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閉塞学級  作者: 成春リラ
3章 夏と救いとお月さま
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13話 盆と金魚としゃぼんだま③

 たこ焼きに焼きそば、おまけにわたあめをぺろりと平らげてご満悦の双子が次に狙いを定めたのは遊びの屋台だった。

 夏祭りの定番は食べ物だけではない。射的、ヨーヨー釣り、金魚すくい、くじ引きなどなど。一般的なものはおそらく大体揃っていた。


「ぼく、金魚すくいがしたいなぁ」


 心良くんは唇に人差し指を当てて、おねだりをするように言った。


「二人のおばあさんの家、水槽あるの?」

「ある。こないだ物置のおそうじしてたときに見つけてた」

「うららくん、あの時から金魚かいたいって言ってたよね」


 うん、と照れくさそうに微笑む。


「でもはじめてだから、ちゃんとできるかな」

「ここの屋台の人、三回までさせてくれるし、失敗しても一匹は絶対くれるよ」


 私も去年は全然上手くいかなくて、結局黒い金魚を譲ってもらったのだ。あの薄っぺらい紙でどうやって水の中の金魚をすくえばいいのか、今でも全然わからない。どうやらコツのようなものがあるらしい。


「へえー、やったことあるんだ」

「うん。去年の夏祭りで」

「だれと来たの?」


 ――私は一瞬、言葉に詰まった。


(……大丈夫)


 心良くんの発言に深い意味はない。私は心を落ち着けてから答えた。


「お母さん」

「そっかぁ」


 心良くんはすぐに興味を失ったようで、それ以上訊いてはこなかった。玲矢くんからも特に反応はない。どうもこの兄弟は、「母親」という存在に対する関心が妙に薄いような気がする。二人の方から兄弟のお母さんについての話を聞くことは滅多にない。

 私にとっては、その方が好都合ではあった。


「おばさーん、ぼくとれいやくんで、一回ずつさせて」

「どっちからする?」

「じゃあ、ぼくから」


 当たり前のように玲矢くんもすることになっている。金魚の屋台にいた恰幅の良いおばさんは、お金を受け取って二人にポイと器を渡し、にこにこと人好きのする笑顔を見せた。

 ――去年と同じ人だった。


「双子ちゃんなのかい? かわいいね。ここ広いから、二人一緒にやって大丈夫だよ」

「おばさん、ぼくたち男の子だから双子ちゃんじゃなくて双子くんだよ」

「そうか、それはすまないね」



『はい、これが一人分のポイ』

『ありがとうございます。お母さん、残りの二つは持ってて』



「よぉし、たくさん取るぞぉ」


 心良くんは甚平の袖を肩の上まで上げて、右手にポイを構えた。玲矢くんも同じようにするのかと思えば、プラスチック容器の中を縦横無尽に泳ぎ回る金魚を黙って目で追っている。


「ほっ! とりゃっ!」


 早々にポイを水の中に突っ込んだ心良くんは、変な掛け声を上げて金魚をすくいあげようとした。一番大きくて真っ赤な金魚がお目当てのようだ。

 だけど、無策にポイを振り回しているだけではすぐに破れてしまう。


「ああっ」


 心良くんの一つ目のポイも、三回ほど水にさらしたところで破れた。すぐに二つ目、三つ目とポイを持ち替えて挑戦していたが、一回目と同じようにやって上手くいくはずもなかった。



