第7話 天恵前夜
この世界にはゲームシステムにおいて重要な三つの力がある。
一つ目はスキル。
剣術、槍術、体術などと言った武術の技をシステム上で表現した力のことだ。
特にこの世界においては、生身では到底繰り出すことのできない速度、軌道を描くことができる技の極地として存在している。
二つ目は魔法。
魔力(MP)を消費し、定められた呪文を唱えることで、様々な事象を引き起こす神秘的な力である。
そして三つ目。
神によって授けられる祝福の如き力。
すなわち天恵。
生まれながらにして定められた特別な才能であり、個人個人が持つ固有能力だ。
スキル、魔法とは違い、必ずしも戦闘で役立つものではないこともあるが、この世界においては最も重要視されるべき力である。
そしてその天恵を授かる時期というものがあった。
「なあアスター、天恵って」
次の日、俺はアスターに訪ねていた。
「え、天恵がどうかしました?」
アスターは不思議そうな顔で頷く。
「やっぱりあるのか……ちなみにそれを確認する方法って」
そこまで言うと、アスターがポカンとする。
まるで奇妙なものを見るような目だ。
いくらアスターとはいえ、流石に軽率過ぎたかもしれない。
「アラン様、忘れちゃったんですか? それが天恵の儀ですよ」
訳知り顔でアスターが言う。
「……天恵の儀」
まさにアイリスの口からも聞いた単語だった。
「まさか……もうすぐなのか?」
「え、あと三日後ですよ! アラン様も楽しみにしてたじゃないですか!」
アスターが興奮気味に言うが、俺の方は内心、青ざめていた。
「……あと三日」
絞り出すような声が、喉の奥から漏れる。
アスターの言葉は、まるで鈍器で殴られたかのような衝撃を俺に与えた。
ああ、そうだ。
貴族の子息は十歳を迎えると、王都の大神殿で「天恵の儀」を受けるのが慣わしなのだ。
アスターの言葉を聞いて、俺はそのイベントの記憶をようやく掘り起こした。
それこそがゲームでも出てきた、神の祝福――つまり「天恵」を授かる儀式である。
まさかこんなタイミングで直面するとは。
「そうか……もうそんな時期だったのか」
ただし、ゲーム本編では天恵の儀はそこまで重要なイベントではなかった。
なぜなら、登場キャラの多くは既に成人しており、この儀式を受ける年齢ではなかったからだ。
サブクエスト時に一度登場したことがあっただけである。
しかしこの世界に生きる者にとって、「天恵の儀」はその後の人生を大きく左右するほどの一大イベントなのは間違いないだろう。
……問題はそこだ。
言わずもがな、ゲームでのアラン・フォルテスは「無能」だった。
敵として出てきた時も、特別な力なんて使わず、たまに味方に良く分からないバフを掛けるだけの微妙なキャラ。
なら、俺が授かる天恵は――。
「……俺、もしかしてヤバいんじゃないか?」
思わず声に出してしまった。
「え?」
アスターが不思議そうにこちらを見つめる。
「いや……何でもない」
俺は慌てて首を振った。
いや、落ち着け。
元々、天恵なんてあてにしてなかった。
少し……いや、かなり残念だが、授かれるだけマシってものだ。
――いや。
ふと、ゲームの設定が頭をよぎった。
この世界において天恵を授からない存在がいる。
森人族、小人族、獣人族、魔人族……すなわち人間族以外の種族だ。
どうもこの世界において天恵を授ける存在――すなわち神は、人間に対してのみ贔屓をしているらしい。
じゃあ、今の俺は?
