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第9話 天恵の儀②

 この世界において、天恵を授かるのは人間族だけである。


 それは広く知られた事実であり、同時に、天恵を授からぬ者は人間族ではない、という残酷な証明にもなり得た。


「おい、それって」


「フォルテス家の子が……そんな馬鹿な話があるか」


「いや、どこからどう見たって人間だろ」


 ざわめきは収まるどころか、さらに大きさを増していく。

 貴族たちは、宥めようとする者、さらに騒ぎ立てる者、半信半疑の者、困惑する者  と、好き勝手に言葉を交わし合っていた。

 もはや神聖な儀式の面影は、すっかり消え失せてしまっている。


 その時、誰かが不安を煽るように、過去の忌まわしい記憶を呼び起こした。


「おい、待て、確か以前、魔人族が人間に化けて侵入したことがあっただろ」


 その一言で、場の空気が凍りつく。


 貴族たちの視線が一斉に俺へと突き刺さる。

 好奇、嘲笑、そして――明確な敵意。容赦のない視線が、まるで無数の針のように俺を貫いた。


 魔人族――それは人間に害をなす異種族だ。

 『セレスティア・サーガ』の世界において、全ての悲劇の始まりを告げる存在であり、絶対的な”悪”を担う者たち。


 俺が魔人? あり得ない。

 否定しなければ。俺は人間だ、と叫びたかった。


 だが、喉がカラカラに乾き、声が出ない。場に呑まれているだけではない。心の奥底で、一つの事実が重くのしかかっていたからだ。


 俺は魔人族ではない——そんなのは当然だ。

 魔人族特有の角も、青黒い皮膚も、鋭い牙もない。この姿は、紛れもなく人間のものではないか。



 だが――俺は“アラン”ではない。



 この身体はアラン・フォルテスのものだが、その中身は異世界から来た転生者に過ぎない。

 アランはこの世界で悪人だ。わがままで無能で、周囲から疎まれる存在だった。

 

 でも、それ以上に、得体のしれない“俺”がアランとして生きていることの方が、よほど不気味ではないだろうか?


 もし誰かにその真実を知られたら——考えるだけで背筋が凍る。


「確かに……聞いたことがあるぞ、そんな話」


 本来なら荒唐無稽なはずの憶測が、不安に駆られた貴族たちの耳には、真実味を帯びて聞こえてしまうようだった。

 俺の周囲から、人々がさっと距離を取る。まるで穢れを避けるかのように。

 その光景が、俺の今の立場を無言のうちに物語っていた。


「お静まりなさい」


 張り詰めた空気を切り裂いたのは、ヘレナの凛とした声だった。


「憶測で事を荒立てるのはおやめなさい。ここは神聖なる儀式の場です。これ以上、場を汚すことは、このヘレナ・グレインが許しません」


 四公爵グレイン家の当主としての威厳が、その言葉に重みを与えていた。

 騒ぎが嘘のように一瞬静まり、貴族たちが互いに顔を見合わせる。

 彼女自身も混乱しているはずなのに、毅然と場を収めようとするその姿に、俺はわずかながらの安堵を覚えた。


「天恵を識別できない事例というのは、稀ですが過去にもいくつか確認されています」


 丁寧に、落ち着いた口調でヘレナが説明を続ける。

 だが、その空気は意外なところから破られた。


「……確かにアラン様って最近変わったよな」


 子供たちの輪の中から、無邪気な声が響いたのだ。


「あ、本当だ! この前、ガルド先生のスキル、止めてたもん!」


「魔法だって、急に使えるようになってたぜ!」


 それはまるで、決壊した堰から水が溢れ出すかのようだった。子供たちが次々に、俺の変化について口にし始める。

 しかも、その全てが紛れもない事実なのだから、性質が悪い。こればかりは、以前のアランではなく、俺自身の行動が招いた結果なのだ。


「フォルテス卿、何かご存知では?」


 疑惑の目は、ついに父マルクにまで向けられた。

 父は腕を組み、険しい表情を崩さぬまま、重々しく口を開く。


「私の息子は、紛れもなく人間だ。仮に、万が一にも魔人族が化けていたのだとしても、それをそこの鑑定士が見抜けぬはずがないだろう」


 その言葉は落ち着いていながらも、揺るぎない威厳と確信に満ちていた。

 鑑定士――ソフィアのことだろう。

 彼女の持つ、人の本質を見抜く力は、この儀式の根幹を成す。

 その力が魔人族の擬態すら見破れないというのなら、天恵の儀そのものが成り立たない。父の言葉は、その一点を突いていた。

 当然にその大前提を誰も否定できるはずがない。


「しかし、突然人が変わったというのは、やはり……」


 それでも、疑念を捨てきれない者はいた。純粋な不安からか、あるいはフォルテス家を貶めようという悪意からか、その真意は分からない。


「思春期とは、そういうものだと私は理解しているが?」


 マルクは、あくまで冷静に、淡々と答える。

 その口調からは、俺を庇っているというよりも、ただ公平な立場から事実を述べているだけのように感じられた。それでも、今の俺にとって、これほど頼もしい存在はいなかった。


