R市市警事件目録 象牙の塔
注意書きです
この小説に登場する人名および団体名、地名はすべて架空のものです。
一部殺人やいじめの描写が含まれます。
2月11日 午前4時
A 国R市B区の大きな河川の河原では青い制服を着た鑑識官たちと数人の刑事たちが右往左往している。R市市警刑事課の一班に所属する新人刑事のシズカは40分前に上司のリチャード警部からこの場所で殺人未遂事件があったとの連絡を受け、急いで起きて現場に向かった。太陽が昇っていないこの時刻は外はまだ暗い。現場ではリチャード警部と茶色のコートを着て河原でしゃがんでいた。
「警部、ただいま到着しました。」
リチャード警部の近くにある石には血の跡があり、周りには白いテープが被害者がいた場所に貼ってあった。
「現状を説明しよう。午前3時30分に付近を通りかかった新聞配達員の男性から通報があった。河原で男性が血を流して倒れているという内容だ。男性は警察と消防に連絡し、救急車を要請した。搬送された男性は現在意識不明の重体で手術を受けている。被害者の身元はまだ分かっていない。」
被害者の男性は重体であるもののまだ生きている。
「それでは、被害者の男性が助かれば、証言を得られますね。」
リチャード警部は顎に手をあて、目を伏せた。
「いや、残念ながら被害者の生死は分からない。」
男性が助かるかはまだ分からない。。リチャード警部の言う通りだ。シズカは男性に命を取り留めてほしいと思う。それでも男性の証言だけをあてにするわけにはいかない。リチャード警部は血の付いた石を指さした。この石に被害者は体を打ち付けのだ。とても大きな衝撃が被害者の体を襲ったのだろう。
「多分被害者は何者かに土手から河原に突き落とされたのだろう。そして石に体を打った。血を流していたから犯人は被害者が死んだと思い、現場から逃走した。現場には黒髪の毛髪が採取された。おそらく被害者と揉み合いになったのだろう。被疑者を絞り込めたのちにDNA鑑定をするための有力な手がかりになるだろう。鑑識官の見立てによると犯行時刻はおそらく午前1時ごろだと推測できる。」
シズカは土手を見上げた土手の道と川原の落差は3メートルほどある。この上から突き落とされ、石に頭を打てば命が助かったこと自体が奇跡だ。
「まずは、」
シズカが言いかけた時後ろから先輩刑事のレオンが現れた。
「被害者の身元の特定。」
シズカはそうですね、と返事をした。レオンのまぶたは重く、あくびをしている。
「こんな朝にまで呼び出されたらたまったもんじゃないな。」
「先輩、不謹慎ですよ。」
シズカはレオンをたしなめた。事件には朝も昼も関係ないのだ。その時リチャード警部の携帯の電話が鳴り、警部は電話を取った。リチャード警部はああ、そうかと返事をすると電話を切った。
「皆、被害者の身元が特定できた。被害者の名前はカイ、個人ナンバーU56949 年齢20歳。先月まで××大学に籍を置いていた学生だ。」
××大学はシズカも知っているR市では偏差値が高い方の私立大学だ。R市にある国立大学と市立大学に落ちた学生は、××大学に流れる。地元の雄と言われている大学である。
「籍を置いていた、ということは最近被害者が大学を退学したということでしょうか?」
近くにいた同僚の刑事のスパイクが手を挙げ、質問した。
「ああ、そうだ。被害者は1月13日に大学を退学している。それが事件に関係あるかはまだ分からない。現場での証拠採取が終わり次第、市警に戻ろう。おそらく捜査本部が設置されるだろう。」
東の空から太陽が昇り始めた。黒い空が群青色に染まっていく。夜中の1時に被害者はこの場所で何をしていたのだろう。被害者は通り魔的犯行で殺されたのか。それとも怨恨か。まずは鑑識による現場検証の結果を待つ。
数名の青い鑑識官たちは冷たい石の上でそれぞれが懸命に証拠を拾い上げていた。
2月11日 午前9時30分
R市市警の7階の刑事課のフロアの第二会議室の入り口にはA区男性殺害未遂事件捜査本部という文字が印字された細長い紙が貼ってあった。A区の河原の現場から戻った刑事たちは続々と第二会議室に入って行った。レオンも上着を片手にもち、会議室の一番後ろの二人掛けの長机に座った。隣にはシズカが座っている。一番前の中央の机にリチャード警部が立った。
「本日午前3時30分にA区のシャイン川で男性が負傷し、倒れているのを新聞配達のために自転車で近くを通りかかった配達員の男性が発見した。被害者の名前はカイ。個人ナンバーU56949 先月まで××大学に籍を置いていた。住所はA区の××番地にあるアパートだ。カイは現在国立大学附属病院で手術を受けたのち集中治療室で治療を受けている。カイの意識はまだ戻っていない。担当する医師からの連絡によるとカイが意識を取り戻す可能性は35%だそうだ。」
リチャード警部は目を伏せ、息を吸った。
「つまり、男性の証言だけをあてにすることはできない。皆も周知だと思うが本日よりこの男性殺害未遂事件の捜査本部を設置することが決定された。担当するのは私たち刑事課第2班だ。事件の早期解決のため全力を挙げて捜査に臨もう。」
集まった8人の刑事たちは了解、と返事した。リチャード警部は頷いた。レオンはあくびをかみ殺した。夜中に急に呼び出されたレオンは3時間も眠っていない。遅くまで録画したドラマを見ていた。酒が入っていなかっただけ幸いだった。
「それではトム、鑑識からの報告を説明してくれ。」
トムがはい、と返事をすると前に出てパソコンにUSBメモリーを刺してスクリーンを下した。スクリーンには数本の髪の毛の画像が投影されていた。
「現場から黒色の毛髪が発見されました。被害者は栗毛です。これは犯人のものである可能性があります。現場でおそらく犯人と被害者が揉み合った時に落としたものでしょう。また、現場に残された被害者の持ち物は肩掛けの鞄です。」
トムはそう言うとスクリーンに被害者の鞄とその中の持ち物の写真が映し出されていた。クリーム色の肩掛け鞄の周辺に鞄の中の持ち物が置かれている。緑色のケースに入ったスマートフォン、筆箱、コンビニの制服のような青いエプロン、茶色の長財布だ。スパイクが首をかしげた。
「トム、財布にはいくら入っていた?」
「ああ、8000円あった。」
スパイクは物盗りの犯行じゃない、と呟いた。確かに強盗目的の犯行だったら財布に8000円もの多額の金額が残っていることは不自然だ。隣のシズカはメモ帳にボールペンでメモを取っている。
「被害者の服装は白いダウンジャケットの下に青のニットベスト、下はジーンズのズボンです。」
トムはスクリーンに被害者の服装のイラストを投影した。
「今のところ鑑識からの報告は以上です。」
トムはそう言うと着席した。するとリチャード警部は頷いた。
「分かった。現状では怨恨か強盗か通り魔かは判別し難い。だが、財布に8000円もの金銭が残っていたのならば強盗である可能性は少ないだろう。トム、オリバーは事件現場周辺へ聞き込みを頼む。スパイク、ジャック、ラッセルは被害者の自宅周辺で聞き込みを頼む。レオン、シズカ、フィリップは被害者が先月まで在籍していた大学へ聞き込みに行ってくれ。以上だ。」
刑事たちは返事をした。思わずレオンはあくびをした。隣に座っているシズカがレオンをちらり、と見た。
2月11日 11時
シズカ、レオン、フィリップはA区にある被害者のカイが先月まで通っていた××大学に到着した。市警からこの大学までは車で30分くらいで着く。大学は赤いレンガと西洋風の鉄柵の門が特徴的な建物だ。シズカたちは門の近くの建物で待機している守衛の坊主頭のおじいさんに小窓から声を掛けた。
「すみません、私たちはR市市警の警察官です。先月までこの大学に在籍していた学生の殺人未遂事件の調査のために構内に入る許可をいただきたいのですがよろしいですか?」
