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閉塞学級  作者: 成春リラ
3章 夏と救いとお月さま
13/88

12話 盆と金魚としゃぼんだま②

 八月に入って少し経つ頃には、自転車に乗るのがすっかり上手くなっていた。

 最初は角を曲がろうとするだけでよろけていたのに、もうそんなこともない。毎日遊びにいく心良くんたちの家に至っては、目を瞑ってでも行けるのではないかと思うほど、道順が体に染み込んでいた。

 時々同じ年頃の子どもを道中で見かけると、まだ補助輪を使っていたりする。私はその度にふふんと鼻を鳴らしてちょっとした優越感に浸った。

 今はまだ二人の家に行くぐらいだけど、あと少し体力がついたら図書館へも自転車で行けるようになるかもしれない。図書館は長い坂の上の方にあるし、車でもそこそこ時間がかかるから、すぐには無理だろうけど。

 いつもの通り道にある横断歩道で信号待ちをしていると、電柱に貼ってあるチラシに目が吸い寄せられた。


「……そっか」


 もうそんな時期か。





 お昼ご飯を食べる時にその話をしようとしたら、二人に先を越されてしまった。


「そういえばまよちゃん、知ってる?」

「もうすぐ夏祭りがあるんだって!」


 どんぴしゃなタイミングだったのでむせそうになった。急いで麦茶を飲んで落ち着かせてから、「うん、知ってる」と返す。


「夏祭りって、あれだよね! ぴかーん! どーん! ってやつ」

「ごろごろってして光るやつ」

「……もしかして花火のこと?」


 その擬音は多分雷だ。

 二人は何か著しく間違ったイメージを抱いているような気がする。夏祭りに行ったことがないのだろう。


「残念だけど、花火は上がらないよ」


 だから私も、本物の打ち上げ花火を見たことはない。どんなものかは知っている。図書館で偶々借りた「日本の風景」という写真集に載っていたのだ。夜空に上がる色彩豊かな光は、写真越しにも観客の熱気が伝わってくるほど美しかった。

 しかし、この田舎町の夏祭り程度ではそんな豪華なものは見られないのが悲しい現状である。


「ええーっ」

「そんなぁ」

「あっ、でもね、楽しいよ」


 二人があからさまにがっかりした顔になったので、私はフォローを入れた。


「さっき来る途中に貼ってあったチラシにも書いてあったんだけど、毎年広場の真ん中にやぐらを組んで、その周りで盆踊りを踊るんだ。浴衣の人がいっぱいいて、皆きれいだよ。あと、出店に食べるものもたくさんあるし」

「食べもの?」

「たとえば?」

「んーっと、わたあめ、りんご飴、かき氷、焼きそば、たこ焼き、いか焼き……あ、焼き鳥とかもあったかな」


 私が指折り数えながら言う毎に、心良くんと玲矢くんはどんどん目を大きく見開いていった。


「ぜんぶ食べたい!」

「ぜんぶ食べよう!」

「広場ってどこにあるの?」


 私は広場の周りの様子を思い起こした。「薬局の前……だから、この前行った公園よりもう少し向こう側。歩いて二十分ぐらい、だと思う」


「けっこうとおいね」

「夏祭りって、夜だよね? おばあちゃんいっしょに行ってくれるかなあ」

「……ほんとだ」


 二人に言われて気づく。夏祭りに行けるかどうかすら怪しくなってきた。お祭りが終わるのは夜遅くだし、広場は私の住む家と反対方向にあるので、そこから家まで帰るとなると自転車でもかなり時間がかかってしまう。今まで夜道を自転車で走ったことがないのでちょっと怖い。そもそも、門限を大幅に超えることを巴さんが許してくれるだろうか。


