第33話 聖都へ
ヴァラの城門を背に、俺たちの馬車は西へと進路を取った。東への道が魔物の異常発生により閉ざされたという衝撃的な事実は、俺たちの計画を大きく狂わせたが、同時に新たな目的地――聖都マリエルナへの道を切り開いた。
道筋は、通ったばかりのラーム村へと逆戻りすることになる。
あれだけ盛大に見送って貰った手前、すぐに引き返すのはなんとも言えない気まずさがある。
とはいえ、あくまで方向が同じなだけであって、再び村に立ち寄るわけではない。ヴァラから聖都へ抜けるには、この街道を通るのが最短なのだ。
「まさか、こうなるとはな……」
馬車の窓から遠ざかるヴァラの城壁を眺めながら、俺は小さく息を吐いた。隣に座るソフィアは、既に膝の上で分厚い書物を開いている。その横顔はいつも通り冷静沈着に見えるが、予定外の事態に内心穏やかでないのかもしれない。
「しかし、聖都マリエルナ、か」
俺はその名を反芻する。
ゲーム『セレスティアル・サーガ』においても、王都セレスティリウムと並び称される重要な都市だ。王家が政治の中心である王都に対し、聖都は文字通り聖教会の総本山であり、信仰と、そしてグレイン家の影響力が強く根付く場所。
そして『セレスティアル・サーガ』において、唯一戦火を免れた都市でもあった。
強力な聖なる結界に守られている、という設定だったはずだ。魔王軍ですら容易には手出しできなかった聖域中の聖域。
今の俺にとっては、ある意味、王都よりも安全な場所と言えるのかもしれない。
「聖都には訪れたことがあるのですか?」
俺の呟きが聞こえたのか、いつの間にかソフィアがこちらを見つめていた。
「えーっと、一回だけあったかな」
プレイヤーとしてはあるが、アランとしては分からない。
咄嗟に、曖昧な記憶を装って答える。
「そうですか」
ソフィアは、俺の返事に特に表情を変えることなく、再び書物に視線を落とした。
「聖都は聖教会の総本山として、信仰の中心であると同時に、古くからの知識や技術が集積する場所でもあります。特に、グレイン家の書庫には、天恵や古代魔法に関する貴重な文献が数多く保管されています」
ソフィアは書物から目を離さずに、淡々と説明を続ける。それは俺への説明というよりは、これから向かう場所の意義を再確認しているようにも聞こえた。
「つまり、俺のこの状態……魔力喪失の原因や、天恵の謎を解明する手がかりも、そこにあるかもしれない、ってことか」
俺の問いに、ソフィアはゆっくりと顔を上げた。
「可能性はあります。通常の方法では解明できなかった貴方の特異性は、古代の文献や、失われた知識の中に答えがあるのかもしれません。それに元々グレイン家に従事する者として聖都には尋ねる予定でしたので、今回のことは良い機会でした」
最後の言葉は、少しだけ個人的な響きを含んでいるように聞こえた。彼女自身も、今回の予定変更を前向きに捉えているようだ。
「そういえば、ヘレナ様はまだ王都に?」
俺が尋ねると、ソフィアは少しだけ考えるように視線を宙に彷徨わせた。
「はい。先日伝書鳩で状況を報告した際の返信によれば、ヘレナ様は現在も王都にて、天恵の儀の後処理と、王家や他の公爵家との調整に追われているとのことです」
やはり聖女様は忙しいらしい。
俺のせいで余計な手間を増やしてしまったことに、改めて申し訳なさを感じる。
「この時期は特に、各地の天恵の儀の結果報告や、新たに天恵を授かった者たちの受け入れ準備などで、聖教会も多忙を極めます。ヘレナ様が王都を離れられないのも致し方ないでしょう」
ソフィアは淡々と補足する。彼女の言葉からは、聖教会やグレイン家が担う役割の重さが伝わってきた。
