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閉塞学級  作者: 成春リラ
3章 夏と救いとお月さま
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21話 猫と願いとラムネいろ④

 ぼくは思いついたんだ。うららくんを壊す、最初の一歩を。

 一回しか試せないし、成功するかどうかはわからなかった。ぼくの思い通りに進んだとしても、ぼくの願った通りにはならないかもしれなかった。

 だけど、ぼくはうららくんのことを信じているから、夏休みの最後の計画を実行しようと決めたんだ。

 うららくんは台所から雑巾を取ってきて、黙って床の水を拭いていた。ぼくはうららくんの隣にしゃがんで、ひとまず「おそうじしてくれてありがとう」と言った。何も知らないうららくんは、にこにこと機嫌よく笑った。


「ぜんぜんいいよ。お水、こぼしちゃったの?」

「うん、そうそう、こぼしちゃったの」


 ぼくはてきとうに答えて、早速計画通りに話し始めた。まよちゃんが家に戻ってくる前に終わらせないといけなかった。


「ところで、うららくん」

「ん?」

「うららくんは、ぼくたちって同じだと思う?」


 床を拭いていたうららくんの手が止まった。


「……え、えと、もちろん。ぼくたち、二人で一人、でしょ?」


 うららくんの声は、ほんの少し震えていた。いつもなら迷わず「もちろん!」と答えるのに。昨日の夜、ぼくが見ていない間にまよちゃんが何か言ったのかもしれない。


「じゃあ、ぼくにできてうららくんにできないことはないよね?」

「……え」


 うららくんは頬っぺたをひくひくさせた。今まで一度も言われなかったことだから、困っているんだろう。当たり前だ。ぼくは今まで一度もうららくんに、「うららくんとぼくの違うところ」について話さなかった。

 雑巾を置いて、うららくんはきょときょとと周りを見た。悩んでいる時のうららくんのくせだ。


「金魚すくいは……ぼくの方がへたっぴだったね」


 ぼくはおかしくて笑った。


「そんなこと気にしなくていいよ。そうじゃなくて、えっとね。だれでもかんたんにできることで、ぼくにもできて、うららくんにできないことはないよねってこと」


 なんだかまわりくどい言い方になってしまったけど、うららくんにはちゃんと伝わったようだ。うららくんは自分に言い聞かせるように何度かうなずいて、「……うん、うん。できる!」と元気よく答えた。


「じゃあね、うららくん、ぼくのおねがいを聞いてくれる?」

「れいやくんのおねがい?」


 お願いを聞いてほしいとか、ぼくは滅多に言わないから、うららくんはつい嬉しくなっちゃったみたい。わかりやすく目をきらきらさせて、胸を拳でぽんと叩いた。


「いいよ! なんでも!」

「ほんとに? なんでもいいの?」

「ぼくに任せて! れいやくんのおねがいなら、なんでもおっけー!」

「それじゃあね」

「うん?」

「まよちゃんを階段から突き落としてほしいの」


「…………えっ?」


 反応があるまで、たっぷり十秒はかかった。

 ぼくはいつものうららくんみたいににこにこ笑っているのに、うららくんは口を半分だけ開いて見事に固まっている。これじゃあ本当に、どっちがうららくんかわからない。


「……えっと、も、もういっかい言って」

「まよちゃんを、階段から、突き落としてほしいの」


 さっきよりもゆっくりと、一つずつを区切ってぼくは言った。

「えっと」とか「あの」とか「その」とか意味のない言葉を吐き出してから、うららくんは「なんで?」と小さな声で言った。うん、それが正しい。


「ぼくがうららくんにそうしてほしいから。だめ?」

「だっ……めじゃ、ないけど」


 ぼくの勢いに押されたうららくんは、はっとなって「いや、だめだよ!」と声を張り上げた。


「な、なに言ってるの? れいやくん、どうしちゃったの。そんなのだめだよ」


 うららくんは真面目半分、焦り半分の目でぼくの肩を両手でつかんだ。


「れいやくんは、まよちゃんのことが嫌いなの……? なんで、そんなことしたいと思ったの?」


 まよちゃんのことは嫌いじゃない。だけど、好きでもない。まよちゃんのことを気になっていたのは、ぼくの考えをわかってくれるかもしれなかったからだ。今は違うとわかったので、もうまよちゃんに用はない。

 だから、ぼくはうららくんにこう言った。


「嫌いって、なに? 好きって、どういうこと?」


 質問に質問を返されて、うららくんはびくっとなった。しばらく難しそうな顔で考えて、うららくんは答えた。


「好き、は……ずっといっしょにいたい、で、嫌いはそのはんたい?」

「そっかあ」


 それならぼくの答えは決まっている。


「じゃ、ぼくはまよちゃんのことが嫌いかもねえ」


 うららくんがつらそうに目を伏せたから、ぼくは付け加えた。


「うららくんのことも」


 その瞬間、うららくんはガバッと顔を上げて、目を大きく大きく開いた。ぼくはお腹を抱えて笑い出してしまわないようにするので精一杯だった。


「な、なっ、なななな、なんで!? なんっ、で」


 ぼくの肩をぐらぐら揺さぶった後、うららくんは突然がっくりとうなだれて、「なんでそんなこと言うの……」と力が抜けてしまったような声になった。うららくんはバカだから、詰め込まれ過ぎるとこうなるのだ。


