第53話 焦燥感
ラーム村に滞在して数日の朝。
何度目にもなる村長宅での朝食にて、ソフィアが口を開いた。
「あれから数日が経ちましたが、未だダラス様の姿は見えません。私達に残された時間もそこまであるわけでもありませんし、そろそろ何らかの行動を起こすべきかと思うのですが」
ソフィアの静かな声が、質素ながらも温かい食卓に響いた。
彼女の視線は、湯気の立つスープが注がれた木の器に向けられているが、その言葉は明らかに俺と、そして同席しているガルドさんに向けられている。
「ああ、そういや王公会議があるんだっけか」
俺の言葉に、ガルドさんがパンを齧りながら豪快に頷いた。
「おお、そうだったな。まあまだ一月もあるが、準備もあるだろうし、そういつまでもこの村に滞在しているわけにもいかねえか」
ガルドさんは、最後のパンをスープに浸しながら豪快に付け加える。
聖都を出る際、セヴァスさんからは「王公会議までには聖都にお戻りを」と釘を刺されている。表向きはグレイン家の使者としての立場だが、俺やソフィアの身の安全を考慮すれば当然の指示だろう。
「そうですね。ですので、本日、改めて祠とその周辺、特にダラス様が向かわれたという森の入り口付近を調査し、何らかの手がかりを探すべきかと提案いたします――ところでガルド様、修行の方は順調でしょうか?」
唐突にソフィアはガルドに尋ねた。
「ん? おお、バッチリだぜ」
ガルドさんは胸をドンと叩き、にやりと笑う。
「アラン坊主も、あのランド坊主も、なかなか筋がいい。特にお前さんは『型』への理解が早い。見たものを自分のものにする力はたいしたもんだ」
素直な評価に、俺は少し照れくささを感じつつも、内心では複雑な思いが渦巻いていた。
確かに『型』の理解は早いのかもしれない。それは、前世で数多のゲームをプレイし、キャラクターの動きや技のモーションを飽きるほど見てきた経験が、無意識の内に生きているからだろう。
だが反対に天恵の方はからきしである。
実はできるだけ影響のでないように試そうとはしているのだが、なかなか上手くいっていない。
ソフィア曰く、力の発動に何かしらの条件を付けると良さそうだ、という話ではあるが、いまいちピンと来てはいかなかった。
「それは何よりです。それが実戦に足り得るレベルに到達しているのであれば、今回の調査も多少は安心できます」
ソフィアは、そう言って俺の修行の成果を評価した。
彼女もまた、俺の成長を期待してくれているのだと思うと気が引き締まる思いだ。
「おいおい、ソフィア嬢。流石にそれはまだ早いってもんだぜ」
ガルドさんはスープの最後の一滴を飲み干すと、少し諭す意味を持たせて言った。
「確かに、アラン坊主の『型』の覚えは異常に早い。ランド坊主ががむしゃらに十回振り回す間に、お前さんはもう次の型に進んでるみてえなもんだ。だがな」
ガルドさんは一度言葉を切り、ソフィアと俺の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には、指導者としての厳しさが宿っている。
「実戦で使えるか、と言われれば話は別だ。あのゴブリンとの戦いで見せた『強撃衝』とかいう派生技、ありゃあ今の坊主じゃ逆立ちしたって出せねえだろう。そもそも『強撃』自体、まだお前さんの身体に馴染んじゃいねえ。力が乗ってこないのはその証拠だ」
ガルドさんの指摘は的確だった。
実力だってまだまだ未熟だと自覚はあるし、ゴブリンに、そして天恵に対する恐怖心がまだ拭いきれていない。
「……失礼しました、少し言葉が過ぎたかもしれません」
ソフィアは静かに訂正した。
「まあ、ソフィア嬢もそれだけアラン坊主を買ってるってことだな」
ガルドさんはニカッと笑い、俺の肩をもう一度軽く叩いた。その言葉には、からかいと、そしてどこか温かい期待が込められている。
ソフィアはコホンと咳払い
「……では、朝食が済み次第、森の入口の調査に向かいましょう。ガルド様、訓練は一時中断していただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
