好きだよ
いつも「好き」を確認するのは自分だった。何度も何度も訊いていたから鬱陶しいと思われていたかもしれない。
だけどいつも「好きだよ」を笑って言ってくれた。
それが何の安心にも繋がらなかったけれど。
「別に不安とかって言う訳じゃないんだけどね、ただ実感が欲しいだけなんだと思う」
「他人事みたいな言い方」
「うん……自分でもよくわかんない」
「……好きだよ」
また同じ言葉を笑って言ってくれた。
不安よりも苛立ちが強くなっていくのが堪らなく嫌だった。かといって「愛してるよ」も理由立てて好きの説明をされるのも何か違う。心がこもってないっていうのも違う気がする。
要は自分の我が儘なのだろう。きっとどんな言葉も態度も気に入りはしない。
それから春も夏も秋も冬も「好き」を訊いて「好きだよ」を繰り返す。
2年過ぎればただの挨拶みたいなものになったけれど、相変わらず笑って。
3年過ぎたらその挨拶みたいなものも無くなった。自分から訊く事がなくなったから。代わりに自分に言い聞かせるように「好きだよ」を笑って言った。返事はずっと同じ。
一緒になろうと言ってくれた時。自分もいい年だ、好きかどうかで離れるよりは誰かと一緒にいたい。妥協という程でもない。この先この人と淡々と普通に生きていくだけ、多分それが幸せなのだろうと変に冷めてはいた。
「好きだよ」
何十年か後の最期のその言葉でようやく安心できたのは、もう誰にも取られない、そういった自分の醜い我が儘。
ずっと愛されて生きてきた、その後の一瞬の幸せ。