第49話 調査と少年
赤髪の少年。
ランド・ガリオンは一心不乱に、太い木の幹を敵に見立て、手にした木の棒を振るい続けていた。
ヒュン、ヒュン、と風を切る音が、静かな森に響き渡る。
言うまでもなくそれは修練の光景だ。
以前、ゴブリンに襲われた際の無力さを噛み締めるように、あるいは、あの特級冒険者ダラス・エリオットや、アランが見せた不可思議な力の残像を追いかけるように。その一振り一振りに、彼の渇望が込められているのが見て取れた。
そのあまりの集中っぷりに声をかけるのも憚れる。
その気迫に満ちた修練を邪魔するべきではないと判断し、一度ソフィアたちがいる祠へと戻ろうと考えた。
だが、その気配を敏感に察知したのか、あるいは一区切りついたのか、ランドはこちらを鋭く振り返った。
「……お前は」
ランドの声には、明らかな驚きと、ほんの少しの苛立ちが混じっていた。
額に汗を光らせ、肩で息をしながらも、その鋭い赤い瞳はまっすぐに俺を射抜いている。
「久しぶりだな、悪い、邪魔したか」
俺はできるだけ穏やかな口調で答えた。下手に刺激して、また敵意を剥き出しにされても困る。
「……何でここにいやがる」
彼の問いは当然だった。一度村を去ったはずの俺が、こんな森の奥で彼と再会しているのだから。
「少し、この村で調べたいことがあってな。お前こそ、こんな場所で何を?」
俺は、彼の修練の様子を指差しながら、当たり障りなく尋ねる。
「……見てわかんねえのかよ。強くなるためだ」
ランドは、木の棒を握りしめ、吐き捨てるように言った。
その声には、揺るぎない決意と、そして俺に対する僅かな対抗心が滲んでいる。
やはり、前回の一件は彼の中で大きな転機となったようだ。
だが強さを求めるその姿勢は、ゲーム上のものと相違ない。やはり多少のことでは彼の根幹は変わらないらしい。
もしくは本来あるべき形に戻るようになっているのか。
「そうか。なら、あまり邪魔をしない方が良さそうだな」
俺はそう言って、その場を離れようとした。
ガルドさんも待たせてることだし、早めに用事は済ましたい。
それにこれ以上彼に深入りしても、彼の機嫌を損ねて、また敵意を向けられる可能性すらある。
「……おい」
だが、背を向けようとした俺を、ランドが呼び止めた。
振り返ると、彼は木の棒を地面に突き立て、汗を拭いながらも、まだ俺を睨みつけている。
「しばらくここにいるのか?」
「……あ、ああ、でもそこまで長くはならないと思うけど」
俺の曖昧な返事に、ランドはチッと舌打ちを一つ漏らした。
その赤い瞳が、何かを言いたげに揺れている。彼らしくない、
「……何か用があるのか? 俺で力になれることがあれば、聞くだけなら聞くけど」
俺は、敢えて少しだけ挑発するように、しかしあくまで穏便な口調を崩さずに尋ねた。
「……いや、何でもねえ」
ランドは拳を握りしめ、一度はそう言い捨てて再び木の幹へ向き直ろうとした。だが、数瞬の逡巡の後、忌々しげにもう一度こちらを振り返る。その赤い瞳には、葛藤と、そしてわずかな期待の色が浮かんでいた。
「……お前、あの時、ゴブリン相手に使ってた技……」
ぽつりと、ようやく絞り出したような声だった。
やはり、あの時の戦闘が彼に大きな影響を与えているらしい。特級冒険者ダラスの圧倒的な強さもそうだろうが、同年代であるはずの俺が、あの状況でゴブリンを打ち倒したという事実。それが彼の自尊心を刺激し、同時に未知の力への渇望を掻き立てたのだろうか。
「ああ、『強撃』のことか?」
「……どうやったんだよ、あれ」
