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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第41話 冒険者ギルド

 聖都マリエルナの石畳は、朝日を浴びて白く輝いていた。

グレイン本邸を出た俺とソフィアは、冒険者ギルドの支部を目指して、中央聖堂区から商業区へと続く大通りを歩いていた。

 ソフィアはいつものように落ち着いた様子で前を歩き、俺はその少し後ろを、周囲の活気にやや気圧されながらついていく。


「……何か忙しないような」


 俺は思わず呟く。

 到着した初日に比べて、聖都の様子が様変わりしているように感じられたからだ。

 道行く人々の足取りが心なしか早く、表情も硬い。

 すれ違う神殿騎士や衛兵の数も、明らかに増えている。彼らの纏う空気はピリピリとしていて、街全体がどこか落ち着かない雰囲気に包まれている。


「ヴァラでの一件が、既にこちらにも影響を及ぼしているのでしょう」


 俺の呟きに、ソフィアは足を止めることなく、静かに答えた。その声は平坦だが、彼女もまた、街の異様な雰囲気を敏感に感じ取っているようだった。


「ヴァラの……魔物の異常発生のことか」


「はい。ヴァラは王都と聖都を結ぶ重要な中継地点です。あそこの街道が寸断されたとなれば、物流や人の往来に大きな支障が出ます。聖都といえども、外部との交易なしには成り立ちませんから」


 ソフィアの言葉通り、大通り沿いの商店も、以前のような賑わいはなく、品薄を知らせる張り紙が目につく店もある。露店の数も心なしか減っているようだ。普段は穏やかな聖都の空気に、じわりと不安の色が滲み出ているのが感じ取れた。


「王都への道が閉ざされたってことは、物資も人も、聖都に集中しやすくなってるのか」


「それも一因でしょう。ですが、それ以上に深刻なのは、ヴァラ東方の魔物の脅威が、未知のものであるという点です。情報が錯綜し、人々の不安を煽っているのです」


 ソフィアの青い瞳が、わずかに険しさを帯びる。彼女の『天眼』は、この街に漂う不穏な空気の奥にある、もっと根深い問題を感じ取っているのかもしれない。



 やがて俺たちは、商業区の一角にある、比較的大きな建物へとたどり着いた。

 木製の看板には、剣と杖を組み合わせた意匠――冒険者ギルドの紋章が掲げられている。聖都の他の建物と比べると、やや武骨で実用的な造りだ。


「ここが冒険者ギルドか」


「はい。聖都における冒険者の活動拠点であり、情報交換の場でもあります。グレイン家の者であることを示せば、ある程度の便宜は図ってもらえるでしょうが……あまり事を荒立てず、慎重に情報を得るべきでしょう」


 ソフィアは念を押すように言う。特級冒険者ダラス・エリオットほどの人物の情報を求めるのだ。下手に目立つ行動は避けたい。


 ギルドの扉を開けると、むっとするような熱気と、様々な匂いが混じり合った空気が俺たちを迎えた。

 酒の匂い、汗の匂い、そして微かに鉄と血の匂い。

 静謐なグレイン邸とはまるで違う、荒々しい活気に満ちた空間だ。


 広いホールには、いくつもの依頼書が張り出された掲示板があり、その前には屈強な戦士風の男や、軽装の斥候風の男女、ローブを纏った魔法使いらしき者など、様々な格好の冒険者たちが集い、情報を交換したり、仲間を募ったりしている。


「……思ったより、人が多いな」


 ヴァラの街道が寸断された影響で、聖都に足止めされている冒険者も多いのかもしれない。彼らの会話の端々からも、「ヴァラの森」「オークの群れ」「変異種」といった不穏な単語が聞こえてくる。


「受付はあちらです」


 ソフィアは人混みを避け、ホールの奥にある受付カウンターへと俺を促す。カウンターの中では、数人のギルド職員が、ひっきりなしに訪れる冒険者たちの対応に追われていた。


 俺たちは列の最後尾に並び、順番を待つ。周囲の冒険者たちの視線が、俺のような明らかに場違いな雰囲気の少年と、ソフィアの気品ある佇まいに、好奇と訝しさが入り混じったように向けられるのを感じた。特にソフィアの美しい銀髪と整った容姿は、このむさ苦しい空間ではひときわ目を引くのだろう。


「次の方、どうぞ!」


 やがて俺たちの番が来た。対応してくれたのは、眼鏡をかけた、やや疲れた表情の若い女性職員だった。


「ご用件は?」


 事務的な口調で尋ねる彼女に、ソフィアが一歩前に進み出た。


「私どもはグレイン家の者です。ある冒険者の方の情報をいただきたく参りました」


 ソフィアが懐からグレイン家の紋章が刻まれた小さな銀の認識票を提示すると、女性職員の表情がわずかに変わった。疲労の色は消えないものの、僅かな緊張と敬意が浮かぶ。


「グレイン家……。これは失礼いたしました。どのような情報をご所望でしょうか? 可能な範囲でお答えいたしますが、冒険者の個人情報に関わることは、ギルドの規定により……」


