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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第57話 力の成果

 森の奥から響き渡るオークの咆哮と、複数体のゴブリンが放つ不気味な叫び声。

 それが、俺たちの戦闘の幕開けを告げる


「よし、行くぞ!」


 ガルドさんの力強い号令と共に、戦端が開かれた。


 彼は雄叫びを上げると、その屈強な身体を疾風のように躍らせ、オークへと突進していく。

 重厚な剣が振り下ろされ、オークの巨大な戦斧と激しく衝突する。キィンッ、という甲高い金属音と、ズシン、と大地を揺るがす衝撃波が、俺たちのいる場所まで届いてきた。


 ガルドさんの力強い号令と共に、空気が震えた。

 彼は愛用の長剣を抜き放つと、まるで迸る雷光のようにオークへと突進していく。大地を蹴るその一歩一歩が、周囲の木々をわずかに揺らし、彼の並外れた闘志を物語っていた。

 オークもまた、巨大な棍棒を振りかざし、地響きのような咆哮を上げながらガルドさんを迎え撃つ。激しい金属音と衝撃音が、森の静寂を無慈悲に引き裂いた。


「俺たちも、こっちを片付けるぞ!」


 俺の声に、ランドが「言われなくても!」と悪態をつきながらも、その赤い瞳には強い覚悟の色が宿っていた。ソフィアは後方、祠の入り口近くに位置を取り、肩の痛みを堪えながらも既に右目に淡い黄金色の光を灯している。『天眼』による戦況分析と指示のためだろう。


 目の前には、涎を垂らし、濁った目でこちらを威嚇するゴブリンが三体。その手には錆びた剣や棍棒が握られ、明らかに俺たちを格下の獲物と見定めている。



「ランドさんは右から、アラン様は中央の個体をお願いします」


 ソフィアの冷静な声が飛ぶ。

 ランドは「うるせえ、分かってる!」と吠えながらも、ソフィアの指示通りに右翼から迫るゴブリンへと木の棒を振りかぶり、鋭く踏み込んだ。


 その動きは、以前祠の裏で見た我流の修練とは明らかに違う。ガルドさんの指導で叩き込まれたであろう「型」の基礎が、彼の野生的な動きに確かな軸を与えている。

 ヒュン、と風を切る音と共に、ランドの木の棒がゴブリンの頭部を強かに打ち据える。

 ドゴッ、という鈍い音が響き、ゴブリンが怯んだように後ずさった。


「どうだ!」


 ランドが勝ち誇ったように叫ぶ。確かに、以前の彼では考えられないほど洗練された一撃だ。

 だが、ゴブリンは完全には倒れていない。頭部を押さえながらも、その濁った瞳は怒りに燃え、反撃の機会を窺っている。


「――流転の流れ、我が敵を穿て水弾(アクアバレッド)!」


 既に詠唱を始めていたソフィアの魔法――水の弾丸が、ランドが打ち据えたゴブリンの体勢をさらに崩さんと、その胸元目掛けて正確に飛翔する。

 バシュッ、という水気の音が響き、ゴブリンが短い悲鳴と共に後方へよろめいた。


「チッ、おらああああ!」


 少し不服そうながらランドは追撃する。


 完璧とは言い難いが見事な連携だった。

 ソフィアもついていることだし、あちらは問題ないだろう。


 さて、俺の方も、と中央のゴブリンへと意識を集中する。


 中央にゴブリンは二体。

 ランドの激闘によって注意は右に逸れているように感じる。


 俺は深呼吸を一つし、意識を研ぎ澄ませる。


「よし――」


 まずは一体ずつ、確実に。


 俺は大地を蹴り、左側のゴブリンへと一気に間合いを詰めた。

 ゴブリンは俺の急な接近に驚き、慌てて棍棒を振りかぶる。その動きは大きく、隙だらけだ。


 ガルドさんから叩き込まれた体術の基礎――相手の動きを見切り、最小限の動きで懐に潜り込む。

 棍棒が空を切る音を背中に感じながら、俺はゴブリンの死角へと滑り込んだ。

 そして、がら空きになった脇腹へ、体重を乗せた肘鉄を叩き込む。


 ゴッ! という鈍い音と共に、ゴブリンが苦悶の声を上げて数歩よろめいた。


 仕留めきれはしない。だが、これで一体の動きは確実に鈍った。


「ギッ! ギャアアア!」


 もう一体のゴブリンが、仲間の異変に気づき、俺へと襲いかかってくる。

 もちろん見えている。

 俺は後方へ軽く跳躍して距離を取った。


「――空白を満たす光の欠片よ吾が意思に従い形を成せ――光球ランプライト!」


 着地と同時にゴブリンの顔に光球が弾ける。

 言うまでもなくソフィアの援護だ。


「さすが……!」


 勢いそのままに再度ゴブリンの懐に潜り込む。

 光球がゴブリンの視界を確実に奪っている。好機――逃すつもりはない。


 がら空きになったもう片方の脇腹へ、体重を乗せた膝蹴りを叩き込む。


 グェッ、と蛙が潰れたような短い悲鳴を上げ、ゴブリンの身体がくの字に折れ曲がった。

 だが、まだだ。こいつらは見た目以上にタフなことがある。


 俺は息を一つ吐き、右拳に意識を集中させる。

 ガルドさんに教わった力の集約、そして解放。

 魔力は、まだ温存する。天恵『前借』もだ。

 今の俺自身の力で、どこまでやれるか。


「――強撃ッ!」


 腹の底から絞り出した叫びと共に、俺の右拳が、体勢を崩したゴブリンの鳩尾へと深々と突き刺さった。

 グシャリ、という鈍い音と、内側から何かが破裂するような嫌な感触が、拳を通じて腕に伝わる。


「ギ……」


 ゴブリンは短い断末魔すら上げることなく、その緑色の身体を急速に黒ずませ、ボロボロと崩れながら黒い粒子となって霧散していく。地面には、くすんだ灰色の魔石が一つ、コトリと転がり落ちた。