ランドの声には、苛立ちと、隠しきれない好奇心が混じっていた。
プライドの高い彼が、俺のような貴族、しかも同年代の少年に教えを乞うような言葉を発するのは、相当な葛藤があったに違いない。
「どうやったって言われてもな……。騎士の訓練で習った型を、無我夢中でやっただけなんだが」
俺は肩をすくめてみせる。嘘ではない。ガルドさんの特訓と、あの状況が奇跡的に噛み合った結果だ。
もちろん少なからずゲーム上の知識、経験も生きているが。
「型、だと……?」
ランドは眉をひそめる。
彼の修練は、おそらく我流なのだろう。ひたすらに木の棒を振り回し、体力と腕力をつける。それ自体は間違っていないが、効率的な力の使い方や、技の理合といったものとは無縁に見えた。
「ああ。正しい姿勢、力の流れ、そういう基本が大事なんだと。まあ俺も最近教わったばかりなんだ」
俺はガルドさんの言葉を思い出しながら答える。
「基本、か……」
ランドは、俺の言葉を反芻するように呟く。
その瞳の奥には、先ほどまでの敵意とは違う、純粋な探求心のようなものが灯っているのが見えた。彼もまた、強くなるための手がかりを必死に探しているのだろう。
その時だった。
「――その通りだぜ、坊主ども!」
突如、背後から野太く、そして聞き覚えのある快活な声が響いた。
ビクッ、と俺とランドの肩が同時に跳ねる。
振り返ると、そこには木剣を肩に担ぎ、ニカッと悪戯っぽい笑みを浮かべたガルドさんが立っていた。
いつの間に来ていたのだろうか、その大柄な身体にもかかわらず、気配を全く感じさせなかった。
「ガルドさん!?」
「なっ……誰だ、てめえ!」
俺の驚きの声と、ランドの警戒心剥き出しの声が重なる。
ランドは咄嗟に木の棒を構え直し、ガルドさんを睨みつけた。村の子供にとって、見慣れぬ大柄な武装した男は、脅威以外の何物でもないだろう。
「おっと、そう殺気立つなよ、赤髪の坊主。俺はこいつの師匠みてえなもんだ」
ガルドさんは、ランドの敵意を意にも介さず、豪快に笑い飛ばす。そして、俺の肩を馴れ馴れしくバンと叩いた。
「師匠……」
ランドは、ガルドさんの言葉を疑わしげに繰り返し、俺と大柄な騎士を交互に睨みつけた。その赤い瞳には、警戒心の色が浮かんでいる。
「おうよ。こいつ、アラン坊主は、なかなか見込みがあってな。ちょいと俺様が直々に鍛えてやってるのよ。まあ、まだひよっこだがな!」
ガルドさんは、俺の肩をもう一度バンと叩き、悪びれもなく言い放つ。その言葉には、どこか誇らしげな響きも混じっていた。
ランドは、ガルドさんの言葉と、俺の困惑した表情を比べて、何かを推し量ろうとしているようだった。
「……お前が、こいつから技を?」
やがて、ランドは俺に向き直り、低い声で尋ねた。その声には、まだ疑いの色が濃いが、同時に無視できない興味も含まれているように聞こえる。
「ああ、まあ……そんなところだ。ガルドさんは、セレスティア学院でも教官をやってるくらいだからな」
俺は、ガルドさんを持ち上げるように、しかし事実を交えながら答える。下手に隠し立てするよりも、正直に話した方が、彼の警戒心を解くきっかけになるかもしれない。
「学院の教官……」
ランドの赤い瞳が、わずかに見開かれた。
彼のような村の少年にも、セレスティア学院の威光は轟いているらしい。
彼は、握りしめていた木の棒を一度地面に下ろし、腕を組んでガルドさんをじっと見つめた。
その視線は、先ほどまでの敵意剥き出しのものとは少し違う、まるで獲物を観察する獣のような、鋭い探求心に満ちている。
「おうよ、見直したか?」