「ぼく、おばあちゃんに訊いてくるね」


 とてとて走っていった玲矢くんは、五分後に帰ってきた。


「いっしょに行ってくれるって。あとね」


 玲矢くんの提案は、にわかには信じられないものだった。


「まよちゃん、おとまりする?」





「……というわけなんですけど」

「うーん、夏祭り、ねえ」


 巴さんはカレンダーをちらりと見て、困り眉で言った。

 私が夏祭りとお泊りの話を切り出したのは、夕食の時だった。敏行さんは残業で帰りが遅くなっていたので、食卓には私と巴さんと雅さんがいた。ご飯を全部食べ終わってから、私は丁寧にお願いした。


「あの、どうしても行きたいんです。お手伝いでも何でもするので、行かせてください」

「そうねー……」


 巴さんは頬に手を当ててしばらく悩んだ後、一つずつ確認してきた。


「その……心良くんと玲矢くんのおばあちゃん? は、良いって言ってるのね」

「はい。おばあさんの方から泊まるといいよって言ってくれました」

「夏祭りの日も、いつも通り朝から行くのね」

「そのつもりです」

「屋台で食べ物を買ったりするお金はあるの?」

「お年玉の残りがあります」

「お泊りの準備、一人でできる?」

「もちろんです」


 そこからまた少し考えて、巴さんは「それなら大丈夫ね」と言った。

 やったぁ!

 私は心の中で万歳をした。頭を下げてお礼を言おうとしたら、私の隣でテーブルを叩く音がした。

 この人は何で怒るとすぐテーブルを叩くのだろう。雅さんは青筋を立てて巴さんを睨み付けている。機嫌が悪いのは普段通りだが、顔が真っ赤になるほどいきり立っているのはそうあることではない。

 私が夏祭りに行くことの何が問題なのだろう。


「何も大丈夫じゃない」


 雅さんは低く唸るような声を出した。すぐに怒鳴り散らす雅さんにしては珍しくて、私はつと目を見張った。


「お母さんって、ほんと真夜に甘いよね」


 どういう意味だろう、と単純に疑問に思った。巴さんや敏行さんにお世話になっていることは事実だが、雅さんより高待遇を受けた覚えはない。というか普通に雅さんの方が甘やかされていると感じる。

 巴さんも雅さんを宥めるように言った。


「そんなことないじゃない。雅ちゃんだって、お友達と夏祭り行くでしょう? 真夜ちゃんだけ行っちゃいけないのはおかしいわ」


 私は思わず巴さんの顔を見た。巴さんがこんなに私の肩を持つのは珍しい。いつもお茶を濁して雅さんのご機嫌取りをするだけで終わるのに。

 今日は二人ともどうしてしまったんだ。

 雅さんは唇を噛みしめて、何かを言おうとしたのか一度口を開いたが、結局何も言わずに部屋を出ていった。私のことは一瞥もしなかった。ドアを閉じるバン! という音がダイニングに響いた。


「行っていいんですよね?」


 心配になって訊いてみると、巴さんは苦笑して「いいの。気にしないで」と言った。


「夏祭り、楽しんできてね」

「……はい」


 巴さんの微笑は相変わらず茫漠としていて真意が読めなかったが、とりあえずお泊りに行くことは許されたようだ。





 さて、当然のことだが、誰かの家にお泊りに行くのは初めてだった。今まで友達らしい友達がいなかったのだから何ら不思議ではないが、そうなるとちょっと困ることがあった。

 どんなバッグで、何を持っていけばいいのかわからないのだ。


 私はその日の夜、クローゼットに入っているバッグを全て引っ張り出した。全てとは言っても、保育園の遠足に行った時に使ったリュックサックと、いつから持っているのかわからない大きなボストンバッグしかなかったのだが。その二つの横にいつものトートを並べる。

 まず、中に入れるものを決めてから鞄を決めるべきだろう。私はタンスの前に立膝をついた。


(えっと、心良くんたちの家に一日泊まるんだから、鞄に入れる服は一着でいい……んだよね?)


