願わくはあなたの成長を
私はお姉ちゃんたちが大好きだ。
二人だけの姉妹で、いつもお姉ちゃんたちに支えられてきた。
私にとってお姉ちゃんは、助けてくれる人で、守ってくれるお母さんで、支えてくれるお姉ちゃんで、私のことを愛してくれる恋人でもある。
だから、ずっとお姉ちゃんの心配も、し続けてきた。
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「ただいま」
「あ、お帰り……なさい」
学校から帰ってきたムミお姉ちゃんは寡黙です。
無愛想な表情で、私を無視するみたいにまっすぐ自分の部屋に行って、だいたい一時間くらいずっとそのまま。
何度か覗いたことがあるけど、その間はずっとベッドで寝ている。そしたら雷に打たれたみたいに立ち上がって、晩御飯の準備。
この間で、お姉ちゃんはムミさんからアツミさんに変わっています。
変わると言っても、ロボットではありません。一人の人間、岸椛お姉ちゃんはたくさんの性格を持っているのです。
昔は料理を作ったり、励ましてくれる人はマリカさんでした。けれど彼女は一年くらい前から出て来なくなりました。
「っしゃ! 料理作るぞ楓!」
意気揚々と腕まくりして、強気な笑顔を示すお姉ちゃんは先ほどまでとは打って変わって元気いっぱいです。
食材は予め私が買っていたので、メニューがハンバーグだと理解さえできれば、とアツミさんはキッチンに向かいます。
けれど、アツミさんはあまり料理が上手ではないので、いつものことながら途中で退場します。
「ああ、お姉ちゃん、指、危ない」
「いやいや、こういうのは気合で……」
「切ったらどうするの」
結局は私がお姉ちゃんをどかして残りの作業をします。お姉ちゃんは居間に待たせて。
※※※
「いや~、楓は料理が上手だな~」
出来上がった夕食を平らげながら、アツミさんはそんなことをのんびり言いました。
「マリカさんは?」
「ああ……あいつはまぁ、いいじゃねえか。風呂は?」
「もう、亭主関白なんだから」
優しくて、料理が上手なマリカさんはどこへ行ったのでしょう。そんなことを考えながら、私はお風呂を沸かします。
「……じゃあ、お姉ちゃんは?」
「あいつの話はすんな」
いつも朗らかで強気なアツミさんは、その時だけ語気を強めました。言葉通り、話したくないようです。
私は、椛お姉ちゃんのことが好きだから……いえ、好きとか、そういう話ではなく、私にとってお姉ちゃんはもうただ一人の家族で、かけがえのない存在だからこそ、きちんとあってお話したり、色々考えているのですが、うまくいかないのです。
お姉ちゃんと最後に喋ったのは、一体何年前でしょうか……?
―――――――――――――――――
『マリカが逝って一年か。まだ楓は気にしてるみたいだけどよ』
『私達の母性だ、仕方ない。あの子はまだ中学生だ』
学校担当のムミは、そんな素っ気ない言葉を吐く。こいつのドライな態度はどうも気に入らねえ。
岸椛の中にいる私達は、楓のために生み出されたと言っても過言ではない。
それなのにムミは自分の担当が授業受けたり先生の話聞いたりだからなのか、少し楓に冷たすぎる。それでも椛の一部なのかってんだ。
『この調子じゃ、そもそも楓に私達が必要かどうか』
『いるに決まってるだろ。何のために私達がこんだけになったと思ってんだ』
バトル担当の私、怒られのヤミ、学校のムミ。まあ楓だけじゃなくて安全な生活を送るためでもあるが、私達はそれぞれの担当がある。
文字通りの一心同体、それぞれの業務をこなして岸椛と言う人間がなんとかやっていけているんだ。
けどムミは、素っ気なく吐き捨てた。
『私はもうほとんど楓と関りがないから。……私ももう逝くべきよ』
『おいおい』
意外にも悲観的なことを言うムミに驚かされた。
逝く、ってのは言葉通りだ。
私達は椛の体を使っていない間、表に出てない時はこんな夢うつつの空間でぼんやりしてるだけ。
出番が来なくなると、つまり逝く。死ぬ。たぶん本物の死を味わうことになる。
肉体は死なないし岸椛は生きていくことになるが、マリカだってもう心の中のどこにもいない。まさしく忘れ去られ、意思がなくなって、死ぬのだ。