「王都も大変そうだな……こっちもだけど」
俺は窓の外へと視線を移す。
ヴァラ周辺の魔物の異常発生。これが一時的なものなのか、あるいはもっと大きな――例えば、ゲーム本編で描かれた魔王軍侵攻の予兆のようなものなのか。気にかかる。
「ヴァラ東方の状況については、聖都到着後に多方面から情報を収集する必要があるでしょう。もしこれが広範囲に及ぶ異変の始まりだとしたら、王国全体にとっても重大な脅威となり得ます」
ソフィアも同じ懸念を抱いているようだ。彼女は書物を閉じ、窓の外の景色へと静かに目を向けた。その青い瞳には、普段の冷静さに加えて、わずかな警戒の色が浮かんでいる。
馬車はラーム村への道と同じ街道を進む。
やがて、見覚えのある分岐点が見えてきた。ラーム村へと続く脇道だ。俺たちの馬車は、そこへは曲がらず、真っ直ぐ西へと進んでいく。
ちらりと脇道の方を見たが、村の様子は見えない。ランドは今頃、また鍛錬に励んでいるのだろうか。
「体調はいかがですか? 少し顔色が優れないようですが」
ソフィアが俺の顔を覗き込むようにして尋ねてきた。
「いや、大丈夫。少し考え事をしていただけだから。左手に痺れもだいぶ引いてきてるし」
俺は左腕を軽く握り、開いて見せる。
まだ完全ではないが、あの戦闘直後とは比べ物にならないほど回復している。
人間の、特に若い身体の回復力というのは、俺が思っていた以上にすごいのかもしれない。
だがなんとも言えない気だるさは未だ抜けきれず、とても万全とは言えない状態なのも確かだった。
「そうですか。ですが、無理は禁物です。聖都に着くまでは安静を心がけてください。……ガルド様には、くれぐれも稽古を再開させないよう、再度釘を刺しておきますので」
ソフィアの言葉に、俺は苦笑いを浮かべるしかない。
「しかし、アラン坊主。思ったより回復が早いじゃねえか!」
まるで俺たちの会話を聞いていたかのように、馬車の窓からガルドさんの声が響いた。馬上で並走しながら、彼は満足そうに頷いている。
「あの調子なら、聖都に着く頃には軽い素振りくらいは再開できるかもしれねえな! グレイン家の連中も腕利きは多いが、やはり基本は俺様がビシッと叩き込んでやらねえと!」
「ガルド様」
ソフィアが、窓の外のガルドさんに向けて、静かだが有無を言わせぬ声を発した。
「アラン様はまだ療養中です。聖都到着までは、一切の訓練を禁じます。これはヘレナ様からの指示でもあります」
「げっ……聖女様直々にかよ」
ガルドさんは一瞬たじろいだが、すぐに「がはは! 冗談だって!」と豪快に笑って誤魔化した。しかし、その顔は少し引きつっているように見えた。聖女ヘレナの影響力は、この豪放磊落な騎士に対しても絶大なようだ。
ソフィアはふんと鼻を鳴らすと、再び書物へと視線を戻した。
俺は内心でソフィアに感謝しつつ、窓の外を流れる景色へと再び目を向けた。
街道の両脇には、鬱蒼とした森や、緩やかな丘陵地帯が広がる。時折、小さな集落や農地が見えるが、全体的には人の気配が薄い、寂しい道のりだ。
聖都へ向かう旅人は少ないのか、あるいはヴァラの状況が西へも影響しているのか、他の馬車や旅人の姿はほとんど見かけない。ガルドさんたち護衛の存在が、今は何よりも心強く感じられた。
聖都マリエルナ。
そこで俺を待ち受けているのは、希望か、それとも新たな試練か。
まだ見ぬ未来への期待と不安を胸に、馬車は西へと進み続ける。
少なくとも、今はただ、この静かな旅路を味わいながら、来るべき時に備えるしかない。俺はゆっくりと目を閉じ、束の間の休息に意識を委ねた。