 夏祭りはお泊りの一日目なので、夏祭りに着ていく服は鞄に入れずに横に置いておかないといけない。鞄に入れるのは二日目の服だけでいい。

 でも、ついでだから一日目の服も選んでおこう。夏祭りでは人混みの中を歩き回るのだから、動きにくい服は良くない。巴さんに勧められるようなひらひらしたスカートは絶対ダメ。靴もいつものサンダルではなくて、スニーカーとかの方がいいかも。

 私はボトムスが入っている引き出しを開けて、デニムのショートパンツを取り出した。今の今まで存在を忘れていた代物だ。不安になるほど脚を露出するので何回かしか着ていなかったのだが、せっかくの夏祭りだし、偶にはいいだろう。

 上にはお気に入りのTシャツを選んだ。白地に大小のひまわりが刺繍してあってかわいいのだ。ズボンと合わせてみたが、なかなか合っていると思う。


(……ほんとに?)


 私は服を持って階段を駆け下り、洗面台の前で合わせてみた。

 鏡の中の少女は普段と特に変わらなかった。

 ……少なくとも、変ではないと思いたい。

 もう一度部屋に戻り、今度は二日目の服を選ぶ。こちらはすんなり決まった。ポロシャツとスカート。それに下着や靴下を加えて、一旦右に避けた。


 服の準備はできた。あと要るのは、生活に必要なものだ。

 歯ブラシ、歯磨き粉、髪を梳かすブラシ、バスタオル、フェイスタオル、パジャマ……。

 その内のいくつかは二人の家にもあるかもしれない。でも、やっぱり無かったら大変なので持っていける限りは持っていくことにした。一階と二階を行ったり来たりして、私は必要なものを集めた。


 あれこれ考えていたらどんどん荷物が増えて、私の小さなリュックには到底収まりきらなくなった。

 それならこっちのボストンにしようかと一瞬思ったが、すぐに頭の中で却下された。考えてみれば、二人の家へは普段と同じように自転車で行くのだ。こんなに大きな鞄は前カゴにも入らない。

 仕方なく、持っていくものを減らした。細かいものはポーチにまとめて、服はできるだけ小さく畳んで、重箱にお惣菜を詰めるように荷物をリュックの中に入れた。リュックはパンパンになってしまったが、ファスナーは閉まったので大丈夫だ。

 お祭りに持っていく鞄はいつものトートにしよう。お財布があれば十分だ。


 一通り準備を終える頃には、階段を上り下りしすぎたせいですっかり体が火照っていた。

「あー、疲れた」と声を上げて床に大の字になる。

 お泊りの準備をするのがこんなに大変とは思わなかった。一泊二日でこれなんだから、三泊とか四泊とかする時はもっと大変なのだろう。


「お泊り……」


 本で得た情報を元にしながら想像を巡らせてみる。お泊りと言えば、枕投げがセオリーだ。布団を敷き詰めた部屋の端から端までを使って枕投げをするのが王道なのだ。修学旅行が舞台の小説には大体そう書いてあった。

 枕投げが終わったら、皆で身を寄せあって布団で横になる。電気が消えてもずっとお喋りをして、見回りの先生がやってきたら寝たふりをする。今回は修学旅行ではないので、来るのは見回りの先生ではなくて二人のおばあさんなのだが。

 夢をぽわぽわ膨らませていたらますます顔が熱くなってきた。これはきっと興奮のせいだ。


(そっか……私、わくわくしてるんだ)


 両腕と両脚を目一杯伸ばすと、わくわくが全身に行き渡っていくような感じがした。

 二人と遊ぶのはいつものことなのに、夏祭りでお泊りというだけでわくわくが二倍にも三倍にもなった。

 私は期待に胸を高鳴らせながら、その後もしばらく床をごろごろ転がっていた。


 お風呂に入る時にタオルが無いことに気づき、ついでに夏祭りが来週であることにも気づき、しぶしぶ荷物を解いたのはそれから一時間後のことである。





 夏祭り当日、私は準備したリュックを背負って普段より早く心良くんたちの家に到着した。いや、祭りは夕方から始まるので早く来る必要は全くなかったのだが、居ても立っても居られなかった。

