第39話 明かされる運命
「ではセレナ様、失礼します」
重々しい白木の扉が、静かに背後で閉ざされた。
セレナ・グレインの部屋から続く廊下は、先ほどまでとは打って変わって、外からの陽光が差し込み、明るく感じられた。
「……」
「……」
俺とソフィアは、どちらからともなく言葉を発することなく、磨き上げられた大理石の廊下を並んで歩いていた。
コツ、コツ、と俺たちの靴音だけが、静謐な空間に響く。
不意に、ソフィアが足を止め、窓の外へと視線を向けた。
窓からは、聖都マリエルナの白く輝く街並みと、その向こうに広がる青空が見渡せる。
「……色々と言いたいことはありますが」
ソフィアは、深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出すと、ようやく俺の方へと向き直った。その大きな青い瞳は、先ほどまでの興奮や動揺の残滓を消し去り、いつもの冷静な輝きを取り戻している。
だが、その奥には、俺の言葉やセレナの反応によって生まれたであろう、複雑な感情が渦巻いているのが見て取れた。
「セレナ様に、希望を見出してくれたこと。……それについては、感謝します」
ソフィアは、静かに、しかしはっきりとした口調で言った。
長年、心を閉ざしていたであろうセレナに、ほんの僅かでも光を灯すことができた。ソフィアにとって、それは何よりも大きな意味を持つことなのだろう。
「いや……俺は、ただ思ったことを言っただけだ。それに、セレナ様自身も、変わろうと一歩踏み出したからだろ」
俺は少し照れくささを感じながら答える。
正直、セレナに向けた言葉は俺自身に対する鼓舞でもあった。
未来が不確定であるという事実は、俺にとっても救いなのだから。
「それでも、です」
ソフィアは静かに首を振る。
「貴方がセレナ様に示した『可能性』。それは、単なる気休めや慰めではない。実際に、セレナ様の『天眼』が見た未来と、今の現実に『ズレ』が生じている。……これは、無視できない事実です」
ソフィアは、一度言葉を切り、俺の反応を確かめるようにじっと見つめてくる。
俺は黙って頷き、彼女の次の言葉を待った。
「貴方が先ほど口にした『未来を知っている』という言葉……そして、その知識の源。それについて、もっと詳しく聞かせて下さい」
やはり来たか。俺は内心で息を呑む。
ソフィアの問いは、穏やかだが、逃れることを許さない響きを持っていた。
セレナの前では、ある程度ぼかして話すことができたが、この聡明な少女の前で、いつまでも曖昧な説明が通用するとは思えない。
「……どこまで話せるかは分からない。俺自身、まだ混乱している部分も多いからな」
俺は慎重に言葉を選びながら答える。
「もちろんです、例えば先程のお話にもありましたが、王国の危機に関することなど、貴方の知る範囲で構いません」
「……分かった。だが、これは誰にも言わないでほしい。特に、今の段階では、聖女様にも」
俺は念を押す。
ヘレナ様に知られれば、事が大きくなりすぎる可能性がある。
「状況によります。ですが、貴方の言葉を軽々しく扱うつもりはありません」
ソフィアは慎重に、しかし真摯に頷いた。
俺は一つ深呼吸をし、記憶の断片を整理する。
ゲームのシナリオ、イベント、登場人物の運命――それらを、この世界の現実に即した情報として、どう伝えるべきか。
「……俺の『知識』によれば、そう遠くない未来――おそらく十年以内に、このセレスティア王国は、未曾有の危機に直面する」
俺は重々しく口火を切った。
「危機、ですか。それはヴァラでの魔物の異常発生と関連が?」
ソフィアは鋭く問い返す。
「いや、その件については俺も全く知らないんだ。さっきも言った通り俺の『知識』は十年後に偏ってて……」
俺は慎重に言葉を紡ぎ続ける。
「十年後、王国は……『魔王軍』と呼ばれる、強大な勢力によって侵攻される。王都セレスティリウムは陥落し、多くの都市が戦火に包まれ、夥しい数の犠牲者が出る……それが俺の知る『知識』だ」
俺の言葉は、陽光が差し込む明るい廊下に、重く、冷たい影を落とした。
ソフィアは、俺が語り終えても、しばらくの間、言葉を発することができなかった。その大きな青い瞳は、俺の顔をじっと見つめたまま、微動だにしない。
血の気が引いたように白い顔、わずかに開かれた唇。彼女の聡明な頭脳が、俺の告げた絶望的な情報を処理しようと、懸命に働いているのが見て取れた。
「……魔王軍、ですか」
ようやく絞り出されたソフィアの声は、いつもの冷静さを欠き、微かに震えていた。
「……セレナ様も漠然とその未来が見えていたんですね」
「多分、そうだと思う」
俺は頷く。
セレナが怯え、心を閉ざしていた理由の一端がそれだ。
彼女は半ば無意識にその人の最期を見てしまう。そして十年後に待ち受ける災厄によって多くの人の命が奪われる未来を見てしまった。
十歳にも満たない少女が心を閉ざすには十分な理由だ。
ソフィアは、一度目を伏せ、長く息を吐いた。
