感
あの日、運命の糸は音もなく静かに、固く絡み合った。
飛び散る血と、布を切り裂くような悲鳴。棒立ちになった少女の鼓膜を震わせる、断末魔。
感覚が抜け落ちて、目の前が歪んで、全てが闇の中に崩れ去っていった。
カーテンを閉め切った暗い部屋で、彼女は目を覚ました。女にしては飾り気のない部屋の、シミ一つない天井をぼんやりと見つめる。
嫌な、夢を見てしまった。脂汗が額に浮かんでいる。
昨夜の仕事の疲れが未だにとれていないのか、指先を動かすことさえ億劫だ。深く息を吐き出しながら、一度目を閉じる。瞼の裏の闇が、今の彼女には何処か心地よかった。
薄く目を開いて、無意識に前髪をかきあげる。細い指の間で綺麗に染められた金髪が流れていく。そうしながら、ゆっくりと重い身体を起こした。
途端、目に入るものは布団の向こう側に放り出されたワイシャツ。白い生地には、これ見よがしに赤いシミと斑点が不規則に並んでいる。純白だったはずのワイシャツを汚している血は、彼女のものではない。昨夜、この世から消え去った老人のもの。
さして何も感じない。消えた命は戻ってこない。ただそれだけ。命が事切れるなど、紙切れを燃やすようなそんなものだ。
命の重みを感じなくなって、何年経つだろうかと自嘲気味に自問自答してみた。この手にかけたモノは数知れず、一度やってしまえば二度目は何の感情もなかったように思う。ただ、何処かで感じていた。その行為を繰り返せば繰り返すほど、自分の心は虚無感に支配されていった。
それでも、彼女は指示と命令で動いた。その行為によって、自分が失うものなど無い。むしろ、それによって手に入るもののほうが、彼女にとっては大切なものだった。彼女は労働者だ。その緻密に計算されつくした労働に見合う報奨金が支払われれば、満足である。たとえそれが、人道に反そうと彼女にはそれしかとりえが無い。
綺麗事で取り繕われた表社会に生きるより、人間らしく欲望と嫉妬に満ちた血生臭い裏社会のほうが生きやすいのは己に素直な人間が、感情も何もかもを剥きだしにして生きているからだ。彼女の友人達も、彼女自身も同じこと。自らの欲望に素直に生きてきた。
金に溺れ、人に溺れ、挙句の果てに堕ちていく。それが元々の姿だ。人間としてありのままの姿。
それでいいと思った。それでなければならないと思った。
「人間はそういう生き物だもん・・・」
そう呟く声は、明け方の緩い空気に溶けて消える。
彼女の名を、藤原悠理という。しかし、彼女の名を呼ぶ人はいない。悠理は、ある一人を除いたほとんどの人間から”リア”と呼ばれている。