 玄関のチャイムを押すと、家の中から「あいてるよー」という声が聞こえてきた。

 双子の家はいつも玄関の戸の鍵が開いていて、来る度にひやひやさせられる。どうやらおばあさんが鍵を掛け忘れるらしい。二人もそれに気づいていながら掛けようとしない。危ないよと言ってみたことはあるが、ピンときていないようだった。


「危ないって、なんで?」

「変な人が勝手に入ってくるかもしれないし」

「へんな人って?」

「……」


 どうしようもないので私が掛けている。

 今日も私は「お邪魔します」と家に入って自分で鍵を閉めた。

 廊下に兄弟やおばあさんの姿は見えなかった。が、家の奥の方から和気藹々とした話し声がしているのがわかった。いつも皆がいるリビングの方ではないようだ。

 手持ち無沙汰で廊下をうろうろしていると、右側の部屋のドアが開いた。


「まよちゃん、おはよー!」

「今日ははやいねー」

「おはよ……って、二人とも、それ」


 部屋から飛び出してきた双子は、なんと甚平を着ていたのだ。

 二人は廊下に並んで同じ方向にくるっと回り、「えっへへー」と緩んだ顔で笑った。


「どうどう? にあう?」

「まだ朝だけど、待ちきれなくてきちゃったのぉ」


 心良くんは灰色の、玲矢くんは黒の甚平を着ていた。私は見慣れない姿の二人に驚いたせいで、「い、いいと思う、すごく。似合ってるよ」としどろもどろになってしまった。


「そんなの持ってきてたの?」

「ちがうよー、あのね、れいやくんのはパパがちっちゃい頃にきてたやつで、ぼくのはおじいちゃんがきてたやつをおばあちゃんが作り直してくれたの」


 よほど嬉しいのか心良くんは早口で説明した。タンスの奥に甚平が眠っていることをおばあさんが思い出して、昨日の夜仕立ててくれたそうだ。心良くんの甚平は玲矢くんのそれと見分けがつかない。古着をリメイクしたものには見えなかった。


「おまつりって、こういうのきるんでしょ?」

「いつもはこんな服きないから、どきどきするねえ」

「あとでくつも履いてみよう」

「げた? って言うんだっけ」


 はしゃいでいる二人を目を細めて眺めていたら、玲矢くんが少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。


