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閉塞学級  作者: 成春リラ
3章 夏と救いとお月さま
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11話 盆と金魚としゃぼんだま①

 三人で額を合わせて、透明なプラスチックコップの中を覗き込んだ。


 太陽が傾きかけている一番暑い時間帯の庭で、私たちは一ヶ所に固まってしゃがんでいた。

 コップの中の液体は一見黄色っぽいけれど、見る角度を変えると七色に光る。風が吹くと震える液体の表面を、心良くんはハサミで十字に切ったストローの先でつんつん突いた。液体は普通の水とはちょっと違う変な揺れ方をした。洗剤を溶かしているから……だと思う。


「本当にこれでいいのかな」


 私は顔を上げて、横に置いてある本を手に取った。書いてある分量をきっちり測って作ったし、出来上がったものも写真のそれと変わらない。そこはかとなく不安なのは、心良くんたちの家に置いてあった材料を使っているからだ。パッケージにはよくわからない国の言語が書いてあって、本当にこれが洗濯のりや中性洗剤なのかわからない。


「やってみればわかるよ! 早くしようよぉ」


 心良くんは普段から好奇心で輝いている瞳をさらにきらきらさせて、ストローを握った手を空に向かって突き上げた。


「はぁい、じゃ、ぼくからやりまーす」


 ストローの口に心良くんの唇が触れるのを、私は心配半分期待半分に見つめた。





 話は二時間前に遡る。

 図書館から数冊持ち帰った自由研究の本を、私は二人の家で半日かけて隅々まで読んだ。本当は一冊目を読み始めた時点で大体目星をつけていたのだが、活字中毒の血が騒いでついうっかり無駄に読み込んでしまった。それでもやりたい実験は変わらなかった。もっと言うと、本を読む前からそれにはずっと興味があったのだ。

 お昼ご飯のミートソーススパゲティを食べ終わった後、私は早速二人にその話をした。


「しゃぼん玉?」

 と、玲矢くんは丁度読み終えたらしい本を閉じて言った。


「まるくてふよふよしてるやつ?」

「そうなんだけど、普通のしゃぼん玉じゃないの」


 私は力強く頷くと、自由研究の本を二人に見えるように広げた。心良くんが顔を近づけて、右側のページのタイトルを読んだ。


「われにくいしゃぼん玉……?」

「普通のしゃぼん玉は触ったら割れちゃうよね。でも、このしゃぼん玉は割れにくいんだって。手の上でぽんぽん跳ねるくらい」


 以前読んだ小説の主人公が、同じように夏休みの自由研究で作っていたのだ。ストローにゆっくりと息を吹き込んでできたしゃぼん玉を友達と交互に触っている描写が楽しげで、文章にどんどん引き込まれたのを覚えている。どうせ何をやっても構わないのなら、本の登場人物と同じことをやってみたい。実験の動機としても十分だ。

 心良くんと玲矢くんの目の中には星が瞬いていた。


「たのしそう!」

「やりたいやりたい!」


 双子はすっかりやる気満々で、材料が書いてある箇所を指でたどっている。


「二人も、自由研究の宿題あるの?」


 私が尋ねると、二人は互いに相手の顔を見た。


「れいやくんおぼえてる?」

「うららくんがおぼえてないなら、ぼくもおぼえてないよ」

「れいやくんもぼくもおぼえてないってことは」

「ないんじゃない?」


 あんまりな結論の出し方に私は呆れた。「ちゃんと調べた方がいいと思うよ」

 二人は学校の宿題が入った茶封筒を持ってきて、表に貼ってある紙を一緒に目で追い始めた。その紙が宿題の一覧であるようだ。横から覗き見ると、大体私の学校と同じようなことが書かれていた。ドリル、読書感想文、絵日記……。