『ああっ』

『あっはっは、お嬢ちゃんはへたっぴだねえ。一匹譲ってやるから、来年もまたおいで』



 金魚すくいのおばさんは豪快に笑った。


「あっはっは、坊やはへたっぴだねえ。一匹譲ってやるから、来年もまたおいで」

「むぅ……」


 適当に袋に入れられた小さな赤い金魚を受け取って、心良くんは不本意そうに唇を尖らせた。

 玲矢くんはと言うと、まだ金魚を眺めている。どの金魚を狙うか決めかねているのだろうか。

 おばさんは玲矢くんを急かすように「そろそろ挑戦したら?」と言った。


「あ、うん」


 玲矢くんはなんとも気の無さそうな返事をしたものの、ポイを構えた途端、真剣な眼差しになった。


「……」


 鋭い視線を水面に投げかける玲矢くんはプロの金魚すくい師(そんなものがあるのかは知らない)みたいで、私も心良くんも固唾を呑んで見守った。

 しかし、玲矢くんはポイで水をすくうと、そのまま動かなくなった。

 ほどなくしてポイは破れた。

 気まずい沈黙。


「……れ、れいやくん?」


 心良くんもこれには驚いたようだ。「やぶれる前に金魚をすくわないと、だめだよ?」

 すると、玲矢くんは「あー」と納得顔で次のようにのたまったのだ。


「これ、やぶっちゃだめなんだね」


 心良くんとおばさんの間に笑いが巻き起こった。


「もー、金魚すくいなんだから、ポイがやぶれたらだめだよぅ」

「こりゃこっちの坊ちゃんもだめそうだねえ」


 ゲラゲラ笑う二人の横で、私は「もしかして玲矢くんは馬鹿なのでは?」と不安になった。

 きっと玲矢くんは顔を赤らめて「知らなかったんだもん」と恥ずかしがると思った。ところが、玲矢くんは二人の声が聞こえていないかのような素振りで次のポイを持ち、再び厳しい目つきになった。

 玲矢くんの視線の先には、泳いでいる金魚の中で一番大きな黒い金魚がいた。あれをポイに乗せようとしたら丸い枠からはみ出してしまうだろう。さっきまでポイの用途もよくわかっていなかったのに、なんてチャレンジャーなんだ。

 まだ私か心良くんが代わりにやった方がいいんじゃないかなと喉まで出かかったその時――玲矢くんが動いた。


「……えいっ!」


 黒い金魚が容器の角に来たタイミングで玲矢くんはポイを斜めに入れ、素早くすくいあげた。

 ぱしゃん、と水音がして金魚の尾びれがポイを叩く音が聞こえた。


「え」

「おおー!」


 何が起こったのか、わからなかった。

 気づいた時には器の中にあの一番大きい金魚が入っており、玲矢くんは満足げに額の汗を手の甲で拭っていたのだ。


「え? なっ、ええ」

「……ほう、これはこれは」


 私とおばさんは唖然としてしまってそれ以上言葉が出なかったが、心良くんだけは「やったー! れいやくんさっすがー! かっこいいー!」と大興奮で玲矢くんの首に抱きついていた。

