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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第31話 出立

 目覚めてから三日目の朝。

 ラーム村の空は、まるで俺たちの新たな門出を祝うかのように、雲一つない快晴だった。


「……よし、だいぶ動けるようになった」


 部屋の中で軽く手足を動かしてみる。

 まだ頭の奥には鈍い痛みが残滓のようにくすぶり、急な動きをすると左腕の痺れも完全には消えていない。だが、日常生活や、馬車での移動に支障が出るほどではなさそうだ。ソフィアが調合してくれた薬湯と、村長夫人の滋養に富む(そして素朴な)食事が効いたのかもしれない。


 何より、精神的な回復が大きい。

 魔力ゼロという現実は重いが、いつまでも落ち込んではいられない。「スキルを磨く」という新たな目標が、沈みかけた心を再び奮い立たせてくれた。


 支度を整え、階下へ降りると、既にガルドさんやソフィア、護衛の騎士たちは出発の準備を終えていた。村長夫妻も、名残惜しそうに俺たちを見送るために集まっている。


「アラン様、お加減はもうよろしいので?」


 村長の妻が、心配そうに俺の顔を覗き込む。彼女には、意識を失っていた間、本当に世話になった。


「はい、おかげさまで。村長さん、奥さん、大変お世話になりました。何とお礼を言ったらいいか……」


 俺が深々と頭を下げると、村長は慌てて「いやいや、滅相もございません!」と手を振った。


「むしろ、我々こそ、アラン様やソフィア様には感謝してもしきれませぬ。ゴブリンどもから村を守っていただき、その上、エルモにあのような素晴らしい天恵まで……」


 村長の視線が、彼の後ろに立つ一人の少年へと向けられる。

 剣聖の天恵を授かった少年、エルモだ。彼は少し緊張した面持ちで、しかし以前よりも少しだけ自信をつけたような顔で、こちらを見ていた。


「エルモ君、だったね」


 俺は少年に歩み寄り、視線を合わせた。


「天恵、おめでとう。すごい力だけど、それに驕らず、村のために、そして自分のために、正しく使ってほしい」


 ゲーム知識からすれば、彼の力は計り知れない。だが、力は使い方を誤れば、容易に人を破滅させる。アラン自身がその見本のようなものだ。


「……はい! ありがとうございます!」


 エルモは、はきはきとした声で答え、力強く頷いた。彼の瞳には、迷いのない光が宿っている。この村の希望として、彼はきっとまっすぐに成長していくのだろう。


「おいエルモ、この坊主には今のうちから媚を売っておいたほうがいいぞ!」


 途端にガルドさんが悪戯な笑みを浮かべながら割り込んできた。

 当のエルモは首を傾げて、不思議そうな顔で俺を見る。


「ガルドさん、やめてくださいよ。エルモ君が困ってる」


 俺が窘めると、ガルドさんは「がっはっは! 冗談だ、冗談!」と豪快に笑った。


 ふと、視線を感じて家の外へと目をやる。


 村はずれへと続く道の入り口近く、木陰に、見慣れた赤い髪が見えた気がした。ランドだ。彼は遠巻きにこちらを見ているだけで、近づいてくる様子はない。


「彼はあれ以来、ずっと拳術に勤しんでいました」


 ボソリとソフィアが情報を付け加えてくる。


「え、そうなのか」


 俺は驚いてソフィアを見た。

 あの日、あれほどの力の差を見せつけられ、恐怖に打ち震えていた少年が、もう前を向いて鍛錬を始めているとは。


「はい。あの日以来、以前にも増して鍛錬に時間を費やしているようです。貴方や、あの冒険者が見せた力が、彼を強く刺激したのでしょう」


 ソフィアは淡々と事実を述べる。だが、その声には微かに、ランドの行動に対する評価のような響きも含まれている気がした。


「……ちょっと声を掛けてくる」


 ソフィアはコクリと頷く。

 このまま別れる、というのも何だかドラマチックで良いのかもしれないが、俺は現実的な選択肢を取った。


 ランドは、俺が近づいてくるのに気づくと、一瞬身構えるような仕草を見せたが、逃げ出すことはなかった。ただただ、露骨に嫌そうな顔を浮かべている。


「……何だよ」


 低く、ぶっきらぼうな声。

 だが、初めて会ったときほどではない。


「いや、ほんの少しの間だったけど……まあ色々あったし、挨拶をな」


「そうかよ。勝手にしろ」


 ランドはそっぽを向き、吐き捨てるように言った。


「あの時は……まあ、色々と悪かったな。お前を巻き込んじまって」


 戦闘に発展したこと、ソフィアと口論になったこと。直接の原因はゴブリンだが、俺たちが祠にいなければ、彼があの恐怖を味わうこともなかったかもしれない。

 ランドは、俺の意外な言葉に少し驚いたようにこちらを見たが、すぐにまた顔を顰めた。


「……別に。お前のせいじゃねえだろ。俺が……弱かっただけだ」


 歯切れ悪く、しかしはっきりと彼は言った。その声には、悔しさが滲んでいる。あの日の無力さが、彼のプライドを深く傷つけたのだろう。


「俺もだ。何もできなかった。結局、あの冒険者の人に助けてもらっただけだ」


 それは事実だ。最後のゴブリンはダラスが倒した。俺の力は、そこまで及ばなかった。


「……」


ランドは何も言わず、ただ地面を睨みつけている。


「だから、俺も強くなる。もっと、自分の力で戦えるように」


 俺は決意を込めて言った。それは、ランドへの言葉であると同時に、自分自身への誓いでもあった。


「……ふん」


 ランドは鼻を鳴らし、ようやく俺の顔を見た。その赤い瞳には、まだ警戒心は残っているが、ほんの少しだけ、違う色が混じっているように見えた。それは、対抗心か、あるいはライバル意識のようなものか。


