真夜が、心良を気にかけるのだろう。


 前のチャイムが鳴ってから五分が経過し、朝読書の始まりを告げる放送が入った。大樹は自分の鞄から読みかけのライトノベルを取り出すと、栞を挟んでいたページを開く。


 その時、かすかな衣擦れの音を大樹の耳が拾った。


「……あぁ」


 同い年の男子にしては、やや高い掠れた声。心良の声だ。さっきの挨拶もどきよりも余程はっきりとしている。

 大樹は振り向かなかった。教壇には既に副担任の前田先生が立っていて、朝読書中に無駄話をする素振りを見せようものなら注意されてしまう。それに、たった今心良とは関わらないと決めたばかりだ。

 ページに目を落とし、文章を追い始める。が、その集中も長くは続かなかった。


 確かに言ったのだ。あの網瀬心良が。気まぐれに冷たくなる朝の教室の空気に溶けるような、小さな小さな声で。


「まよ、ちゃん」と。





 朝の不可解な出来事は、一限目の授業を寝ぼけ眼で聞いている内に忘れてしまった。いくら珍しいとは言え、後ろの席の仲が良いわけでもない同級生の数秒程度の呟きなんて、いつまでも覚えていられる方がおかしい。

 しかしながら、本当にすっかり忘れてしまったのなら「忘れてしまった」と言う必要もない。すなわち、大樹は思い出したのである。


 二限目の美術の時間だった。


「いいですか!」


 カツンカツン、と神経質なチョークの音が二回。


「くれぐれも怪我がないように気を付けてくださいね! 例年手を切る生徒が後を絶たないんですから、事故だけは起こさないように。自己責任ですからね、もう中学生なんですから、自分で何とかしてくださいね」


 美術教員の中嶋が、薄汚れた黒板の前で金切り声を上げている。いちいち煩いババアだ。一生そこで踏ん反り返っていてくれればいいのに、安全確認という名目で埃っぽい美術室の床をバタバタ歩き回られるのだからたまったものではない。相次ぐ怪我の九割九分は中嶋先生のヒステリーが遠因だろう。


 二学期最初の美術の授業の題材は「木彫レリーフ」。配布された薄い木の板に鉛筆でデザインを描き、彫刻刀で凹凸をつけることで模様を作るというものだ。


 ぼろぼろの木製机に向かって、C組の生徒は作業を進めていた。たまに奏斗が「先生! 先生の声がデカいので手元が狂うんですけどお」とクラス全員のド直球な本音を冗談めかして言うこともあるが、基本は皆無言だ。全体に向けた小言はスルーし、個別に言いがかりをつけられた時だけしおらしく話を聞く。


 大樹の彫刻刀は姉から譲り受けたものなので、なんとなく切れ味が悪い。切れ味の悪い彫刻刀は通常よりも余計な力を要する為怪我に繋がりやすい、というのは大樹でも知っていた。授業で使うたび、次回までに砥石で研いでおこうと一応決意するのだが、面倒事を後回しにしている間に一週間が過ぎている。だから大樹は、中嶋先生が横を通る時にさも「オレの彫刻刀には何も問題はないし木を彫るのに支障もありません」と言わんばっかりの演技をするのだ。


 力を入れ過ぎないように、刃が滑らないように、左手を前に出さないようにすれば、大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、大樹は中嶋先生の検閲をどうにかやり過ごした。


 ホッと一息ついたのも束の間、


「網瀬君!」


 怒号が耳を劈き、大樹は危うく指を切るところだった。


「まぁた彫刻刀を忘れてきたんですか! 三回目は貸さないって言いましたよね。いい加減にしないと親御さんに連絡しますからね! わかりましたか!」

「……」

「網瀬君、聞こえてますか!」


 うるせえな。聞いてないんだよ、そいつ。何言っても無駄なんだから黙れ。反射的に苦情を言いたくなる気持ちを抑え、大樹は素知らぬ顔で作業を続けた。


 心良は忘れ物が多い。教科書やノートは宿題の有無に関わらず学校に置きっ放しにしているようだが(それもそれでどうかとは思うが)、体操服やリコーダー、習字道具等、使う時に持ってくる必要のあるものは頻繁に忘れてくる。


 正直、同じクラスにいる弟が教えてやればいいのにと若干思わないこともない。


 大樹は左斜め前の席に座っている網瀬あみせ玲矢れいやの背中にちらりと目を向けた。兄が今まさに怒鳴られているというのに、玲矢は気にしている素振りを見せない。こういうのは日常茶飯事だから、毎回気にしていたらキリがないというのはあるだろうけど。


 四月の入学式、クラス名簿の一番上に同じ苗字の生徒が二人並んでいるのを見た時はまあまあ驚いた。さほど珍しいものでもないのかもしれないが、大樹が双子を見るのはこれが初めてだったのだ。双子というからにはそっくりで、仲も良いのだろう、という偏見と共に苗字を覚えた。


 だが、現実は大樹の想像とかなり違っていた。確かによく見ると瓜二つではあるが、それ以外の共通点は全くない。身長すら玲矢の方が高い。おまけに際立って仲が良いということもなく、むしろ互いが互いを避けているようにさえ見えた。持ち前の快活さと性格の良さであっという間にクラスの中心になった玲矢は、奏斗たちとつるんでいることがほとんどだ。心良はいつも、ひとりぼっち。