そもそも俺は転生してきた存在であって、広い意味ではこの世界の住人ではないとも言える。
それが天恵に影響するなんてことは――。
「……まさかな」
小さく息を吐いて、頭を振った。
最近良いことがなさすぎて、ネガティブ思考になりがちだ。
そんなわけないだろ、と自分に言い聞かせる。
「いやー、楽しみですねえ!」
あくまで前向きにしか考えられないアスターを尻目に、俺の気持ちは不安へと向かうのだった。
▼
その日は生憎の雨模様だった。
灰色の空から降り注ぐ細かな雨粒が、馬車の窓を打ちつける。
俺はその音に耳を傾けながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
天恵の儀まで、あと数時間。
王都へと続く街道は、他の貴族たちの馬車で混雑していた。
今日は十歳を迎えた貴族の子弟たちが一堂に会する、人生に一度きりしかない重要な儀式の日なのだ。
「アラン様、そろそろ王都が見えてまいります」
御者の声に、意識を取り戻す。
窓の外を見ると、雨雲の合間から差し込む一筋の光が、遠くに聳える城壁を照らしていた。
セレスティア王国の心臓部——王都セレスティリウムが、その威容を現す。
白亜の城壁、空に向かって伸びる幾つもの塔、そして中央に燦然と輝く大神殿の白銀の尖塔。
ゲームでは決して見ることの叶わない、はるかに壮麗な姿が眼の前に広がっていた。
「……すごいな」
思わず感嘆の言葉を零す。
高揚と不安と緊張感と、様々な感情がごちゃ混ぜになりながら俺はその景色を目に焼き付けていた。
馬車は次第に速度を緩め、やがて街の北門に到着する。
門前では、厳めしい表情の衛兵たちが各馬車を検査していた。
中には門前払いを食らっている者たちも入る。
この大雨の中で大変気の毒ではあるが、きっとそれなりの理由があるのだろう。
しかしフォルテス家の紋章を見るなり、彼らは敬礼し、すぐに通してくれた。
まさに顔パス。流石は四公爵のフォルテス家と言ったところか。
王都の中もまた、華やかな光景が広がっていた。
石畳の通りには色鮮やかな布で装飾された店先が並び、雨にもかかわらず多くの人々が行き交っている。
まさに活気に溢れた街という印象だ。
――しかし、十年後には。
俺はその光景を思い出す。
この美しく活気ある王都も、魔王軍の侵攻により大きな打撃を受けることになる。
ゲームの序盤では、既に落城した王都から避難する市民たちの様子が描かれていた。
「緊張してるのか?」
声に顔を上げると、対面に座っていた人物が俺を見つめていた。
アランと同じ金色の髪に鋭い眼光、筋肉質な体格を持つ若年の男性。
ルーカス・フォルテス——アランの兄であり、フォルテス家の次期当主と目される人物である。
父マルクと同様に公正な人物で、武勇に優れた実力者――だったらしい。
アランには三人の兄妹がいた。
長兄ルーカス。
武勇に優れ、次期騎士団長及びフォルテス家当主として期待されていた人物。しかし彼は今から十年後の魔人侵攻によって命を落としてしまう。
次兄ディオン。
フォルテス家らしからぬ研究肌で、騎士ではなく魔法研究の道へと進んだ変わり者。天才肌といえば聞こえは良いが、アランとは別の意味で問題児とも言える。
そして末妹フィオナ。
控えめな性格で引きこもりがちな少女。だが治癒魔法の才はゲーム随一。『セレステティア・サーガ』のヒロインの一人でもある。
つまりゲーム開始時点で既にルーカスは亡くなっているのだ。
「……まあ、少しだけ」
「まあ当然か、俺だって緊張したもんだ」
そう言うと、彼は窓の外に視線を移した。
雨は降り続けているが、徐々に青空が見え始めていた。
「天恵は人生を変える。良くも悪くも、な」
彼の口調には経験者特有の重みがあった。
「兄上は、何の天恵を?」
思わず尋ねてしまう。
これからの心構えとして先んじて知っておくことにも意味はある。
それにこれはゲームでは語られなかった部分だった。
「俺か? 烈光だ。ありとあらゆる速度が増す、シンプルだけど強力な天恵だよ」
彼はそう言って軽く笑った。
「烈光……」
聞いたことがない天恵だった。
しかし能力だけ聞くと、かなり強い部類なのではないだろうか。
『セレスティア・サーガ』における素早さとは、攻撃順序と回避力に繋がる重要ステータスなのだ。
「それで、お前は何を望むんだ?」
ふと、真剣な眼差しでルーカスは俺に問いかけた。
彼なりに俺に対し思うことがあるのかもしれない。
