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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第36話 天眼

 ギィ……と、年季の入った蝶番が軋む音を立て、重厚な白木の扉がゆっくりと内側へ開かれた。

 隙間から覗いていた大きな紫の瞳が、怯えたように揺れる。


 そこに立っていたのは、陽の光を長い間浴びていないであろう、透けるように白い肌を持つ少女だった。


 色素の薄い銀髪は艶を失い、少し乱れている。

 着ているのは刺繍一つないシンプルなワンピースで、寝間着のようにも見えた。


 確か年はレオンやアランよりも二歳ほど年下だったはずだ。となると今は八歳くらいか。

 だが、その痩せた体躯や目の下のうっすらとした隈は、彼女が健康とは言い難い状態にあることを示唆していた。


 彼女が、セレナ・グレイン。


 聖女ヘレナ・グレインの娘であり、ソフィアが「力を借りたい」と言った少女。


「……どうぞ」


 消え入りそうな、囁くような声で、セレナは俺たちを部屋の中へと促した。

 その視線は常に下を向き、決して目を合わせようとはしない。


 ソフィアは静かに頷き、俺に目配せをしてから、そっと部屋の中へ足を踏み入れた。俺もそれに続く。


 部屋の中は、予想していたよりも……整然としていた。いや、整然としすぎていた、と言うべきか。

 広さは俺に与えられた部屋と同程度だが、調度品は最低限のものしかない。小さなベッドと、簡素なテーブルと椅子が一つずつ。壁には窓が一つあるが、厚手のカーテンが引かれ、昼間だというのに薄暗い。

 そして、物が極端に少ない。本棚には数冊の本が寂しげに並んでいるだけで、壁に装飾はなく、床には染み一つない。まるで、人が生活している痕跡が希薄な、無機質な空間。それが、彼女の心の状態を映し出しているかのようだった。


 セレナは、俺たちが部屋に入ると、すぐに扉を閉め、カチャリと内側から鍵をかける音を立てた。そして、部屋の隅、窓と壁の間にできる影の中へと、まるで隠れるように身を寄せた。その姿は、外界から自身を遮断しようとする、小さな生き物のようだ。


「セレナ様、お時間をいただきありがとうございます」


 ソフィアは、部屋の中央で静かに振り返り、セレナに向かって穏やかな声で語りかけた。その口調は、普段の俺に対するものとは明らかに違う、砕けすぎていない、だが温かみのある響きを持っていた。


「……ソフィアが、頼むから」


 セレナは、顔を俯かせたまま、小さな声で答える。

 長い前髪が彼女の表情を隠しているが、その声はまだ震えている。ソフィアに対しては、ある程度の信頼を寄せているのだろう。

 対して俺の存在は、彼女にとって大きな脅威であるに違いない。


 そして俺はその理由を大まかに知っていた。

 『セレスティア・サーガ』本編に関わる要素であり、彼女の力に関係するものだからだ。


「彼が、先日お話ししたアラン・フォルテス様です」


 ソフィアは俺を紹介する。俺はセレナに向かって、できるだけ威圧感を与えないように、ゆっくりと頭を下げた。


「アラン・フォルテスです。……はじめまして、セレナ様」


 できるだけ穏やかな、優しい声色を意識して、俺は改めて名乗った。

 しかし、部屋の隅に立つ少女――セレナ・グレインは、びくりと肩を震わせただけで、顔を上げることも、言葉を返すこともしなかった。長い銀髪がカーテンのように彼女の表情を隠し、その足元に落ちる影が、まるで彼女自身を守る壁のように見えた。


