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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第61話 問いかけ

「ソフィア……ッ! 待て……!」


 俺の喉から絞り出された声は、自分でも驚くほど掠れて震えていた。


 だが届かない。

 それはソフィアの顔を見れば明らかだった。


 ソフィアの黄金色の右目が、ダラゴラスの姿を捉えた瞬間、彼女の整った顔からサッと血の気が引いた。

 これほどまでに動揺を見せるのは、天恵の儀での「読み取れない」アランを見た時以来、いや、それ以上かもしれない。



 沈黙。

 自分の鼓動だけが、やけに大きく耳の奥で響く。


 俺はもちろんのこと、ソフィアも、何も言わず微動だにしない。

 そして目の前の男、ダラゴラスも不気味なほど静かに、ただ俺たちの反応を観察しているかのようだった。


「ふむ」


 そして一言。

 その一言は、まるで静寂な湖面に投じられた小石のように、俺とソフィアの間に見えない波紋を広げた。

 彼の表情は依然として窺えない。

 だが、その声には、俺たちの動揺を見透かし、むしろ楽しんでいるかのような、底知れない余裕が感じられた。


「少年少女よ、何か言いたいことがあるようだが」


 その声は静かで平坦、しかし有無を言わせぬ圧力を伴って俺たちの鼓膜を震わせた。


「……っ!」


 俺もソフィアも息を呑む。

 ソフィアに至っては、黄金色の輝きを宿した右目を大きく見開き、ダラゴラスの姿を凝視したまま、まるで金縛りにあったかのように指一本動かせないでいた。


 当たり前だ。

 下手をすればここで全てが終わる。

 慎重に、慎重に言葉を選ばなければ。


 俺は、先程まで『前借』の反動で朦朧としていた意識を無理やり覚醒させ、思考をフル回転させる。


 目の前の男は、俺の知るゲームのラスボス級の存在。

 今の俺たちでは、到底太刀打ちできる相手ではない。下手に刺激すれば、瞬く間に蹂躙されるだろう。

 だが、ここで何もせずにいれば、それこそ彼の思う壺だ。


「……いえ、少々天恵の副作用が酷く」


 俺は、かろうじて言葉を紡ぎ出す。

 この男は天恵に興味を持っているようだった。その一点に、僅かな活路を見出すしかない。


 ダラゴラスのフードの奥で、空気がわずかに揺れた。笑ったのか、あるいは単に息を吸っただけなのか。判別はつかない。


「ほう……天恵の副作用、か。先ほどゴブリンどもを屠った際にも見受けられたが、どうやら制御が難しい代物と見える」


 その声は相変わらず平坦だったが、俺の言葉を否定も肯定もせず、ただ事実を述べているかのように聞こえた。だが、その裏には、俺の天恵の正体、あるいはその限界を見極めようとする、冷徹な探究心が隠されている。