「アラン様。その……魔王軍とやらの侵攻、王都の陥落、そして多数の犠牲者……。それは、どれほど確かな情報なのですか? 貴方の『知識』は、どこまで具体的で、信頼に足るものだと?」
ソフィアの声は、努めて冷静さを装っているが、その問いには切実さが滲んでいる。
「……俺にも分からない。断片的な映像や、出来事の羅列のような形で頭に入ってくるんだ。時期も『十年後』としか言えないし、具体的な日付や、侵攻の詳しいルートまでは……」
俺は言葉を濁す。
ゲームのシナリオをそのまま話すわけにはいかない。
それにゲーム内においても、その辺りの詳細な描写はされていない以上、語ることはできなかった。
「ですが、王都が陥落するという事実は……?」
「それは……かなり鮮明な『知識』としてある。主要な登場人物たちの運命と、いくつかの重要な出来事の流れも……」
ソフィアは唇を噛みしめた。
彼女の白い指先が、わずかに震えているのが見えた。
「この情報は……すぐにヘレナ様にご報告すべきです。もし、ほんの僅かでも真実である可能性があるのなら、対策を講じなければ……!」
ソフィアの声には、焦りと使命感が入り混じる。彼女の立場からすれば当然の判断だろう。
だが、俺は静かに首を横に振った。
「待ってくれ、ソフィア。それは、もう少し慎重になるべきだ」
「慎重に、ですか? ですが、もし手遅れになったら……!」
「分かってる。だが、考えてみてくれ。今の俺の言葉を、ヘレナ様が、あるいは王家や他の貴族たちが、額面通りに信じると思うか?」
俺の問いに、ソフィアは言葉を詰まらせた。
天恵の儀で「読み取れない」とされ、イジメ疑惑、更には魔人族疑惑までかけられた少年が語る、十年後の破滅の予言。
しかも、その根拠は「頭の中に流れ込んできた知識」だ。
狂人の戯言か、あるいは何かの策略だと疑われるのが関の山だろう。
最悪の場合、フォルテス家とグレイン家の立場を危うくする可能性すらある。
「……確かに、貴方の言葉の信憑性を証明する手立ては、現時点ではありません。ですが、セレナ様の『天眼』の反応を考えれば、全くの絵空事とも……」
「それでも、だ。俺の『知識』はまだ曖昧で、断片的すぎる。具体的な対策を立てるには情報が足りないし、下手に騒ぎ立てれば、混乱を招くだけだ。それに……」
俺は一度言葉を切り、ソフィアの目を真っ直ぐに見つめた。
「セレナ様との一件で未来は変えられることがわかった。もう既に俺の知る『知識』通りじゃないかもしれない」
ラーム村での出来事が脳裏をよぎる。
ゴブリンの襲撃という小さな事件。俺の咄嗟の行動、ソフィアの勇気、ランドの覚醒。そして、ダラスという特級冒険者の介入。
それらが複雑に絡み合い、結果として、俺の知るゲームの歴史とは異なる未来が生まれつつあるのかもしれない。
「……貴方は、どうするおつもりですか?」
ソフィアは、俺の真意を探るように、静かに問いかけた。
「まずは、力をつける。今の俺は、魔力もなく、スキルも中途半端だ。未来を知っていても、それを覆すだけの力がなければ意味がない」
それは、ラーム村で痛感した現実だ。
「そして、情報を集める。俺の『知識』と、この世界の現実との『ズレ』を見極め、何が真実で、何が変えられるのかを確かめる必要がある。そのためには、ソフィアの『天眼』と、グレイン家の情報網が不可欠だ」
「……私に、協力をしろと?」
「無理強いはしない。だが、ソフィアも感じているはずだ。セレナ様の変化、そして俺自身の特異性。これらは、何か大きな流れの始まりなのかもしれない。それを確かめるためには、俺たち二人の力が必要だと思うんだ」
俺の言葉に、ソフィアはしばらくの間、黙考していた。
窓から差し込む陽光が、彼女の銀色の髪をキラキラと照らし、その横顔に深い陰影を落とす。
「……分かりました」
やがて、彼女は顔を上げ、決意を秘めた瞳で俺を見つめた。
「貴方の言葉の全てを鵜呑みにするわけではありません。ですが、セレナ様が見た『ズレ』、そして貴方の持つ『知識』の特異性。これらを無視することはできません。ヘレナ様への報告は、状況を見極め、貴方の『知識』の裏付けが取れるまで、一時保留としましょう」
それは、彼女にとって大きな決断だったに違いない。
「ただし、条件があります」
ソフィアは、人差し指を一本立てる。
「貴方の持つ『知識』について、私に隠し事をしないこと。そして、貴方の行動は、常に私の監視下に置かせてもらいます。よろしいですね?」
「……ああ、分かった」
俺は頷く。それは、ある意味、当然の要求だろう。
秘密を共有するということは、それだけの責任と信頼関係を伴うのだから。
「では、まずは何から始めますか? 具体的な目標はあるのですか?」
ソフィアは、既に思考を切り替え、現実的な問題へと意識を向けていた。その切り替えの早さが、彼女の有能さを物語っている。
「……そうだな、まずはとある人物を探したい」
「とある人物?」
ソフィアの青い瞳が、僅かに訝しげな色を帯びる。
「ああ、俺の知る『知識』において、この世界の救世主となる人物――レオン・アルディを探し出す」