守衛さんは目を丸くするとああ、と言った。
「ラジオで聞いたよ。なんでもカイ君が事件に遭ったんだって?いやあ、あの子は良い子だったよ。門をくぐる度に私にあいさつをしてくれたのはカイ君とユキちゃんくらいだ。」
守衛さんはカイと面識があるのだ。
「守衛さんはカイさんについてご存知でしたらなんでも良いので教えていただけないでしょうか。」
「あの子は身寄りがない子で学業特待生として授業料全額免除でこの大学に通っていたんだよ。叔母さん夫婦に育てられたんだって言ってたよ。よく守衛室に来て一緒にお茶を飲んだんだ。1年生の時の大雪の日は雪かきも手伝ってくれたっけねえ…」
そう言うと守衛さんは目を潤ませて近くにあったティッシュボックスから乱暴にティッシュを引き抜くと豪快に鼻をかんだ。守衛さんはカイの事故に心を痛めているのだろう。そしてカイは苦学生で親切な青年だったのだとシズカは思った。この守衛さんはカイと親しかった。もう少し情報が聞き出せそうだ。
「カイさんが学校を辞めた経緯についてはご存じでしょうか?」
「いやあ、それは知らないねえ、ただ、カイ君は今年の12月頃から様子が変でねえ、私に会ってもどこか表情が固くて…なんだか胸騒ぎがしたんだ。ああ、そうだ。どうぞ、大学の中に入ってください。」
守衛さんはそう言った。守衛さんの12月頃から様子が変だ、という一言がシズカは少し引っかかった。もしかしてカイは学校で何かがあったのかもしれない。
「分かりました、ご協力ありがとうございます。」
シズカは礼を言い、3人は大学の構内に入った。大学の中には高さの低い木が何本か植えてあった。2月11日というと大学は春休みに入ったところだろう。それでもキャンパスの中にはサークル活動だろうか並んで歩く学生の姿が見えた。
「シズカ、フィリップ、手分けして聞き取り調査するぞ。2時にこの門に集合だ。」
3人の中では一番上の先輩であるレオンが指示を出した。レオンはまっすぐ大学の建物の方へ歩いて行った。フィリップは左の方へ歩き出した。シズカは右の方向へ向かった。
シズカは近くのベンチに座っておしゃべりをしていた2人の女子学生に話しかけた。
「すみません、R市市警の警察官のシズカと申します。この大学に先月まで在籍していたカイさん殺害未遂についてお話しを伺いたいのですがよろしいですか?」
すると3人は顔を見合わせた。何か不都合なことがあるのだろうか。黒髪のポニーテールの女性が口を開いた。
「あの…2時間前くらいに大学から一斉メールが来て、警察とかマスコミが来ても余計な事を言うなって言われてて…」
大学が生徒たちに箝口令を敷いたということだ。つまり、大学はカイについて何か不都合な事情を抱えているということ。突き詰めればカイの死に大学が関係しているかもしれないとシズカは思った。
「いいえ、どんな情報も警察にとっては余計な情報ではありません。今はカイさんについて少しでも多くの情報が欲しいんです。どうか、ご協力願えませんか?」
すると隣に座っていた赤毛の女性が黒髪の女性を揺さぶった。
「いいんじゃない、ユリ。話しても。」
「そうね。大したことは私たちも知らないから。ね、ヒナタ。」
シズカはありがとうございます、と言うとベンチに腰掛けメモ帳を開いた。
「まず、カイさんとは面識がありますか?」
「はい、同じ法学部の学生です。」
そうユリが言った。
「カイ君はすごく頭の良いひとでした。一年生の時に行政書士の資格を取ってたってウワサで聞きました。」
「授業中も、積極的に手を挙げて発言してたよね。」
「そうそう。…だけど11月頃かな。なんか授業中もあんまり手を挙げなくなって、物静かになったっていうか。」
「うん。そうだよね。あと…ブルームさん達と揉めてたみたいで。」
ヒナタがそう言うとユリが顔色を変えた。
「ちょっと、それはまずいって。」
「あ、ごめん。でも…」
二人の様子が変だ。
「言いにくいなら、後で私にメールで教えてくれませんか。」
シズカはそう言うとメモ用紙にメールアドレスを書いてヒナタに渡した。二人はそれじゃあ、と言うとそそくさと立ち去った。ブルームさん達と揉めていた。ヒナタとユリの様子を見るとブルームという女性とカイとは何かトラブルを抱えていたのだろう。そしてブルームについて口にすることは憚られるのだ。もっと多くの人に聞き込みを行い、情報を集める必要がありそうだ。
レオンは大学の講義室で2人の男子学生相手に聞き取りを行っていた。学生たちの話によると昨日試験期間が終了し、今日から春休みらしい。
「うーん、素敵な春休みだ。俺も学生に戻りたいよ。で、カイ君について何か知ってることあるんでしょ?君たちカイ君と同じ法学部の学生だよね。」
「そうです。カイは真面目な奴でした。将来は弁護士になりたいって言ってました。この大学でも司法試験に合格するのは1年に1人です。昔はもっと多いって聞きましたけど最近は、なあ。」
そう眼鏡を掛けた学生が言うともう一人のニット帽子を被った学生が相槌を打った。
「うちも歴史のある大学だけど最近は偏差値も少しずつ下がってるよな。そういえばカイって××公園でユキと話しているところ、前みたぜ。」
レオンは守衛の言葉を思い出した。門をくぐる度にあいさつをしてくれたのは、カイ君ともう一人はユキだ。
「ユキさんはどういう人?」
すると二人の学生は顔を見合わせた。
「ユキは社会福祉学部の学生で俺と同じ園芸部のメンバーだったんですけど1年の後期に急に学校に来なく菜たんです。大人しいカンジの子でした。」
と眼鏡を掛けた学生がそう言った。
「そうそう、ユキとカイは1年生の頃はあんまり話していなかったんですよ。でも10月に××公園の前を通りかかった時にカイがユキとベンチに座っているのを見たんです。二人が恋人同士なのかは分からないですけど。」
ユキの存在がカイの事件に関わっているかはまだ分からない。ユキが学校に行かなくなった後にカイとユキが親密になった点も若い男女のことだから何があってもおかしくない。特に深く考える必要は無いだろう。
「それじゃあどうしてカイ君が学校辞めたのか分かる?」
その言葉にニット帽子の学生が返事をした。
「ああ、カイが正月明けの1月13日くらい言ってたんですけど。カイがロッカーの荷物まとめてたから、どうしたんだって言ったんですよ。そしたら、学校辞めさせられた。お別れだよって言ってました。」
レオンは思わず眉をひそめた。1月13日はカイが大学を退学した日だ。
「辞めさせられた?」
「はい、俺も良くわからないんですけど、そう言っていました。本人は、けろっとしていたけど。」
レオンは分かった、ありがとうと二人の男子学生に礼を言った。辞めたと辞めさせられたでは意味合いが随分異なってくる。カイは何らかの理由で退学に追い込まれたということだろうか。大学を辞めさせられたのが1月13日。それから約一か月後にカイは誰かに突き落とされ、殺されかけた。これは単なる偶然だろうか。その時講義室の入り口から肩をいからせた背の低い40代くらいの薄毛の男性と大人しそうな50代くらいの男性が現れた。薄毛の男性は顔を真っ赤にしている。
「あなたが市警の人ですか?」
すると二人の男子学生はやべえ、と言った。
「はい、レオンと申します。」
レオンは背広のポケットから警察手帳を出すと中年男性に見せた。
「私は講師のミディです。困りますよ、何の許可なく学校に入ってきていろいろ聞いて回られちゃ。そこの二人、後で話を聞くから待っていなさい。一斉メールで余計なことを話さないようにと言っただろう。」
ミディは二人の男子学生をにらんだ。
「同じく私も講師のサイモンです。…ミディ先生、まあ今回のことは不問にしましょう。メールが回ってきたのはついさっきだったから彼らは気付いていなかったのでしょう。」
サイモンは穏やかに笑っていた。