 しかし――。


「あれ? アラン様が変わったのってさ、たしか……」


 三度みたび、子供たちの無邪気な声が、静まりかけた聖堂に響いた。


 ――おい、待て、その話は。


 俺の胸を、嫌な予感が駆け巡る。


「うん、レオン君をイジメてて、反撃された時からじゃない?」


 その一言は、今の「魔人族疑惑」とは直接関係がない話だ。

 だが、聖堂内を再び不穏な空気で満たすには、十分すぎるほどの破壊力を持っていた。


「……今の話は、どういうことだ?」


「いじめ……だと?」


 貴族たちの間で、新たな困惑と疑念が渦巻き始める。彼らがその言葉の意味を咀嚼するのに、時間はかからなかった。


「フォルテス卿!」


 先ほどよりも鋭く、怒号に近い声がマルクへと飛ぶ。


 父は相変わらず表情を崩さない。

 その鋼のような仮面の下で何を考えているのか、俺には窺い知れない。だが、わずかに眉間の皺が深くなったように見えた。

 いかに家を離れていたとはいえ、寝耳に水、というわけではないのだろう。


「アラン・フォルテスが、他の生徒をいじめていたと? 事実か、フォルテス卿!」


「そのような振る舞い、貴族として、騎士の名門として許されることではないぞ!」


 非難の声が次々と浴びせられる。天恵が読み取れないことへの不安、魔人族かもしれないという恐怖、そして名門貴族の子息による卑劣な行いへの怒り。

 それらがごちゃ混ぜになり、聖堂内の空気は爆発寸前の様相を呈していた。


 父は、静かに息を吐いた。そして、ゆっくりと口を開く。


「……その件については、事実確認の上、厳正に対処する」


 その声は、あくまで冷静だった。だが、その言葉の裏には、いかなる弁解も許さないという、明確な「処分」の意思が冷たく響いていた。

 その意図は俺のみならず、騒ぎ立てる貴族たちにも痛いほど伝わったのだろう。

 我が子に対する、あまりにも冷徹とも言える宣言に、聖堂内に一瞬、息を呑む気配が広がった。


 当然、なおも食い下がり、フォルテス家の責任を追及しようとする者はいた。

 だが、マルクの揺るぎない態度と、そもそも「いじめ問題」が天恵の儀という本題から逸脱していることもあり、非難の声は次第に勢いを失っていく。

 聖堂内は、嵐が過ぎ去った後のような、静けさを取り戻しつつあった。


 しかしその静寂は、儀式の時とはまるで違う重苦しいものだ。


 祭壇の上では、ヘレナが痛ましげに眉を寄せ、隣に立つソフィアと短い視線を交わしていた。

 ソフィアもまた、困惑とわずかな同情が入り混じった複雑な表情で俺を見つめている。


「……これ以上の継続は、難しそうですね」


 ヘレナが、深い疲労の色を浮かべた表情で、諦めたように呟く。


「前代未聞の事態ではありますが……本日の天恵の儀は、ここまでとさせていただきます。続きは後日、改めて執り行うことと致します」


 その宣言は、凍りついた聖堂内の空気をさらに重くしたが、少なくとも表面的な混乱だけは収束させた。

 貴族たちは、俺に向ける冷ややかな視線を隠そうともせず、内心では不満と疑念を渦巻かせながらも、聖女ヘレナの決定に表立って異を唱えることはできなかった。


 こうして儀式は中断という形で幕を閉じた。


 だが俺を取り巻く問題は何一つ解決していない。

 むしろ、天恵が不明であることに加え、「魔人族疑惑」と「いじめ問題」という、消えることのない最悪のレッテルまで貼られてしまった。

 もはや取り返しのつかない。絶望的と言っても過言ではないだろう。


 そうして貴族たちが三々五々、不満げな囁きを交わしながら聖堂を後にし始める中、ヘレナが静かにマルクへと歩み寄った。


「フォルテス公」


 ヘレナの声には、深い疲労と、そして隠しきれない困惑が滲んでいた。


「この度は、アラン様の天恵を識別できず、儀式を中断させる事態となり……まことに申し訳ございません。すべては、我々の力不足にございます」


 ヘレナは、聖女として、そしてグレイン家当主として、マルクに対し深々と頭を下げた。その隣で、ソフィアもまた、小さな身体を折り曲げ、申し訳なさそうに俯いている。

 四公爵家当主からの、これ以上ないほど丁寧な謝罪。それは、フォルテス家への最大限の敬意を示すものであったが、同時に、今回の事態がいかに異常であるかを改めて聖堂に残る者たちに知らしめるものだった。


「原因については、我々の方で早急に調査を進めます。ですが、このようなことは過去にもほとんど例がなく……」


 ヘレナは言葉を選びながら、慎重に続ける。その視線が、わずかに俺に向けられた。


「つきましては、フォルテス公。もし、可能であれば……原因が判明するまでの間、アラン様の身柄を、我々グレイン家にてお預かりさせて頂けないでしょうか?」


 その予想外の申し出に、俺は息を呑んだ。


 マルクは、表情一つ変えずにヘレナを見つめている。

 相変わらず俺にはその真意を読み取ることはできない。

 ただ、その鋭い視線が、値踏みするように俺を一瞥したのを、俺は見逃さなかった。


 アラン・フォルテスの運命は、今、父の口から発せられるであろう一言に委ねられていた。

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