ジャッキの向こう側
ショート作品です。
心が歓喜で浮かんでいる時、その隙間を突つくようにな悲劇に見舞われるのは俺の宿命らしい。
高校入試での合格発表に喜んでいた時は帰り道でバイクに轢かれて全治2週間の怪我を負った。
貯金をコツコツ貯めて買ったカッコいいジャケットはその日のうちに愛猫によってボロ雑巾と化した。
そして今日、大学で一目惚れし、勇気を振り絞ってデートに誘った千尋さんに退屈な時間を共有させてしまっている。
「ねぇ、やっぱり手伝うよ?」
「いえ!大丈夫です!千尋さんは休んでいてください」
ある程度予想をしていた悲劇。デートの目的地である水族館へと向かう山道で、愛車がパンクを起こしてしまった……今俺はお気に入りのシャツを汗だくにしながら重いタイヤを運んでいる。
慣れない作業に戸惑い、30分くらいで終わるであろうタイヤ交換にかれこれ1時間は労する体たらく……ひたすら情けない。
「……これで良し……」
レンチとナットとの格闘はこれで終わりだ。後はジャッキを回して浮かび上がらせた車体を元に戻せば完了!
……と、ある種の達成感に「浮かび上がった」自分。案の定ちょっとした不運に見舞われた。
「カラン! カラン!」
ジャッキを回すためのクランクをうっかり蹴り飛ばして車体の下にスライディングさせてしまったのだ。
「くそう!」
体を伏せて車体の下にねじ込むように手を差し入れた。
「あ……」
その時、俺は思わず声を漏らしてしまった。
車体の下から覗いた反対先に、同じく体を這いつくばらせて手を伸ばし入れる千尋さんの顔があったからだ。
俺達は数秒間視線を合わせたまま沈黙を作った……車の下から覗き込む千尋さんは、綺麗で長い黒髪が横から頬に垂れ掛かっていて、その姿に普段見せることの無い一面を垣間見た感じがした……
そんな俺の心を見透かしたように、千尋さんは少し意地悪な笑顔を作りながら、クランクを拾い上げ、車体下の隙間から姿を消した。
「はい、どうぞ」
千尋さんは身を起こした俺にクランクを手渡してくれた。
山道沿いに茂る緑黄樹の葉から溢れる光が千尋さんの背後から照らし、そのフォルムに鼓動を高鳴る。
「ありがとうございます……」
俺はクランクを受け取り、ゆっくりと車体を戻してタイヤ交換を完了させた。
「お疲れ様でした」
「すみませんでした、時間かかっちゃって……」
俺が千尋さんと向き合うと、彼女が「お気に入り」だと言っていたワンピースに少し埃が掛かっていることに遅れて気がついた。
「うわっ、すみません!」
焦る俺を尻目に、彼女は無言でパッパッと自分に掛かっていた埃を払い、続けて僕のシャツにベットリ付いた砂利も撫で払ってくれた。
「それじゃあ行こっか?」
「は、はい!」
彼女の笑顔は最上級と言ってもいいくらいの輝かしさだった。
僕は気が付いたのかもしれない。
浮かび上がった心も、もっと誰かに頼り、その浮上を抑えつけてもらえば……
不運になることもないんじゃないか?って。
「あ、そうだ!割れたタイヤ、車に積まなきゃいけないんだ……私が入れるね」
「あ!重いですよ!手伝います!」
心を無闇に浮かばせることは危険だ……でも……
「よいしょっと!」
2人で向き合ってかかえたタイヤの上に乗り上がる、圧倒的存在感の千尋さんの柔らかな双子山が浮かび上がることは……
とてもいいことだ……
と俺はしみじみ思った。
終わり。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
山道で車の修理を行う際は、危険なので十分に注意を払って行ってください。