 その後も玲矢くんは赤い金魚を捕まえ、結局二匹の金魚を手に入れた。


「玲矢くん、すごいね。本当に金魚すくいやったことないの?」

「んー……あっちの大きいやつもいけると思ったんだけど……」


 私の声かけに応じず、玲矢くんは一人で反省会を開いている。私や心良くんと比べたら上々の結果なのに、玲矢くんは不満そうだった。


「やっぱり、一回ぜんぶぬらしてからの方がいいのかな……」


 ぶつぶつと独り言を言う玲矢くんの代わりに袋を受け取って、心良くんは通りがかりの人に誇らしそうに見せつけていた。


「みてみてー! これ、ぼくたちがとったの! すごいでしょ!」

「心良くんのは貰ったものでしょう」


 私が苦笑すると、心良くんは曇りのない瞳で「ぼくたち、二人で一人だし」と胸を張った。


「またそれ?」

「だってぇ、ほんとなんだもん」


 おばさんは心良くんと玲矢くんのポイを片付けていたが、ふと私の方を見て話しかけてきた。


「お嬢ちゃん、去年も来てたよね?」

「……あ、はい」

「可愛い子だから覚えてたんだよ。その浴衣、似合ってるね」


 覚えられていたことと浴衣を褒められたことが重なってパニックになり、私は俯いて小さな声で「あ、ありがとうございます……」と答えた。

「今年はお友達と一緒なんだ」と嬉しそうに言った後、おばさんは私たちの後ろを見て不可解な面持ちになった。


「あれ、お母さんはどこにいるんだい?」


 思考がフリーズした。


「…………ぁ」


 首元を嫌な汗が一筋流れていった。

 何か答えなきゃと思って口を開けるも、頭の中が真っ白になって何も思い浮かばない。私は袋の中を泳ぐ金魚のように口をぱくぱくさせた。


「お母さん、は」



『これくらいの年頃が可愛いよねえ』

『お母さん、この金魚おうちで飼っていいんだよね?』


『祭りはまだ見ていくの?』

『はい。まだ食べてないものがあるので』



「ママはね、来てないの」


 心良くんの声でハッと現実に戻された。


「子どもだけで来たのかい」

「ううん、おばあちゃんも来てるよ。今はいないけど、帰る時に探せばいっかなあって」

「そうか、忘れて帰っちゃわないように気を付けるんだよ」

「はあい」


 心良くんは元気良く返事をすると、まだ考察を続けている玲矢くんの手を引いて立ち上がり「おばさんばいばーい」と歩き出した。私も後を追いかける。


「れいやくん、金魚ゲットできてよかったね」

「うん。おうち帰ったら水槽に入れようね」

「れいやくんは、もっとほしかったの?」

「うーん……まあ、うららくんのと合わせて三匹いればいっかぁ」


 私は二人の後ろから「あの」と声をかけた。


「心良くん、さっきはありがとう」


 くるりと振り返った心良くんは、いつもと変わらず屈託なく笑っていた。


「何のこと?」


 その表情だけでは、心良くんは私が困っていることに気づいて助けてくれたのか、本当に何もわかっていないのか判断できなかった。


「何でもないよ」


 私もいつもと同じように微笑んだ。

 さっきだけじゃない。心良くんにはいつも、いつだって言いたい。

「ありがとう」って。私と一緒にいてくれることに。

 こんな私にも、笑いかけてくれることに。





 暗くなってきた頃、盆踊りが始まった。屋台の照明と提灯の光があるので、歩くのには困らない。

 この辺りでは広い方とは言え所詮田舎の夏祭り。ゆっくり回っていたのに、盆踊りの頃には一通り屋台を見終えていた。途中でおばあさんとも再会した。

 おばあさんに買ってもらったりんご飴を舐めながら、四人で盆踊りを眺めた。

「まよちゃん、入らなくていいの?」と心良くん。


「私は、ああいうのはちょっと」


 ここから見える範囲にも学校の同級生がいる。今まですれ違っても声をかけられなかったものの、関わりたくはなかった。そうでなくても皆で同じ踊りをするのは好きではない。

 私はやっぱり、皆に囲まれたやぐらの上に登ってみたかった。

 心良くんはだよねえ、と笑った。「まよちゃんはすきじゃなさそう」


「う……そういう二人はいいの?」

「れいやくんどうする?」

「うーん、ぼくはいいや」


 玲矢くんは冷めた目で答えた。二人とも賑やかなのは好きだろうと思っていたが、盆踊りにはさほど興味がないようだった。単に疲れたのかもしれない。


「それよりぼく、やっぱりさっきの射的やってみたいなあ」

「まだ時間あるし、行ってみる?」

「いくー!」


 話しながら歩いていたら、

(……うわ)

 とうとう雅さんを見つけてしまった。運の悪いことに巴さんまでいる。


「もうっ、お母さんはついてこないでよ」

「お友達が見つかるまで一緒にいてもいいじゃない」


 雅さんも巴さんも普通の服を着ていた。バタバタと速足で歩きながら辺りを落ち着きなく見回している。

 まずい。雅さんだけならともかく、巴さんに見つかったら絶対声をかけられる。今だけなら顔を隠すだけでやり過ごせるだろうが、広場を歩き回っていればまた遭遇してしまうに違いない。


(二人で来るなら、そう言ってくれればいいのに!)