「ちょっと待ってくださいよ。この二人は警察の聴取に協力した善良な市民だ。そして許可は校門の守衛さんに取っています。それとも警察に学校の中に入られたらおたくには何らかの不都合があるんですか?」
レオンはにやり、と笑った。レオンは確信した。このミディの様子はおかしい。警察が大学に入るのをあきらかに嫌がっている。おそらくカイが殺されかけた事件とこの大学は直接的あるいは間接的に関係がある。
ミディは顔を引きつらせた。
「守衛?あのじいさんは委託の警備会社の人間だ。ただの雇われのくせに勝手な真似を…」
そうミディは吐き捨てるように言った。二人の男子学生はそーっと講義室から逃げ出した。レオンはその背に手を振った。
「もう失礼しますよ。また来ることになるかもしれないのでその時はどうぞ、よろしく。」
するとミディは苦虫を潰したような顔をした。
シズカは5人ほどの学生から聴取をした。残念ながらヒナタが言っていたブルームという女学生についての情報は得られなかった。腕時計を見ると時刻はもう2時だ。シズカは校門の近くでレオンとフィリップを待った。1分ほどするとレオンが現れた。
「よ、そっちはどうだった?」
「はい。ここでは大きな声では言えませんが、この学校、何か隠しているような気がします。」
「同感だ。今の段階では直感だけどな。」
レオンも同じことを考えていたようだ。その時青いダウンジャケットを着たフィリップが歩いてきた。手には紙袋を持っている。
「お前何持ってるんだ?」
レオンが紙袋を指さした。するとフィリップは紙袋からメロンパンを取り出した。
「これ、見てくださいよ。購買のパン屋のパンがすっごくおいしそうで買っちゃいました。いいでしょ、もう昼だし。先輩とシズカの分もありますよ。」
「お前、遊びに来てるんじゃないぞ。スパイク先輩から解放されてそんなに嬉しいか?」
フィリップはスパイクと組むことが多いのだ。レオンはフィリップのダウンジャケットのフードを引っ張った。この仕草はスパイクの真似だ。
「いやあ、そういう訳じゃないですよ、スパイク先輩には言わないでくださいよ。」
フィリップは慌てて両手を振った。
「フィリップ先輩、昼食確保ありがとうございます。」
シズカはフィリップに礼を言った。それからシズカ達は車を停めていた近くの駐車場に戻り、レオンの運転で車を発進させた。
後部座席ではフィリップとシズカがパンを食べていた。
「お前ら、この車市警の借り物なんだぞ。汚すなよ。」
「はいはい、ほら、シズカ、さっさと証拠隠滅だ。」
そう言うとフィリップはメロンパンをかじった。シズカはあんぱんを食べている。確かにこのパンは一般の小売店で販売しているものよりももちもちしていておいしいとシズカは思った。レオンが俺の分も残しとけよ、と言った。
3人はそれから現状報告を始めた。シズカとフィリップはそれぞれ聴取の結果を話した。シズカとフィリップの聴取の内容は大きく違う点はない。カイは優秀な学生であり、学業特待生の奨学金で大学に通っていた。そして特別に仲の良い友達はいないが、人当りの良い人物であったことだ。
「あと、気になる情報があるんです。ヒナタさんとユリさんという二人の学生からカイさんがブルームさんという女子学生と何か揉めていたみたいなんです。大学では言いにくいから、後でメールするように頼みました。…連絡が来ると良いんですが。」
次にレオンが聴取の結果を話した。その話には驚くべき点が三あった。一つ目はカイが学校を自主的に退学したのではなく、辞めさせられたとカイ自身が言っていたこと。二つ目は、カイは守衛さんがあいさつをしてくれると褒めていたユキという学生と公園で話している所を目撃されていること。三つ目は大学の講師は警察が大学に来ることに過敏に反応していることだ。
「カイさんは学校を辞めさせられた。そして大学は生徒にメールで箝口令を敷いてカイさんについて学生が警察やマスメディアに話さないようにしている。これって、やっぱりおかしですよね。カイさんの事件とカイさんが大学を辞めさせられたことと何か関係があるのかもしれません。」
シズカはそう言った。やはり、カイの事件とカイが1月13日に退学したことは関係があるように思えた。やましいことが無ければ学生にメールまで送って口止めする必要はないはずだ。
「確かに俺も怪しいと思うよ。でもさ、今の段階では何の証拠もないだろう。通り魔かもしれないし。」
フィリップはそう言うと指に付いたパンのクリームをなめた。
「ああ、だからこれから本部に戻ってお互いに掴んだ情報を照らし合わせるんだよ。」
レオンはハンドルを握り前を向いたままそう言った。その時シズカのスマートフォンが鳴った。シズカはすみません、と言ってスマートフォンの画面を見た。するとメールが一件届いていた。差出人は、ヒナタです。と書いてある。シズカはメールを開いた。
刑事さんへ
さっきはお話しできなくてごめんなさい。ブルームさんとカイ君は11月頃に学校の中で口論をしているのを私、2回ほど見たんです。原因は、良く判らないんですけど、遠くから見るとカイ君がブルームさんに詰め寄っている感じでした。大きな声では言えないんですけど、ブルームさんはカイ君や私たちと同じ法学部の学生で大企業の社長令嬢でとても気が強くてわがままで、すごいいじめっ子です。ブルームさんは1年生の時にユキさんっていう社会福祉学部の気の弱い女の子をいじめていたみたいなんです。ウワサだと一回トイレで上から水を掛けられたりしてたって言ってました。ブルームさんの家はこの大学の校舎を新しくする時にいっぱいお金を寄付していたみたいで、それが原因なのかは分からないんですけど、気のせいか大学の先生もブルームさんには甘いっていうか、大学でブルームさんがカンニングしていたってウワサがあったんですけど、他の学生で1人注意されて単位取り消しになった人がいるんですけど、ブルームさんはおとがめナシなんです。だから、学生もブルームさんと周りのトリマキの友達が怖くって、グループ学習の時とかも反論できなくて、そんな感じです。
つまり、ブルームはユキという学生をいじめていた。そしてレオンの話ではユキはカイと親しかった。そして
カイはブルームと口論になっていった。そうすると、カイはユキのことでブルームと争っていたと考えるのが自然ではないだろうか。シズカはヒナタにご協力ありがとうございます、と返信した。
「レオン先輩、フィリップ先輩、先程のヒナタという学生からメールが来ました。内容は…」
2月11日 16時
市警の刑事課の第二会議室にはそれぞれ聴取を終えた刑事たちが続々と集まっていた。レオンもシズカと共に一番後ろの長机に座った。前のイスにはフィリップとスパイクが座っている。リチャード警部が会議室の前の扉から入り、中央の机の前に立った。
「皆、本日の捜査の結果について発表してほしい。トム、まずは事件現場周辺の聞き込みの結果を発表してくれ。」
するとトムが立ち上がった。
「事件現場で得られた情報は午前0時55分頃に犯行現場のシャイン川の土手の下を通りかかった会社員の男性が何か二人の男性が言い争っている声が聞こえたそうです。片方の男性の声は若く、もう一人の男性の声は年齢までは分からないと証言していました。また、0時30分頃に犯行現場より800メートルほど離れた土手を被害者が歩いていたと老人が証言しています。」
現場周辺で聞こえた争う声というのは犯人と被害者のカイのものである可能性が高いだろうとレオンは思った。
リチャード警部は分かった、と言うと次にスパイクを指名した。スパイクが立ち上がり、黒いメモ帳を見ながら話した。