「……まだ分からない。でも今のままじゃダメなんだってことは分かってる」
俺なりの気持ちを正直に口にする。
まだ俺の中に答えはないのだ。
レオンに世界を救う役割があるのと違い、俺には最悪の役割しかない。
その役割を降りることができたとして、俺は一体何をするべきなのか、まだ分からなかった。
ルーカスはしばらく俺を見つめ、やがて静かに口を開いた。
「なるほど……好きな子でもできたか?」
ルーカスの予想外の質問に、俺は思わず息を詰まらせた。
「は、はあ? いきなり何で?」
まさか兄がこんな話題を振ってくるとは思いもよらず上手く言葉が出てこない。
ルーカスはそんな俺の狼狽ぶりを見て、小さく笑った。
「だって、"今のままじゃダメだ"なんて言うから、てっきり誰かに認められたいとか、そういう話かと思ったんだが」
「違うよ! そんなんじゃなくて……」
言いかけて言葉を飲み込む。
このままだと本来の目的を口に出してしまいそうだったからだ。
「ま、気にするな。冗談だ。それにしてもお前とこんな話ができるなんてな」
ルーカスはそう言うと優しく笑みを零す。
その言葉の意味に何となく察しがつくものの、俺は曖昧に笑って誤魔化した。
会話はそこで途切れたが、不思議と気まずい沈黙ではなかった。
馬車が大きく揺れ、速度を落とす。
やがて完全に停止し、御者が扉を開ける。
「フォルテス家の皆様、大神殿に到着いたしました」
雨は既に上がり、陽光が大神殿の尖塔を照らしていた。
まるで儀式のために晴れ間が広がったかのようだ。
大理石の階段が神殿へと続き、その両脇には様々な紋章を掲げた旗が翻っていた。
各貴族の家系を表すものだろう。
すでに多くの馬車が集まっており、華やかな衣装を身にまとった貴族たちが三々五々と階段を上っていく姿が見える。
その中には、同年代の子供たちも混じっていた。
皆、緊張した面持ちだが、期待に胸を膨らませている様子も垣間見える。
「さあ、行こうか」
ルーカスが俺の肩に手を置く。
俺は深く息を吸い込み、大神殿への階段を上り始めた。
各家の使用人たちが、自分の主人を見送る姿も見える。
彼らの中には、涙ぐむ者もいた。それほどまでに天恵の儀は、貴族の子弟にとって人生を左右する重大な儀式なのだろう。
神殿の入り口には、白銀の鎧に身を包んだ神殿騎士たちが整然と並び、来訪者を見守っていた。
その眼光は鋭く、まるで魂の奥底まで見通されているかのようだ。
神殿内部に足を踏み入れると、天井から降り注ぐ光と、壁面を彩る魔法のランプが荘厳な雰囲気を醸し出していた。
広間の壁には、セレスティア王国の歴史を描いた壁画が施されている。
創世の神々、初代王の戴冠、歴代の英雄たちの活躍——全てが色鮮やかに、そして敬虔な筆致で描かれていた。
中央には巨大な石の台座があり、その周りに七つの小さな祭壇が配置されている。
それが天恵の儀を行う場所なのだろう。
「父上!」
ルーカスの声に、俺は顔を上げた。
石の台座の近くに立つ一人の男。
厳格な表情、凛とした佇まい、そして鋼のような鋭い眼光。
それは間違いなく、フォルテス家当主、マルク・フォルテスだった。
アランの父であり、俺にとっては初対面の人物。
その圧巻の佇まいに思わず息を呑む。
マルク・フォルテスは、俺の姿を認めると、一瞬眉を顰めた。
だがすぐに表情を戻し、こちらへと歩み寄ってくる。
「来たか、アラン」
低く響く声。その一言に、威厳と重みが滲んでいる。
「は、はい……」
緊張のあまり、声が裏返りそうになる。
マルクはアランの様子を観察するように一瞥し、わずかに首を傾げた。
「どうした? いつもの調子はどこへ行った?」
彼の言葉に、ルーカスが苦笑する。
「父上、今日は特別な日です。さすがのアランも緊張しているのでしょう」
マルクは小さく息を吐き、視線を俺からそらした。
「くれぐれも粗相はしないことだ」
敵意とまではいかないが、その言葉の節々には棘があった。
諦観と言った方が近いかもしれない。
もう既に親子関係は最悪なものらしい。
その時、神殿内に鐘の音が響き渡った。
儀式の開始を告げる合図だ。
いそいそと座席へ座る来客者たち。
皆一様に緊張の面持ちだ。
そして神殿の奥から、白と金の装束に身を包んだ神官たちが現れる。
先頭を歩く人物は、白銀の髪を纏めた神秘的な女性だった。
その佇まいから彼女が只者ではないことを肌で感じる。
「神の御名において、天恵の儀を始めます」
彼女のその言葉によって、天恵の儀が幕を開けるのだった。