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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第55話 土産

「……何してやがんだ、こんなところで」


 不意にかけられたぶっきらぼうな声に、俺はびくりと肩を震わせた。


 慌てて振り向けば、木陰から不機嫌な顔を覗かせた赤髪の少年――ランド・ガリオンがそこにはいた。

 その額には汗を滲み、肩が上下に揺れている。

 どうやら、いつもの修練を終えて戻る途中、祠近くにいる俺たちに気づいたらしい。


 俺とソフィアは互いに目を合わせ、一つ息を吐いて答えた。


「ああ、ちょっとな。そっちも修練帰りか?」


 努めて普段通りを装った俺の言葉に、ランドはチッと舌打ちを一つ漏らすと、じろりと俺と、俺の隣に立つソフィアを値踏みするように見やった。

 その赤い瞳には、相変わらずの警戒心と、ほんの少しの好奇が入り混じっている。


「……別に、お前らには関係ねえだろ。お前らの方こそ、こんなところで油売ってて良いのかよ。貴族ってのは暇なのか?」


 相変わらずの刺々しい物言いだが、それこそが彼なりのコミュニケーションなのだと割り切ってしまえば、むしろ以前よりは少しだけ壁が低くなったようにも感じられる。

 会話という会話が成り立たなかったゲームの時と比較するまでもない。


「……まあ、ちょっとした用事があってな」


 俺は曖昧に答える。

 果たして真実を告げてよいのやら。

 すると代わりと言わんばかりにソフィアが口を開く。


「ガルド様が、森へ様子見に行ったのです」


 何てことのないようにあっさりと答えを吐くソフィア。


「……は? 森って、あの森にか? 正気かよ、あのおっさん」


 ランドの赤い瞳が見開かれ、驚きと呆れが混ざった色が浮かんだ。

 ゴブリン襲撃からもまだ日が浅く、あの森が村の子供たちにとって「近づいてはいけない場所」として認識されていることが、彼の反応からありありと伝わってくる。


「もちろん意味があってのことです。この森の奥から、少々気になる魔力の流れを感じたものですから」


 ソフィアは、ランドの驚きを意にも介さず、淡々と続ける。


「気になる魔力……? そりゃ、昔から気味の悪ぃ森だって言われてるけどよ」


 ランドは腕を組み、吐き捨てるように言った。だが、その声には以前のような単純な反発だけでなく、無視できない不安の色も混じっている。

 そりゃあこの村に住む者として、気にならないわけがない。


「それに特級冒険者の件もありますので」


 ついでと言わんばかりにソフィアは付け加えた。


「……あのフード野郎か」


 ランドは苦々しげに呟く。

 彼の脳裏にも、瞬く間にゴブリンたちを葬り去ったダラスの姿が蘇っているのだろう。

 圧倒的な力の体現者、自分の無力感を知るにはうってつけの相手だ。


「ってか、あのフード野郎がどうしたってんだ」


 その問いは至極真っ当である。

 そういえばランドには俺達の目的を告げていなかった。


「彼に少しお尋ねしたいことがありまして」


 ソフィアは端的にその問いに答える。


「あのフード野郎に……? 何をだよ」


 ランドは眉を寄せ、訝しげに問い返す。


「具体的なことはお教えできませんが、そうですね、人探しと言ったところです」


「人探し……。まあ、どうでもいいけどよ。あのおっさん、まだ戻ってこねえのか?」


 ランドは、興味を失ったように話題を変え、再び森の奥へと視線を向けた。

 その赤い瞳には、先ほどまでの苛立ちよりも、純粋な心配の色が濃く浮かんでいる。ぶっきらぼうな態度の裏に隠された、彼なりの仲間意識のようなものが垣間見えた気がした。

 なんだかんだ言っても、ガルドさんはこの数日で彼にとって大きな存在になっていたのだろう。


「ええ……もう半日以上になります」


 ソフィアの声にも、隠しきれない不安が滲む。彼女は膝の上で革表紙の手帳を握りしめ、時折、森の奥から吹いてくる風に耳を澄ませている。


「半日……」


 ランドの呟きが、重く森の静寂に響いた。


 その時だった。


 ――ザザッ……!