「被害者の自宅周辺の聞き込みでは被害者のカイは大学1年生のころからアパートに住んでいて、大家の女性によれば両親はカイが幼いころに亡くなっていてカイは叔母夫婦に育てられたそうです。大学へ進学する時は叔母夫婦に経済的な負担を掛けたくないという理由で奨学金の援助を受けられる学業特待生入試を受けて××大学に入学したそうです。家賃は全てカイがアルバイトで得たお金で払っていたそうです。叔母夫婦は今カイの入院している病院にいるそうです。他のアパートの住民や近所の住民に聴取を行った結果、カイは人当りの良い真面目な青年で評判が良く、皆意識の戻らないカイを心配していました。」
リチャード警部は次にレオンを指名した。レオンは立ち上がり、大学で得た情報を発表した。リチャード警部はレオンの発表を聞いた後腕を組んで2回頷いた。考えをまとめているのだろう。
「話をまとめるとカイは人当りの良い青年だった。そして奨学生として大学に通っていた。カイは1年前から大学に来ていないユキという女性と公園で親しそうに話している姿が目撃されている。そしてユキはブルームという学生にいじめられて、学校に来なくなった。そのブルームとカイは11月頃に口論している。そして、大学は学生にカイについて箝口令を敷いている。また、カイは自分で大学を辞めさせられた、と言っていた。事件の現場では0時55分頃におそらくカイであろう男性ともう一人の男が口論しているとの証言がある。皆、何か意見があれば発言してくれ。」
スパイクが手を挙げて立ち上がった。
「警部、やはり大学とカイの間に何かトラブルがあってのではないでしょうか?」
リチャード警部は顎に手を当てた。
「ああ、確かに大学が学生に口止めしているところは怪しい。しかし、現時点で大学の人間が犯人である確証はまだない。鑑識とも連携して今後も捜査を進める必要があるだろう。」
次にジャックが手を挙げた。
「…やはり被害者が口論していたということは怨恨の疑いが強いと私は思います。顔見知りの人物である可能性もあるのではないでしょうか。」
するとリチャード警部は頷いた。
「ああ、現状では怨恨の可能性が濃い。もしくは全く見知らぬ人物に突然何か言いがかりを付けられトラブルになり、土手から突き落とされた。」
次にレオンの隣に座っていたシズカが手を挙げた。
「警部、カイさんの容体についての情報はありますか?」
シズカはやはり意識の戻らないカイのことが心配なのだろう。レオンはもうカイの意識は戻らないか、もしくはカイは死んでしまうのではないかと思っている。あの高さから落ちて命を取り留めたこと自体が既に奇跡だ。
「ああ、連絡が入ってきたが未だ意識が戻らないそうだ。カイを育ててきた叔母夫婦がカイを看ている。カイが目を覚ますかは分からないと担当の医師が言っていた。」
シズカは分かりました、と言うと着席した。
「以上のことから我々刑事課はまずは怨恨の線を探ろうと思う。明日はスパイク、ラッセルは被害者の病院へ向かって叔母夫婦から聴取を行ってくれ。トム、ジャック、フィリップはブルームへ聴取を行ってくれ。レオン、シズカはユキへの聴取だ。」
そう言うとリチャード警部はトムにブルームの住所、レオンにユキの住所が書かれた資料を渡した。最近のカイの様子を知るためにはユキへの聴取はやはり必要不可欠だろう。少なくともユキはカイが大学を辞めさせられた原因に関わっているかもしれないとシズカは思った。窓の外を見ると空は燃えるような夕焼けに覆われていた。
2月12日 9時
シズカとレオンは第二会議室での朝のミーティングを終え、シズカの車でユキの家があるという大学から地下鉄で5駅ほど離れたB区との境界に近いA区のアパートで向かった。車はスムーズに渋滞に遭うこともなく進んだ。
レオンは昨日寝不足だったのか頻繁にあくびをしていたのだが今日は眠気が無い様子だ。
「いやあ、昨日はよく寝れたよ。昨日は朝の4時に呼び出されたからな。」
「確かに眠いと頭が働かなくて判断力が鈍ります。ユキさんに会えるといいですね。」
しばらくすると目的地の近くにある有料パーキングが見えてきた。車を駐車し、二人は外に出た。レオンは地図を広げている。シズカとレオンは地図の通り歩いた。このあたりはB区と近いこともあり、アパートや一軒家が多い住宅地だ。
しばらく歩くとレオンが足を止めた。
「ほら、ここだ。203号室。」
そのアパートは青みがかった壁の建物で比較的新しいように見えた。鉄の階段も黒いペンキでコーティングされ、錆びた様子が無い。シズカはアパートの階段を上った。レオンが後ろから続いた。シズカは203号室の呼び鈴を鳴らし、ノックし、呼びかけた。
「すみません、ユキさんいらっしゃいますか?R市市警の者です。お話しを伺いたいのですが。」
すると中から白いセーターを着た長い黒髪の女性が現れた。奥二重の澄んだ黒い瞳をしている。
「…はい、私がユキですけど…警察の方が何かご用でしょうか?」
ユキはシズカの後ろのレオンをちらり、と見た。
「カイさん殺害未遂事件についてお話しを伺いたいのですが。」
するとユキは瞬きをした。
「カイ君が…殺害未遂?どういうことですか?カイ君は無事なんですか?」
どうやらユキはカイが殺されかけ、意識が戻らないことを知らないようだ。昨日ニュースで報道され、新聞にも記事は載っていたのだがどうやらユキはそれをまだ見ていないらしい。テレビを点けていなかったのかもしれない。だとすれば、カイが重体であることを知ればカイと親しかったユキはショックを受けるはずだ。シズカはユキの目をまっすぐ見た。
「ユキさん、落ち着いて聞いてください。昨夜の1時前後にカイさんはA区のシャイン川の土手で何者かに突き落とされ、現在は意識不明の重体なんです。」
「カイ君の入院している病院はどこですか?…私、カイ君に謝らなくちゃ…」
ユキの声は消え入りそうなほど弱々しかった。謝らなくては、とはどういうことだろうか。シズカは言葉を続けた。
「カイさんはA区の国立大学附属病院に入院しています。そして今、R市市警ではカイさん殺害未遂事件の捜査をしています。大学での聞き取り調査でユキさんはカイさんと親しかったと聞きました。ユキさん、事件解決のために捜査へ協力していただけませんか?」
するとユキは顔を上げてシズカの目を見つめた。
「…分かりました。…お話しします。心当たりが少しあるかもしれません。…どうぞ。」
心あたりがあるとユキは言った。やはりユキは何かを知っているのだ。シズカとレオンはユキに促され、玄関で靴を脱いで中に入った。部屋はワンルームで木製の光沢のあるテーブルがあり、ベッドの上には毛糸で編み込まれたベッドカバーが掛けられていた。部屋は片づけられていて、余計な物が置かれていない。ユキとシズカとレオンはテーブルを囲むように座った。ユキはテーブルの上で両手を組んでいる。レオンはメモ帳とペンを用意し、目でシズカに合図をした。
「ユキさん、カイさんについて知っていることを話していただけますか?」
するとユキははい、と返事をした。
「カイ君と初めて会ったのは今年の10月4日の××公園です。家から自転車で20分位の場所です。私、そこで小説を読んでいたんです。そうしたらカイ君が来て。私の読んでいる本を見てはじめまして、僕もこの小説家好きなんですって言って私の隣に座ったんです。はじめはびっくりしたんですけど、話すと本当にカイ君もこの小説家が好きなんだって分かりました。カイ君はまるで本の一字一句を暗記しているみたいに、すらすらと話していました。そして僕は××大学の学生なんだって言いました。驚きました、私が通っていた大学と同じ大学だったんです。入学した年も一緒だったんです。でも、同じ大学って言っても私は休学しているから何て返事をしたらいいのか良くわからなかったんです。でも、一年生の時にお互いは気付いていなかったけど同じ教養の授業を受けていたみたいでその話もしていました。1時間くらい話した後に、最後にカイ君が今度学校で会おうって言ったから私、大学を休学してるって言いました。その時は理由は言いませんでした。」