そんなもん、誰だって普通避けたいだろ。
『お前がいなくなったら学校での勉強とか、そういうのどうすんだよ。あたしゃ無理だぞそんなの』
『ヤミがいるでしょ』
『あいつ勉強できんの?』
『さあ? あんたよりかはできるでしょ』
オドオドしてすみませんって謝るだけの、昔の親父やお袋、あと私が学校でしたことの尻拭いをするために生まれたやつ。
それ以下かよ、私は。
『怖くねえのかよ』
『怖くないわけ、ないでしょ』
『……えっ』
『そろそろ戻る』
目を覚ますと、椛の部屋で横になっていた。
ムミが何考えてるかはよくわかんねえけど、とりあえず風呂に入るに限る。
※ ※ ※
一年前、マリカが逝った時のことを思い出していた。
『もう楓ちゃんも中学生ね。うふふ』
マリカは母親担当……家事も碌にしねえあの暴力ババアどもの代わりに、楓の母親になってやるのがマリカの仕事だった。
掃除や料理は当然、心細い楓を抱きしめてやったり、泣いている時に胸を貸してやったり、楓を一番支えてやっていて……私達のリーダー格でもあった。
『私達の努力の賜物だな』
『はっはぁ! 頼むぜマリカ、ムミ! 私はいつも通りやる時はやるからよ!』
その時からムミの仕事は変わってねえが、私は主に楓に群がるいじめっ子を追い払ったり、もっと幼い頃はやりすぎた親とかいう婆や爺をぶん殴ったりする役目。
つっても楓が中学に入ったら、親も消えたし、馬鹿みてえな苛めもなくなったから出番はほとんどなかった。
だから、これからだった。大人しくして、私達は幸せになれる、と思った時だった。
『じゃあ……そろそろ私は消えようかしら』
『……あぁ?』
『いま、なんて?』
私もムミも動揺を隠せなかった。そりゃあ、マリカはリーダー格だったし。いなくなっちゃ困るだろ。
だけどあいつは容赦ない。
『あとはみんなに任せるわ~。これ以上私が出てもダメだもの』
『なんでだよ! せめて理由くらい……』
『ムミちゃんなら賢いからわかるんじゃない?』
そう言われたムミは気まずそうに押し黙っていた。マリカに反論しようともしなかったから、思い当たることはあったらしい。
でも私にはわからない。親っていうのは子供の成長が嬉しいものだ。楓の笑顔を、もっとたくさん見れるようになるのに。
『楓はこれからどうなんだよ……!』
『アツミちゃんが面倒を見たげて?』
そんな風にウインクされて――マリカはそれっきりだった。
私達の会合にも出ることは一切ない。
死んだ。
私は馬鹿だから細かいことは分からない。
なんでマリカもムミも、自分から消えようとするのか。
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『椛』
(…………ムミ)
我々を生み出した母は、その実、最も臆病で最も恐れに支配された人格だった。
一体、この女のどこから慈愛に溢れたマリカや暴力的なアツミが生まれたのか……、理解に苦しむけれど、それは本来の彼女の潜在能力ということだ。
私のように集中力もある、ヤミのように忍耐もある。今は恐れて隠れているだけで、本当は全てこなせるはずなのだ。
だからこそ。
『表に出ないのですか?』
(…………あなた達に、任せてるじゃない。私が出る幕なんて……もうない…………)
『世界が怖いですか?』
(分かってるでしょ)
私は呆れて溜息を吐いた。
昔は確かに両親の暴力など家庭環境があり、学校でもうまくいかなかった。それは地獄と呼んでも差し支えない。
同情する。彼女が我々を生み出したのは、それだけ彼女が追い詰められていたからだ。
だから私達は、椛と共に楓を育ててきた。悪者から守り、彼女の健やかな成長のために身を粉にして。いや心を分裂させて。
だが……このままでは我々が壊れる。
楓のために生まれた私達に自我が生まれたことは、間違いなのだ。
楓のために生まれた私達がいるせいで椛の精神が希薄になりつつある。
楓のために椛を失くしてしまってはいけない。
椛が死んでしまっては、意味がないのだ。
『母よ、お世話になりました。私はもう消えます』
(……えっなんで!? だめだよ! ムミがいないと学校の勉強が……!)