「勝手にしろ。だがな、俺はお前とは違う。俺自身のやり方で、お前よりも、あのフードの奴よりも、ずっと強くなってやる。誰にも……負けねえ」


 力強く言い放つランド。その姿は、数日前に会った時よりも、遥かに逞しく見えた。彼の中で、何かが確実に変わり始めている。


「……そうか。じゃあ、またいつか会う時があれば、だな」


 これ以上話しても、馴れ合うような関係にはなれないだろう。俺はそれだけ言うと、彼に背を向けた。


「……おい」


 数歩歩いたところで、背後から声がかかる。振り返ると、ランドはまだこちらを見ていた。


「次会う時は……俺の方が強くなってるからな。覚えとけ」


 そう言うと、ランドは今度こそ本当に背を向け、鍛錬をしていたであろう森の奥へと駆け込もうとした。


「ああ、そういえば、ランド、少し待ってくれ」


 俺は思わず呼び止めた。ランドは不審そうに足を止め、訝しげに振り返る。


「……まだ何かあんのかよ」


 俺は懐から、あの古びた革袋を取り出した。


「これは『魔除けの護符』と言って、魔物を払う力があるらしいんだ」


「知ってる、あの女がゴブリンに投げつけたやつだろ」


 俺は護符をランドに向かって差し出した。


「なら話は早いな、生憎とあの戦いで効果はほとんど薄れたらしいけど、ないよりはマシだ。元々この辺りのもんだろうし、お前が持ってろ。……まあ、気休め程度にはなるんじゃないか」


 ランドは、差し出された護符と俺の顔を交互に見た。その赤い瞳には、戸惑い、反発、そしてほんの少しの好奇が入り混じっている。


「……ふざけんな。お前からの施しなんているか」


 吐き捨てるように言うランド。しかし、その視線は護符から離れない。


「施しじゃねえよ。押し付けだ。俺にはもう必要ないからな」


 俺は少し乱暴に、護符をランドの胸元に押し付けるように差し出した。


「……っ」


 ランドは一瞬ためらった後、舌打ちを一つすると、ひったくるように護符を受け取った。その手は微かに震えているように見えた。


「……勘違いするな。ただ預かるだけだ。それに、こんなモン無くたって、俺は絶対に強くなる!」


 そう言い放つと、ランドは今度こそ本当に背を向け、逃げるように森の奥へと駆け込んでいった。その手には、古びた護符が固く握りしめられているのが見えた。


「……ふっ」


 思わず笑みが漏れる。

 和解はできなかった。だが、敵意剥き出しだった関係が、ほんの少しだけ違う形になった気がする。悪くない別れだ。

 今回のことで彼の運命もまた、変わることを祈るばかりである。


 そんなことを思いながら、俺は村長の家の方へと戻った。


 ガルドさんやソフィアが、どこか納得したような顔で俺を迎える。


「よし、話は済んだか! ならば出発だ!」


 ガルドさんが号令をかける。俺は村長夫妻に改めて深々と頭を下げた。


「本当にお世話になりました。このご恩は忘れません」


「アラン様、どうかお元気で。エルモのことも、よろしくお伝えください」


 涙ぐむ村長夫妻に見送られ、俺たちは馬車に乗り込んだ。御者が鞭を鳴らし、馬車がゆっくりと動き出す。窓の外では、エルモや他の村人たちが手を振っていた。ランドの姿はもう見えない。


「……良い村だったな」


 馬車が村の入り口を抜け、街道へと出た時、俺はポツリと呟いた。


「そうですね。多くの課題はありますが、希望もある村でした」


 隣に座るソフィアが静かに応じる。

 彼女の視線は、既に前を向いていた。


「さて、グレイン邸に戻ったら、まずは体力の回復と、スキルの基礎訓練ですね。魔法が使えない以上、それが貴方の当面の課題となります」


 ソフィアは淡々と、しかし明確な目標を提示する。


「ああ、分かってる。ガルドさんの特訓は無茶だったけど、基礎は体に叩き込まれた気がする。それに……」


 俺は自分の両手を見つめる。魔力は感じられない。だが、あの戦闘で感じた力の片鱗、そしてスキルを発動した瞬間の感覚は、まだ微かに残っている。


「当然ですが、本来の役目も忘れないで下さい。貴方は私の『補佐役』なのですから」

 ソフィアは釘を刺すように、しかしどこか楽しむような響きを含ませて付け加えた。

 その横顔に浮かぶのは、微かな、本当に微かな笑み。


「……善処します」


 俺は苦笑いを浮かべながら答えるしかなかった。

 馬車は、王都へと続く街道を走り始める。

 ラーム村での日々は終わった。

 失ったものもある。だが、得たものも、確かにあるはずだ。

 新たな決意を胸に、俺の、アラン・フォルテスの再起譚は、次の舞台へと向かう。道のりはまだ遠く、険しいだろう。それでも、俺は進む。破滅の運命に、抗い続けるために。

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