 ――よし、やった。


 そんな達成感をひとまず片隅に留め、次なる敵を見据える。


 残るゴブリンが、俺が仕留めた仲間の残した魔石を忌々しげに踏みつけ、新たな獲物である俺へと向き直った。

 先ほど肘鉄を叩き込んだ個体だ。脇腹を押さえ、苦悶の表情を浮かべてはいるが、その濁った瞳はまだ戦意を失っていない。


「アラン様、右足からの踏み込み、棍棒による横薙ぎです!」


 ソフィアの鋭い警告が飛ぶ。

 同時に、ゴブリンが警告通りの動きで棍棒を横殴りに振るってきた。俺はソフィアの言葉を信じ、後方へ跳躍するのではなく、逆に一歩踏み込みながら身を屈めることで、頭上を掠める風圧と共にそれを回避する。


 ――甘い!


 がら空きになったゴブリンの胴体へ、先ほどと同じように『強撃』を叩き込もうと踏み出す。

 だが、ゴブリンは肘鉄の痛みから学んだのか、あるいは単なる偶然か、俺の拳の軌道上に咄嗟に左腕を割り込ませ、不格好ながらもガードの体勢を取った。


 このままでは致命傷にはなり得ない。

 カウンターの恐れはないだろうが、早めに仕留められることに越したことはないだろう。


 ――だったら、試してみるか。


 ソフィアの助言が脳裏をよぎる。


 『限定的な状況、ごく短時間だけ、意識的にその力を使ってみる』


 今が、その時かもしれない。


 目の前のゴブリンは、俺の『強撃』を警戒し、防御の体勢を固めている。

 通常の『強撃』では、ガードごと吹き飛ばすほどの威力はまだ出せないだろう。だが、あのラーム村での戦闘、ゴブリンを打ち倒した時の、『強撃衝』。

 あれがおよそ『1ヶ月』分を凝縮した力なのだとしたら。


前借ローン


 ソフィアからのヒント。

 それは天恵を魔法の呪文のようにトリガーとなる単語を設定することで、誤作動を防ぎ、かつ力の制御を容易にするための試みだった。


契約(コントラクト)――十五分」


 俺がそう呟いた瞬間、身体の奥底から、あの時に似た熱量が、しかし以前よりも遥かに制御された形で、奔流のように湧き上がってきた。


 視界がクリアになり、握りしめた拳には、力が漲る。

 以前のような劇的な変化ではない。だが明らかに、身体能力、特に力の集中力や技の精度が一段階、向上している実感がある。

 これが、天恵『前借』。

 今の俺ではない、未来の俺の力の一部を「借りてきた」感覚。


「――遅いッ!」


 ゴブリンが振り下ろそうとしていた棍棒の動きが、まるで止まっているかのように見える。


 俺は、その攻撃を最小限の動きで回避すると同時に、がら空きになったゴブリンの胸元へ、寸分の狂いもなく右拳を叩き込んだ。


「――強撃!!」


 先ほどとは比較にならない、重く、鋭い衝撃。

 ゴブリンの胸骨が砕ける嫌な感触と共に、その身体は「く」の字に折れ曲がり、まるで砲弾のように後方へ吹き飛んだ。木立に激突し、一度も地面に落ちることなく、黒い粒子となって霧散していく。

 後に残ったのは、先ほどよりも一回り大きな魔石だけだった。


「はぁ……っ、はぁ……!」


 天恵の効果が切れ、どっと疲労感が押し寄せる。

 だが、以前のような意識が遠のくほどの脱力感ではない。


「ご無事ですか?」


 ソフィアの冷静な声と、ランドの「…おい、大丈夫かよ」というぶっきらぼうながらも心配の滲む声が、疲労感に包まれる俺の鼓膜を揺らした。

 俺はぜえぜえと肩で息をしながらも、二人に向かって何とか頷いてみせる。


「……なんとか。思ったより、身体への負担は軽いみたいだ」


 天恵『前借』の反動は確かに感じる。

 「十五分」という時間制限、そして明確な目的を持って力を使ったことで、代償を最小限に抑えられた、ということだろうか。


「……ガルドさんは?」


 俺の問いに、ソフィアとランドはハッとしたように顔を上げ、激しい戦闘音が未だ響き渡る森の奥――ガルドさんとオークが戦っているであろう方角へと視線を向けた。


 そこには、もはや木々をなぎ倒すような轟音と、ガルドさんの雄叫び、そしてオークの苦悶とも怒号ともつかない咆哮だけが、断続的に響き渡っていた。


 だが、次の瞬間、それらの音は不意に途絶え、森は不気味な静寂に包まれた。


 まさか、ガルドさんに何かあったのか――息を呑む俺たちの前で、森の木々が大きくざわめき、そして――。



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