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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第44話 政

「お帰りなさいませ、ソフィア様、アラン様」


 グレイン本邸の重厚な扉をくぐると、そこにはいつものように執事長のセヴァスさんが、完璧な姿勢で俺たちを迎えていた。その老練な瞳は、俺とソフィアの顔を交互に一瞥し、何事かを察したように微かに細められたが、余計な詮索をするような素振りは見せない。


「ただいま戻りました、セヴァス」


 ソフィアは、疲労の色を隠しきれない声で応じながら、肩から下げていた小さな革鞄をそばに控えていたメイドに預けた。

 その仕草には、普段の彼女からは見られないような、わずかな気の緩みが感じられる。冒険者ギルドでの一件は、彼女にとっても相当な心労だったのだろう。


「お二人とも、少々お疲れのご様子。まずは温かいお飲み物でもいかがですかな? 西棟の談話室にご用意させましょう」


 セヴァスの声は、あくまで穏やかで、俺たちの内心の動揺を見透かしているかのような落ち着きがあった。その気遣いが、今の俺たちにはありがたい。


「ありがとう、セヴァスさん。お願いするよ」


 俺が答えると、セヴァスは静かに頷き、メイドに何事かを指示した。


 三人で静かな廊下を歩き、西棟の談話室へと案内される。そこは、俺の自室よりも少しこぢんまりとしているが、大きな窓から柔らかな陽光が差し込み、暖炉には静かに火が燃えている、落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 ふかふかとした肘掛け椅子がいくつか置かれ、中央の小さなテーブルには、既に湯気の立つ紅茶と、焼き菓子の皿が用意されている。


「どうぞ、おくつろぎください」


 セヴァスは俺たちに椅子を勧めると、自身は暖炉のそばに控えめに立った。ソフィアは深く息を吐きながら椅子に腰を下ろし、俺もその向かいに座る。温かい紅茶の香りが、疲れた心身を優しく包み込むようだった。


「セヴァスはライナス・グレイバード様と、何かご面識はありますか?」


 ソフィアは温かい紅茶のカップを両手で包み込みながら、暖炉のそばに立つ老執事に尋ねた。


「聖都の冒険者ギルドマスター殿ですか。ただ面識というほどのものはございません。ギルドマスターとして辣腕を振るっておられると聞き及んでおりますが」


 セヴァスは、僅かに視線を宙に彷徨わせながら、慎重に言葉を選んで答えた。その口調からは、ライナスという人物に対する一定の評価と、同時にどこか掴みどころのない存在として捉えている様子が窺える。


「本日、冒険者ギルドで少々問題が発生してしまい、その際にライナス様に対応頂いたのです」


 ソフィアは、カップから立ち上る湯気を静かに見つめながら、言葉を続けた。

 冒険者ギルドでの酔っ払いとの諍い、そしてギルドマスターであるライナスの介入。彼女は感情を交えずに、事実を淡々と、しかし的確にセヴァスへと報告した。


 セヴァスは、その報告を静かに聞き終えると、わずかに眉根を寄せ、そしてゆっくりと頷いた。


「左様でございましたか。ソフィア様、そしてアラン様も、ご無事で何よりにございました。ギルドという場所は、時に荒事も起こり得る場所。ライナス殿が適切に対処されたと聞き、安堵いたしました」


 その声は、どこまでも落ち着いており、ソフィアの報告内容にも特に動揺した様子は見られない。


「グレイン家として、後日、ライナス殿へは正式にお礼を申し上げておきましょう」


 セヴァスは、暖炉の炎を見つめながら静かにそう付け加えた。その言葉には、四公爵家としての礼節を重んじる、執事長としての矜持が滲んでいる。


「助かります」


 ソフィアの静かな感謝の言葉に、セヴァスは暖炉の炎を見つめたまま、わずかに頷いた。

 冒険者ギルドはグレイン家と並ぶ四公爵サンティス家の管轄。グレイン家として、今回の件でサンティス家に恩を売る、というほどではないが、貸し借りを作っておくのは悪くない、という政治的な判断も働いているのかもしれない。