ソフィアの静かな問いかけに、ガルドさんは大きな口を開けて豪快に笑った。
「がっはっは! ソフィア嬢の頼みとあっちゃあ、断れねえ相談だな! それに、ダラスとかいう特級冒険者の手がかり探しってんなら、俺も興味がねえわけじゃねえ。よし、決まりだ! 飯食ったら、ちょいと森の散歩といくか!」
その言葉に、俺とソフィアは顔を見合わせ、小さく頷いた。
ラーム村の質素な家で朝食を終えた俺たちは、早速、森の入口へと向かうことにした。
万が一の時に備えて護衛はもちろんガルドさんが帯同してくれている。
ランドは、ガルドさんからの「お前も来るか?」という誘いを、「くだらねえ、俺は修練の続きだ」と一蹴し、一人でいつもの修練場所へと向かっていった。その背中には、どこか焦りのようなものも感じられたが、ガルドさん曰く、「今は見守ってやれ」とのことである。
「さて、と……」
俺は改めて気を引き締め直し、ソフィアとガルドさんと共に、以前ダラスが消えていった森の奥へと続く入り口付近へと足を向けた。
「この先ですね、ダラス様が向かわれたのは」
ソフィアは、まるでその場の空気に残る微かな痕跡でも読み取るかのように、目を細めた。彼女の右目には、既に淡い黄金色の光が宿り始めている。
「ああ、村長さんの話だと、この先に何か気になるものを見つけた、って言ってたんだっけ」
俺の言葉に、ソフィアは静かに頷いた。
ガルドさんは、腕を組み、険しい表情で森の奥を見つめていた。その鋭い瞳は、長年の騎士としての経験から、見えない脅威を警戒しているかのようだ。
「うっし、ソフィア嬢。早速だが、何か分かりそうか? 俺の目じゃ、ただの薄気味悪ぃ森にしか見えねえが」
ガルドさんの言葉に、ソフィアは静かに頷いた。
「もう少しお待ち下さい」
ソフィアは、淡い黄金色の光を宿した右目で森の奥を見据えながら、冷静に答える。
「そうか、だが気を抜くんじゃねえぞ。ここは既に村の結界の端だ。魔物が出てきてもおかしくねえからな」
ガルドさんの言葉に、俺はゴクリと息を呑む。
先のゴブリン襲撃の記憶が、まだ生々しく蘇る。
「承知しています。ですが現状魔物の痕跡や、特に濃い魔力の残滓などは感じられません。ただ……」
ソフィアは、淡い黄金色の光を宿した右目を細め、森の奥深く、その一点を凝視している。彼女の表情はいつになく険しく、その視線の先には、俺たちには見えない「何か」を捉えているかのようだった。
「この森の奥……ダラス様が向かわれたと思われる方角から、微弱ですが、非常に不規則で、そしてどこか歪んだ魔力の流れを感じます。それは自然のものではなく、かといって通常の魔物や、我々が知る魔法体系とも異なる……。何かが、森の奥で起こっている、あるいは潜んでいる可能性が高いです」
ソフィアの言葉に、俺とガルドさんはゴクリと息を呑んだ。
歪んだ魔力の流れ――それが何を意味するのか、俺には想像もつかない。だが、ソフィアの『天眼』が捉えたその異常は、間違いなく異常と言えるのだろう。
「歪んだ魔力、ねえ……。そいつが、あのダラスとかいう特級冒険者が追ってるモンなのか。それこそこの前の襲撃に関することなのかもな。もしそうなら、放っておくわけにもいかねえが」
ガルドさんは腕を組み、険しい表情で森の奥を見つめながら、ソフィアの言葉を引き継いだ。その声には、ただならぬ事態を察した騎士としての警戒心が滲んでいる。
「――だが、早まるんじゃねえぞ」
ガルドさんの声は、いつもの豪快さの中に、確かな警戒の色を滲ませていた。長年の騎士としての経験が、未知の脅威に対する慎重な判断を促しているのだろう。
「この森の奥がどうなっているのか、あのダラスとかいう特級冒険者が何を追っているのかは知らねえ。だがな、ソフィア嬢が言う『歪んだ魔力』ってのが本当なら、下手に首を突っ込むのは自殺行為になりかねん。俺の役目は、まずお前さんたちの安全を確保し、無事に聖都へ、そしていずれは王都へ送り届けることだ。それを違えるわけにはいかねえ」
ガルドさんの言葉は、護衛責任者としての強い意志と、俺たちへの気遣いに満ちていた。彼の言うことは正論だ。
