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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第62話 野望

 静寂が、まるで分厚い氷のように俺たちを包み込んでいた。

 ダラゴラス――いや、今はまだ特級冒険者ダラス・エリオットの皮を被った男が、俺の言葉を待っている。


「……アンタは、一体何がしたいんだ。ダラゴラス」


 絞り出した俺の声は、自分でも驚くほど冷静だった。

 もはや開き直りに近い感情だ。目の前の男、ダラゴラスの圧倒的な存在感、そして俺の秘密をいとも簡単に見透かすような洞察力。下手な小細工は通用しない。

 ならば、真正面から問い質すしかない。たとえそれが、虎の尾を踏む行為だとしても。


「ほう」


 ダラゴラス――今はまだ特級冒険者ダラス・エリオットの皮を被った男は、フードの奥で、まるで面白い玩具を見つけた子供のように、楽しげな声を漏らした。

 彼の肩が微かに揺れ、それは紛れもない笑いであったことを俺に理解させた。この絶望的な状況で、彼は余裕綽々でいる。


「やはり君は興味深い、よもや君も天の瞳を持っているのではあるまいな?」


 ダラゴラスのフードの奥から漏れ聞こえる、楽しげな声。それは、俺の覚悟も、ソフィアの恐怖も、何もかもを弄ぶかのような、絶対者の余裕だった。


「だったらどうする」


 俺は敢えて挑発する。

 もちろん怒らせるつもりはない。というかこの程度で憤るような玉じゃない。

 この男は興味を引き続けるためには、この方法が最も効果的だと判断した。

 戦いになることだけは絶対に避けなければならない。


 俺の挑発的な言葉に、ダラゴラスは喉の奥でクツクツと笑いを噛み殺すような音を立てた。


「ありえぬよ、天の瞳はこの世にただ二つのみ。そこな少女が持つ世界を映す瞳と――」


 そこまで言ってダラゴラスは言葉を切った。

 もう一つの天眼、それはすなわちセレナの持つ未来視のことだ。


「――ああ、そういうこともあるのか」


 ダラゴラスの呟きが不気味に響く。

 フードの奥の瞳が、俺と、そしてソフィア、さらには遥か遠く、聖都にいるであろうセレナの存在までも見透かしているかのように感じられる。


「さて、少年。私の名を知り、そして魔導石の秘密の一端にも気づいている。一体どこまで知っているのやら」


 その問いは、俺の知識の深さを測ろうとするものであると同時に、俺の覚悟を試すものだった。


「ああ、そうだった。私が何をしたいのか、だったな」


 ダラゴラスは、まるで取るに足らない問いを思い出したかのように、静かに、しかしその声に微かな愉悦を滲ませて言った。


「しかし少年。君は、私が何を成そうとしていると“知っている”のではないか?」


 やはり、試されている。俺の知識の深さ、そして、その知識をもって何を成そうとしているのか、その覚悟を。


 一瞬、脳裏を凄まじい勢いで情報が駆け巡る。『セレスティアル・サーガⅡ』のラスボス、真導者ダラゴラス。彼の掲げた理想、その狂気、そして圧倒的なまでの力。

 下手に刺激すれば、ここが俺たちの墓標となる。だが、中途半端な答えでは、彼の興味を惹きつけることはできないだろう。


「……アンタは」


 喉がカラカラに乾き、声が思うように出ない。それでも、言葉を紡ぐ。


「この世界の……『歪み』を正そうとしている。そうなんだろ?」


 それは、彼の思想の核心に触れる、危険な言葉だった。

 だが、今の俺には、これしか思いつかなかった。彼の興味を引き、そしてあわよくば、この場を切り抜けるための、唯一の糸口。


「歪み、か」


 ダラゴラスは、俺の言葉を反芻するように呟いた。フードの奥で、彼の口元が微かに吊り上がったのが、暗闇に慣れた俺の目には見えた。それは、満足げな、あるいは嘲るような、どちらとも取れる笑みだった。


「良い表現だ、少年。確かに、この世界は歪んでいる。犠牲の上に成り立つ偽りの繁栄、忘れ去られた真の主。それらを正し、あるべき姿へと回帰させる。それが私の願いであり、目的だ」


 彼の言葉は静かだが、その一つ一つが、まるで世界の根幹を揺るがすような、途方もない響きを持っていた。


 偽りの繁栄、忘れ去られた真の主、そして世界の回帰。

 それは、俺の知る『セレスティアル・サーガⅡ』の物語、その狂信的な思想の核心そのものだった。

 やはり時間軸は変わっていても、その目的は変わらないのか。


 『セレスティアル・サーガⅡ 偽りの楽園』における彼の命題は、『混沌』の復活。

 それはすなわち龍人である彼の創造主である龍神の復活に他ならない。

 魔力然り、天恵然り、全ての根源にある古き支配者、それが『混沌』龍神の正体である。


「さて私は答えたぞ、少年。次は私の番だ」


 ダラゴラスのフードの奥、闇に沈む瞳が、値踏みするように俺を見据えている。

 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

 ここからが正念場だ。


「私の目的を知った今、君はどうするつもりだ?」


 まるで意趣返しのような問いだった。

 この返答次第で全てが決まる。その確信がある。

 だがよもや結末は変わらないのだろう。

 確かに彼は俺達を見下している。だが全てを知ってしまった俺達をむざむざ見逃すほど愚かな男ではない。


「アンタの理想は興味深い」


「ほう……?」


 俺の答えはダラゴラスに興味の色を浮かばせた。

 視界の端では、ソフィアが息を呑み、俺の横顔を凝視しているのが分かる。彼女の黄金色の瞳には、俺の真意を測りかねる戸惑いと、そしてこの危険な駆け引きに対する切迫した緊張が浮かんでいた。


