第66話 力の本質
「――天撃!」
俺の右拳に纏ったエネルギーは、もはや物理的な衝撃というよりも、純粋な破壊の概念そのものだった。
空間が悲鳴を上げ、大気が震え、森の木々が一瞬にして塵芥と化すほどの凄まじい奔流が、ダラゴラスの『崩撃』と激突する。
極限と究極。
二つの絶対的な力が衝突した瞬間、世界から音が消えた。
いや、違う。鼓膜が破れるほどの衝撃波が、あらゆる音を塗り潰し、ただ純粋なエネルギーの爆発だけが、俺の視界を白く染め上げたのだ。
ただ、右腕を通じて、ダラゴラスの『崩撃』が生み出した、底なしの破壊の奔流を感じる。
だが、俺の『天撃』もまた、一歩も引かずにその奔流に拮抗、否――凌駕していた。
どれほどの時間が経過したのだろうか。
永遠にも感じられた純白の世界が、徐々に色を取り戻し始める。
舞い上がる土煙、へし折れた木々の残骸、そして抉れた大地。
衝突の中心地は、もはや元の地形を留めていないほどに破壊し尽くされていた。
「……はぁ……っ、はぁ……!」
俺は、辛うじてその場に膝をつき、荒い息を繰り返していた。
右腕は、もはや感覚がない。
形こそ保っているが、まるで自分の身体の一部ではないかのように、だらりと垂れ下がるばかりだ。
だが、それでも俺は顔を上げた。
土煙の向こう、そこに立っているはずの男の姿を確かめるために。
霞む視界の先、土煙がゆっくりと晴れていく。
そこには一つの人影がある。
確認するまでもない。ヤツだ。
真導者ダラゴラス。
その龍人の貌には、先ほどまでの余裕綽々とした笑みは消え失せ、代わりに信じられないものを見るかのような、純粋な驚愕と、そして僅かな……いや、明確な焦りの色が浮かんでいた。
俺が放った一撃は、確かにヤツに届いたのだ。
だが、それでもヤツは立っていた。
その黒衣は所々が焼け焦げ、俺の『天撃』を真正面から受け止めたであろう右腕は、見る影もなく、黒紫色の血を滴らせている。
いかに伝説的な龍人といえど、もはやあの腕は使い物にはなるまい。
致命傷、とまではいかないまでも、無視できないダメージを与えたことは明らかだった。
「……は、ははは、少年。これには驚いたぞ」
ダラゴラスの声はどこか楽しげですらあった。
俺の放った渾身の『天撃』。十年分の力を凝縮した一撃は、確かに奴にダメージを与えたはずだ。だが、その声には絶望も、敗北の色もまるでない。
「まさか、この私に一矢報いる者が、このような辺境の、それもまだ幼い雛鳥であろうとはな」
ご機嫌につらつらと言葉を並べるダラゴラスは、まるで俺の健闘を称えているかのようだった。だが、その瞳の奥底には、依然として底知れない闇と、俺たち人間を見下すかのような冷徹な光が宿っている。
「見事、見事だ少年。よもや人間の範疇を超えた力をよくぞ使いこなして見せた」
その言葉には、偽りのない称賛の色が込められている。
常に冷静で、冷徹な印象を受けるダラゴラスというキャラクターからはかけ離れた印象だ。
まるで戦闘狂とも言えるような一面。それこそがこの男の本性なのだろうか。
「ああ、私は運が良い、この場にこうして二つもの天才を見つけることができたのだから」
意味深に嗤うダラゴラス。
その言葉に、俺はギリ、と奥歯を噛み締めた。
二つの天才――それは、俺と、そして恐らくは、ソフィアのことをを指しているのだろう。
「さて、少年少女よ。君等に敬意を評し改めて問おう。私と共に来る気はないか?」
ダラゴラスの、地響きのような重低音を伴った声が、破壊され尽くした森の残骸に響き渡った。
その龍人の貌には、先ほどまでの戦闘の興奮の残滓と、そして俺たち――特に俺とソフィアの返答を試すかのような、底知れない好奇の色が浮かんでいる。
「……こ、ことわる」
もはや声を出すのも辛い。
血反吐と共に、俺の口から絞り出されたのは、怒りと、そしてほとんど反射的な拒絶の言葉だった。
『前借』の反動が、全身を内側から蝕み始めているのを感じる。
意識が明滅し、立っていることすら困難になってきた。
「アラン様!」
ソフィアの悲痛な声が、遠くに聞こえる。
彼女が駆け寄ろうとする気配を感じたが、それをダラゴラスが許すはずがない。
「ふむ……残念だ。実に、残念だよ、少年」
ダラゴラスは、その龍人の貌に、心底残念そうな、しかしどこか冷酷な笑みを浮かべた。
その左手がゆっくりと持ち上がり、俺に向けられる。
「く、そ……」
慈悲も、躊躇いもない。
ただ、絶対的な力による、無慈悲な宣告。
これが、悪役貴族アラン・フォルテスの、本当の最期なのか――。
諦観が心を支配しようとした、その瞬間。
「――させるかァァァァァッ!!」
森の木々を震わせるような、獣の咆哮にも似た絶叫。
声の主は、俺でも、ソフィアでもない。
ダラゴラスの背後、俺たちが来た方向とは逆の茂みから、一つの影が猛然と飛び出してきた。