「うらやましくなっちゃった?」

「……ん。そうかも」


 私は浴衣を持っていない。去年の夏祭りも、浴衣姿のきれいな女の人に憧れるばかりで、自分がそうなれるとは思っていなかった。

 別に辛くはなかった。夏祭りとはそういうものだからだ。

 でも、今年は心良くんたちと同じように夏祭りを楽しみたいという気持ちがほんの少しあって。


「だよねー」

「そうだよね」


 心良くんと玲矢くんは腕組みをしてうんうんと頷いた。挙句、二人で顔を見合わせてにやにやし始めたので、私も流石に不審に思った。「な、なに?」


「そんなまよちゃんにぃ、」

「びっくにゅうすです!」

「おばあちゃん、かもん!」


 横文字なのになぜか平仮名っぽく聞こえる喋り方で、二人は仰々しく部屋の扉を開けた。

 部屋から出てきたおばあさんが、手に何かを持っている。差し出されたそれを受け取った私は思わず息を呑んだ。


「……あ」


 あまりの衝撃に、言葉も出なかった。

 おばあさんが持ってきたのはきちんと折り畳まれた紺の浴衣だった。

 白い縁取りがされた大きな赤と薄い青緑の花の模様で、空色の帯まで付いている。


「え……これ……えっ?」


 おたおたしながらも広げてみる。サイズは丁度私にぴったり。若干色落ちしているところはあるが、目立った汚れはなく綺麗だ。

 兄弟とおばあさんはにっこり笑っていた。


「あのねえ、パパのいもうとがきてたやつなんだって」

「まよちゃんにあげるって」


 玲矢くんの言葉を聞いて更に驚く。「貸してもらえるんじゃなくて、譲ってもらえるの?」

 おばあさんは心良くんに耳打ちをした。


「昔のだからふるくさいかもしれないけど、うちにあってもしょうがないし、まよちゃんがよかったらって」

「そんな」


 私は浴衣を掲げてうっとりと見惚れた。夜明け前の空みたいな色で、すごく私好みだ。プリントではなく染料で染められたお花にも心惹かれた。全然古臭くなんかない。今まで見たどの浴衣よりも素敵だ。

 一週間前に今日の服装を悩みながら決めたことは、あっという間にどうでもよくなった。


「私、これがいいです。この浴衣が着たいです!」


 自分の希望を強く主張したのは、この時が初めてだった。


「まよちゃんよかったね」

「これでおそろいだね」

「うん……! あの、本当に、ありがとうございます」


 心の底から礼を言うと、おばあさんは手を合わせて何かを言った。口の動きから察するに、おそらく「どういたしまして」だろう。


「じゃあ、まよちゃんもきる?」

「着る!」


 私が食い気味に答えたのがおかしかったのか、二人は愉快そうに声を上げて笑った。

 二人がこんな時間から着替えていた気持ちがわかった。





 会場に続く道には、町中の皆がいるのではないかと思うほどに人が溢れていた。向かう場所は全員同じだ。

 広い河川敷の横を、心良くんと玲矢くん、おばあさん、私の四人で歩く。

 歩く……はずが、双子は手を繋いでるんるんでスキップしていた。気づくと二人との差が広がってしまっているので、私は時々おばあさんの手を取って小走りにならないといけなかった。

 慣れない浴衣を着て、慣れない下駄を履いて走るのは大変だった。二人は何であんなに器用にスキップできるのだろう。話を聞いていると、二人が住む紅黄市はここよりは都会みたいなのに、彼らの方がよっぽど田舎育ちに見える。兄弟の運動神経が良いというより、私が駄目なんだなと反省した。

 私も休み時間に外で遊んだりするべきだろうか。でも、一体誰と?


「まよちゃーん! おばあちゃーん! はやくはやくぅ」

「お祭り、始まってるよ!」

「二人とも待ってよお」


 おばあさんと一緒に急いでいると、ひぐらしの鳴き声に混じってお祭りの音が聞こえてきた。

 初めは甲高い笛の旋律から。近づくにつれて感じるのは、太鼓の響きによる空気の震えと、祭りで浮かれた人々の気配だ。

 騒がしい場所は、いつもはあまり好きではない。でも夏祭りは別だ。

 私より更に小さな女の子たちが、黄色い声を上げながら私たちの横を駆け抜けていった。


「わたあめなくなっちゃうー!」

「いっそげー」


 鈴の音をしゃんしゃん鳴らして走っていく女の子たちは、皆カラフルな浴衣を着ていた。鮮やかなピンクや朱色の浴衣に髪飾り。

 女の子は皆ああいう派手なものが好きらしい。そういえば、去年の夏祭りも暖色系の華やかな浴衣を着ている人が多かった。

 周りを歩いている高校生ぐらいの人たちはもっと派手だ。どこかの美容院でしてもらったのか、明るい茶髪をやたらにくるんくるんにしている。私の髪はああはならないだろう。真っ直ぐな髪はパーマがかかりにくいそうだから。別にする気もなかったが。