『私達は便利アイテムじゃありません。独り立ちしなくてはいけませんよ、貴女も、我々も』
そう、マリカがしたように。
『アツミにはよろしく言っておいてください。ヤミにも……生まれては消えた多くの同胞たちにも』
まだ椛は何か言っているようでしたが、私は聞かないことにした。
アツミもあれでちゃんとした子だから、きっと自分で気付く時が来るでしょう。
死は恐ろしい。自分の存在意義だってクソくらえだ。運命だの宿命だの、知ったことではない。
それでも、楓は、あの子は愛おしい。この体が、心が訴える。あの子のためならば、この命――。
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『たいへんだよアツミちゃん! ムミちゃんがいない!』
『……ああ? 何だってぇぇぇえええええええええ!?』
ヤミに叩き起こされて時計を見ると、時刻は既に九時。
遅刻どころじゃねえ。急いで不慣れな着替えや登校の準備をして、学校に着く頃には十時を過ぎていた。
※ ※ ※
ムミは消えた。
私に、何も言わずに。
「ねえねえ岸さん、宿題見せてよ」
「あぁ!? やってねーよんなもん!!」
「え、えぇ?」
ムミと全く違う私が学校係まで兼任することになって、よく分からないことばかりだ。
勉強している時のムミはたまに覗いていたけど、勉強の内容までは把握できていない。
「宿題やってないって……怒られるじゃん」
えーと、名前も覚えてないクラスメイトっぽいやつが言う。
「あぁ……そうか」
怒られるのはヤミの役目だ。知らん。
それよりも何故ムミは消えたんだ。なんでそんなことが選べるんだ。
私は嫌だぞ、消えるってことは分担して出来た今の係制度が壊れるってことだ。
そうなったら最後はどうなる?
椛が出てくることになる。それか椛が新しい奴を作り出すってことだ。
そんなんだったら、今のままでよかっただろ。
椛なんかに楓を任せられるわけがない。
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「あの、今日遅刻したんですね」
「あ……ああ、へへ、悪いな。楓、朝起こしてくれねえか?」
「ムミさんは?」
「いや、なんか、な」
アツミさんは歯切れ悪く口籠っていました。
どうも最近、お姉ちゃんの中で何か大変なことが起こっているような気がします。
お姉ちゃんは、……解離性同一性障害……? という複雑な病気なのだそうです。
それはとても不安定でたいへんなことなんですけど、無視して放っておいていい事ではないのです。
何年も一緒だったマリカお姉ちゃんやムミお姉ちゃんがいなくなってしまった、ということは、私にとっては大切なお姉ちゃんが減ってしまったことなのですから。
「あの……お姉ちゃんは?」
私がこう聞く時は椛お姉ちゃんのことです。だけどアツミさんは、あまり椛お姉ちゃんのことを快く思っていません。
「あいつの話はすんなって」
マリカさんやアツミさんと話すことはよくありましたが、その時にお姉ちゃんの中にいるほかの人の話をしたこともあります。
けど椛お姉ちゃんの話は全然してくれません。それが、私には心配です。
「アツミお姉ちゃん……勉強苦手って言ってましたけど、大丈夫?」
「ま、まぁなんとかするよ。うん、なんとか」
そんな風に、お姉ちゃんはまた口籠っていました。
※ ※ ※
お姉ちゃんはずっと私を守ってくれていました。
それは、ムミさんやアツミさんが生まれる前からのことです。
私が生まれてすぐの時なんかも、お風呂を嫌がる私を桶に入れてくれたりとか、やっと立ち上がれた私の手を取ってくれたりとか。
一番付き合いが長いのは、たぶん椛お姉ちゃんだったと思います。いつからみんなが生まれたかは、詳しく覚えていませんが。
だけど私は、お姉ちゃんが死んでしまっていないか、もう二度と出てこないのではないか、そんなことをたまに考えてしまうのです。
もし、もうお姉ちゃんと会えなかったら……。
そんな不安が、毎夜のようによぎるのです。
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何時くらいに寝てたっけ、なんてことを楓に聞こうとしただけだった。
生活リズムもムミの担当だし分からないことばかりだから、そう部屋を覗いた時。
「お姉ちゃん……」
楓の寝ている部屋で、そんな寝言を、涙ながらに、楓は言っていた。
「…………」
私達は楓のために生まれた。
楓が健やかに成長するために、椛に作られた。
――――私達で、楓は幸せなのか?