 森の奥、木立が密集し、陽光すら届きにくい場所から、不意に獣が茂みを掻き分けるような音が響いた。


 俺とソフィア、そしてランドの三人は同時にハッとして顔を見合わせ、息を殺して音のした方角へと意識を集中させる。


 夕暮れが迫り、森の影が濃くなり始めた頃だ。昼間でも薄暗いこの森の奥から聞こえてくる正体不明の物音は、それだけで俺たちの不安を掻き立てる。


「……おい、今の音」


 ランドが声を潜め、警戒するように腰を落とした。その手には、修練で使い古した木の棒が再び握りしめられている。


「分かっています……何かが出てきます」


 ソフィアもまた、膝の上の手帳を閉じ、静かに立ち上がった。

 彼女の右目には、既に淡い黄金色の光が宿り始めている。『天眼』だ。その視線は、音のした森の奥の一点を、鋭く捉えている。


 ガサガサという音は徐々に大きくなり、こちらへ近づいてくる。

 それは獣のように荒々しい音ではなく、もっと……意図的な、何かを探るような動き。


「……っ!」


ソフィアが息を呑むのが分かった。彼女の『天眼』が、茂みの向こうにいる「何か」の正体を捉えたのだろう。その表情はいつになく険しく、そして僅かな安堵の色も浮かんでいるように見えた。


やがて、茂みが大きく揺れ、そこからゆっくりと姿を現したのは――。


「よう、待たせたな」


 泥と木の葉にまみれ、肩で大きく息をしながらも、その顔にはいつもの不敵な笑みを浮かべたガルドさんだった。

 その屈強な身体には数カ所の擦り傷や切り傷が見られ、明らかに何らかの戦闘、あるいは困難を乗り越えてきたことを物語っている。だが、その瞳の光は少しも衰えていない。


「ガルドさん!」

「ガルド様!」


 俺とソフィアの声が重なる。

 ランドも、握りしめていた木の棒を僅かに下ろし、安堵の息を漏らしたのが分かった。


「はっはっは、心配かけちまったみてえだな。思ったより手間取っちまったが、まあ、土産話くらいは持ってきたぜ」


 ガルドさんは、泥だらけの腕で額の汗を拭うと、俺たちの前にドカッと腰を下ろした。その仕草は疲労困憊しているようにも見えるが、どこかやり遂げたような満足感も漂っている。


「ご無事で何よりです。ですが、そのお怪我は……」


 ソフィアがガルドさんの腕の傷に視線を向け、心配そうに声をかける。


「おっと、こんなもんは掠り傷だ、気にすんな」


 ガルドさんは腕の傷を気にも留めない様子で手を振ると、俺たち、特にソフィアに向き直った。


「さて、早速で悪いが少し下がっていろ」


 そう言ってガルドさんは、俺たちから数歩距離を取ると、懐から何かを取り出した。

 それは、手のひらに収まるほどの、奇妙な形をした黒い石。

 表面は鈍い光を放ち、不規則な凹凸が無数に刻まれている。どこか禍々しい雰囲気を漂わせるその石を、ガルドさんは地面にそっと置いた。


「それは……?」


 ソフィアが訝しげに問いかける。彼女の『天眼』も、その石の正体を掴みかねているのか、黄金色の瞳を細めて凝視している。


「ああ、森の奥で見つけた『土産』だ。ゴブリン共が、まるでこれを崇めるように、群がっていたからな。何か意味があるんじゃねえかって思ったってわけよ」


 ガルドさんの言葉にソフィアはジッと石を見つめ続けていた。

 彼女の瞳は何か答えを見つけることができるのだろうか。


 対して俺は――言葉を失っていた。


 だって、これは。


「……魔導石」


 『セレスティアル・サーガⅡ 偽りの楽園』にて登場するアイテムだ。

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