そう言うとユキは少し視線を下に落とした。ユキはブルームたちにいじめられて学校に来れなくなった。ヒナタのメールではトイレの上から水を掛けられたという情報も入ってきている。ユキにとってその記憶は辛いものなのだろうとシズカは思った。
「それから、毎週水曜日に私たちは公園で会うようになりました。カイくんは他にもたくさん本を読んでいて、私も読書が趣味なので話が合ったんです。それにカイ君はいろいろな話を私にしてくれた。そして私の話に耳を傾けてくれた。だから私はカイ君と仲良くなれて、うれしかったです。」
ユキの表情は少し柔らかくなった。
「…カイさんは、優しい人だったんですね。」
シズカはそう口に出した。ユキははい、と言った。
「でも、11月の頭にカイ君が険しい顔をしていたんです。…私がブルームさん達からいじめを受けて大学に行けなくなったことを大学の友人から聞いたみたいなんです。…私はカイ君にいじめのことを話さないようにしていました。私はいじめから逃げて、負けたんです。そのことを、知られたくなかった。私、人の役に立つ仕事がしたくって福祉の資格が取れる社会福祉部に入りました。それなのに、私はいじめから逃げてしまった。怖くて学校に行けなくなったんです。それが、今でも情けなくて…」
ユキはテーブルの上で右手の上に左手を置いた。
「ユキさん、いじめはいじめられる人が原因ではないですよ。いじめから逃げることだって自分の命を守るためには大切なんです。どんな理由があってもいじめは決して許されないことです。」
シズカがそう言うと、ユキはシズカの目を見た。
「…カイ君も刑事さんと同じことを言いました。いじめを容認する大学に責任があるって。だから一緒に大学にブルームたちを指導するように言いに行こうって。私は断りました。いくらカイ君が私は悪くないと言っても私はどうしても暗くてのろまな自分の性格のせいでいじめられたって思い続けていました。…今もそう思います。
でもカイ君はいじめられた学生が休学に追い込まれて、いじめた方の学生が何の処罰も無しに大学に通い続けていることを見て見ぬふりをしている大学を許せないって言っていました。私はもうカイ君には会わない方がいいと思いました。私をかばうために、カイ君が損をしてはいけないと思いました。しばらくメールのやりとりもありませんでした。私はこれで良い、と思いました。それから1月10日にカイ君から連絡がありました。大切な話があるから来てほしいと言われました。」
カイはやはりブルームのいじめでユキが学校に来られなくなったことに憤りを感じ、大学を糾弾しようとしていたのだ。そしてカイが大学を辞めさせられたのは1月13日だ。ユキがカイに呼び出されたのは1月10日だ。シズカは唾を呑み込んだ。これからユキは何を語るのだろうか。
「公園に行ったらカイ君がいました。前と変わらない、いつものカイ君でした。でも、カイ君は言いました。この大学は君のいじめを隠蔽した以外にも様々な不正を抱えていたと言いました。カイ君はあれから学校中の学生や卒業生、大学を退学した人たちから話を聞いたそうです。そうしたら大学では裏口入学をやっていたり、セクハラを受けたのに教授を守るためにキャバクラで働いていたからといって一方的に大学を退学させられた女子学生がいたりして、多くの不正があったそうなんです。そしてブルームさんの家が大学に多額の寄付をしているから、大学はブルームさんのいじめやカンニングを容認していたようです。…私の他にも、ブルームさんからのいじめで大学に来れなくなった学生がいたみたいでした。…驚きました。自分の通っていた大学がそれだけ多くの不正を抱えていたんです。カイ君は私に2本のUSBを見せました。この中に僕が集めた情報の全てが入っていると。そして、明日大学に不正を糺すように要求すると言いました。私は怖くなりました。そんな不正を隠す大学が大学の秘密を握っているカイ君をほっとくはずがありません。きっと大学を辞めさせられるからやめた方がいいよ、と言いました。そしたらカイ君はこんな不正だらけのところにいても何も学ぶことはない。司法試験はこの国では誰でも受けることが出来るから自分で勉強すればいい。僕はしばらくしたら退学届を出す。君には感謝しているよ、君が気付かせてくれなければ、僕はとんでもない汚れた大学を卒業するところだったと言っていました。そしてカイ君はもう青い方のUSBを私にくれました。それから2月10日にカイ君から電話が来ました。カイ君は大学に不正を問い糺したそうです。大学は不正を認めなかっただけではなく、カイ君を退学させたそうです。それからカイ君は今日大学にA国文部科学省にこの不正を集めたファイルを提出します、と言ったそうです。そうすれば、これ以上あの大学で不利益を被る人たちはいなくなる、全部終わったら会おう、話したいことがあるとカイ君は言っていました。」
ユキの目には涙が浮かんでいた。レオンはメモ帳に急いでペンを走らせている。シズカは驚いた。カイは大学に不正を公にすると勧告したその日の深夜に襲撃されているのだ。大学の人間がカイを証拠を隠滅するために、カイを口封じのために殺した。その仮説がシズカの脳裏に浮かび上がった。
「…私は、カイ君が大学の誰かに殺されたとしか思えないんです…いいえ、違います。カイ君を殺したのは、私です。私と出会わなければ、カイ君は不正に気付くことがなかった。そして、私がもっと強くカイ君を止めていればよかったんです。そうすれば…カイ君は…」
シズカはユキの立ち上がり、ユキの隣に座り彼女の背をさすった。ユキの目からは大粒の涙がぽろぽろと零れてテーブルの上に落ちた。ユキはカイが大学の人間に殺されたと思っているのだ。自分と出会わなければ、カイは殺されずに済んだとユキは思っている。ユキの心は張り裂けそうにきりきりと痛んでいるとシズカは感じた。
「ユキさん、カイさんが事件に巻き込まれたのはユキさんのせいじゃありません。大丈夫…私たちが、全力を挙げて犯人を見つけます。」
しばらくするとユキの呼吸は落ち着いてきた。ユキはごめんなさい、とシズカに謝った。シズカは首を横に振った。
「これから私たちはカイさん殺害未遂事件について捜査を続けます。私たちは全力を挙げてカイさんを襲った犯人を突き止めます。そしてあなたの証言はとても大学とカイさんの間にトラブルがあったという貴重な証言です。何かあったらまた協力をお願いしてもよろしいですか?」
するとユキはこくん、と頷いた。
「…はい、私の証言で捜査が進むなら、何度でも話します。…それと、これ。何かの証拠になるかもしれないから…私、カイ君の病院に行きます。」
そう言うとユキはシズカに青いUSBを渡した。 シズカはそのUSBを受け取った。
2月 12日 16時
R市市警の第二会議室にはそれぞれの聴取を終えた刑事たちが集まっていた。レオンとシズカは一番後ろの席に座っている。中央の机の前にリチャード警部が立っている。
「皆、聴取ご苦労だった。今からそれぞれの聴取の結果を話してもらおう。まずはスパイクからだ。」
スパイクが立ち上がり、黒いメモ帳を開いた。
「被害者の叔母夫婦から聴取を行いました。被害者のカイは6歳の頃に両親を交通事故で亡くしており、それからカイの父親の妹夫婦に引き取られたそうです。夫婦の話によるとカイはわがまま一つ言わない子どもで家の手伝いを良くしていたそうです。成績も良く、優秀な子だと言っていました。叔母夫婦の家族構成は叔母とその夫、そしてカイより2歳年下の息子でした。カイは夫婦の息子とも仲が良く、面倒見の良い兄だったと夫婦は言っていました。カイは18歳まで叔母夫婦の元で育てられ、大学入学と同時に家を出て一人暮らしを始めたそうです。一か月に一度程度カイとは電話で連絡を取っていたのですが、カイは大学生活を楽しんでいた様子だと叔母が話していました。しかし、ここ3カ月はカイから一切連絡がなかったそうです。以上。」