「ダラス・エリオットという方をご存知でしょうか。特級冒険者だと伺っています」


 ソフィアがその名を口にした瞬間、女性職員の動きがぴたりと止まった。それまで忙しなく書類をめくっていた手が止まり、眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれる。周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいたような錯覚を覚えた。


「……ダラス様、でございますか?」


 女性職員の声は、先ほどまでの事務的な響きとは全く違う、畏敬と、そしてどこか困惑の色を帯びていた。カウンターの奥にいた他の職員たちも、ダラスの名を聞きつけ、こちらに注目しているのが分かる。特級冒険者という存在は、ギルド職員にとっても特別なのだろう。


「はい。数日前、ラーム村近郊で彼に助けられました。お礼を申し上げたいのですが、行き先が分からず……。ギルドの方で、何かご存知ではないかと」


 ソフィアは、あらかじめ打ち合わせていた通り、当たり障りのない理由を告げる。


「……誠に申し訳ございませんが、ダラス様の現在の動向につきましては、ギルドとしても完全に把握しておりません。あの方は……非常に気まぐれでいらっしゃいますので」


 その言葉には、明らかに困り果てている響きがあった。特級冒険者という肩書きは、ギルドにとっても手に余る存在なのかもしれない。


「そう、ですか……」


 ソフィアの声に、僅かな落胆の色が浮かぶ。やはり、そう簡単にはいかないか。


「ただ数日前にラーム村で会ったとおっしゃいましたよね?」


「はい、そうですが、何か?」


「ダラス様の動向を追うのは難しいのですが、彼は一度拠点を定められると、しばらくはその周辺で情報収集を徹底されることが多いのです」


 その言葉に、俺とソフィアは顔を見合わせた。ラーム村周辺――あの何もない辺境の村で、ダラスは何を調べていたというのだろうか。


「ラーム村周辺、ですか……。何か、彼が興味を持つようなものが、あそこに?」


 ソフィアが訝しげに問い返す。


「それは……私どもにも分かりかねます。ですが、ダラス様がラーム村、あるいはその近隣にまだ滞在されている可能性は、ゼロではないかと。あるいは、彼が次に興味を持たれそうな場所……そうですね、例えばヴァラで発生している魔物の異常活動など、彼の探求心を刺激するような事象があれば、そちらへ向かわれているかもしれません」


 女性職員は、慎重に言葉を選びながら、可能性をいくつか提示してくれた。その声には、特級冒険者という存在への扱いにくさと、それでも何とか力になりたいという誠意が滲んでいる。


「……分かりました。貴重な情報、感謝いたします」


 ソフィアは深々と頭を下げた。

 手掛かりは少ない。だが、完全に途絶えたわけではない。ダラスの行動原理の一端が垣間見えただけでも収穫だ。


「それと、もう一つ……レオン・アルディという名の、赤髪の少年を探しているのですが、彼について何か情報はありませんでしょうか? 以前、セレスティア学院に在籍していたはずです」


 俺は、ダラスの件が一段落したのを見計らって、本命の質問を切り出した。


「レオン・アルディ……ですか」


 女性職員は、羊皮紙のリストにその名を書き留めながら、記憶を探るように眉根を寄せた。


「……申し訳ありません、こちらでは確認できません」


 その答えは、ある程度予想していたものだった。

 レオンが冒険者として登録しているという確証はない。ましてや、まだ駆け出しであろう彼の情報が、聖都のギルド支部にまで届いているとは考えにくい。


「そうですか……ありがとうございました」


 俺は肩を落としながら礼を言う。やはり、レオン捜索は一筋縄ではいかないようだ。


「おい、いつまで待たせる気だ、クソガキどもが」


 不意に、背後から低く、そして明らかに不機嫌そうな声がかかった。

 ギルドの騒がしい喧騒の中でも、その声は嫌でも耳に届く、威圧的な響きを持っていた。

 振り返ると、そこには、俺たちよりも頭一つ分は背の高い、筋骨隆々とした大男が二人、腕を組んで仁王立ちになっていた。

 獣の毛皮を纏い、腰には使い込まれたであろう大剣や戦斧をぶら下げている。

 そしてその片手には空っぽの酒瓶が握られ、その赤い顔と濁った眼は、明らかに酔っていることを示していた。


「ちんたらちんたらと……お貴族様のお遊びか何か知らねえが、ここはてめえらみてえなヒヨッ子が来る場所じゃねえんだよ。さっさと失せろ」


 大男の一人が、唾を吐きかけるように言い放つ。その口からは、強烈な酒の臭いが漂ってきた。

 周囲の冒険者たちの視線が、一斉にこちらへと集まる。好奇の目、嘲笑の目、そして、面倒事には関わりたくないという無関心な目。

 ギルド特有の、荒々しい洗礼。まさしく、お約束の展開だった。

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