第45話 再び
冒険者ギルドでの一件から数日が経過した。
グレイン本邸の自室で、俺――アラン・フォルテスは、ソフィアが纏めてくれた資料に目を通していた。それは、ギルドマスター、ライナス・グレイバードに関するものと、依然として行方の知れないレオン・アルディに関する、ほんの僅かな追加情報だった。
「……ライナス・グレイバード。元王国騎士団所属、十年前に退役し、その後冒険者ギルドのマスターに就任。フォルテス家とは、騎士団時代に父マルクと面識があった可能性が高い、か」
確かにそれであれば確かに父繋がりで面識があってもおかしくない。
とすると、ガルドさんとも旧知の仲である可能性も考えられる。あの豪放磊落なガルドさんと、老獪なライナス……あまり想像がつかない組み合わせだが、騎士団という組織を考えれば、あり得ない話ではない。
「それにしても、レオンの方は……やはり手がかりなしか」
ため息と共に、羊皮紙を机に置く。
サンベリア方面の調査結果も記されていたが、ソフィアの予想通り、有力な情報は皆無だった。冒険者組合にレオン・アルディという名の登録者は存在せず、赤髪の少年に関する目撃情報も、あまりに漠然としていて追跡のしようがない。
魔王軍侵攻という十年後の危機を乗り越えるためには、レオンの力は不可欠だ。
もちろんこの世界がゲーム本編の通りに進行するならば、敢えて自分が干渉しなくても、彼は自ずと力をつけ、仲間を集め、やがて魔王を討ち果たす「勇者」となるのだろう。俺が余計な手出しをすることで、かえってその運命を歪めてしまう可能性すらある。
「……だけど」
俺は窓の外に広がる聖都の白亜の街並みを見つめながら、唇を噛んだ。
俺だけの話ではない。それまでに失われる命は、数え切れないほどになる。王都の陥落、各地の戦火。その中には、俺の知る人物たち――エミリーや、もしかしたらアイリスだって……。
コンコン、と控えめなノックの音。
ソフィアが、数冊の書物を抱えて入ってきた。彼女は俺の表情と、机の上に広げられた羊皮紙を一瞥すると、静かに口を開いた。
「レオン・アルディに関する新たな情報は見つかっていません。ですが、サンベリア以外の都市の冒険者ギルドの登録者リストや、近隣諸国への渡航記録なども、可能な範囲で確認しています」
ソフィアは、俺の表情から何かを察したのか、いつもより少しだけ柔らかい声で報告した。
「ありがとう、ソフィア。助かるよ」
「当然のことです。貴方の『知識』が真実であるならば、彼を見つけ出すことは、我々にとっても最優先事項の一つですから」
ソフィアは、抱えてきた古書の一冊を手に取り、パラパラとページをめくり始める。その横顔は真剣そのものだ。彼女もまた、俺の語った未来の危機を重く受け止め、自分にできることを懸命に探してくれているのだろう。
「……なあ、ソフィア」
俺は、机の上に広げられたレオンに関する資料――特にラーム村周辺での目撃情報が記された部分を指差した。
「やっぱりもう一度ラーム村に行ってみるってのはどうだ?」
俺の言葉に、ソフィアは古書から顔を上げ、わずかに頬を緩めた。
少し予想外の反応に俺が戸惑っていると、彼女は小さく息をつき、そして言った。
「……実は前もって、ラーム村の村長様へ伝書鳩を飛ばし、我々が近いうちに再度お伺いするかもしれない旨と、いくつか確認したいことがある旨を伝えておきました」
「え、本当か!?」
驚きと安堵が入り混じった声が漏れる。ソフィアの行動の早さと的確さには、いつもながら舌を巻く。
「はい。ギルドでの話によれば、ダラス様は一度興味を持った対象や場所については、徹底的に調査されるご性質とのこと。ラーム村であれだけの騒動に遭遇した彼が、そう簡単にあそこを離れるとは考えにくいのです」