特に俺は、先の戦闘で天恵の代償を支払ったばかり。ソフィアも万全とは言えない。
「ですがガルド様」
ソフィアが一歩前に進み出て、ガルドさんの視線を真っ直ぐに受け止めた。その小柄な身体には、揺るぎない決意が漲っている。
「その『歪んだ魔力』の正体を突き止めなければ、いずれラーム村、あるいはそれ以上の範囲に影響が及ぶ可能性も否定できません。ヴァラでの一件との関連も不明な今、見て見ぬふりをするのは、聖教会の、そしてグレイン家の者として許されることではないと考えます」
ソフィアの言葉には、聖職者としての使命感と、真実を追求しようとする研究者のような探求心が同居していた。彼女もまた、この森の奥に潜む何かが、ただならぬものであることを感じ取っているのだろう。
「……さっきも言ったが、それはまだお前たちには早い」
ガルドさんは腕を組み、意思を曲げなかった。
「ソフィア嬢、もっともらしいことを言っているようだが、らしくもねえんじゃねえか?」
そして鋭い問いをソフィアへ投げるのだった。
確かに彼女らしくないといえば、そうなのかもしれない。
それほどまでに彼女の瞳に映る異常が危機的なのか、それとも――俺から未来を聞いたことでどこか焦りを感じてしまっているのか。
ソフィアはガルドの鋭い指摘に、一瞬言葉を詰まらせた。だが、すぐにその青い瞳に強い光を宿し、毅然として反論した。
「私が個人の意見で、あるいは単なる好奇心でこのような進言をしていると?」
俺でも分かった。それこそらしくない反論だ。
彼女の言動からは明確な焦りが垣間見える。
ガルドは、ソフィアのただならぬ気迫に、腕を組んだまま眉間の皺を深くした。
「……いや、そういうわけじゃねえが。お前さんらしくもなく、随分と前のめりなように感じたんでな」
ガルドは言葉を濁したが、明らかにソフィアの様子の変化に気づいている。
ソフィアは一度小さく息を吸い、今度は少し落ち着きを取り戻した声で言った。
「……申し訳ありません。ですが、あの森の奥から感じる魔力の流れは、これまでに観測したことのない、極めて異常なものです。正直なところ、今の私の『天眼』をもってしても正確には判断できません。ですが、だからこそ、放置しておくわけにはいかない。その正体を見極める必要があると、私は考えます」
ソフィアの言葉は、危険を断定するものではなかった。
だが、その「未知」であること、「予測がつかない」ことへの強い警戒感が、俺の未来を知る彼女にとって、破滅への引き金になりかねない、という恐怖があるのかもしれない。
ガルドは、ソフィアの言葉に腕を組んだまま、しばし黙考した。
森の奥から吹き抜ける風が、ざわざわと木々の葉を揺らし、まるで何かの囁きのように聞こえる。
「……ふむ。つまり、よく分からんが、気味が悪ぃ代物だってこったな」
ガルドは、ソフィアの説明を自分なりにそう解釈し、一つ頷いた。
「よし、ならばこうしよう。お前さんたちは、一度村へ戻れ。俺が一人で、この森のもう少し奥まで様子を見てくる。大丈夫だ、あのダラスとかいう特級冒険者もいるんだろ?」
「ガルドさん、それは……」
俺は思わず声を上げる。
ソフィアも「ガルド様、単独での行動はあまりに無謀です! 私の『天眼』があれば、少なくとも危険の察知は――」と食い下がる。
だが、ガルドはいつものニカッとした笑みを浮かべ、俺たちの肩をそれぞれ軽く叩いた。
「まあまあ、そう心配すんな。ただの偵察だ。本当にヤバそうなら、ソフィア嬢の言う通り、すぐに引き返すさ」
その口調は軽いが、瞳の奥には護衛責任者としての断固たる意志が宿っている。
「いいか、お前たちは村で大人しく待っていろ。俺が戻るまで、決してこの森に近づくんじゃねえぞ。いいな、これは命令だ」
ガルドはそう言い残すと、ソフィアの更なる制止の言葉を待たず、ひらりと身を翻し、森の奥へと続く獣道へと足を踏み入れた。その大きな背中は、あっという間に木々の緑に飲み込まれていく。
残されたのは、俺とソフィア、そして森の奥から依然として漂ってくる、正体不明の「歪んだ魔力」の不穏な気配だけだった――。