「……お察しの通りです。まだ未熟なもので、力の制御が上手くいかず……。ソフィアも、私のその不安定な力に驚いてしまったようです」


 俺は必死に、ソフィアの異常なまでの動揺を、俺の天恵のせいだと誘導しようと試みる。

 ソフィアがダラゴラスの正体――龍人であるという、この世界の常識からかけ離れた情報を『天眼』で見てしまったなどとは、口が裂けても言えない。

 そんなことを口にすれば、彼が俺たちを生かしておく理由が一つ減るだけだ。


「そうか……天恵の暴走、あるいは反動。確かに、力とは扱いを誤れば自らを滅ぼす諸刃の剣。君のような若さで、その力の奔流に飲まれず立っているだけでも賞賛に値する」


 ダラゴラスの声には、僅かながらも感心したような響きが混じっていた。

 彼がダラゴラスでなければ素直に喜べたものを。だが、彼の関心が俺の天恵に向いている限り、まだ時間はある。


「さて、天の瞳を持つ少女よ」


 ダラゴラスの声は、先ほどまでアランに向けられていたものとは異なり、明確な意志と、まるで獲物を定めるかのような鋭利さを含んで、ソフィアへと注がれた。

 フードの奥の瞳が、彼女の黄金色の右目を正確に捉えているのが、アランには分かった。


 ソフィアの肩が、わずかに、しかし確かに震えた。

 彼女はまだ、ダラゴラスの正体を見た衝撃から完全には立ち直れていない。その黄金色の瞳は、依然としてダラゴラスの姿を映し続けているが、そこにはもはや知的な分析の色はなく、ただ純粋な恐怖と、理解を超えた存在に対する畏怖だけが浮かんでいた。


「お前は、一体何を視た?」


 ダラゴラスの問いは、静かで、しかし有無を言わせぬ響きを持っていた。それは、単なる疑問ではなく、答えを強要する、絶対者の命令のようだった。


「……わ、わたしは……」


 ソフィアの声は、か細く、途切れ途切れだ。

 いかにソフィアであれど、この圧倒的な存在を前にして、平静を保つのは不可能に近い。彼女の『天眼』が捉えたであろう「龍人」という真実は、彼女の世界観を根底から揺るがすほどの衝撃だったに違いない。


「まあ答える必要はない」


 ダラゴラスは、ソフィアの震える声を遮るように、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで言った。

 フードの奥の瞳が、ソフィアからアランへとゆっくりと移される。その視線は、獲物を品定めするかのように冷徹で、しかしどこか満足げな光を宿していた。


「さて、もはや誤魔化しは必要あるまい。少年よ、君は何を知っている?」


 ダラゴラスは俺の顔を覗き込むように、その巨体を僅かに屈めた。フードの影が、俺の視界を覆い尽くす。


「何を知っている、とは……?」


 俺は、震える声を必死に抑え込み口を開く。


「良い、君は知っていたのだろう? あの天の瞳よりも先に、この私という存在を。そして、おそらくは……この『魔導石』のことも」


 ダラゴラスは、懐からあの不気味な黒い石――魔導石を取り出し、俺の目の前に突きつけた。


「な、何を」


 なぜそのことを知っているのか。

 まさか、ずっと俺達を監視していたのか 。その考えが脳裏をよぎり、背筋に冷たいものが走る。

 いや、それだけではない。この男の洞察力は、こちらの想像を遥かに超えている。


「隠し立ては無用だ。君が『魔導石』の名を口にした時、そして先ほど、私がこれを取り出した時の君の反応。それは、単なる知識を持つ者のそれではない。もっと深い……因縁のようなものを感じさせる」


 ダラゴラスの声は静かだが、その言葉の一つ一つが、俺の心の壁を打ち砕くように重く響く。彼は、俺の些細な言動から、俺が抱える秘密の核心に迫りつつある。


「……俺の知識は、古い文献を読んだだけです。偶然、その石の特徴が一致しただけで……」


「偶然、か。あり得ぬな」


 ダラゴラスの声は、静かでありながら、有無を言わせぬ断定の響きを帯びていた。

 俺はゴクリと生唾を呑む。

 その答えの意味を俺は察していた。


「それは私が手ずから加工したものだ、文献などあるわけがない」


 ダラゴラスが放った言葉は、俺の築き上げた脆い虚構を、いとも簡単に粉砕した。


――やっぱり、そうだったか。


 何となく分かっていた。

 自然物であるなら、一作目にも登場するはずのものが二作目にしか登場していない理由。

 ゲーム本編で直接語られたわけではないが、魔導石をドロップするのは決まって、この男が指導する教団関係者たちだった。

 

「さて、何か言いたいことはあるかな?」


 これが最後の問いかけなのだろう。


 もはやどうしようもない。

 いや、最初からこの結末は決まっていたのかもしれない。 


 俺は、ダラゴラスのフードの奥深く、闇に沈む瞳を真っ直ぐに見据える。



 この絶体絶命の状況で、最後の賭けに出るしかなかった。

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