スパイクが着席し、次にトムが立ち上がった。
「ブルームの自宅に聴取を行った結果、カイと言い争っていたのはユキのいじめを正式に謝罪しろとカイが詰め寄ってきたからと言っていました。…ブルームは男友達何人かに声を掛けてカイに集団暴行を加えたこともあったとブルーム自身が話していました。彼女は全く悪びれる様子もありませんでした。カイが死にかけたことについても、いい気味だと話していましたよ。ユキのいじめの件も暗いという理由でなんとなく彼女をおもちゃのように扱い、いじめていたそうです。…好感の持てない娘でした。そして、ブルーム自身の話では、ブルームの父親が大学に多額の寄付をしているそうで、その寄付が無くなれば、大学の経営は難しいと言っていました。」
隣に座っているシズカが眉間に皺を寄せた。いじめによって傷ついたユキに実際に会ったシズカはブルームの様子を聞いて腹が立ったのだろう。トムが会議などで余計なことを言うのは珍しい。そのトムが好感の持てないと言うのだから、彼女の態度はよほどトムの癇に障ったのだろう。会議室の前に置いてあるホワイトボードにはブルームの写真が貼ってあった。彼女は金髪の巻き毛で整った顔に青いアイシャドウが目立っていた。地元の雄といわれる××大はいまや寄付金が無ければ経営もおぼつかないという話を聞いてレオンは驚いた。A国でも他の先進国と同様に少子化が進んでいるため大学に入るのは徐々に難しくなくなっている。ニュースで発表した統計によると今は二人に一人は大学に進学すると言っていた。そして、短大の4年生化や新設で大学の数は増えている。そうすると大学のレベルも低下してくるのだろう。
「念のために犯行時刻に彼女がどこにいたか調べたのですが、彼女は自宅で開かれたパーティーに参加していたそうです。パーティーに参加していた数人の男女に聞き取りを行ったのですが、皆彼女のアリバイを証言しています。また、近所の住民もその日彼女の家から騒音が聞こえたと証言していました。報告は以上です。」
次にレオンが立ちあがり、ユキから聞いた話をまとめて報告した。カイが大学の不正を糺すために行動を起こしていたこと、そしてA国文部科学省に不正の証拠を見せると大学を脅したのは2月10日。その日の真夜中にカイが襲撃されたこと。皆レオンの報告の内容にどよめいた。それからレオンはユキが手渡したUSBのデータをパソコンで読み込んでスクリーンに投影した。その内容は大学を退学した者やユキが話していたセクハラを受けた女子学生、ブルームのカンニングといじめなど100名以上にわたる聴取の記録だった。シズカは衝撃を受けた。この大学ではセクハラを受けた女子学生を退学させている。また、ブルームはそのとりまきと共に5名の男女に対してひどいいじめを行っていた。それを大学はブルームの父親が大学に多額の寄付をしていたため隠蔽した。許しがたい事実だとシズカは思った。教育機関であり、学生を教育する立場の大学でこのような不正がまかり通っている。そして、その情報を掴んだカイを口封じのために殺したとすれば、その真実が内容が公になれば、私立である××大学は経営が立ち行かなくなるだろう。シズカ自身も私立大学の出身だ。だからこそ他人事とは思えなかった。そしてリチャード警部が口を開いた。
「・・・まとめると被害者は叔母夫婦とは特に問題を抱えていない。被害者と口論になっていたブルームにはその日自宅にいたというアリバイが存在する。被害者は友人のユキのいじめをはじめとする大学の不正を糾弾しようとして大学とトラブルになっていた。そして、大学に不正を公表すると勧告したその日の深夜に被害者は襲撃されている。」
スパイクが手を挙げて立ち上がった。
「警部、これは間違いなく怨恨です。大学の人間が被害者を襲撃して不正の証拠を隠滅しようとした。間違いありません!」
「ああ、私もその可能性が高いと思う。だが急いで捜査を行うがあまり犯人に逃げられては元も子もない。まずは大学の人間を一人ずつ任意で聴取しよう。それが終了した後にアリバイの無い人物を集中的に調べる。」
それからリチャード警部は大学に勤務する人間の住所のリストを刑事たちに配った。全部で80人ほどのリストだ。フィリップが口をとがらせた。
「これじゃあ一人あたり10人調べないと終わらないですよお。警部、期限は?」
フィリップの隣に座っているスパイクがフィリップのダウンのパーカーを掴んだ。シズカより一年上のフィリップはどうも余計な一言が多いのだ。
「フィリップ、余計な事を言うな!」
「ああ、できるだけ早い方が良い。今から君たちには関係者へ任意で聴取に向かってもらう。明後日の18時には全員分のアリバイを調べてほしい。犯人がR市から逃亡しないうちに逮捕したい。」
刑事たちは了解、と返事をした。一刻も早くカイを襲撃した犯人を見つけだし、逮捕しなければならない。今頃ユキはカイが入院している病院に行ったのだろうか。カイがこのまま亡くなればユキは一生の自分のせいでカイが死んだと後悔し続けながら生きることになるだろう。シズカはカイの意識が戻ることを願った。
2月14日 18時
8人の刑事たちは2日間朝から晩まで大学へ向かい、一人あたり8人の大学関係者を任意で聴取した。レオンは8人の聴取を終え、大学を後にした。日は暮れ、あたりは薄暗い。レオンが聴取した8人の人間はすらすらと自分たちの行動を話した。そして、そのアリバイを証明する人間がいた。特に彼らの表情にも嘘をついている様子はなかったとレオンは感じた。
春休みの大学には校庭で野球をしている学生などサークル活動を行っている学生がちらほらと見られた。並んで歩くカップルがレオンとすれ違った。皆、大学生活を楽しんでいるのだろう。しかし、この大学は多くの不正を抱えているのだ。カイのしようとしていたことは正しい。このような不正がこれ以上続いて傷つく学生が増えることをカイは阻止したかったのだろう。だが、カイの目指した正義には犠牲が伴う。その事実が公になれば、この大学の学生たちも世間から白い目で見られることになる。いくら大学が不正を行っていたからといって途中で大学を退学することは難しい。何も知らない学生たちが就職活動などの際に不利益を受けるだろう。レオンにはカイの行動の是非を判断することはできない。
レオンが市警に戻り捜査本部がある第二会議室に向かうと先に集まっていた刑事たちがどよめいていた。レオンが会議室に入るとシズカが歩み寄ってきた。
「先輩、見つかったんです、怪しい人物が。」
そしてシズカはその名を呼んだ。レオンは目を丸くした。シズカの口から語られる言葉は事件の真相だった。
「よく調べたな、誰がヒットしたんだ?」
「オリバー先輩が気付いたんです。汗をかいていて、怪しいって言ってました。それで急きょ集合して皆でその人物の身辺を洗いました。…レオン先輩、連絡気付かなかったでしょう。」
控えめな性格のオリバーは細い目を細めて窓の外を見ている。リチャード警部はレオンが到着したことに気付いたようだ。そして一言、携帯の電源は入れておきなさい、と言った。そして刑事全員を着席させて明日の強制捜査についての説明をした。明日は関係者を大学に集め、容疑者と大学に家宅捜索令状を突きつける。
2月15日 9時
R市市警第2班の刑事たちは××大学の校門の前に立った。赤いレンガの校門は太陽の光と青い空の下で輝いていた。鉄製でできた門には「野球部全国大会進出」「司法試験合格者1名」の張り紙が貼られていた。先頭に立つ、リチャード警部はまっすぐ大学に足を踏み入れ、入り口の建物で守衛の男性に声を掛けた。