 心良くんと玲矢くんに「なにしてるの?」「まよちゃんへんなのー」と言われながら巴さんたちに背を向けて右往左往していると、屋台の看板が目に入った。


(こ、これだ!)


 私たちの前にあったのは、お面を売っている屋台だった。

 アニメキャラクターと思しきお面が四列に渡って並べられているが、なにぶんアニメを全く見ないため首から下が頭に浮かぶものは一つも見当たらない。

 巴さんたちから顔を隠せれば何でもいいのだが、種類が多いだけに決めきれずにいると、玲矢くんが二列目の端っこを指差した。


「あ、仮面ライダーだ」


 私は玲矢くんの指し示す方向をよく確認せずに言った。「それ、ください!」

 お面屋のおじいさんは見るからに訝しんでいる。


「そっちの男の子じゃなくて、あんたがそれを買うの? 男児用だよ?」

「何でもいいんです、早く!」

「はい、五百円」

「ごひゃっ……」


 想像以上に高額だったが躊躇している暇はなかった。私がお面を受け取って顔に装着したのと巴さんたちが通り過ぎていったのはほとんど同時だった。二人には気づかれなかったようだ。


「……はあああ」


 気づかれなかった安堵と五百円を無駄にしてしまった悲しみから、腰が抜けてその場にへたり込んだ。


「ねえねえ、まよちゃん仮面ライダー気になるの?」

「おばあちゃんちのテレビに入ってるよ。あしたいっしょに見る?」

「ぼくもお面ほしいなあ」

「まよちゃんが付けてるのはねえ、主人公じゃないんだけど」

「ねえー、まよちゃーん、聞いてる?」


 五百円ショックで二人の呼びかけに生返事をしている間に、仮面ライダーを三人で視聴する約束を取り付けられてしまった。お面を上にずらして口だけ出した状態でりんご飴を舐めていたら、その様子が大層滑稽だったようでお腹を抱えて笑われた。





 最後の一曲が終わって、会場のあちこちから歓声が上がった。手を盛大に叩く人、飲み物を高く掲げる人、踊りの円からぱらぱらと離れていく、たくさんの人。


「あれ、おしまい?」


 心良くんがやぐらの方を見て言った。


「うん。もうすぐ放送が流れるから、そしたらお終い」


 既に帰り始めている人も多かった。一応片付けまでは少し時間があるのだが、盆踊りが終わったら実質祭りも終わったようなものだ。おばあさんも入り口に向かって歩いている。


「そっかあ。楽しかったね」

「楽しかった! いっぱいあそんだし、いっぱいたべたね」

「れいやくんはなにがいちばん楽しかった?」

「んー、ラムネ?」


 玲矢くんは左手のラムネ瓶を大事そうに見せてきた。


「それ、捨てなかったの?」

「うん。おもしろかったから、帰って絵日記にかくの」

「なるほど」


 頷いて、私は「心良くんは?」と訊いた。


「ぼく? ぼくは……」


 何かを言いかけた心良くんが、その時「あ」と視線を反対方向に向けた。

 そこからの心良くんの行動は異様なほど早かった。金魚とヨーヨーをおばあさんに渡すと、私の手を引いて一目散に走り出したのだ。


「えっ、心良くんっ、なに?」


 わけもわからず手を引かれるままに走っていると、反動でお面が額の上にずれた。心良くんの後ろ姿が視界いっぱいに見えた。

 心良くんは半分だけ振り向き、にこっとあどけなく笑った。


(……どうして、心良くんは)


 いつでもこんな風に、天使みたいに笑えるのだろう。

 どうして、私なんかに微笑んでくれるんだろう。

 どうして、心良くんの笑顔にここまで惹かれるんだろう。

 どうして、どうして、どうして、


 どうして、提灯に照らされた心良くんの横顔を見ていると、心臓を潰されそうなほど苦しく、涙が出そうなほど切ない気持ちになるのだろう。


「おにいさーん! ちょっといいですかあ」


 心良くんの向かった先は広場の真ん中にあるやぐらだった。

 やぐらの階段の下では、肩に白いタオルをかけた強面のお兄さんがやぐらを見上げて立っていた。多分青年団の人だ。心良くんはお兄さんのTシャツの裾を掴み、甘えるように言った。


