第47話 基礎から
聖都マリエルナの荘厳な門を後にし、再び土埃の舞う街道へと出た俺たちの馬車は、一路西を目指していた。
目的地は、奇しくも先日まで滞在していた辺境の村、ラーム村だ。
「しかし、アラン坊主。思ったより回復が早いじゃねえか!」
並走する馬上で、ガルドさんがいつものように快活な声を上げる。その手には、出発前に渡された俺用の木剣が太陽の光を反射して鈍く輝いていた。
「はい、おかげさまで……と言いたいところですが、正直まだ身体の節々が軋むような感覚はあります」
俺は苦笑いを浮かべながら答える。
ラーム村でのゴブリンとの戦闘、そしてその後の無理なスキル行使の代償は、まだ完全には抜けきっていない。それどころか、時折襲ってくる原因不明の倦怠感は、常に俺の行動を慎重にさせていた。
「私の目では、貴方の生命力そのものに大きな揺らぎは見られませんが……やはり、あの力の代償は貴方の根幹に影響を与えているようです」
馬車の中で、膝の上の手帳に何かを書き留めていたソフィアが、静かに顔を上げて言った。
「ま、難しいことは分からねえが、要するにだ」
馬車の窓の外から、ガルドさんの声が再び割り込んできた。彼は馬上で器用に木剣を肩に担ぎ、俺たちを見下ろしている。
「まずは基本に立ち返り、身体に叩き込む。それしかねえってことだ。あれ以来、『強撃』を一度も試してないんだろう? スキルってのは一度身体が覚えちまえばそう簡単に忘れねえが、磨かなきゃすぐに錆びつく。あの時の感覚が薄れねえうちに、もう一度身体に思い出させてやらねえとな」
ガルドさんの言葉は、経験に裏打ちされた重みがあった。
確かに、俺はあのラーム村での戦闘以来、『強撃』を一度も試してはいなかった。
もちろん療養を優先していたからということもあるが、心のどこかで未知の力を使うことに恐怖を感じていたのかもしれない。
「……ガルド様」
すかさずソフィアが仲介に入る。
「分かってるって、ソフィア嬢。あくまでやることは基礎鍛錬だけだ。無茶はさせねえよ。だがな、いつまでも安静にしてるだけじゃ、いざという時に身体が動かねえ。それに、こいつ自身の天恵の謎を解くためにも、あの時の力をもう一度再現してみる必要があんだろ?」
ガルドさんの指摘は的確だった。ソフィアも、アランの天恵の特異性とその力の危険性を理解しているからこそ、慎重な姿勢を崩さない。だが、同時に、その謎を解明するためには、ある程度の検証が必要であることも分かっている。
「……アラン様ご自身の意思を尊重しますが、決して無理はなさらないでください。僅かでも異変を感じたら、すぐに中断を」
ソフィアは、俺の顔をじっと見つめ、静かに、しかし強い意志を込めて言った。
「ああ、分かってる。ただ、試してみたい気持ちもあるんだ。あの時の感覚が、まだこの手に残っているうちに」
俺は、ガルドさんから渡された拳をギュッと握りしめた。ラーム村でのゴブリンとの死闘。
あの絶体絶命の状況で、無我夢中で放った一撃。あの時の、身体の奥底から湧き上がるような熱量と、それに呼応するように最適化されていく動き。そして、半ば本能的に叫んだスキルの名。
あの感覚は、確かに俺の中に刻まれている。だが、それが何だったのか、どうすれば再び引き出せるのか、まだ分からない。
「よーし、いい心がけだ、坊主!」
ガルドさんは、俺の言葉に満足そうに頷くと、馬を馬車のすぐそばまで寄せた。
「それじゃあ、早速だが、まずは馬車を降りてみろ。いつまでも箱の中に閉じこもってちゃ、身体が鈍るだけだぜ」
「え、ここで、ですか?」
俺は思わず窓の外を見回す。街道の両脇には鬱蒼とした森が迫り、人の気配はまるでない。馬車を止めて訓練をするには、確かに格好の場所かもしれないが。
「おうよ。昼飯にはまだ早えし、少し身体を動かすにはいい時間だ。それに、街道から少し外れた場所なら、他の旅人の邪魔にもならねえだろ」
ガルドさんの提案に、ソフィアも特に異論はないようだった。彼女は静かに頷き、御者に馬車を止めるよう指示を出す。