「すみません、R市市警の者です。大学の先生方とお約束をしているのですが、中に入ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ。どうぞ、お入りください。」
シズカは守衛さんに会釈をした。守衛さんは先日大学を訪れたシズカのことを覚えていたのかにっこり笑って会釈を返した。警部は迷うことなく大学の構内を進み、ある講義室の前で足を止め、ノックをしてから中に入った。部屋は広く、椅子には10人の男性と一人の女性、ブルームが座っていた。
リチャード警部は前に立った。
シズカたち刑事は部屋を囲むように配置についた。
リチャード警部は口を開いた。
「皆さん、お忙しい中お時間を取らせていただいて、申し訳ありません。用件はすぐ済みます。」
すると70歳くらいの白髪の老人が声を上げた。
「…私は学長です。本学には警察の世話になるような案件は存在しません。こんなことをして何のおつもりですか?」
ブルームは椅子に座り、短めのスカートから出した長い脚を組んでいた。この女性が、ユキを傷つけた人間なのだ。リチャード警部はシズカに合図をした。シズカはパソコンを取り出し、電源を入れて青いUSBを刺した。スクリーンにはカイが暴いた大学の不正のデータが列挙されている。
「警察の世話になるような案件かどうかはともかく、このデータには大学の存続を脅かす不正が記されています。」
リチャード警部は表情を変えずにそう言った。
「…そんなものは知らん、どうせ本学に恨みのある者がでっち上げたデマだろう。」
ミディが立ち上がり、スクリーンを指さした。
「知らないとおっしゃいましたがあなたがたがこのデータを目にするのは初めてではない。この中にはブルームさんが行った5名の学生に対するいじめ、セクハラの隠蔽、学生への理不尽な退学処分など100名以上の関係者からの聴取の記録が記されています。カイさんの友人のユキさんはカイさんが1月に大学にこのデータを見せ、不正を認めるように勧告した証言しています。」
するとブルームは小さく舌打ちをした。リチャード警部は更に言葉を続けた。
「カイさんがなぜ大学を辞めたのか、先生方はご存じですか?」
すると9名の男性たちは落ち着きが無くなり、お互いに顔を見合わせている。すると学長の隣に座っていた60代ほどの黒髪の男性が口を開いた。
「…彼は、自主的に退学したのです。彼は両親を亡くしていて金銭的に困窮していた。」
この後に及んで大学は嘘をついている。するとリチャード警部は言葉を続けた。
「分かりました。ユキさんの証言によるとカイさんは2月10日に学校に対してこのデータをA国文部科学省に提出すると最後の勧告をした日の深夜に何者かに襲われた。」
リチャード警部はゆっくりと関係者たちが座っている机の間を歩き始めた。そして5歩ほど歩くと足を止めた。
そこにはサイモンが座っていた。
「サイモン先生、2月11日の午前1時に、どこにいらっしゃったのか教えていただけませんか?」
「その日は家で寝ていましたよ。」
リチャード警部はそうですか、と言い、言葉を続けた。
「あなたは消費者金融の400万円の借金をしていましたね。事件の翌日にあなたの口座に400万円が振り込まれている。振り込んだ人物は、学長先生でした。」
するとサイモンは首を横に振った。
「犯行時刻の40分前にあなたの住んでいるマンションの防犯カメラに外出するあなたの様子が写っていました。…あなたは、嘘をつく必要があった。」
後ろに居たトムがサイモンに近づき、紙を見せた。
「サイモンさん、重要参考人としてご同行願いますか?」
するとサイモンは首を振った。そして学長の足元にすがりついた。
「私は学長先生に言われた通り、あの男を殺したんです、そうすれば私の借金を全額返済するとおっしゃったじゃないですか!私だけが、逮捕されるのはおかしい!」
残りの8名の男性とブルームは驚いた表情を浮かべ、ざわついていた。カイの殺害は学長とサイモンの間の秘密だったのだろうか。
学長はサイモンを振り払い、叫んだ。
「警察の方々、この男は頭がおかしい。さっさと連れて行ってください。」
リチャード警部が学長の横に歩み寄った。靴が床に当たる音が響いた。
「それでは、なぜ学長先生は頭のおかしい男に事件の翌日に400万円も振り込んだのですか?」
すると学長は後ろに座っていた男性に掴みかかった。
「クレス教授!あんたが女子学生に手を出さなければよかったんだ!」
するとクレスは薄い唇を震わせてブルームを指さした。
「そもそも、カイと親しかったユキをいじめたブルーム君のせいでこうなった!あんたのいじめは目に余るものがあった!」
するとブルームは眉間に皺を寄せた。
「学長がパパにお金を払えば試験受けなくても私を大学に入れてくれるって言ったんじゃない。パパのお金がなきゃ新しい校舎はできなかったわ!」
10人の男性は胸ぐらを掴み合いお互いの非を罵り合った。リチャード警部は目を伏せてその様子を見ていた。スパイク、ジャック、オリバー、ラッセルが止めに入った。カイを襲ったのはサイモンだ。それを指示したのが学長だ。そしてお互いを罵り合う。シズカは息を吸った。
「…あなたたちは、教育者なんですよ。この大学にはカイさんやユキさんやヒナタさん、ユリさん、多くの学生がいます。皆、それぞれ夢を抱いてこの大学を目指して、入学しました。あなた達はカイさんが指摘した不正を認めないばかりかカイさんを殺そうとしました。カイさんは今も意識が戻りません。あなた達のやったことは犯罪です。自分の大学の先生達が不正や殺人を犯したと知れば、学生たちは信頼を裏切られ、深く傷つきます。」そして、学生たちは不正と殺人のあった大学の卒業生という事実を背負って生きなければならないんです。」
するとその場はしんと静まり返った。
「私は関係ないわよ。逮捕するならこのおじさんたちを連れて行ってよ。」
ブルームがそう言い、早足で部屋を出ようとした。その肩をレオンが掴んだ。
「ちょっと待って。今は君には逮捕状は出せない。でもこの不正データは明らかになる。そうしたら君が裏口入学したことも、君が度を越えたひどいいじめをしていたことも明るみになる。そうしたら、タダじゃ済まないと思うよ?君の大好きなパパの会社。」
するとブルームはレオンの手を振り払い、つかつかと部屋を出て行った。リチャード警部は顔を上げた。
「…今はサイモンさんを重要参考人として警察署にお連れすることしかできません。ですが、いずれ学長先生にお時間をいただくことになりますね。」
リチャード警部はそう言うと部屋を出た。スパイクがサイモンの背中を押さえ、部屋を出た。他の刑事たちも後に続く。シズカもパソコンとUSBをしまうと部屋を出た。大学の構内では春休みの学生たちを目にした。3人ほどの大学生たちがボールを使ってジャグリングの練習をしていた。学生たちはボールを器用に回している。
学生たちは皆大学生活を楽しんでいる。しかし、事件が明るみになればこの大学の信用は失墜する。悪いのは大学の過ちを正そうとしたカイの発言を黙殺しただけでなく、命まで奪おうとした学長をはじめとする職員たちだ。しかし、そのしわ寄せを食うのは何の落ち度もないヒナタやユリたち学生だ。大学の門を出た時、シズカは思わず振り返った。鉄柵の門に掲げられた「野球部全国大会進出」「司法試験合格者1名」の白い張り紙が青空に映えていた。レオンがシズカの隣に現れた。
「これで、象牙の塔は瓦解した。全部、終わったんだよ。」
シズカとレオンは踵を返し、歩き出した。
2月17日 14時
