第67話 赤き力
「契約――二年」
「任せろ――承諾だ!」
俺の掠れた声と、ランドの力強い承諾が重なった瞬間、森の空気が再び一変した。
しかし俺自身には何の変わりもない。
代わりにその力は、まるで目に見えない奔流となって、ランド・ガリオンの小さな身体へと注ぎ込まれていった。
「ぐ……おおおおおおおおおおッ!」
ランドの全身が、内側から弾け飛ぶかのような凄まじいエネルギーに包まれた。
彼の燃えるような赤髪はさらに逆立ち、その瞳は獲物を狩る獣のように爛々と輝きを増す。ボロ切れのような服の下で、未熟な筋肉が瞬く間に隆起し、その体躯からは、先ほどまでとは比較にならないほどの、荒々しくも強大なプレッシャーが放たれていた。
「……これが、ランドの……」
傍から見ると、その変化はあまりにも劇的だった。
ガルドの指導でようやく「型」の入口に立ったばかりの少年が、まるで歴戦の勇士のような覇気を纏っている。
ソフィアもまた、言葉を失い、目の前で起きている超常の現象をただ見つめていた。彼女の黄金色の右目は、ランドの急激な変化と、そこから放たれる未知のエネルギーを捉え、激しく明滅している。
「……ほう。これはまた」
ダラゴラスは、ランドの変貌を目の当たりにし、その龍人の貌に浮かべた獰猛な笑みをさらに深めた。漆黒の長剣を握る手に力が込められ、彼の周囲の空間が再びビリビリと震えた。
片腕を負傷させられたとはいえ、その圧倒的な存在感は一切揺らいでいない。
天眼で見なくとも分かる。
いかに俺の『前借』で二年分の力を凝縮したとはいえ、ランドの力はまだまだ奴に及ばない。俺の十年でようやく僅かに上回れた相手なのだ。その壁は遥かに高い。
ランドはそれを理解しているのだろう。
全能感にも似た力が身体に満ち溢れているだろうに、その足は未だ大地にしっかりと根を下ろし、ダラゴラスの一挙手一投足を見据えていた。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。
ダラゴラスが剣を構え、ランドもまた木の棒を構える。
ジリジリと、焦げ付くような緊張が森の空気を支配する。
「……面白い。実に面白いではないか、少年。その急激な力の奔流、君自身の魂の叫びと見事に調和している」
ダラゴラスの声には、もはや嘲弄の色はなく、純粋な強者としての好奇と、そしてどこか獲物を見定めたかのような獰猛な響きが混じっていた。
「黙れ。お前を、ここでぶっ倒す!」
ランドは、まるで獣が牙を剥くように低く唸り、その赤い瞳をギラギラと輝かせた。
次の瞬間、彼は大地を爆発させたかのような勢いでダラゴラスへと突進した。手にした木の棒は、もはやただの木片ではない。彼の意志と、アランから注ぎ込まれた力が融合し、凶器としての鋭さを増している。
ヒュンッ!
風を切り裂き、ダラゴラスの喉元目掛けて突き出された木の棒。それは、以前のランドでは考えられないほどの速度と精度を伴っていた。
だが、ダラゴラスは紙一重でそれを回避し、漆黒の長剣でランドの木の棒を弾き返そうとする。
キンッ!
甲高い音が響き、火花が散る。
信じられないことに、ランドの木の棒は、ダラゴラスの魔剣の斬撃を真っ向から受け止め、弾き返していた。二年分の「前借」は、彼の身体能力だけでなく、手に持つ武器の強度すらも引き上げているかのようだ。
「なかなかの膂力だ。だが、力だけでは――」
「――うるせえッ!」
ダラゴラスの言葉を遮り、ランドは獣のような咆哮と共に、さらに攻撃の速度を上げる。突き、薙ぎ払い、叩きつけ。その動きは荒々しく、型にはまらない。だが、その一撃一撃には、常人では受け止めきれないほどの質量と速度が乗っていた。
ダラゴラスは、その猛攻を冷静に、しかし確実に捌いていく。漆黒の長剣が、まるで生きているかのように滑らかな軌跡を描き、ランドの攻撃をいなし、受け流し、時には鋭いカウンターを繰り出す。
だが、今のランドは以前とは違う。ダラゴラスのカウンターを、野生動物のような鋭い勘と、アランから借り受けた力で強引に弾き、即座に次の攻撃へと繋げていく。
――だがやはり足りない。
その全てが今までのランドとは桁違いに跳ね上がっているが、それでもあの怪物には届かない。
「……ソフィア」
俺の掠れた声に、ソフィアは弾かれたようにこちらを振り返った。
その黄金色の右目は、未だランドの劇的な変化に釘付けになりながらも、俺の呼びかけに応じようと必死に平静を装っている。
「……貴方は一体何を」
「説明は、後だ。今すぐランドを、鑑定してくれ」
俺の切羽詰まった指示に、ソフィアは一瞬戸惑いの色を見せたものの、何も言わずその黄金色に輝く右目を、赤髪の少年――ランド・ガリオンへと向けた。
数瞬の静寂。
ソフィアの顔が、驚愕に見開かれる。その小さな唇が微かに震え、声にならない息を漏らした。
「っ……これは」
その反応で俺は小さく息を吐いた。
正直、これは賭けだった。
『前借』を他人に使えることは分かっていたが、その副次的な効果についてはただの憶測だったからだ。
「……それも狙い通りなんですね」
