第74話 王公会議②
張り詰めた空気。
それを切り裂いたのは、凛とした、しかしどこまでも冷静な声だった。
「――サンティス公のおっしゃる通り、報告にはない要因がございました」
声の主は、末席に座っていたはずのソフィア・メティス。
彼女は静かに立ち上がり、円卓に集う全ての貴族たちの視線を一身に集めていた。その小柄な身体からは想像もつかないほどの、揺るぎない存在感。黄金色に輝き始めた右目が、彼女がただの少女ではないことを雄弁に物語っている。
「ソフィア殿……!」
マルクが驚きの声を上げる。
周囲の人々からは奇怪な視線や驚嘆、そしてアイリスからは、心配と期待が入り混じった表情でソフィアを見つめていた。
「ですがサンティス公」
ソフィアは、マルクを一瞥だにせず、真っ直ぐにアンヘルの瞳を見据えた。
「その『要因』は、王国全体の安全保障に関わる、極めて機密性の高い情報です。このような『開かれた』場で軽々に語るべきことではないと、グレイン家は判断いたしました。貴公は、その機密を、この場で公にするおつもりですか?」
ソフィアの言葉は、アンヘルへの鋭い牽制だった。
彼の指摘を認めつつも、その情報の重さを逆手に取り、彼の性急さを非難する。老獪なアンヘルも、この若き少女の聡明な切り返しには一瞬言葉を失い、その口髭をピクリと震わせた。
「……ほう。では、その機密とやらを握るグレイン家は、フォルテス家と共に、この王国の一大事を隠蔽するおつもりか」
だが、アンヘルもすぐさま立て直し、今度はグレイン家をも巻き込む形で反撃に出る。
水面下の攻防。天空の間の緊張は、最高潮に達した。
「隠蔽ではございません。慎重な事実確認と、水面下での対策を進めているのです」
その口論に割って入ったのはヘレナ・グレインだった。
ソフィアは一歩も引かない。その時、それまで沈黙を守っていた国王が、重々しく口を開いた。
凛として、しかしどこまでも穏やかなその声は、不思議なほどよく通り、天空の間の張り詰めた空気を優しく、しかし確実に支配した。
聖教会の聖女としてではなく、グレイン家当主としての威厳を纏い、彼女は静かに、ソフィアの言葉を引き継いで続ける。
「サンティス公。貴公の憂慮は、王国を思うが故のことと理解しております。ですが、ソフィアが申した通り、この件はあまりに繊細な問題を孕んでおります。フォルテス公の報告に偽りはございません。ですが、その裏には、我々の常識を遥かに超えた存在の介在が示唆されているのです」
ヘレナの言葉は、天空の間に新たな波紋を広げた。
「常識を遥かに超えた存在」。その言葉の持つ不気味な響きに、貴族たちの間にどよめきが走る。
「常識を超えた存在、ですと? 聖女様、それは一体……」
アンヘルは、僅かに眉をひそめ、探るように問い返す。だが、ヘレナは静かに首を横に振った。
「あくまで可能性の話です。曖昧な憶測で、この場を、そして民を徒に混乱させるわけにはまいりません」
ヘレナの言葉は、どこまでも穏やかでありながら、アンヘルの追及をぴしゃりと撥ね退ける、絶対的な響きを持っていた。
「……ノルディス公はどう思われる?」
アンヘルが水を向けたのは、円卓の四分の一を占める最後の公爵家――その当主だった。
それまで一切の口を開かず、ただ静かに事の推移を見守っていた老人が、ゆっくりと顔を上げた。
学問と魔法を司る東の公爵家。
ノルディス公爵家の当主、「賢者」エルネスト・ノルディス。
白銀の髪と長く伸ばした髭、その深い皺が刻まれた顔には、長年、魔力の深淵を覗き込んできた者だけが持つ、底知れない叡智と静謐さが宿っている。
「ふむ……」
エルネストは、その節くれだった指で顎の髭をゆっくりと扱きながら、円卓の中央を、まるでそこに世界の縮図でも見るかのように見つめた。
「サンティス公の懸念も、フォルテス公とグレイン公の慎重さも、どちらも理に適っておりますな」
その声は、しわがれているが、不思議なほどよく通った。
老獪な魔法使いらしく、どちらの肩を持つでもない、曖昧な言葉。だが、その場の誰もが、彼の次の言葉に息を殺して耳を傾けていた。
「して、聖女よ。常識を超えた存在の可能性を口にしたということは、少なからずは何かしらの根拠というのは掴んでいるということで宜しいか?」