――――私達が何年、楓を支えてきたと思っているんだ。
楓のために。
ただ、私達は楓のために。
『……楓のために、死ぬ覚悟は』
楓のためならなんだってする。悪ガキだってババアだってぶん殴ってみせた。調子こいた小娘なんて服をびりびりに破いて道路に放り投げたことだってある。
あの子の笑顔のためなら何でもする。
だけど。
『なんで椛なんだよ……!』
椛は私達を作るだけだ。
確かにあいつも楓の心配をしている。けどそれだけ。
行動しているのは私達だ。椛なんかより、私達の方が楓のことが大好きなのに。
…………なのに、な。
『おい椛聞いてるか』
(……なに)
『楓にはテメェが必要なんだよ。いい加減出てこい』
(…………無理よ。もう私が子供だった頃と違う。勉強だって、私小学校の途中までしか受けてない。もう、高校二年生なんでしょ?)
『テメェのことなんざ知るか! 楓にはお前が必要だから必要なんだよ!』
なんでこいつには分かんねえのか。
私は椛の心配なんかしねぇ。こいつが勉強でどうなろうと、知ったこっちゃねえ。
学校でハブられればいいんだ。そんでトボトボ一人で家に帰れ。
そしたら、楓と一緒に居られる。
『……辛くなっても、テメェなら何とかなるよ。私も、マリカも、ムミも、ヤミも、全部元々はお前なんだから』
(…………嫌だ……怖いよ……)
『だけどよ、楓はそんな中で頑張ってんだぞ』
楓は、偉いよ。マリカがいなくなってから一年、ずっとそばで見てた。料理作る時なんて、私より凄いしな。
『いざとなったら私達がまた出てやるよ。少しだけ、お前の目で楓を見ろ』
(…………楓…………会いたい……)
『決まりだな』
ああ、腹が立つ。
腹が立つけどよ、やっぱ仕方ねえよな。
マリカもムミも、こういうことだって分かってたのかな。
※ ※ ※
「あの…………楓……その……おはよう」
「……誰?」
「えと……も……もみじ……です」
たどたどしい挨拶をされて、楓はしばらく目をパチクリ瞬かせた後、わっと泣き出して、椛に抱き着いた。
「おっ、お姉ちゃぁん!」
「わっ、わ……」
慌てて、戸惑って、どうしたらいいか分からない椛も、とりあえず楓をそっと抱きしめた。
それでいい。別に学校なんざサボったって問題ねえよ。少なくとも楓は賢いからな、お前と違って。
名残惜しい気持ちもあるが、後は楓の幸せのためだ。私らも消えるとするか。
『逝くぞ、ヤミ』
だがヤミは、言った。
『……やだ。やだ、やだよ。やだ。なんで? なんでなの? なんで私もなの!? 私まだ何にもしてない! 私怒られてしかない! みんなの分怒られてただけだよ!? 私だってみんなと遊んだりしたかった! 楓ちゃんと一緒にいたかった! どうして私もなの!? 私……私だって自由に……外に……!』
ヤミは、これまで耐えてきた分を全て吐き出さんばかりに、叫んでいる。
『私は! 私は奴隷じゃない!! 怒られるために生まれたの!? 私って何なの!? 私は……』
『ごめんな』
それは……でも……どうしようもねえよな……。
私が悪いことして、ヤミが怒られてたんだもんな。
『ごめんって! そんなので……! 私は……!』
『本当に悪かったよ……だけど、分かってくれよ、ヤミ』
『私は……私は……』
『分かるよな……』
ヤミの気持ちの奔流が私にも伝わる。
怒られ係のヤミが、自由にできることなんてなかった。
そういう、気の弱さとか、おとなしいところでできてたんだ。
『……私……私……楓ちゃんの役に立てたかなぁ……?』
『お前がいなけりゃ、私達みんな、椛も私も、ムミもマリカもダメだったよ』
そっと慰めて、私はもう消える心づもりでいた。
ヤミに強制はできなかった。もし彼女が残るつもりなら、それは今まで全て投げ出してきた椛への罰だ。
仮にヤミが消えても、椛が健常になるには長い時間がかかるだろう。
まあ……少しは苦労しろよな。できるって信じてるよ、椛は私達の母だから。
不思議と清々しい気持ちで、私は幼い二人の私を遺して消えた。
百合っぽくなくなっちゃったな~という感想があります。