「ぼくたち、上にのぼってみたいなあ」

「う、心良くん!?」


 いきなり何を言い出すんだ。そんなのだめに決まってる。


「え? 駄目だよ駄目。チビは早く帰りな」


 案の定お兄さんは鬱陶しそうに手であしらったが、心良くんは引き下がらなかった。


「チビじゃないもん、うららだもん。ちょっとだけだからお願いぃ」

「駄目っつってんだろ、今太鼓の片付けしてんだから邪魔だ」

「じゃまじゃないよ、はしっこで見るから。チビだからじゃまじゃないよ」

「チビなら早く帰れって、もう遅いから」

「チビじゃないって言ったじゃん」

「どっちなんだよ!」

「ねえー、ぼくのヨーヨーあげるからさぁ」

「いらねえ」

「上げてくれないと大きな声で泣くよ」

「おまっ……チビのくせにどこでそういうの覚えたんだ」

「おとなばっかりやぐらにのぼってズルい」

「やぐらはそんな楽しいところじゃねえって」

「………」

「急に黙るな! 目を潤ませるな!」


 お兄さんは頭をガシガシ掻いて「だーっ! わかった! わかったから泣くな!」と観念したように言った。


「落ちるんじゃねえぞ、怒鳴られるのは俺なんだからな」

「はあい、だいじょぶでーす」


 私は目をしばたたかせた。なんと、お兄さんの方が先に折れたのだ。

 心良くんを抱え上げて階段の上に乗せた後、お兄さんは私の方を見た。


「あんたも乗るのか?」

「……はい、行きます、登ります!」


 私はあたふたと答えた。踏み場の不安定さにヒヤヒヤしながら、階段を一段ずつ上がっていく。

 登り終えた所には、下からも見えたあの大きな太鼓があって、数人の大人が片付けの準備をしていた。


「まよちゃーん、こっちこっち」


 心良くんに小声で手招きされる。邪魔にならないように忍び足で移動し、同じく小声で話しかけた。


「よくあそこまでグイグイいけるね……」

「うん、お願いしたらきいてくれそうだったから」

「私、お兄さんがいつタオル振り回して怒らないか心配だった」

「あはは、それおもしろいね」


 心良くんは少し遠い目になって、「おはなししてくれる人はやさしい人だよ」と言った。


「……?」

「ねえ、そんなことより下見てみようよ」


 心良くんはやぐらの端から顔が出るように背伸びをした。私もそれに倣う。


「わあっ」


 上を見れば、夜の闇。

 隣を見れば、一列になって広がっていく提灯。

 そして下を見れば、無数の人!

 人だけじゃない。やぐらを中心に円状に並ぶ屋台の屋根も、入り口の門も。広場の外の薬局までちらりと見える。


「すごい……」


 私はごくりと喉を鳴らした。

 ここからだと、人の流れがよくわかった。皆ぞろぞろと門に向かって歩いている。


「皆、みんなちっちゃいなあ」


 人差し指と親指を広げて収まるほど一人一人が小さかった。赤ちゃんからおじいさんおばあさんまで、誰もかれもが。

 人って、こんなに小さかったんだ。


「すごいねえ、高いねえ」


 心良くんも満足そうに身を乗り出している。


「あの……心良くん」


 私は心良くんの甚平を摘まんで引っ張った。


「なんで、私がやぐらの上に登りたがってるってわかったの?」


 金魚すくいの時はどうだったのか知らないが、今回ばかりは意図的にやったとしか思えなかった。心良くん本人はやぐらにそこまで興味がなさそうに見えたのに、妙にお兄さんに対してしつこかった。自分が行きたかったのではなく、登りたいと言い出せない私の為にやってくれたのだ。

