リアルホラー小説【遺産相続で、あなたが相続人に選ばれました。】
そのメールが届いたのは、深夜二時だった。
コンビニ夜勤から帰ってきた俺は、カップ焼きそばをすすりながら、古いワンルームの床に座っていた。
部屋は狭い。
壁紙は黄ばんでいる。
エアコンは壊れかけで、
時々「カコン」と嫌な音を鳴らす。
スマホの通知音が鳴った。
ピロン。
迷惑メールだと思った。
最近多い。
副業。
投資。
未払い請求。
どうせそんな類だろう。
俺は半笑いでメールを開いた。
件名。
【遺産相続のお知らせ】
本文。
『故・九条宗一郎様の遺言書により、あなた様が10億円の相続人として選出されました』
……は?
俺は焼きそばを吹きかけた。
「いやいやいや」
思わず声が出た。
意味がわからない。
九条宗一郎なんて名前、聞いたこともない。
本文は続く。
『正式な手続きのため、下記フォームへ口座情報をご入力ください』
下には銀行フォームらしきURL。
完全に詐欺だった。
笑った。
「あはは……」
だが
笑いながら、俺はスマホを置けなかった。
部屋を見渡す。
シンクには洗っていない皿。
財布の中身は千円ちょっと。
ふと、思ってしまった。
「……もし、本当だったら?」
その瞬間だった。
頭のどこかで、カチリと音がした。
理性ではなく、“欲”のスイッチが入る音だった。
「まぁ……口座番号くらいなら」
俺は軽い気持ちで入力した。
銀行名。
支店番号。
口座番号。
送信。
送った瞬間、少しだけ後悔した。
だが、すぐに自分に言い聞かせた。
「別に暗証番号じゃないし」
「口座番号だけなら平気だろ」
そう思いたかった。
スマホがまた鳴る。
返信は、驚くほど早かった。
『口座確認のため、10万円を指定口座へお振込みください』
そこには口座番号が書かれていた。
俺は顔をしかめた。
「ほら来た」
やっぱり詐欺だ。
そう思った。
思ったのに。
メールには、妙にリアルな画像が添付されていた。
遺言公正証書。
弁護士名。
実印。
法務局。
難しい法律用語。
全部それっぽい。
それに文面が妙だった。
煽りもない。
脅しもない。
ただ事務的だった。
まるで本当に、役所の書類みたいに。
俺は悩んだ。
十分。
二十分。
一時間。
その間ずっと、
頭の中で数字が回っていた。
10億。
10億。
10億。
「……10億に比べたら、10万なんて」
気づけばATMにいた。
震える手で、10万円を振り込んでいた。
残高が減る。
心臓がドクンと鳴る。
「俺、何やってんだ……」
帰宅してすぐ、スマホが鳴った。
『入金確認いたしました』
早い。
異様に早い。
『確認のため、返金処理を行います』
……返金?
数秒後。
銀行アプリ通知。
【入金 ¥100,000】
俺は固まった。
本当に戻ってきた。
本当に。
十万円。
一円も欠けず。
「え……?」
呼吸が浅くなる。
脳が熱い。
汗が出る。
「本物……?」
スマホが震える。
『返金確認のため、口座暗証番号4桁をご入力ください』
普通なら、ここで気づけた。
ここで終われた。
だが。
人間は一度「成功体験」を味わうと、
壊れる。
さっきまでの警戒心が、嘘みたいに消えていた。
なぜなら相手は、“約束を守った”からだ。
返金した。
信用した。
脳が勝手に判断してしまった。
俺は、自分で自分を騙した。
「4桁だけだし」
「確認用だろ」
「どうせ10億入るんだから」
指が動く。
入力。
送信。
その瞬間。
どこか遠くで、何かが終わった気がした。
『確認が取れました』
『1週間後、10億円が振り込まれます』
『楽しみに待っていてください』
それが最後のメールだった。
俺は浮かれていた。
完全に、人生が変わると思っていた。
仕事中も笑いが止まらない。
怒鳴る店長を見ながら、心の中で笑った。
(あと一週間でお前とも終わりだ)
帰り道。
高級車ディーラーを眺める。
腕時計を検索する。
タワマン動画を見る。
脳内で新しい人生が始まっていた。
母親に仕送り。
借金完済。
海外旅行。
広い家。
もう深夜バイトもしなくていい。
俺は毎晩、銀行アプリを開いてはニヤニヤした。
残高は変わらない。
だが問題なかった。
一週間後、全部変わるのだから。
その一週間は、
人生で一番幸せだった。
未来がある人間は、
こんなにも幸福なのかと思った。
だから気づかなかった。
銀行から来ていたSMS。
見慣れないログイン通知。
深夜のアクセス履歴。
全部。
全部。
見ないふりをしていた。
運命の日。
朝五時に目が覚めた。
目覚ましより早く。
興奮していた。
心臓が速い。
スマホを開く。
銀行アプリ。
ログイン。
残高照会。
読み込み。
その瞬間。
俺の世界が止まった。
画面には。
【¥0】
……え?
見間違いだと思った。
更新。
もう一度。
【¥0】
頭が真っ白になった。
履歴を見る。
深夜。
複数回の出金。
全額引き出し。
貯金。
生活費。
給料。
全部。
全部。
消えていた。
呼吸ができない。
指が震える。
メールを開く。
送信。
『どういうことですか!?』
送信エラー。
アドレスは存在しません。
もう一度。
エラー。
三回。
四回。
全部戻ってくる。
部屋は静かだった。
冷蔵庫のモーター音だけが響く。
スマホの光だけが、暗い部屋を照らしていた。
その時。
最後のメールを見つけた。
『楽しみに待っていてください』
俺は、ゆっくり理解した。
10億円を待っていたんじゃない。
あいつらは。
俺の全財産を盗む瞬間を――
“楽しみに待っていた”んだ。
スマホが、静かにブラックアウトした。
リアルホラー小説【遺産相続で、あなたが相続人に選ばれました。】
END