ガルドさんは、まるでランドの挑戦的な視線を楽しんでいるかのように、ニヤリと笑みを深める。
「……お前があいつに技を教えたのか」
ランドは睨みつけるようにガルドさんに視線を向ける。
「ああ、そうだ。つっても、こいつの場合、たった三日で身につけやがったんだが」
豪快に笑いながら俺の背中をバンバンと叩くガルドさん。
……いや、確かにそれは事実なのだが、それに至るために無茶な特訓をさせられたことは棚に上げているな、この人は。
三日という短期間で『強撃』の型を身につけられたのは、元々のゲーム知識があったこと、そしてガルドさんの(無茶苦茶な)指導の賜物だ。
決して俺一人の才能ではない。
「……は?」
ランドが信じられないものを見るような目で俺を見る。
それは必ずしも嘘でもなく、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。
「ふざけてんのか、てめえら……。そんな話、誰が信じるかよ」
ランドは、俺とガルドさんを交互に睨みつけ、吐き捨てるように言った。
その声には、不信感と、そして僅かな苛立ちが混じっている。必死に努力している自分を馬鹿にされたと感じたのかもしれない。
「がっはっは! 信じるも何も、こいつが現にやってのけたんだから仕方ねえだろうが! まあ、普通の奴なら数ヶ月、いや何年もかかる代物だからな。俺様の厳しい指導と、こいつ自身の隠れた才能が、とんでもねえ相乗効果を生んだってわけよ!」
そう言ってガルドさんは、再び俺の背中をバンバンと力強く叩く。その衝撃で、俺は思わず数歩よろめいた。
「こいつは、見た目はひょろっとしてるが、意外と根性もあるし、何より『型』を理解するセンスがある。お前さんみてえに、ただ闇雲に力任せに振り回してるだけじゃ、いつまで経っても本当の強さにはたどり着けねえぞ」
ガルドさんは、今度はランドの修練の様子を的確に、しかしやや挑発するように指摘した。
ランドの眉がピクリと動き、握りしめた木の棒にギリギリと力が入るのが分かった。図星を突かれ、反論できない悔しさが彼の表情に滲んでいる。
「……うるせえ。俺は俺のやり方で強くなる」
絞り出すような声で、ランドは反論する。だが、その声には先ほどまでの刺々しさが少しだけ薄れているようにも感じられた。ガルドさんの言葉が、彼の心のどこかに引っかかったのかもしれない。
「まあ、それも一つの道だ。だがな、赤髪の坊主。強さへの道は一つじゃねえ。そして、どんな道を選ぶにせよ、基本を疎かにする奴は、必ずどこかで壁にぶち当たる」
ガルドさんの口調は、相変わらず豪快だが、その言葉には確かな経験に裏打ちされた重みがあった。それは、単なる精神論ではなく、具体的な技術論だ。
ランドは、ガルドさんの言葉に何も言い返せず、ただ唇を噛み締めている。彼の赤い瞳は、地面に突き立てられた木の棒の先を、じっと見つめていた。
「……ガルドさん、あんまりランドを煽らないでくださいよ」
俺は、二人の間に漂う緊張感を和らげようと、助け舟を出す。
「おう、アラン坊主。お前さんは優しいな。だがな、こいつも強くなりてえんだろ? なら、少しは厳しい言葉も薬になるってもんだ」
ガルドさんはニヤリと笑い、俺の肩を軽く叩いた。
そして、再びランドへと視線を戻す。
「ってことで、だ。赤髪の坊主。お前も俺の弟子にならねえか?」
静寂を破ったガルドさんの言葉は、爆弾発言に等しかった。
森の木々を揺らす風の音すら止まったかのような、一瞬の沈黙。
俺は、そのあまりに唐突な申し出に、ただ呆然と二人を見比べることしかできなかった。