 だって心良くんは、玲矢くんではなく私の手を引いた。

 なんだかくすぐったいような気持ちで顔を見れないけれど、心良くんは多分、相変わらずにこにこしていた。


「まよちゃん、何回も見てたから」

「ばれてたの?」

「ばればれだよー」


 くすくす、と密やかな声。


「でも、これじゃだめかな?」

「……何が?」

「うそのような、ほんとうの話」


 私は思わず、バッと勢いよく心良くんを見た。「覚えてたの!?」

 図書館に行った日の約束だ。正直私も半分忘れかけていた。


「おぼえてたよぉ。いつも考えてたんだ」


 心良くんも私の方を見た。私の目を見て、言った。


「どう? ほんとうになったでしょ?」

「そう、だね……」


 信じられなかった。関心の移り変わりが激しい心良くんのことだから、その日のことはその日の内に忘れていると思っていた。図書館に行ったのはもう二週間ぐらい前だ。その間、心良くんはずっと約束のことを覚えていた。

 嬉しいというより先に、ただただ夢みたいだと思った。

 私は前を向いて、もう一度下の人々を見た。

 門をくぐった人たちは、ばらばらになって歩いていた。その先はこの高さからは見えない。それぞれの家に帰っていくのだろう。

 皆帰っていく。

 夏の終わりに向かって、一歩ずつ歩いていく。

 私は――。


「……まだ、かなあ」

「え?」

「まだ、足りないかも」


 精一杯の意地を、心良くんへの言葉に乗せた。


「だって、心良くんたちは南の島に行って、飛行機に乗ったんでしょ? それくらいあり得ない話じゃないと、『嘘のよう』とは言えないよ」


 ええーっと心良くんがあからさまに残念そうな大声を上げたので、周りの大人に一斉に振り向かれてしまった。


「あんたたち、そこで何してるんだ」

「子どもは来ちゃいけないよ、早く降りなさい」

「えーっ、まってよ、下のおにいさんがいいって言ってくれたのにぃ」


 しれっと責任をなすりつけようとする心良くんの抵抗もむなしく、私たちはあっという間につまみ出されてしまった。


「ああもう、あとちょっとは見たかったなあ」

「ほんとにね」

「あ! うららくん!」


 やぐらの下には、お兄さんと両手を掴んで押し合いしている玲矢くんがいた。


「れいやくん、何してるの?」


 心良くんの声で玲矢くんがぱっと手を離したので、お兄さんは前のめりになって転びかけた。


「もー、ぼくものぼらせてって言ったのに、おにいさんが許してくれなかったんだよ」

「お前そんな穏当な感じじゃなかっただろ」


 疲れ切った顔のお兄さんからどんなやりとりがあったのか察せられた。本当にもう色々とごめんなさい大体私のせいですと謝った。心の中で。


「……で、やっぱりだめなの?」と心良くんは耳元で内緒話をするみたいに訊いてきた。

「だめです」


 私はふふっと笑って、人差し指でばってんを作った。心良くんはがっくりとうなだれた。


「あああ、また考え直しかあ」

「約束、ちゃんと守ってね?」

「ねー、うららくん、上でなに話してたのー?」


 玲矢くんに抱きつかれた心良くんから飛び退いて、私は二人がじゃれつくのを少し離れたところから見守った。

 ちょっと意地悪だったかな、と反省する。

 でも、ああ言わないといけない気がした。

 心良くんは夏休みの間に本当にすると約束してくれた。嘘のような話を、現実にしてくれると。

 例えば――例えばの話、心良くんの見せる景色を否定し続けたら、夏は終わらないのだろうか。

 約束が永遠に果たされなかったら、夏休みはずっと続くんだろうか。

 だったら、心良くんには申し訳ないけれど、私は毎回同じことを言わなければならない。

 無駄だとわかってはいても。


「ほんとうに、終わらなければいいのに」


 誰にも聞こえないように私は呟いた。

 花火の上がらない夜空を見上げて、散らばった星を数える。


 心良くんが帰ってしまう日まで、二週間と少し。

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