サイモンへの取り調べで彼はカイ殺害未遂事件の真相を全て語った。カイは2月10日に大学に訪れてA国文部科学省に不正のデータを提出すると学長に勧告した。学長はカイに100万円で口封じをしようと話を持ちかけた。しかし、カイはそれに応じず大学を後にした。10日の18時にサイモンは学長に呼び出され、消費者金融からの400万円の借金を返済する代わりにカイを殺すように命じた。学長は怒りのままにカイを退学させたものの大学の秘密を握るカイに危機感を感じており、カイの行動を調べていた。カイがコンビニでのアルバイトの帰りにシャイン川の土手を通って帰宅しているため、その土手でカイを突き落として殺すようにサイモンに指示した。そうすれば転落死に見せかけることが出来ると考えたのだ。サイモンは0時20分頃に自宅を出て、シャイン川の土手まで行きカイを見つけた。そこでカイに気付かれた。怖気着いたサイモンはカイに不正のデータを自分に渡せと言った。カイはそれを拒否した。そしてサイモンはカイを土手から突き落とした。カイが倒れているのを土手の上から確認したサイモンはカイが死んだと思い、その場を後にした。また、現場に残っていた髪の毛のDNAとサイモンのDNAが一致したことから市警はサイモンを容疑者とした。さらに、学長が殺人をサイモンに教唆していたため共犯として聴取した。学長は腕利きの弁護士を雇い、裁判で無罪を勝ち取ると豪語していた。二人の身柄は今拘置所にある。レオンとシズカはリチャード警部の指令でカイが入院している病院に向かった。運転はシズカの担当だ。車の外には葉の無い街路樹が並んでいる。あと少しで春がやって来て若葉が芽吹くだろう。
「大学の不正は結局明るみに出ましたね。」
事件解決の知らせと共に、カイが襲われた理由も報道された。そしてカイが掴んでいた大学の不正が明るみに出た。A国文部科学省は××大学で調査を開始すると発表した。そして週刊誌やテレビのワイドショーは大学の学生や卒業生、退学した人に独自の調査を行い、大学で問題になっていたクレスのセクハラや社長令嬢ブルームのいじめや裏口入学が氏名を伏せた上で報道された。更にインターネット上では関係者の本名等が第三者により明らかになり、ブルームの父親の会社の株価は下がった。その責任を取り、ブルームの父親は会社から去ったそうだ。
「しかも驚いたのは××大の不正発覚を口切に他の公立大学、私立大学の不正が次々と報道されているのはたまげたな。」
レオンの言う通り、××大の不正発覚を機に公立私立を問わず他の大学でもセクハラや裏口入学や不正入試やり単位のごまかしや履修漏れなど多くの内部告発が次々と起こり、テレビを点ければ連日大学の謝罪会見が続いているのだ。
「…問題を抱えていたのは××大学だけじゃなかったんですね。他の大学も多かれ少なかれ、問題を抱えていた。」
「ああ、そうだ。大学っていうのはヘンなところだな。研究者っていうのは教育者に向いていないのかね。」
レオンはため息をついた。
「全部が全部おかしいわけではないと思いますよ。いい大学だって、誠意のある先生だっているはずです。けれどれだけ多くの不正があれば、全ての大学が誤解を受けることになるでしょうね。」
「ああ、そうだな。今メディアは大学批判に傾倒している。しかし、大学が不正を認めたところをカイに見て欲しかったな。」
「ええ、そうですね。」
在学生を抱えた大学は当面の間は閉校にはならないだろう。A国文部科学省が間に入り、大学の体制を改革してくれるはずだ。それを一番望んでいたカイは今も病院のベッドの上で眠っている。シズカは車を病院の駐車場に停めた。二人は受付で面会の許可を取るとエレベーターで5階に昇り、408号室の病室に入った。部屋に入ると、カイが眠っている横でユキが椅子に座っていた。二人はユキにあいさつをした。ユキは頭を下げた。
「刑事さんたち、カイ君を襲った犯人を見つけてくれてありがとうございました。…おかげで大学の不正も公表されました。」
「ユキさんの証言のおかげです。改めてご協力感謝いたします。」
シズカはユキに頭を下げた。レオンも頭を下げた。ユキは首を横に振った。
「いいえ、私は何もしていません。…カイ君、まだ目覚めないんです。お医者さんの話だと、もう、一生このままかもしれないって言っていました。カイ君の叔母さんご夫婦は、今A区のホテルでお休みになられています。お疲れのご様子でした。」
カイは目を閉じていた。その顔は昼寝をしているように、穏やかだった。
ユキはカイの手を取り、話しかけた。
「カイ君、犯人が捕まったよ。大学の不正も公表された。A国で調査を行うんだって。…よかったね。」
その時、カイのまぶたが動き、カイがうっすらと目を開いた。シズカは驚いた。カイが意識を取り戻したのだ。
「カイ君!ああ…本当に、良かった。」
ユキはカイの手を握り、涙を流していた。カイはユキの手を握り返した。
「…君は、ずっと僕を呼んでくれていた。…やっと、辿りつけた。」
ユキはカイに事件の経緯を話した。カイは黙ってその言葉に耳を傾けていた。
「…そうか、良かった。これでもうあの大学で不正が行われることはないだろうね。」
「…カイ君、ごめんね、私のせいで、カイ君が、危ない目に会って…ずっと、謝らなくちゃって思ってたの、ごめんなさい…」
「それは、違うよ。君のせいじゃない。僕が勝手にしたことだよ。」
「…私、正式に退学したんだ。これから、福祉の専門学校の夜間部に入学するの。私、人の役に立ちたくて大学の社会福祉学部に入った。だから、もう逃げないよ。強くなるって決めたの。」
カイは微笑んだ。
「よかったね、君は優しいから、人の役に立てるよ。」
そう言うとカイは体を起こした。
「大丈夫、体は動くみたいだ。…神様が助けてくれたんだね。そうだ、君に言わなきゃいけないことがあった。全部が終わったら、会おうって言ったよね。」
ユキは頷いた。
「僕は自分の正義のために、大学の不正を暴くって言っていたね。でも、違うって気付いたんだ。僕は、君を守りたかった。君は僕にとってとても大切な人なんだ。…僕は両親がいなくて叔母さんたちに育てられた。叔母さんたちは僕に親切にしてくれた。だけど、僕は少しでもわがままを言ったら叔母さんたちに捨てられるんじゃないか、家を追い出されるかもしれないって僕は心のどこかでずっと恐れていたんだと思う。上手く言えないけど、これから君にたくさんわがままを言いたいんだ。だから、僕が司法試験に合格するまで、待っていてほしい。」
ユキは、涙を拭いた。
「…ありがとう。待ってるよ。」
「俺、お医者さん呼んでくるわ。」
レオンはそう言うと部屋を出た。1分もかからない内に2人の医者と4人の看護師が駆けつけた。驚く医者の前でカイはゆっくり立ち上がって見せた。皆がカイの回復に驚いていた。カイの横でユキは微笑んでいた。シズカも目頭が熱くなった。カイは奇跡的に目を覚ました。自分を責め続けていたユキも救われた。そして二人の間の感情は、友情以上のものだった。カイが意識を取り戻して本当に良かったとシズカの胸には熱いものがこみあげた。レオンはシズカに囁いた。
「おい、行くぞ。お邪魔虫は消えようぜ。」
レオンはそう言うと部屋を出た。シズカもその後を追った。レオンは病院の白い廊下を歩いて行く。
「…良かったですね、本当に、良かった。」
レオンはにやり、と笑った。
「それにしても不器用なプロポーズだったねえ。」
「いいじゃないですか、思いは伝わっていましたよ。」
「俺は初めからあの二人は只の友達じゃないって分かってたよ。愛がなければカイはあそこまでしなかっただろう。それに、男女の間に友情は生まれない。」
レオンはそう言った。
「そうでしょうか?友情に男も女も関係ないですよ。」
レオンははあ、と深いため息をついた。
「そんなこと言ってるからお前はいつまでも子どもなんだよ。」
「そういうものですかね。…私、子どもですか?」
レオンがいつも自分のことを子どもっぽいと思っていたことをシズカは初めて知った。
「まあ、いいから何か食べていこうぜ。昼、まだだろう。リチャード警部に報告したらメシだ。」
シズカはそうですね、と返事をすると、歩き出した。
ありがとうございました