第32話 目的地
グレイン邸へと戻る馬車の揺れは、ラーム村への往路とはまた違った感慨を俺にもたらしていた。
行きは未知への不安と、微かな期待だった。
そして今は、多くの謎と、失った力への落胆、それでも前へ進もうとする、複雑な決意。
「……」
窓の外を流れる景色を眺めながら、俺はラーム村での出来事を反芻していた。
ゴブリンとの死闘。意識を失う寸前に放った、あの不可解なスキル。そして、その代償として失われた魔力。
ランド・ガリオンとの出会い。彼の抱える渇望と、俺に向けられた剥き出しの対抗心。
謎に包まれた『魔除けの護符』と、それを託したこと。
特級冒険者ダラス・エリオットの圧倒的な実力と、謎めいた言動。
短い期間だったが、あまりにも多くのことが起こりすぎた。
転生して以来、最も濃密で、そして最も危険な数日間だったと言えるだろう。
それがゴブリン相手というのは、我ながら情けない話だが。
「何を考え込んでいるのですか?」
不意に、隣に座るソフィアから静かな声がかかった。彼女は膝の上に置いた書物から顔を上げ、俺の顔をじっと見つめている。その青い瞳は、感情を読み取りにくいが、どこか探るような色を帯びていた。
「いや……色々と、な。ラーム村でのこととか、これからのこととか」
俺は曖昧に答える。魔力ゼロのショックはまだ完全には消えていない。
だが、それ以上に、これからどうすべきか、という思いが頭の中を占めていた。
スキルのこと、そしてこの世界の行く末。
「貴方の焦りは理解できます。ですが、道は一つではありません。今は落ち着いて現状を受け入れ、最善の策を考えるべきでしょう」
ソフィアは俺の内心を察したのか、静かに諭すように言った。彼女の冷静さが、やや浮足立ちかけていた俺の心を落ち着かせてくれる。
「……そうだな。ありがとう、ソフィア」
俺は小さく頷く。
焦りは禁物だ。それは今回のことで思い知った。
備えあれば憂いなし、まさにその言葉のとおりに。
馬車は土埃を上げながら進み続ける。幸い、ラーム村を出てからは一度も魔物に遭遇することなく、旅は順調に進んでいた。ガルドさんや護衛の騎士たちも、時折冗談を飛ばし合う余裕を見せている。
やがて日が傾き始めた頃、見覚えのある風景が視界に入ってきた。
高く頑丈そうな城壁。城砦都市ヴァラだ。
「さて、そろそろヴァラです」
ソフィアが窓の外に視線を向けながら言った。
俺も窓から顔を出す。夕陽を受けて鈍く輝く石壁は、数日前に見た時と変わらない威容を誇っている。だが――。
「……ん? 何か、様子が違うような……」
城門に近づくにつれて、違和感が大きくなる。
前回訪れた時よりも、明らかに町の雰囲気が張り詰めているのだ。城壁の上には衛兵の数が増え、鋭い視線を街道に向けている。そして、城門前には、以前にはなかった厳重な検問所が設けられ、武装した兵士たちが全ての通行者を厳しくチェックしていた。
「おいおい、どうしたってんだ、こりゃ」
馬上で並走していたガルドさんも、異変に気づいたようだ。眉間に皺を寄せ、警戒するように周囲を見回している。
俺たちの馬車が検問所に近づくと、槍を持った兵士が数人、鋭い目つきで立ちはだかった。御者がグレイン家の紋章を示しても、以前のようにすぐ通してくれる様子はない。
「止まれ! 通行目的と身分を明らかにせよ!」
兵士の一人が、硬い声で命令する。
その声には、疑いと警戒の色が濃く滲んでいた。
「グレイン家の者だ! 我々は王都へ向かう途中だ、道を開けてもらいたい!」
ガルドさんが馬上から威厳のある声で応じる。
兵士たちは一瞬顔を見合わせたが、隊長らしき男が前に進み出て、兜のバイザー越しにガルドさんを見上げた。
「グレイン家の方々、誠に申し訳ないが、現在、ヴァラは緊急事態下にあります。安全が確認されるまで、いかなる理由があろうとも、ヴァラ以東への通行、及びヴァラ市街への立ち入りを一時的に制限させていただいております」
「な……なに!? 緊急事態だと、一体何があった?」
ガルドさんが驚愕の声を上げる。
俺とソフィアも息を呑む。
ヴァラ以東への通行制限――それは、俺たちが来た道、王都への道を閉ざすことを意味する。
ゴブリンの襲撃とはレベルの違う、もっと深刻な事態であることは明らかだった。
「三日前より、ヴァラ東方の森にて、オークやオーガといった大型魔物の活動が異常活発化しております。それだけならまだしも、通常この地域では確認されないはずの変異種や、未知の魔物の目撃情報も相次いでおり……街道は完全に寸断され、既に偵察に出た兵士や冒険者にも少なからぬ被害が出ております」
隊長は、重々しい口調で状況を説明した。その声には、隠しきれない疲労と、未知の脅威への不安が滲んでいる。