 おばあさんが心配そうな顔で女の子たちの浴衣と私のを見比べているので、ここはきちんと伝えなければならないと思った。私は「あの」とおばあさんの袖を引っ張った。


「私この浴衣が一番好きです。本当です」


 物心ついた頃からずっと、紺や瑠璃色のものばかり欲しがってきた。限りなく黒に近い青が好きだった。

 その理由は、自分でもよく知っている。


「紺は、お母さんが好きな色なんですよ」


 おばあさんを見上げて、私は微笑んだ。





 会場の入り口には、去年と同じ手作り感漂う門があった。隣には「第八十七回花浜町夏祭り」と書かれた看板が鎮座している。

 心良くんたちはその側で頬を膨らませて待っていた。


「二人とも、おっそーい」

「待ちくたびれちゃった」

「はやくたべようよ!」

「わっ、ちょっと」


 心良くんに右手を、玲矢くんに左手を引っ張られて前につんのめる。人混みを掻き分けながら私たちは走り出した。

 おばあさんを置いてきてしまったことが気になったが、広場はそこまで広くないので歩き回っている内にまた会えるだろう。


 夏祭りは既に大賑わいだった。ヨーヨーやわたあめを持って走り回る子どもや、ビールを片手に談笑するおじさんたち。はっぴを着て忙しなく動いているのは青年団の人たちだ。

 会場には近所の大人や学校の同級生らしき人もいた。これからもっと増えるはずだ。あまり気づかれたくはないので、おばあさんに貸してもらったうちわで顔の下半分を隠した。


(あ……そういえば、雅さんも来てるんだった)


 出くわしてしまったら少しまずい。心良くんたちに姉妹や兄弟はいないと言っている手前、雅さんのことをどう説明したらいいのやら。向こうが知らないふりをしてくれるのを望むしかない。もっとも、雅さんのことだから心配はいらないかもしれないが。


 盆踊りはまだ始まっていなかった。今聞こえている太鼓の音は録音されたもののようだ。

 頭上では、ぽうっと橙色に光る提灯がゆらゆら揺れている。中央のやぐらを見上げると、数人の大人が集まって話し合いをしていた。子どもは登っちゃだめだと理解していたが、上から見える景色につい思いを馳せてしまう。


 私たちは入り口から一番近い屋台に辿り着いた。

 屋台は広場の端に、やぐらを囲むように並んでいた。ここから反対側にある屋台にも、大きな文字で売り物が書いてあるのが見える。お金はたくさんあるわけではないので、買うものは慎重に選ばなければならない。


「あっ、れいやくん見て見て! たこ焼きある!」

「じゃあ、ぼくは焼きそば買うから、はんぶんこしよ?」


 心良くんと玲矢くんはすっかり祭りの空気に溶け込んでいて、何を買うかあれこれと悩んでいる。


「ぼく、のどかわいちゃったなあ」

「とりあえず飲み物買う?」


 少し先に飲み物の屋台があった。

 私たちは屋台に近づき、氷水の入った水色の容器を覗き込んだ。何でもある。水、お茶、ジュース……。

 隅々まで見ていた玲矢くんが、容器の左端を指差した。


「おじさん、あれなに?」


 無精ひげを生やした屋台のおじさんはぶっきらぼうに答えた。「ラムネ」


「らむね? らむねってなに?」

「ラムネはラムネだよ」


 おじさんの声が苛立ちを帯びてきたので、私は慌てて「ラムネ三本ください」と言った。

 氷水に浸かっていただけあって、受け取ったラムネの瓶はキンキンに冷えていた。ずっしりと重い透明なガラス瓶の中で炭酸が弾けている。私は兄弟からお金を受け取り、瓶を一本ずつ渡した。


「しゅわしゅわしてる」

「このあわあわ、なに?」


 二人は物珍しそうにラムネの容器を見ている。


「……もしかして、炭酸飲んだことないの?」

「たんさん?」


 この様子だと、ラムネ瓶の開け方も知らないだろう。「ちょっと見ててね」と私は二人の前で実演してみせた。

 キャップシールを剥がして、キャップを玉押しとリングに分ける。玉押しをラムネの口に押し込むと、しゅわっという音ともにビー玉が瓶の中に落ちた。しばらく押さえて、泡が収まるのを待ってから手を離す。