燃えるような赤髪、ボロ切れのような服。
その手には、修練で使い古した、ただの木の棒。
「ランド……!?」
なぜ、彼がここに。
いや、それよりも、何をしようというのだ。
今のダラゴラスに、木の棒で立ち向かうなど、無謀という言葉すら生ぬるい。それは、ただの自殺行為だ。
「よ、よせっ……ランド!」
俺の悲痛な叫びも、燃えるような赤髪の少年の耳には届かなかった。
ランド・ガリオンは、まるで獣が最後の力を振り絞るかのように、その小さな身体に不釣り合いなほどの気迫を漲らせ、ただの木の棒を槍のように構え、龍人ダラゴラスへと猛然と突進していく。
その赤い瞳には、恐怖も絶望もない。ただ、仲間を、そしておそらくはこの村を守ろうとする、純粋で、そしてあまりにも無謀な怒りだけが燃え盛っていた。
「散り行く星の残光、集いし希望の灯、空白を満たす光の欠片よ、吾が意思に従い形を成せ——光球!」
ランドの絶叫とほぼ同時に、ソフィアの切羽詰まった詠唱が完了し、眩いばかりの光球が放たれた。
それは、ダラゴラスの顔面目掛けて正確に飛翔し、強烈な閃光を放って炸裂する。
「ソフィア……お前まで」
直ぐ側まで駆け寄ってきていたソフィア。彼女は、俺を庇うようにダラゴラスとの間に割り込み、光球を放ったのだ。だが、それは龍人の眼前に放たれたそれは、目眩まし以上の効果はなかった。
「――小賢しい」
ダラゴラスは、光球の残滓を鬱陶しげに払いながら、迫り来るランドを一瞥した。その瞳には、もはや興味の色すらない。ただ、邪魔な虫けらを処理するかのような、冷たい侮蔑の色が浮かんでいる。
漆黒の長剣が、ランドの小さな身体を薙ぎ払わんと、無慈悲な軌道を描いた。
ゴッ!
鈍い音と共に、ランドの小さな身体が木の葉のように吹き飛ばされた。
地面を数度バウンドし、俺の傍まで転がってくる。
「ランドっ!」
ランドは咳き込みながらも、折れた木の棒を杖代わりに、憎悪と屈辱に顔を歪ませながらダラゴラスを睨みつけていた。口の端からは血が流れ、その赤い髪をさらに赤く染めている。
致命傷は免れたようだが、もはや戦える状態ではない。
「ソフィアッ! 早く、逃げろ!」
目の前に立つ少女の背中に、俺は最後の力を振り絞って叫んだ。
彼女の肩は軽く震えていた。
当たり前だ、天眼を持つ彼女が一番、この行動の無謀さをよく知っている。
「……っ、お断りします!」
ソフィアは、俺の懇願を、震える声で、しかしきっぱりと拒絶した。
彼女は俺を庇うようにダラゴラスとの間に立ちふさがり、その黄金色の右目を細め、ありったけの魔力を練り上げようとしている。だが、先ほどの光球で既に魔力の大半を消費しているのだろう、その顔色は蒼白で、肩で荒い息を繰り返していた。
無駄だ。今の彼女では、ダラゴラスの足止めにすらならない。
このままじゃ、ランドもソフィアもガルドさんも、そして俺も、皆殺しにされてしまう。
「……まだだ」
掠れた声が、俺自身の口から漏れた。
身体の奥底、枯渇したはずの力の源泉から、最後の残り火のような、微かな熱が蘇るのを感じる。
――まだ、終われない。
ソフィアの震える背中、血反吐を吐きながらもダラゴラスを睨みつけるランドの姿、そして、どこかで意識を失っているであろうガルドさんの顔が、脳裏をよぎる。
彼らを、死なせるわけにはいかない。
「すまん、肩を借りる」
「お、おい」
俺はランドの肩に手を置き、体勢を保つ。
ランドが肩で息をしながらも、驚愕の目で俺を見ていた。
「安心してくれ、もう無茶もできないから」
軽く笑いながらソフィアとランドに語りかける。
『前借』の奥の手。
それは俺に残された十年分の力を短い時間に凝縮し発揮する、正当な強化手段。
――そう思っていた。
『前借』を一身に浴びた今だからこそ分かる。
俺の力はまだ真意を見せていないのだと。
――否、始めから知っていたのだ。
アラン・フォルテスを知る者ならその答えを始めから知っていた。
『特別な力なんて使わず、たまに味方に良く分からないバフを掛けるだけの微妙なキャラ』
それがアラン・フォルテスというキャラクター評。
そしてそれが決してゲーム上の都合などではないとしたら、
「ランド。お前にしかできない頼みだ――」
もはや声を出すのもやっとであり、ランドの耳にしか聞こえない声でその条件を告げた。
「はっ、上等だ!」
ランドはニヤリと口角を上げ叫ぶ。
流石は、ランド・ガリオン。
この世界におけるもう一人の主人公だ。
「――前借」
俺は途切れそうな声でその名を告げる。
「何を……!?」
ソフィアが慌ててこちらに振り返った。
その奥ではダラゴラスが興味深そうにこちらを覗いている。
「契約――二年」
アランの掠れた、しかし確かな意志を伴った声が、破壊され尽くした森の残骸に響き渡った。
そして契約は続く。
「任せろ――承諾だ!」