「自由研究、あるね」

「あらら、ほんとだあ」

「あったんだぁ」


 二人は完全に他人事みたいに笑っている。この分だと読書感想文も書いていないかもしれない。私は知らなかったことにした。


「ああ、じゃあさ、まよちゃんと同じやつにしようよ」


 心良くんの提案に、玲矢くんは「それだそれだ」と同調した。


「ちがう学校だから同じでもばれないよね」

「ばれない!」

「二人とも同じのにするの?」


 私と双子の通う学校は違うが、双子は勿論同じだろう。全く同じ実験をやって提出したら、流石に怒られるのではないだろうか。

 心良くんと玲矢くんは頬にぴんと伸ばした人差し指を当てて、にひひとあざとく笑った。


「だってぼくたち」

「ふたりでひとりだし?」

「おんなじ紙にお名前ふたつ書いて出せばいいよね」

「ねーっ」

「……私が見つけた実験なのに」


 反応を見るつもりで少しだけ突き放したが、二人は悪びれもしない。私の左右にすり寄ってくると、聞いたこともないような猫なで声を出した。


「でも、まよちゃんだって、ぼくたちといっしょにやりたいでしょ?」

「だから持ってきたんでしょ? そうでしょ?」


 ……図星だった。

 こうもあっさり見破られたのが無性に悔しくて、私はしばらく口を開かなかった。でも、二人に嘘をついてもしょうがない。結局私は素直に答えた。できるだけ、真面目な顔で。


「そうだよ。だめ?」


 双子はしてやったりという顔になった。


「いいよ」

「いっしょにやったげる」

「ぼくたちにもしゃぼん玉、さわらせてね」


 心良くんと玲矢くんが肘で私の脇腹をえいっと小突いてくるので、私は真顔を作っているのが馬鹿らしくなって、つい相好を崩した。


「いいけど、ちゃんと手伝ってくれる?」

「もちろん!」





 プラスチックコップに水、洗濯のり、洗剤を入れて、割りばしでよくかき混ぜる。こうしてできたのが今回使うシャボン液だ。今まで一度も洗剤を扱ったことがないので、誤って吸い込んでしまわないかドキドキした。

 私は心良くんの一挙一動に固唾を呑んで注目した。

 心良くんがふう、と息を吹き込むと、ストローの先でしゃぼん玉が膨らんだ。私はすかさず軍手を付けた手を差し出し、しゃぼん玉の表面におそるおそる触れた。しゃぼん玉は割れることなく、私の指を跳ね返してぽよよんと震えた。

 どこからともなく感嘆のため息が零れた。


「すごーい!」

「本当に割れないね」

「まよちゃん、手にのせてみていい?」


 私は心良くんからしゃぼん玉を受け取った。落とさないようにそろそろと立ち上がり、そっと空へ放ってみたら、しゃぼん玉は小さなボールのように手のひらの上で跳ねた。心良くんは手をぱちぱちと叩いて「すごいすごい!」と興奮気味に声を上げた。


「なんでわれないんだろ?」

「んー……えっとね、ひょうめんちょうりょく……が、小さくなってるんだって」

「ふぅん、よくわかんないね」


 心良くんはあっさり投げ出した。正直に言うと、私も理解していない。一応言葉の意味は調べてみたが、どうしてそれが割れない理由になるのかはついぞわからなかった。実験のレポートにはそのまま書くしかなさそうだ。


「しゃぼん玉って、きれいだよねぇ。なないろで、ふわふわしてて、かわいいなあ」

「……」


 小動物を愛でるようなテンションの心良くんとは違い、玲矢くんは先ほどからぼんやりしている。しゃぼん玉にも反応を示さない。


「玲矢くんも、触ってみる?」

「……ふぁあ、うん」


 玲矢くんは目が覚めたばかりのような声を出して、しゃぼん玉をじっと見つめた。小さな人差し指がゆっくりとしゃぼん玉に近づいていく。

 玲矢くんの指が――指と言うか、爪が触れた瞬間、

 ぱちん

 と、軽い音を立ててしゃぼん玉は割れた。


「あ」

「ああー」


 私と心良くんの、間が抜けた落胆の声。

 玲矢くんは自分の人差し指を見つめて抑揚のない声でつぶやいた。


「われたね」

「……え、と」


 私は微かな戸惑いを覚えたが、心良くんは特に気にしなかったようで、おかしそうに笑いながら玲矢くんの背中をばしばし叩いた。


「もぉ、『われないしゃぼん玉』じゃなくて『われにくいしゃぼん玉』なんだから、つついたらわれるよ」


 玲矢くんは表情を明るくして「あはっ、そうだよね」と同じように笑い、横に置いてあったスケッチブックを手に取った。自由研究用として一緒に庭に持って来ていたものだ。きゅぽ、と音を鳴らして油性ペンの蓋を口で外した玲矢くんは、さらさらと文字を書き始めた。