 部屋の中は、しんと静まり返っている。

 厚手のカーテンが陽光を遮り、昼間とは思えない薄暗さだ。

 俺はソフィアに目配せしながら、彼女の出方を待つ。

 果たしてどう転ぶのか。


「セレナ様」


 沈黙を破ったのは、やはりソフィアだった。

 彼女は部屋の隅で影に怯える少女へと、一歩だけ静かに歩み寄る。


「お願いできますでしょうか。彼の状態を見ていただきたいのです」


 その声は、あくまで穏やかで、無理強いする響きはない。だが、そこには確かな期待が込められていた。

 セレナの小さな肩が、再びびくりと震えた。


「……わかった」


 渋々と言った様子で彼女は頷いた。

 そのか細い返事に、部屋の空気がわずかに動いた気がした。ソフィアは安堵の息を小さく漏らし、俺の方へ視線を向ける。俺は無言で頷き返し、セレナの次の行動を待った。

 セレナは、部屋の隅の影から、まるで生まれたての小鹿のように、おそるおそると一歩を踏み出した。

 その足取りは頼りなく、今にも崩れ落ちそうだ。

 長い前髪が揺れ、その隙間から覗く紫の瞳は、不安げに俺とソフィアの間を行き来している。


 俺は微動だにせず、彼女に余計なプレッシャーを与えないよう努めた。

 ソフィアもまた、静かに見守っている。


 セレナは、俺の数歩手前で足を止めた。

 直接触れることはおろか、これ以上近づくことすら、彼女にとっては大きな勇気が必要なのだろう。

 彼女は再び俯き、長いまつ毛が震えるのが見えた。


 そして――。


 彼女は小さく息を吸い込み、震える両手をそっと胸の前で合わせた。

 指先がか細く組み合わされ、まるで祈りを捧げるかのような仕草。

 その瞬間、薄暗い部屋の中にもかかわらず、彼女の周囲の空気が微かに揺らぎ、密度を増したように感じられた。


 長い前髪がふわりと持ち上がり、隠されていたセレナの顔が露わになる。

 陽の光を知らない白い肌、血の気の薄い唇。

 そして、黄金に光る左目。


 それは、ソフィアが持つ力と同じ輝き。

 紛れもない『天眼』の光だった。



 セレナの黄金の瞳が、恐る恐るといった様子で俺に向けられる。

 魂の奥底まで見透かされるような、あの独特の感覚。


「ひ……っ!」


 俺を見た瞬間、セレナの顔からサッと血の気が引いた。

 彼女は小さく悲鳴を上げると、まるで恐ろしいものから逃れるかのように数歩後ずさり、再び部屋の隅の影へと駆け込もうとする。その紫の瞳は大きく見開かれ、恐怖に染まっていた。


「セレナ様!?」


 ソフィアが驚いて声をかける。

 俺もまた、セレナのあまりの反応に困惑した。一体、彼女の『天眼』は何を見たというのだろうか。


「お、おんなじ……みんなと、いっしょ」


 セレナは影の中で蹲り、両腕で自分の身体を抱きしめるようにして震えている。その声は途切れ途切れで、完全に怯えきっていた。


「……貴方もですか」


 ソフィアはその言葉を予想していたのか、小さく息を吐く。

 その反応から彼女が今の状態になってしまった要因がそこにあるのだろう。


「……ソフィア、説明をしてくれ」


 俺の静かな問いかけに、ソフィアは一度、部屋の隅で震えるセレナへと労わるような視線を向けた後、俺に向き直った。その表情はいつもの冷静さを保っているが、瞳の奥には複雑な色が揺れている。


「そうですね……まずは彼女の力について説明する必要がありまね」


「ソフィアと同じ天眼、だろ?」


 俺の問いに、ソフィアは静かに頷いた。

 だが、その表情には単純な肯定だけではない、複雑なニュアンスが含まれている。


「はい、セレナ様もまた、『天眼』の天恵を授かっています。ただ私の天眼とは異なる力があるのです」


 ソフィアは、部屋の隅で震えるセレナに痛ましげな視線を送りながら、静かに説明を続けた。


「私の『天眼』が、対象の能力や状態、魔力の流れといった、今現在の情報を見通すことに長けているのに対し、セレナ様の『天眼』は……」


 彼女は言葉を選び、慎重に続ける。


「対象の未来を見る力、つまり彼女は人の運命を見ることができるんです」


 未来視――。

 人の運命を見通す力。

 ソフィアの天眼とは似て非なる力だ。

 彼女の立場上、能力的にも宗教的にも非常に強力な力であることは言うまでもない。


 しかしそれが彼女にとって悲劇の始まりだった。


 この世界において、十年後に待ち受ける悲劇。

 それが全ての元凶である。


「なるほど、つまり俺の未来は……」


 俺は呟き、ソフィアの顔を見た。

 未来視――その言葉の意味を考えれば、セレナが俺を見て怯えた理由は一つしかない。彼女は、俺の、アラン・フォルテスの、悲惨な末路を見たのだ。


 魔物の群れに襲われ、無様に命を落とす。

 ゲームで何度も見た、そして俺自身が「スカッとした」とすら思った、あの結末。


 ――変わっていないのか。


 その事実に、俺の心臓は冷水を浴びせられたように凍りついた。

 ラーム村での死闘、失われた魔力、それでも掴みかけたスキルの感触、そしてグレイン邸に戻りこれからだと意気込んだ決意。

 その全てが、無意味だったと突きつけられたような感覚。

 セレナが見た俺の未来は、ゲームで描かれたあの無惨な結末と、何ら変わりがないのだ。


「すいません、貴方なら……と。早計な判断でした」


 ソフィアは静かに頭を下げた。その声には、珍しく明確な落胆と、そしてセレナに対する申し訳なさが滲んでいる。

 彼女なりに、何かを変えるきっかけになるかもしれない、そんな淡い期待があったのだろう。だが、結果は残酷なまでに明白だった。


 俺の未来は、決まっている。

 どんなに足掻こうと、あの無様な死が待っている。

 魔力を失い、スキルの片鱗を見せたところで、結局は何も変わらない。


「……いや」


 しかし、沈みかけた意識の底から、か細い、だが確かな反発心が湧き上がってきた。


「セレナ様、一つ確認させて下さい」


 俺は顔を上げ、セレナに声をかけた。

 セレナは顔を伏せたままだが、お構いなしに声を投げる。


「俺の最期は今から十年後でしたか?」


「え……なんで」


 俺の言葉にソフィアとセレナが同時に反応する。


「それは魔物の群れに襲われて……ですよね」


「何を……?」


 ソフィアが困惑の視線を向けるが、関係ない。


「そう、です」


 セレナは頷いた。


 なるほど、と俺は確信を持つ。


 彼女の天眼は、未来を見るものではない。


 この世界におけるシナリオを見る力だ。

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