やがて、ソフィアはアランへと向き直り、僅かに呆れたような、それでいて感心したかのように呟く。
そして直ぐに顔を上げ、ランドに向けて高らかに宣言した。
「――ランド・ガリオン、貴方の天恵を宣言します」
ソフィアの凛とした声が、破壊され尽くした森の残骸に響き渡った。
黄金色に輝く右目は、目の前で荒々しい覇気を放つ赤髪の少年――ランド・ガリオンの存在の根幹を、寸分違わず捉えている。
激しい剣戟の最中にあったランドとダラゴラスの動きが、ソフィアのその一言によって、ほんの一瞬、しかし確かに止まった。
ランドは、獣のような荒い息をつきながらも、驚愕と期待が入り混じった表情でソフィアを振り返る。
ランド・ガリオンは9歳であり、未だ天恵を授からぬ身。
しかし今の彼は俺の手によって二年分の力を授かった身でもある。
なれば、既に天恵を授かった者として存在していても何らおかしくはない。
「修羅」
ソフィアの唇から紡がれた二文字。
ランドの赤い瞳が、驚愕に見開かれる。
修羅――その言葉が持つ、荒々しくも力強い響き。それは、彼自身の魂の在り様を、的確に言い表しているかのようだった。
「私の『天眼』が捉える貴方の天恵、修羅は――」
「いや、良い、何となく分かった」
ソフィアの解説を遮ったのは、他ならぬランド自身だった。
その赤い瞳は、もはやソフィアではなく、目の前の龍人――ダラゴラスだけを捉えている。荒々しい獣のような気配はそのままに、しかしその奥に、まるで長年使い慣れた道具の感触を確かめるような、奇妙なほどの落ち着きが宿り始めていた。
「修羅……ね。悪くねえ響きだ」
ランドは、血に濡れた唇の端を歪め、不敵な笑みを浮かべた。
アランから注ぎ込まれた二年分の「力」と、今まさに彼の魂に呼応し始めた天恵「修羅」。その二つが融合し、まさにゲーム上の『狂戦士』が現界しようとしていた。
ゴウッ、と。
ランドの身体から、まるで陽炎のような赤いオーラが立ち昇り始める。それは魔力とは明らかに異なる、もっと根源的で、荒々しい力の奔流。
「……いくぞ、龍人野郎ッ!」
ランドの咆哮が、破壊され尽くした森に響き渡った。
次の瞬間、彼の姿は爆ぜるように掻き消え、先ほどとは比較にならないほどの速度でダラゴラスへと肉薄する。手にした木の棒は、赤いオーラを纏い、もはやただの木片ではなく、凶悪な質量と破壊力を秘めた鈍器へと変貌していた。
「面白い、来るが良い」
次の瞬間、赤いオーラを纏った木の棒と、漆黒の魔剣が、火花を散らしながら激しく衝突した。
ランドの動きは、まさに獣そのもの。予測不能な軌道で繰り出される打撃は、ダラゴラスの鉄壁の防御をこじ開けようと、荒々しく牙を剥く。
だが、ダラゴラスは揺るがない。
たった片腕でそれらをいなし、幾度とない剣戟を経て、ランドの身体に傷がつけていった。
当然だ、いかに天恵が明かされたからと言って劇的な効果はないだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
そしておよそ数十回ほどの攻防を終え、ランドの身体には無数の傷がついていた。
致命傷は避けているが、至るところから出血し、その赤い髪は汗と血で濡れそぼっている。肩で大きく息をするその姿は、満身創痍だ。
「どうしたその程度か?」
「うる、せえ……」
圧倒的な力の差。
このままでは間違いなくランドはやられるだろう。
しかし俺とソフィアはその様子を落ち着いた様子で見ていた。
「……アラン様」
「……ソフィアも分かってるんだろ?」
俺の問いにソフィアはコクリと頷いた。
修羅の能力。
傷つけば傷つくほど、窮地に立てば立つほど、その力は増していく。それこそが天恵『修羅』の本質。
戦いの中で己を高め、死線を超えるたびに新たな力を得る、まさに戦闘に特化した天恵。
そしてその蓄積によって放たれる必殺の一撃こそが、『セレスティアル・サーガ』において、彼を最強とたらしめた力である。
「……お、おお……おおおおおおおおおおッ!」
ランドの全身から、先ほどとは比較にならないほどの、紅蓮のオーラが噴き出した。
彼の身体に刻まれた無数の傷が、まるで溶岩の亀裂のように赤く輝き、そこから止めどなく力が溢れ出してくる。その赤い瞳は、もはや人間のそれではない。怒りと闘争心、そして純粋な破壊衝動に染め上げられた、まさしく「修羅」の瞳だった。
「はっ……面白い!」
ダラゴラスの龍人の貌に、初めて純粋な驚嘆と、そして隠しきれない闘争の愉悦が浮かんだ。彼は負傷した右腕を庇うことなく、漆黒の長剣を両手で握り直し、その切っ先を紅蓮のオーラを纏うランドへと真っ直ぐに向ける。
「――ソフィア、来るぞ」
俺の静かな呟きに、ソフィアは息を詰めて頷いた。彼女の『天眼』もまた、ランドから放たれる規格外のエネルギーの奔流を捉え、その意味を理解しているのだろう。
ランドは、ゆっくりと、しかし確かな力強さで、血に濡れた木の棒を頭上に掲げた。紅蓮のオーラが、その棒の先端に螺旋を描くように収束していく。
それはもはや、ただの木の棒ではない。彼の怒り、痛み、そして生きる意志そのものが凝縮された、破壊の象徴。
そして彼は叫んだ。
「――狂撃ッ!!」