「何書いて……って、えええ」


 玲矢くんはスケッチブックにでかでかと「われにくいしゃぼん玉はつっついたらわれました。」と書き込んでいた。私は慌ててスケッチブックの端を掴んだ。


「そんな書き方したら実験失敗みたいになるよ」

「でも、われたし」

「そうだけど、普通のしゃぼん玉よりは割れなかったじゃない」

「ふつうのしゃぼん玉は手にのせる前にわれちゃうねえ」


 心良くんも私に同意したのが気に食わなかったのか、玲矢くんはムッとした顔になった。腕を組んで少しの間黙り込み、やがて怒ったように言った。


「じゃあ、ふつうのしゃぼん玉もつかおうよ」

「どういうこと?」


 いまひとつ話が読めなくて訊き返すと、玲矢くんは「だからぁ」と声を荒げた。


「ふつうのしゃぼん玉も作って、どっちの方がわれないか見てみようって」

「……なるほど?」


 機嫌が悪そうなわりに良いアイデアが出てきた。確かに、割れないしゃぼん玉を作って観察するだけより、実際に普通のしゃぼん玉と比べてみた方がいい。……かもしれない。


「おおー! れいやくん、さすが!」

「そう? すごい?」


 煽てられた玲矢くんはコロッと機嫌を直した。


「じゃあぼく、おばあちゃんにしゃぼん玉ないかきいてくる!」


 心良くんはコップの中にストローを放り込むと、縁側から家の中に入っていった。おばあちゃーんと叫んでいるのが窓越しに聞こえた。

 残された玲矢くんは体育座りで所在無げに足元の草を弄っている。どう声をかけていいかわからなくて、私は玲矢くんの隣に無言でしゃがんだ。

 この弟、兄弟二人でいる時は饒舌なのに、心良くんがいなくなると急に無口になるのだ。私も口が立つ方ではないので、心良くんがトイレに行ったりして二人きりになると必然的に沈黙が訪れる。

 玲矢くんの私に対する反応は別に好意的というわけではないが、敵意を感じるほどでもない。

 多分、嫌われてはいないと思っていた。


 そうだ、自由研究をしないとと思い、私はしゃぼん玉を作って左の手のひらに乗せた。地面に置いた自分のスケッチブックを片手で開き、しゃぼん玉の絵をどうにかこうにか色鉛筆で描き始める。残念ながら写真を撮ることができるものは一つも持っていない。全部手書きだ。