 仲があまり良くないのであれば、同じクラスにいるのは気まずいだろう。


 まあ、中嶋の言葉を借りるのも癪だが、忘れ物は自己責任ということで。大樹は自分のレリーフ板に視線を戻し、手元に置いていた彫刻刀のケースから丸刀を取り出そうとした。


「はっ?」


 ない。つい数秒前までケースの中に収まっていたはずなのに。

 机の上、中を見て、もしや落としたのかと床を見渡したが、やはり見つからない。


(……まさか)


 隣の列に向かっていった中嶋先生に気づかれないように、大樹は静かに後ろを見た。


「て、てめえ……」


 驚愕で声が震えた。


 澄ました顔の網瀬心良が当たり前のように手に握っているのは、どう見ても大樹の丸刀だ。持ち手の部分が木製になっている古いタイプの彫刻刀を使っているのは大樹だけだから間違いない。


 玲矢の方に目を逸らしていた数秒の間に盗られたのだと気づいてぞっとした。本当に、ケースを見るまで気づかなかった。手を伸ばされた気配すら感じなかった。


 どれだけ手癖が悪いのか。盗難事件の犯人が心良というのは本当だったのかもしれない。


 心良は大樹の丸刀で平然とレリーフ板を彫っていた。いや、平然としているのは本人の態度であって、手つきは実に危なっかしい。あれほど中嶋先生に注意されたというのに、刃の前に左手を置いているし、手に力が入り過ぎている。ガッ、ガッ、と木の削れる音が更に大樹の不安を煽った。


 このままでは遠からず怪我をするに違いない。大樹は机をぺしぺし叩いて「おい、網瀬」と小声で呼びかけた。


「それ、切れ味悪いから。危ないやつだからさ、他の人から借りろよ。オレだってないと困るし」


 心良は手を止めた。一瞬だけ大樹の顔を映す、前髪で隠れがちな大きな瞳。


「……」


 また、無視だ。大樹のことなど目に入らなかったという体で、心良は作業を再開した。


「あ、あのなぁ……」


 もう一度顔を覗き込んで言い聞かせようとした時、


「わっ」

「きゃあっ!」


 近くで悲鳴が上がった。

 生徒の目が、声の方向へまばらに吸い寄せられていく。

 声の発信源を特定する前に、手のひらから零れる赤い血が目に入った。


「あ、ああああ、あみ、あみ、あみせくん、ごめんなさい……っ!」

「少し切っただけだよ」


 玲矢と、その隣の丸眼鏡の女子生徒だ。床には彫刻刀が転がっている。


「何をしたんですか!」


 呼んでもいないのにスタスタとやって来た中嶋先生が、二人の間に入って彫刻刀を拾った。頬に手を当ててわざとらしく「まっ」なんて言いやがる。


「あんなに言いましたのに、こんな不注意を!」

「ごっ、ごめんなさい、わたしが悪いんです、あのあの、わたしが落としたのを、網瀬くんが拾ってくれようとして……そ、それで、わたしが鈍くさいから、受け取り損ねちゃって、あの……」


 どうやら、玲矢が拾った彫刻刀を女子生徒に渡そうとしたところ、双方のタイミングがずれて取り落とし、玲矢の手をざっくり切ってしまったらしい。玲矢は切った方の左手を右手で押さえている。手の隙間から血がぽたぽたと零れて床を濡らしているのを見るに、出血量はそれなりのようだった。


 真っ赤な顔で慌てふためいて縮こまる女子生徒と、大仰に怒鳴り散らす中嶋を見ていると、勘弁してやれよという気持ちになってくる。見ているだけで可哀想だ。というか、教師なら怪我の程度を確認するのが先だろう。


「すみません、俺のせいです」


 清廉な声が、場を貫いた。


「手柴さんは、怪我なかった?」

「え? あ、うん……平気」

「それなら良かった。取り落としたのは俺の方だから、気にしないで」


 玲矢がにこりと笑うと、女子生徒は目元の涙を拭って「う、うん……」と小さく頷いた。


「どっちでもいいから、早く保健室に行ってきなさい」

「はい。ありがとうございます」


 玲矢はてきぱきと机の上の彫刻刀や教科書を整理し、椅子から立ち上がる。きちんとしている奴は怪我をした時の対応までスマートだな、とか思いながら玲矢の動作を他人事のように眺めていると、前の席の堂馬どうまたまきが「ねえ」と大樹の方を向いた。


「あんた保健委員でしょ。一緒に行ってやったら」

「は? ああ……」


 そういえばそうだった。四月の係決めの際、不幸にもじゃんけんで負けてしまった大樹は、委員会への出席数が多い割に仕事も特に楽しくない保健委員に押し付けられてしまっていたのだった。最近何もしていないから完璧に忘れていた。

 環の発言を聞いていた中嶋先生が、「ついていってあげなさい」と言いたげな目で大樹を見た。


「はいはい、わかりましたよ」


 大樹はあっさり立ち上がった。面倒ではあるが、授業を僅かでもサボれるのはラッキーだ。


 ケースの中に自分の彫刻刀を仕舞っていた時だった。


 喉の底で唸るような、それでいてどこか切なげな響きを伴った声がした。


「……え?」


 深い意味もなく振り返った大樹の前を、目の冴えるような赤が過る。

 なんだこれ、と思う暇もなく、人間のものとは思えない唸り声が再び大樹の耳に入ってきた。


「ううううう」


 両目を固くぎゅっと瞑って、手負いの獣のように弱々しい唸り声を上げながら。

 網瀬心良は、右手で握りしめた彫刻刀を、自らの左の手のひらに深々と刺していた。

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