天空の間に、探るような沈黙が落ちた。
東の賢者、エルネスト・ノルディス。政争の駆け引きから常に一歩引いた場所にいる彼が発した問いは、しかし、この場の誰よりも鋭く核心を突いていた。その深い叡智を宿した瞳が、静かにヘレナ・グレインの答えを待っている。
ヘレナは、その視線を穏やかに受け止めると、ふっと、まるで長年の友に語りかけるかのように、その口元をわずかに緩めた。
「賢者様。貴公がご興味を持たれるのも無理はございません。この場にて詳細を語ることは憚られますが、ラーム村近郊の森にて、極めて古い時代の――それこそ神話で語られるような出会いがあったとだけ、言わせていただきます」
ヘレナの口から紡がれた「神話」という二文字は、天空の間に新たな、そして質の違う緊張をもたらした。政争の駆け引きとは異なる、もっと根源的な、知的好奇心と畏怖が入り混じった空気。
「ほお、神話、ですと。それはまた、実に興味をそそられる話ですな」
エルネストの深い皺が刻まれた顔に、明確な好奇の色が浮かんだ。
彼の興味はもはや、フォルテス家やサンティス家の政治的な駆け引きにはない。ただ純粋に、聖女がもたらした知的な謎そのものへと向けられている。
その反応は、エルネストを自らの陣営に引き込もうとしていたアンヘルにとって、明らかな計算違いだった。彼は内心で舌打ちをしながらも、表情には出さず、ただ黙って事の推移を見守るしかない。
「聖女よ。その『神話の出会い』とやらは、ヴァラでの異変と何らかの関連があると?」
エルネストは、アンヘルの思惑など意にも介さず、探求者の瞳でヘレナに問いを重ねた。
「断定はできません。ですが、無関係ではない、と考えています。ラーム村では、極めて強力で、そして危険な性質を帯びた遺物も確認されております。いずれエルネスト公にもご意見を伺いたいと考えておりました」
ヘレナの言葉に、エルネストの目が一層鋭い輝きを放った。
「遺物……。聖女よ、それは魔道具の類か、あるいは失われた時代のアーティファクトか。どのような性質を持つ?」
「どちらとも言えましょう。ですが、その力はあまりに強大で、周囲の魔力を歪め、生物の精神にすら影響を及ぼしかねない代物です」
「なんと……」
エルネストは、顎の髭をゆっくりと扱きながら、深く息を吐いた。その顔には、もはや政治的な駆け引きの色はなく、純粋な学究の徒として、未知の脅威に対する畏れと、それを解明したいという強い渇望が浮かんでいる。
「フォルテス公、サンティス公。これはもはや、両家の体面や政治の道具として扱うべき話ではありますまい」
エルネストは、円卓を見渡し、静かだが有無を言わせぬ響きで言った。
「聖女が語る『神話の存在』と『危険な遺物』。これらが真実であるならば、我々は今、王国の存亡に関わる、未知の脅威に直面しているのかもしれぬ。些末な政争に明け暮れている場合ではありますまいな」
賢者の一言は、天空の間の空気を完全に決定づけた。アンヘル・サンティスは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込み、他の貴族たちもまた、賢者の言葉の重みに神妙な面持ちで頷いている。
最後に、国王アトレウスが重々しく口を開いた。
「ノルディス公の言う通りだ。本件は、これより王国の最重要機密案件とする。フォルテス公は、引き続き騎士団を率い、ヴァラ周辺の防衛と情報収集に全力を挙げよ。サンティス公は、街道封鎖による経済的混乱を最小限に抑えるべく、商都の力を尽くすように。そして……」
国王は、ヘレナと、その背後に控えるソフィアへと視線を向けた。
「グレイン家は、ノルディス家と連携し、その『遺物』と『神話の存在』の正体を可及的速やかに解明せよ。これは、王国全体の未来を賭けた戦いであると心せよ」
国王の厳かな宣言と共に、王公会議は異様な熱気と緊張感の中で議題を終えた。
暗雲立ち込めていた王公会議は、いつの間にか賢者エルネスト・ノルディスの知的好奇心によって、その嵐の矛先を大きく変えられていた。
それぞれの思惑が渦巻く中、王公会議は進んでいく。