ソフィアは、抱えていた書物を机の隅にそっと置いた。その瞳には、いつもの冷静さに加えて、確信に近い光が宿っている。
「それに、私自身もラーム村には確認しておきたいことがいくつかありました。あの『魔除けの護符』の件、ゴブリン襲撃と村の防衛状況、そして……貴方があの場で異常な力を発揮したこと。ダラス様が何故あのタイミングで現れたのかも含め、現地で改めて調査する必要があると感じています」
彼女の言葉には、聖職者としての責任感と、研究者のような探求心が滲んでいた。確かに、あの村で起こった出来事は、多くの謎と課題を残している。
「レオン・アルディの手がかりは依然として掴めていませんが、もしダラス様に再会できれば、彼ほどの情報網を持つ方なら、何か知っている可能性もあります。あるいは、彼の行動目的を探る中で、別の糸口が見つかるかもしれません」
ソフィアは、レオン捜索についても、ダラスとの接触を通じて新たな可能性を探るという、現実的な視点を示した。
「確かその通りだと思う。ありがとう、本当に助かる」
素直な感謝の言葉が口をついて出た。魔力ゼロというハンデを負い、記憶も不確かな俺にとって、彼女の存在はあまりにも大きい。
「……当然のことです。私と貴方が共有している『知識』の重要性と、これから成すべきことを考えれば、相互の協力は不可欠ですから」
ソフィアは、ふっと息を吐き、ほんの少しだけ表情を和らげた。
その言葉には、感情的な繋がりよりも、目的を共有する者同士の理性的な連帯感と、俺の能力や知識に対して一定の評価をしてくれていると感じる。
「それで、いつ出発するんだ? ラーム村へは、ここからだと二日もあれば着くはずだが」
「そのつもりです。セヴァスには既に話を通してありますし、ガルド様たち護衛の手配も問題ありません。貴方の体調さえ万全であれば、明日にでも出発できますが……」
ソフィアは、俺の顔色を窺うように視線を向ける。
「いや、俺は大丈夫だ。むしろ、じっとしている方が体に悪い」
俺は力強く頷いた。
確かに体調は万全ではないが、気力は十分だ。ラーム村への再訪、そしてダラス捜索の新たな手がかり。目標が定まったことで、身体の奥から力が湧いてくるのを感じていた。
「分かりました。では、明日の早朝に出立できるよう、最終準備を進めます。ガルド様には、くれぐれも道中で無茶な訓練をさせないよう、再度強く釘を刺しておきましょう」
ソフィアの言葉に、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。あの豪放磊落な騎士のことだ、きっと俺の回復具合を見て、また何か新しい「特別メニュー」を考えているに違いない。
「はは……頼んだ」
俺は苦笑し、ソフィアは小さく頷き、部屋を出て行った。
おそらく、セヴァスやガルドたちとの最終調整に向かうのだろう。
一人残された部屋で、俺は再び机の上の羊皮紙へと視線を落とした。
ライナス・グレイバード、ダラス・エリオット、そしてレオン・アルディ。
聖都に来てから、新たな謎と、追うべき人物が次々と現れた。
十年後の破滅を回避するために、俺は何をすべきなのか。
その答えはまだ見えない。
だが、こうして一つ一つ情報を集め、行動を起こしていくことでしか、道は開けないのだろう。
俺は窓の外に広がる聖都の空を見上げた。
白亜の塔が、朝の光を受けて輝いている。
再び始まる旅は、きっと多くの困難を伴うだろう。
それでも、俺は進む。
悪役貴族アラン・フォルテスの、これは再起の物語なのだから。
そして、願わくば、その道の先に、ダラス・エリオットとの再会と、レオン・アルディに繋がる何らかの手がかりが待っていることを――。
俺は、新たな決意を胸に、明日の出発に向けて、自身の心の準備を始めた。