「嫌いなんて、言わないでよぅ……」


 うららくんはぐすぐすと泣き始めた。あと一押しだ、とぼくは思った。


「まよちゃんを突き落としてくれたら、もう言わないよ」

「それは……だめだよ。まよちゃん、しんじゃうよ」

「ぼくならできるよ。うららくんには、できない?」

「……」


 黙ってうなずいたうららくんの頭をよしよしと撫でて、最後の一言をぶつける。


「ぼくにできることがうららくんにできないなら、ぼくとうららくんは『違う』ね」


 うららくんの泣き声が止まった。元々小さかった息の音もしなくなった。

 ぼくは待った。どれくらい待ったかは知らないけど、多分六年分待った。

 ぼくが立ち上がると、うららくんの手がぼくの肩からするりと落ちた。


「……どこ行くの?」


 うららくんの細い声。


「まよちゃん、パジャマのまま出ていっちゃったから、ここまで戻ってくると思うんだ。で、うちの近くに歩道橋あるよね? あそこでまよちゃんを待つつもり」


 うららくんの頭の上から、優しく優しく声を浴びせる。


「ぼくがやるよ。うららくんがしないなら」


 リビングのドアに向かって歩くぼくのズボンの裾を、座ったままのうららくんがつまんだ。

 わりと早かったなあと思いながら、ぼくはうららくんの頭を見つめた。うららくんは今、どんな顔をしているんだろう。


「……待っ、て」




 三つ上の段で、ぼくは初めから終わりまでを眺めていた。

 三つ下の段で、うららくんは膝から崩れ落ちそうになったので、ぼくは慌てて階段を駆け下りて体を支えた。

 うららくんは、生まれたてのヤギみたいにがくがく震えている。うららくんの顎を持ち上げて、ぼくはうららくんの顔を見た

 ぼくの背中の真ん中が、びりびりとしびれるのがわかった。

 やった! 成功だ!

 嬉しくて叫び出しそうになるのを押さえて、ぼくは「大丈夫?」と言った。

 うららくんは、別人のように真っ白な顔だった。いつも輝いている目は真っ暗で、おもちみたいな頬っぺたは涙でべちゃべちゃになっている。ぼくはうららくんのことをよく知っているからわかるけど、うららくんはこんな風な顔をしない。泣いている時だって、こんな全部を諦めてしまったような顔にはならない。

 思っていたよりずっとすごいことになった。

 ぼくは階段の下のまよちゃんを見下ろした。なんだか足が変な方向に曲がっているし、口からは血がいっぱい溢れている。こっちは猫や金魚と同じ実験台だったけど、もうどうでもよくなってしまった。やっぱりぼくは、まよちゃんのことが全然好きじゃなかったみたい。

 ぼくが初めて壊したものは、うららくんの笑った顔だった。

 ぼくはうららくんを壊しきることなく、壊し始めることに成功したんだ。


「うっ……うう……」


 うららくんがまた泣き始めたので、ぼくはそっとうららくんを抱きしめた。


「ありがとう。ありがとう、うららくん! 大好き!」

「うぇえ、れいやくん、ううぅ……」


 ぼくの肩でぼろぼろになって泣くうららくんは、ぼくと同じ体なのに、ぼくよりずっと小さく感じた。

 その時ぼくはわかった。きっとこれが、「大切にしたい」「大事にしたい」って気持ちなんだって。

 真似をし続けて、ずっと「壊したい」と願い続けてきたぼくのうららくんは、一度壊してしまえば、こんなに小さかった。

 大切にしなきゃ。大事にしなきゃ。


「うららくんは大丈夫だよ。ぼくだけが、ずーっとずーっと、そばにいるよ」


 ぼくは嘘をついた。ずっと一緒なんて無理だ。うららくんのことはいつか、ぼくがかんぺきに壊してしまうから。

 できれば、その日は来ないでほしい。だからぼくは、少しずつ壊そうと思う。パズルのピースを一枚ずつ外していくように、ゆっくり壊そう。




 甘い飴玉は、味がしなくなるまでしゃぶりつくそう。

 ぼろぼろのサンドバックは、中身が出るまで殴ろう。

 ()()()の身体と感情と理性と思考と人生と未来は――()が、跡形もなくなるまで壊そう!


 壊したい、と僕は考える。

 だけどたったひとつだけ、きっと誰にも壊せないものがある。

 兄さんと僕の絆だ。




「おーい、玲矢、どうしたんだ?」

「……あれ、奏斗?」


 奏斗が自分の机の前にいることに、玲矢はしばらく気づいていなかった。


「なんか珍しくぼーっとしてたから。何かあった?」

「ううん、何でもないよ」


 二学期の始業式も終わり、玲矢たち一年C組の生徒は、教室で騒がしくもおとなしく日野先生を待っていた。ほとんどの生徒が教室に揃っている辺りに、C組らしさが表れている。

 散らばった文房具をペンケースの中に片付けて、玲矢は話題を振った。


「それよりさ、俺、りょうちゃんから聞いたんだけど、C組に転校生が来るんだって」

「え、男子? 女子?」

「それは聞いてない。どっちだと思う?」


 にやりとした玲矢に、奏斗もニヤニヤ笑いを返す。


「オレ、男子の方に給食のプリンを賭ける」

「それなら俺は女子」

「お前、ホントにりょうちゃんから聞いてないんだよな?」

「聞いてないって」


 けらけら笑って互いに小突き合ったあと、玲矢はふと、窓の外を眺めるような目つきになった。C組の教室から見える澄んだ青空には、雲一つない。


「もしかしたら、その女子は、すごく髪が長いかもしれない」

「はあ?」

「物静かで、あと、顔は可愛い」

「……玲矢、やっぱり何か聞いてねえ?」


 奏斗は不信感を露わにし、玲矢に顔を近づけた。


「プリンがかかってるんだぜ。ズルはいけないなあ」

「ただの勘だよ。何なら、今から確かめに行こうか」


 玲矢は席を立った。一旦教室の出口を向いてから、再び振り返る。


「でも、今日は不思議と、俺の勘が当たる気がするんだよね」




 僕が操り、願いをかけるのは、六年前の夏の記憶。

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