「はい、開いた」

「おおー」

「ぼくもやってみる!」


 心良くんと玲矢くんは同じようにシールを剥がし、もたもたとリングを取り出した。二人が「うーん」と力みながらビー玉を落とした瞬間、ほとんど同時にラムネの口から泡が噴き出した。


「おっと」

「あわわわわ」


 玲矢くんは素早く手で押さえて事なきを得た。が、心良くんは気が動転したのか、噴き出た泡を結構零してしまった。「つめたぁい」と言って手をぺろぺろ舐める心良くんは子犬のようで、私はつい笑った。


「なに?」

「なんでもないよ。さ、飲もう」


 くぼんでいる所を下にして、そこにビー玉を引っかけるんだよと教えてから、三人で一緒にラムネを飲み始めた。

 案の定、二人はすぐにしかめっ面になってラムネの口を離した。


「んっ……なにこれぇ」

「なんかいたい……」


 瞼をぎゅっと閉じて開いたり、口を手で押さえたりしているのを見るに、二人はやっぱり初めて炭酸飲料を飲んだのだろう。反応が初々しい。


「しゅわしゅわするでしょう?」

「しゅわしゅわっていうか……」

「べろがばちばちする」

「喉がじゅわじゅわする」

「へんな感じ」


 文句を言いつつも二人はちびちびとラムネを飲んでいる。

 玲矢くんは眉根を寄せて顔の前にラムネ瓶をかざし「どうしてビー玉が入ってるの?」と言った。


「私もよく知らないけど……開ける前に炭酸が抜けないようにするためじゃないかな」

「ぬけるってどゆこと」

「ラムネとかコーラとか、そういう炭酸が入っている飲み物は、蓋を開けてしばらくするとしゅわしゅわがなくなるの。しゅわしゅわが瓶の口から外に逃げちゃう」


 瓶の表面を指でなぞって、私は説明した。


「こういうのはしゅわしゅわを楽しむ飲み物だから、なくなるとただの甘い水だよ」

「あまいみず」


 復唱し、更に質問してきた。


「じゃあ、ビー玉は取ってもいいの?」

「取り出すのは無理だと思う。一回瓶の中に落としたら、出てこないようになってるし」

「ふぅん」


 玲矢くんがつまらなそうに答えると、今度は心良くんが「はい、はい」と片手を挙げた。


「しゅわしゅわはどこにいっちゃったの?」

「どこって……く、空気?」

「でも、空気しゅわしゅわしてないよ」

「う……た、確かに」


 そんなの考えたこともなかった。別に私もラムネの専門家ではないので、ここまで問い詰められると答えられない。


「みんなでいっしょにラムネを飲んだら、空気もしゅわしゅわする?」

「どうだろう」

「あ! ぼく、テレビで見たことあるよ。しゅわしゅわしてるお風呂。あんな感じになるのかな」

「すごく、息がしにくくなりそうだね……」


 空気がしゅわしゅわするとはどういう感覚なのか。心良くんと頭を悩ませていたら、私たちの横をさっき来る途中で見かけた派手な高校生たちが、小ばかにしたように笑って通り過ぎていった。「かわいー」「ちっちゃーい」とか言いながら。

 私は無性に気恥ずかしくなり、「こ、この話終わりっ!」と会話を強引に断ち切った。


 それからはしばらくの間三人で黙々とラムネを飲んでいたが、半分を過ぎた辺りから二人は炭酸に慣れたようで、表情も和らいでいた。


「これ、あまい」

「しゅわしゅわ、おいしい、かも……」

「でしょ?」


 自分もラムネを飲みながら軽い調子で言ったら、二人にキッと睨み付けられた。


「先にしゅわしゅわするっていってよ」

「びっくりしたじゃん」


 ごめんねと謝りながらたこ焼きの屋台に連れていくと、二人はすぐに機嫌を直した。

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