「まよちゃんさあ」


 しゃぼん玉の輪郭を描いていると、玲矢くんの方が先に沈黙を破った。いつもは逆なので珍しい。


「われないしゃぼん玉とふつうのしゃぼん玉、どっちが好き?」

「ん……」


 私は色鉛筆を動かす手を止めた。意図が読めないので質問で返した。「しゃぼん玉って、どっちの方が好きとか、そういうものなの?」


 玲矢くんに答える気はないらしく、勝手に自分のことを話し始めた。


「ぼくはねえ、われないしゃぼん玉の方が好き」

「そうなんだ」


 軽く流そうとしたが、玲矢くんはいかにも理由を聞いてほしそうにこちらを見ている。仕方なく私は話に付き合うことにした。


「なんで?」


 玲矢くんはなぜか恥ずかしそうに頬を赤らめた。一旦膝の間に顔を埋めると、また私の方を向いた。

 ――次の瞬間、玲矢くんは唐突に指を突き出してきて、私の左手にあったしゃぼん玉を割った。

 今度は明らかに、割るつもりで割ったという感じだった。


「……」


 しゃぼん玉はまた作り直せばいいので別に怒っているわけではないが、玲矢くんがなぜそんなことをしたのかわからなくて、私は微妙な気持ちになった。

 玲矢くんは何食わぬ顔で私の描いている絵を指差した。


「あのね、われないしゃぼん玉はなかなかわれないでしょ」

「……そうだね」

「だから好き」

「ん、うん? ……うん」


 割れにくいところが割れにくいしゃぼん玉の良いところなんだから、それはそうだろう。

 もったいぶったにしては随分シンプルでありきたりな理由だった。


「ねえ、まよちゃんはどっちがすきなの」

「うーん、どっちかなぁ……」


 懲りずに尋ねてくる玲矢くんの好奇の目をのらりくらりと躱している間に、心良くんが戻ってきた。右手にはしゃぼん玉の容器と数本のストローがある。


「おまたせー! ふつうのしゃぼん玉あったよ! ……って、あれ?」


 心良くんは私たちの前に回り込み、怪訝な顔をした。


「れいやくんもまよちゃんも、何おはなししてたの?」


 しゃぼん玉がね、と言おうとしたら片手で制された。


「へへへ、ないしょ」

「ええーっ、きになるなあ」

「そんなことより、早くしゃぼん玉しよう」


 玲矢くんは立ち上がると、心良くんの肩を押して私から数メートル離れた。もう私には見向きもしない。

 どうやら心良くんには聞かせたくない話らしい。尚更意味がわからない。

 猫の死体の一件以来薄々感じていたが、玲矢くんはちょっとずつ隠し事をしているみたいだ。それも心良くんに。

 双子なのに、家族なのに、何を隠す必要があるのだろうか。

 胸の奥が妙にざわついた。


「れいやくん、いっくよぉ」


 ストローの先端をシャボン液につけて、心良くんはそっと息を吹き込んだ。


「……わあっ!」


 玲矢くんの歓声。ストローから次々に現れたしゃぼん玉は、青空へと舞い上がっていった。

 虹色に光って無秩序に漂う泡は、周りの木々や私たちを映した。


「くるくるー」

「わ、やめてようららくん、しゃぼん玉まみれになっちゃう」


 心良くんが旋回しながら四方八方にしゃぼん玉を飛ばすので、玲矢くんは正面からそれを食らっている。割れないしゃぼん玉の方が好きとか言っていたわりに、随分楽しそうだ。

 しゃぼん玉は絶え間なく生成され続けているが、消えていくのも速い。木に衝突したもの、別のしゃぼん玉とぶつかったもの、空中で力尽きたもの……。

 風に吹かれて私のところまで流れてきたしゃぼん玉に触れようとしたら、

「……ああ」

 それより早く地面に落ちて無くなった。


 しゃぼん玉とんだ

 屋根までとんだ

 屋根までとんで

 こわれてきえた


 玲矢くんが空を仰ぎながら透き通った声で歌っている。


「しゃぼん玉のうただ」

「保育園でならったよね」

「うん。……あれ、にばんってなんだっけ」


 心良くんの言葉に玲矢くんはくすっと笑って、もう一度大きく口を開いた。


 しゃぼん玉きえた

 とばずにきえた

 うまれてすぐに

 こわれてきえた


 風、風、ふくな

 しゃぼん玉とばそ


「そんなうただったっけ?」

「そんなうただったよ」

「ぼく、おぼえてなかったなあ」

「うららくんも保育園のときはいっしょにうたってたよ」

「そうだっけ」


 心良くんは玲矢くんと話しながらも、しゃぼん玉を飛ばすのをやめない。

 気づくと玲矢くんもストローを持っていて、二重になったしゃぼん玉たちが庭いっぱいに溢れていた。

 数えきれないほどのしゃぼん玉に囲まれた二人は、日差しの下で舞い踊る妖精のようだった。


「あはははは! しゃぼん玉、いっぱーい!」


 両腕を広げた心良くんが太陽に照らされて光を振りまくように笑っている。気分の高揚を抑えきれないのか、その場で飛び跳ねながら。

 生命力に溢れたその笑顔は、周りのしゃぼん玉に引き立てられてよりいっそう輝いて見えた。

 その時はたと気づいた。


(心良くんは、しゃぼん玉じゃないんだ)


 しゃぼん玉と違って心良くんの笑顔が消えることはない。

 ぶつかってもつつかれても、心良くんの笑顔は無くならない。

 手を伸ばせばいつでもそこにあるのだ。そのことを確認して私は安心した。

 心良くんが私の視線に気づいて手招きをした。


「まよちゃんもおいでー! しゃぼん玉楽しいよ!」

「……うん!」


 描きかけのスケッチブックを閉じて、私は心良くんたちに駆け寄っていった。

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