やがて馬車は街道脇の開けた場所に停止した。護衛の騎士たちは手際よく周囲の警戒態勢を敷き、ガルドさんは軽やかに馬から飛び降りる。俺もソフィアに促され、少し緊張しながら馬車を降りた。
久しぶりに踏む土の感触が、足の裏から伝わってくる。ひんやりとした森の空気が心地よい。
「さて、坊主。まずは構えてみろ。『強撃』の構えだ。流石に覚えているだろ?」
ガルドさんは、俺の前に仁王立ちになり、鋭い視線で俺の動きを観察している。
俺は深呼吸を一つし、目を閉じる。
無我夢中だったあの時とは違う。
雑念もあるし、身体の節々が軋むような感覚もまだ残っている。何より、魔力ゼロという見えない枷が、常に俺の意識の片隅に重くのしかかっていた。
「……っ」
握る拳に、じわりと汗が滲む。
――思い出せ。
脳裏に、ガルドさんから教わった『強撃』の型が浮かび上がる。
踏み込み、腰の回転、体重移動。そして、力の集約と解放。
一つ一つの動作を、頭の中で何度も反芻する。
「……ふぅ」
短く息を吐き、俺は意を決して最初の動作に移った。
左足を半歩踏み出し、腰を落とす。
ここまではいい。学院の基礎訓練で何度も繰り返した型だ。
問題は、ここからだ。
あの時のように、身体が自然と最適解を選び取ってくれるのか。魔力ゼロという状態が、スキルの発動にどれほど影響するのか。
「――よしッ!」
気合と共に、俺は右足で力強く地面を蹴った。
腰を鋭く回転させ、その力を右腕へ、そして拳へと伝える。
狙うは前方、何もない空間。だが、俺の意識の中には、明確なゴブリンの姿が映っていた。
「――強撃ッ!!」
腹の底から絞り出した叫びと共に、俺の右拳が空を切った。
ズン、と。
確かな手応え――があったような、なかったような、奇妙な感覚が拳に残る。
目の前の空間が、一瞬だけ陽炎のように揺らいだ気がした。だが、それだけだ。
「あ、あれ?」
『型』は間違いなく、記憶が、そして身体が覚えている通りに再現できたはずだった。
だがスキル特有の身体が勝手に動く感覚はなく、ただ空気を殴っただけ、そんな虚しい感触だ。
「……どうした、坊主。型は悪くねえが、肝心の『気』が乗ってねえぞ」
ガルドさんの鋭い声が、呆然と立ち尽くす俺の耳に届いた。
その声には、失望というよりは、むしろ興味深そうに観察するような響きが含まれている。
「いえ……なんだか、こう……」
俺は言葉を探しながら、自分の右拳を何度も握りしめた。
ラーム村でゴブリンを打ち倒した時の、あの確かな手応え、身体の芯から湧き上がるような熱量はどこにもない。
「力が、乗らない……というか、何かが足りないような……」
「何かが足りない、ねえ……」
俺の困惑した呟きに、ガルドさんは腕を組み、こちらに視線を向ける。
「ソフィア嬢、何か分かるか?」
ガルドさんの問いに、馬車から降りてきていたソフィアは、静かに首を横に振った。
「……いえ、生憎と。身体的な動き、力の流れそのものに大きな滞りがあるようには見えませんでした」
ガルドの経験則、ソフィアの目でも分からないとなると、いよいよ手詰まりだ。
やはり今身体に起きている魔力の喪失、そして謎の倦怠感が異常が原因なのだろうか。
「私はもう少し貴方の天恵について追ってみます」
そう言ってソフィアは再び馬車に戻っていった。
なるほど、ここ数日本をずっと読んでいるなとは思っていたが、俺の天恵について調べてくれていたようだ。
何から何まで世話になりっぱなしだな、と少しばかり自己嫌悪に陥る。
「まあ分からないことを考えても仕方がねえ。基礎に立ち返るって話だったことだし、スキルが使えなくても問題はねえさ」
ガルドさんはそう言って、俺の肩を軽く叩いた。その言葉には、力強さとは裏腹に、どこか俺を励ますような優しさが滲んでいる。
「うっし、じゃあ空突き百本だ。型と身体を馴染ませろ」
ガルドさんの明るい声に後押しされ、俺は再び拳を構え直した。
魔力が戻らない原因も、謎の倦怠感も、今すぐ解決する問題ではない。
ならば、できることを一つずつ積み重ねるしかない。
「……はい、お願いします!」
俺は再び深く息を吸い込み、目の前の虚空に向かって、力強く拳を突き出した。