オーガの群れに、変異種、未知の魔物……。
ゴブリンとは比較にならない脅威だ。
ラーム村におけるゴブリン襲撃も、この件に関係しているのだろうか。
「……なんと」
ガルドさんも事態の深刻さを理解し、押し黙る。騎士としての経験が、これが単なる偶然の魔物発生ではない可能性を告げているのだろう。
「それで、王都への道は完全に塞がれた、と?」
ソフィアが冷静に問いかける。彼女の『天眼』は、既に隊長の言葉の真偽や、周囲の状況を分析しているのかもしれない。
「はい。現在、街道の安全確保のため、ヴァラ駐屯軍と冒険者ギルドが協力し、原因調査と討伐作戦を準備中です。ですが、敵の規模と種類が不明なため、見通しは立っておりません」
隊長の言葉は絶望的だった。俺たちは完全に足止めを食らった形だ。
「くそっ……どうする」
ガルドさんが苦々しげに呟く。
護衛対象である俺とソフィアを安全にグレイン邸へ送り届けるのが彼の任務だ。しかし、道が閉ざされ、しかもその原因が未知の脅威となれば、迂闊な行動は取れない。
「状況は理解しました。人手の方は順調に集まっているのですか?」
いつの間にか馬車から降りていて、ソフィアが会話に割って入る。
彼女はグレイン家の使いとしての立場を明確に示すように、隊長の前に立つ。
「は、はい。幸いなことに、ヴァラには腕利きの冒険者も多く滞在しており、駐屯軍と合わせて相応の戦力は確保できております」
隊長はソフィアの存在感にやや気圧されながらも、職務として答える。
「我々にお手伝いできることはありますか?」
ソフィアの口から出たのは、予想外の申し出だった。
護衛対象である俺を抱え、自身も万全ではないはずなのに。
「い、いえ! とんでもありません。
ただ、敢えて言わせていただくと、この状況を聖教会、及び王家にご報告いただければと」
隊長は慌てて首を横に振った。
先程の会話からも、人手は問題ないらしいとのことなので、我々が介入する方が返って指揮系統が乱れる懸念もある。
「承知しました。最優先に対応させて頂きます」
ソフィアはそうきっぱりと言い切り、馬車へと戻る。
そして窓からガルドに声をかけた。
「目的地を聖都マリエルナへ変更します」
ソフィアの静かな、しかし有無を言わせぬ響きを持った言葉が、馬車の狭い空間と、外で待機するガルドさんたちの間に重く響いた。
一瞬の沈黙。
最初に反応したのは、やはりガルドさんだった。
「……は? 聖都だと? ソフィア嬢、それは一体どういう――」
驚きと困惑、そしてわずかな不満の色を滲ませ、彼は馬上からソフィアを見下ろす。護衛責任者として、この唐突な目的地変更は聞き捨てならないのだろう。
彼の背後で控える騎士たちも、戸惑いの表情を浮かべているのが見えた。
俺自身もまた、その言葉に驚きを隠せなかった。
聖都マリエルナ――それはセレスティア王国における聖教会の総本山であり、グレイン家の本拠地でもある、王都とは別の意味で重要な都市だ。
「理由は二つあります。第一に、王都への道が現在、事実上封鎖されていること。原因不明の魔物の異常発生と街道の寸断。この状況で東へ向かうのは無謀であり、迂回路を探すにしても、時間と危険が伴います」
彼女は窓の外、厳戒態勢が敷かれたヴァラの城門へと視線を向けながら、淡々と事実を述べる。その指摘に、ガルドさんもぐっと言葉を詰まらせた。騎士としての判断力が、ソフィアの言葉の正しさを認めさせているのだろう。
「第二に、今回の異常事態を聖教会、そして王家へ早急に報告する必要があること。王都への道が閉ざされた今、最も確実かつ迅速にヘレナ様へ情報を伝えられるのは、西にある聖都マリエルナです。グレイン家の影響力が強い聖都であれば、情報の伝達も円滑に行えるでしょう」
なるほど、聖教会への報告義務か。聖女ヘレナ・グレインの名代としてこの遠征を指揮しているソフィアにとって、それは最優先事項なのだろう。
「確かに……この状況で王都を目指すのは無茶だ。聖都へ向かい、グレイン本家と合流するのが最も安全で確実な手立てだろう。……坊主の状態も気がかりだしな」
彼は俺を一瞥し、わずかに心配そうな表情を見せた。
「では聖都へ向かいましょう」
ガルドさんの了承を得て、目的地変更は正式に決定された。ソフィアは小さく頷き、すぐにヴァラの城門の隊長へ、俺たちが聖都へ向かう旨と、ここでの状況を聖教会へ報告する手筈を伝えた。隊長は安堵したような、それでいて申し訳なさそうな表情で、俺たちの安全な旅を祈る言葉を述べた。
「よし! お前ら、行き先変更だ! 聖都マリエルナへ向かうぞ!」
ガルドさんが騎士たちに号令をかける。彼らも状況を理解したのか、戸惑いを見せることなく、きびきびと馬の向きを変え、西への出発準備を始めた。