「そろそろ王公会議の時期になります。個人間の諍いであれどヘレナ様へご報告をされると良いでしょう」


「ああ、そうでした。ヘレナ様が本邸に戻り次第、私の方からお伝えしておきます。少々相談したいこともありますので」


 ソフィアの静かな言葉に、セヴァスは暖炉の炎からゆっくりと視線を彼女へと戻した。その老練な瞳が、僅かに探るような色を帯びる。


「相談、と申されますと?」


「彼の件です。セヴァスも聞き及んでいるかとは思いますが、天恵の儀での一件、そして、その後のアラン様の状態について……」


 ソフィアは、俺を一瞥し、そしてセヴァスへと向き直った。

 彼女の声は、先ほどまでの疲労を感じさせない、真摯で、そしてどこか切実な響きを帯びていた。


「そして彼の立場についても、もう少し整理をしておく必要があるかと。それこそ王公会議に出席するべきかどうかも」


 ソフィアの静かな言葉が、セヴァスと俺の視線を交差させる。


「……流石に王公会議については存じていますよね?」


 少し冷めた表情で俺を一瞥するソフィア。その大きな青い瞳には、「まさか知らないとは言わせませんよ」という無言の圧力が込められている。


 俺は、温かい紅茶のカップを口元に運びながら、内心で冷や汗をかいていた。

 王公会議――その言葉自体は、ゲーム『セレスティアル・サーガ』においても何度か登場した。王国の重要政策が決定される場、四公爵家を含む有力貴族たちが一堂に会する。

 年に一度の重要な会議。

 ゲーム中盤に一度開催されていたことを覚えている。

 そこで反撃作戦に関する議論がなされていた。

 最も、その時の会議は名ばかりであり、有力者たちが集う会議となっていたのだが。


「あ、ああ……もちろん、知っているよ。年に一度、王国の重要事項を決める会議だろ? フォルテス家も当然、出席するはずだ」


 俺は、できるだけ平静を装い、当たり障りのない返答を心がけた。幸い、ソフィアは俺の言葉に特に疑念を抱いた様子はなく、小さく頷いた。


「左様でございます」


 俺の返答を引き継ぐように、暖炉のそばに立つセヴァスさんが静かに口を開いた。その声は、この談話室の落ち着いた雰囲気に溶け込むように、穏やかで、しかし重みがある。


「王公会議は、国王陛下の御名のもと、王国の行く末を左右する重要法案の審議、各公爵家からの報告と提言、そして貴族間の勢力均衡を保つための、いわば王国運営の根幹を成す場。四公爵家はもちろんのこと、主要な伯爵家以上の当主、あるいはその代理が出席し、数日間に渡り議論が交わされます」


 セヴァスさんの説明は簡潔でありながら、王公会議の重要性を的確に伝えていた。ゲームでは語られなかった、貴族社会のリアルなパワーゲームの一端が垣間見えるようだ。


「その王公会議が、間もなく開催されるのです」


 ソフィアが、セヴァスさんの言葉を引き継ぐ。


「ヘレナ様も、聖都に戻られ次第、グレイン家代表として出席のご準備に入られるはずです。そして、そこで議論されるであろう議題の中には……」


 彼女は一度言葉を切り、俺の反応を窺うように、その青い瞳を真っ直ぐに向けた。


「おそらく、ヴァラ東方における魔物の異常発生と、街道封鎖の件も含まれるでしょう。王国全体の安全保障に関わる重大事案ですから」


「……なるほど」


 俺は頷く。

 魔物の脅威は、この世界において常に隣り合わせの現実だ。ヴァラの一件が、王公会議の主要議題となるのは当然の流れだろう。


「そして、アラン様」


 ソフィアは、声のトーンを一段落とし、俺の名前を呼んだ。その響きには、どこか試すような、あるいは促すようなニュアンスが含まれている。


「貴方の立場についても、この王公会議の場で、何らかの形で言及される可能性があります。フォルテス家、あるいはグレイン家預かりの者として、貴方の現状――天恵の儀での一件、そしてその後の経過報告が求められるかもしれません」


 ソフィアの言葉は、俺の胸に重くのしかかった。

 天恵不明、魔力ゼロ、いじめの過去、魔人族疑惑――。

 悪評のオンパレードである俺の存在が、王国の最高意思決定機関で取り沙汰される? 想像するだけで胃がキリキリと痛む。


「フォルテス家当主、マルク様のお考えは、現時点では我々にも詳しくは伝わっておりません」


 セヴァスさんが、俺の内心の動揺を見透かしたかのように、静かに補足した。


「ですが、一般的な貴族社会の通念から申し上げますと、現状のアラン様を、そのような公の場へお出しになるのは、些か難しいかと。フォルテス家の体面もございます……」


 その言葉は、どこまでも丁寧でありながら、貴族社会の冷徹な現実を突きつけていた。

 今の俺は、フォルテス家にとって「厄介者」であり、「汚点」でしかない。そんな存在を、わざわざ王公会議という晴れの舞台に引きずり出すメリットなど、どこにもないのだ。


「……確かにそうかもしれませんが、ラーム村での一件も含めてヘレナ様へ相談した上で、判断を仰ぐべきかと考えています」


 ソフィアは、俺の顔を真っ直ぐに見据え、静かに、しかし確信に満ちた声で言った。


「そうでございますね、少々出過ぎた提言でした。私どももアラン様のご成長、そしてラーム村でのご活躍については、ソフィア様から聞き及んでおります。ヘレナ様が戻られましたら、アラン様ご自身の口から、改めてその経緯をお話しいただくのがよろしいかと」


 セヴァスの声には、先ほどまでの貴族社会の常識を語るトーンとは少し違う、温かみのようなものが感じられた。

 彼は俺の悪評だけでなく、ラーム村でのゴブリンとの戦闘や、俺が何らかの力を発揮した(詳細は伏せられているだろうが)ことも、ソフィアを通じて聞いているのだろう。


「では本件はこのように。特級冒険者ダラスの件はまた後日考えましょう」


 ソフィアは小さく息を吐いてこの場を締めた。


 温かい紅茶の湯気が、談話室の静かな空気に溶けていく。

 セヴァスさんの言葉は、貴族社会の冷厳な現実を示唆しつつも、俺のラーム村での行動を評価してくれていることが分かり、少しだけ安堵した。

 ソフィアも、俺の立場を考慮し、ヘレナ様への報告を前提としながらも、慎重な姿勢を崩さない。彼女の聡明さと気遣いに、改めて感謝の念を抱く。


「ああ、そうだな。ダラスさんのことは、また情報が集まってからでも遅くない」


 俺は頷き、カップに残っていた紅茶を飲み干した。

 やるべきことは山積みだが、確実な手を一つ一つ解決しておくほかない。


「では、今日のところはゆっくりとお休みください。アラン様のお身体も、まだ万全とは言えませんでしょうから」

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