馬鹿と執念
「なんかヤサ帰ったらしいぞ」
「さっきトイレで吐いてたよ」
「なんか今日朝から具合悪そうだったもんな」
給食時間に、手洗い場でちらほらと聞こえた話では、どうやら鷹霧くんは2時間目の終わりで授業をギブアップし、早退したらしい。
たぶん、病気でいろいろと辛かったのだろう。精神的に。そのくらいはヘッドホンなしでもわかる。
それに比べて私は。
呑気だよなぁー。ホント。あれ、あたし確かなんかアルファベット3文字のヤバイ人とかに追われてんだっけ?なんだっけかなー、MIBだっけかな、違うな、JPNだっけなー、いや絶対違う。
うんうん唸りながら首をひねっていると、ある考えが浮かんだ。
鷹霧くん亡き今、私は今度こそこの能力で遊べるんじゃないか?
イヤイヤダメだろという天使の私と、耳元でいやらしくレッツゴーレッツゴーと呟いてくる悪魔の私とがぐるぐると私の頭の衛星のように回る。
ああ殴り合いを始めた。喧嘩しないで。
うわ悪魔の右ストレートが天使の顔面に…
私はヘッドホンを装着した。
その瞬間、凄まじい勢いでクラスメイトの心の声が私の耳をぶっ壊しにかかる。
「うわっ、ちょっ、うわわ」
あわてて私はヘッドホンを外した。
「あんた何でヘッドホンつけたり外したりしてんの?」
我らが美少女、チッピーが机をどけながらやってくる。
「いやー、うん、音量でかかった」
馬鹿ねぇと鼻で笑われ、その様子がまたかわいらしくて、憎たらしくてイラつく。
「ところで何聴こうとしたの?」と、ひょいとチッピーがヘッドホンに手をのばす。
「え!?あ、ちょっと!」
私はとっさにピシャッとチッピーの細い手を叩いてしまった。ヘッドホン自体が何かマズイことになってる可能性だってなくはない…よね?
でもチッピーもそこで引き下がるほど純粋な女の子では、残念ながらないのだ。
墜落した手を蛇のように這わせ、もう二度と離さないとばかりにそのオレンジのボディを掴む。
それをまた私がチョップするが、びくともしない。
そしてチッピーはその禍々しくセクシーな唇の口角をくいと上げ、したり顔を決め込んだ。…が。
ぶふぉっ、っと凄い勢いで吹き出した。
「あ…あんた、…ぷっ、演歌なんか聴いてんの?」
そんな馬鹿な事!と叱っといて、笑いが収まらないチッピーからヘッドホンを回収し、装着する。
…やっぱり鼓膜を爆破するような、叫び、呻き、笑い声、ドスの効いた声がぐるぐるに混じって私の耳を刺すのみである。
私はヘッドホンを外した。
隣ではチッピーが「はーるばる来たっぜ」なんて歌っている。それどころじゃないっての。
結局それから、私はしばらく壊れたヘッドホンを着けず、別ので日々を過ごした。
そのうちに鷹霧くんも相変わらず顔色が悪いけれども復活した。
林さんが再び私たちの前に姿を現したのはあの日から1週間と3日後のことであった。