「正直、壮大過ぎて実感のない話だ。世界の歪みだとか、真の主だとか……俺のような、ただ生きるのに必死な人間には、雲の上の話にしか聞こえない」


 俺は一度、自嘲気味に肩をすくめてみせた。まずは、彼の思想に対する直接的な賛同や否定を避け、自分の矮小さを強調する。


「だけどアンタの言う通り、犠牲の上に成り立つ繁栄ってのは、確かに気分のいいものじゃない」


 俺の言葉は、静かな森の空気に溶けるように、しかし確かな重みを持ってダラゴラスへと届いた。

 ダラゴラスは興味深そうに俺の言葉を待っている。


「だからこそ……アンタの野望には乗れない」


 そして俺は答えを告げた。


「ほう……それはどういうことかな?」


 ダラゴラスの声は、静かでありながら、その奥に潜む興味を隠そうともしない。

 フードの影が揺れ、まるで闇そのものが俺の答えを待っているかのようだ。視界の端では、ソフィアが息を殺し、俺とダラゴラスの間の空気を切り裂くような緊張感に耐えているのが分かる。


「アンタ、その魔導石は一体何に使うつもりだ?」


 その表情は窺えない。だが、彼が纏う空気が、先ほどまでの興味や愉悦とは異なる、冷徹なものへと変わったのを肌で感じた。


「アンタは世界そのものを救いたいだけだ、そこに人命の勘定は入っていないんだろ?」


 それこそが彼の目的に従うわけにはいかない理由。

 彼は主の復活のみを目的としている。

 それ以外の存在は、例え信奉者であっても有象無象としか思っていないのだ。


「なるほど……だが、その答えを得て何とする?」


 ダラゴラスの静かな問いが、森の冷たい空気に溶ける。フードの奥、闇に沈む瞳が、値踏みするように俺を見据えている。その視線は、俺の覚悟を、そして俺が持ちうるカードの全てを暴こうとしているかのようだ。


 逃げ場はない。

 そして、媚びるつもりもない。


「アンタの野望を止めるためだ。どうせこのまま見逃すつもりもないんだろ?」


 俺の答えにダラゴラスはくつくつと笑った。


「――面白い、だがそれ故に残念だ」


 ダラゴラスは、まるで芝居がかった仕草でゆっくりとフードに手をかけ、そして、それを払いのけた。


「その歳にして卓越たる智慧のある君なら、私の良き理解者になってくれるものと思っていたのだが」


 露わになった切れ長の瞳は爬虫類を思わせる縦長の瞳孔は、爛々と黄金色の光を放っていた。

 尖った耳はエルフのそれよりもさらに鋭角で、頭部からは、まるで編み込まれた角のような、黒紫色の突起が二本、後方へと伸びている。


「龍人……」


 神話やおとぎ話に語られる、伝説の種族――龍人。

 その威圧的なまでの神々しさと、同時に人間を見下すかのような冷徹な美しさは、俺がゲーム画面で見た彼の姿そのものだった。


「いかにも」


 ダラゴラスは、その龍人の貌に、人間とは異なる、しかしどこか妖艶な笑みを浮かべた。その声は、先ほどまでの落ち着いたトーンとは異なり、地響きのような重低音を伴って俺たちの鼓膜を震わせる。


「さて、少年。私の目的を知り、その上で私に牙を剥こうというその気概、褒めてやらんでもない。だがな」


 ダラゴラスの右手が、まるで陽炎のように揺らめいたかと思うと、その手にはいつの間にか、漆黒の刀身を持つ長剣が握られていた。鞘もなく、まるで虚空から取り出したかのように。その剣からは、周囲の魔力を喰らうかのような、不気味なオーラが立ち昇っている。


「身の程を知る、という言葉を教えてやる必要があるようだ」


 殺気。

 今まで感じたどんなものよりも濃密で、純粋な殺意が、まるで物理的な圧力となって俺たちに襲いかかる。ソフィアは顔面蒼白になり、ランドは木の棒を握りしめたまま、一歩も動けないでいた。


「――前借ローン契約コントラクト、二週間!」


 素早くその言葉を紡ぎダラゴラスの元から離れる。

 どちらかと言うと見逃された、という状況で正面に相まみえるダラゴラスの全容。

 圧倒的な存在感。

 一週間分の力を持った今の俺でさえ、怯んでしまうほどだ。


 だがもはや恐怖はない。

 今ここで、こいつを打倒さなければ、俺達の未来はないのだから。

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