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悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

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第30話 行先

 ラーム村の質素な部屋に、朝日が柔らかく差し込んでいた。

目覚めてから二日目の朝。

 一週間もの間、意識の底を彷徨っていたとは思えないほど、思考はクリアになってきている。

 だが、身体の方は正直だ。起き上がろうとするだけで、まだ鈍い頭痛と、全身を覆う倦怠感が俺を現実に引き戻す。


「焦るべきじゃない」


 自分に言い聞かせ、ゆっくりと上体を起こす。

 深呼吸を一つ。あの戦闘で失ったものの大きさを改めて実感した。


 魔力――ゼロ。


 ただのゴブリンを相手にして受けた代償にしてはあまりにも大きい。

 魔法は、転生者としての数少ないアドバンテージだった。それが使えなくなるのは今後の人生に重大な影響を与えることになる。


 もちろん後悔はない。あそこで無茶をしなければ、ソフィアやランドが無事では済まなかった可能性だってある。

 この世界はゲームとは違うのだ。何があってもおかしくない。


 コンコン、と控えめなノックの音が響く。

 返事をする前に、静かに扉が開かれた。ソフィアだ。

 彼女は水の入ったピッチャーと清潔な布を手に、いつもの淡々とした表情で部屋に入ってきた。


「お目覚めですか。顔色は昨日よりは良さそうですね」


 ソフィアは俺の顔を一瞥すると、ベッド脇の小さな台にピッチャーを置き、手際よく布を濡らして絞る。


「ああ、おかげで。まだ少し怠いが、頭はだいぶすっきりした」


 俺が答えると、ソフィアは「そうですか」と短く頷き、濡らした布を俺の額にそっと当ててくれた。ひんやりとした感触が心地よい。


「魔力の方は……何か変化は?」


 期待はしていない。それでも、聞かずにはいられない。

 ソフィアは首を横に振った。


「残念ながら、回復の兆候は見られません。依然としてゼロの状態です。身体が回復すれば自然と戻る可能性も捨てきれませんが……過度な期待はしない方が良いでしょう」


「……そうか」


 分かってはいたが、改めて現実を突きつけられると、やはり胸の奥がずしりと重くなる。


「ああ、それと、ガルド様が貴方の復調を今か今かと待ってますよ」


「ガルドさんが?」


 少しだけ嫌な予感を抱きつつ俺は尋ねた。


「はい、すぐにでも『稽古の続き』をしたがっていたのですが、私が『絶対安静』を厳命しておきました」


「は、はは、助かった」


 俺は乾いた笑いを漏らす。

 ガルドさんの熱血指導はありがたいが、今の状態で受けたら確実に倒れる。ソフィアの冷静な判断に救われた形だ。


「貴方の身体は、まだ完全に回復していません。特に頭部の打撲と、原因不明のエネルギー枯渇。安静が第一です。ガルド様には、貴方が動けるようになるまで、手出し無用と伝えてあります」


 ソフィアは淡々と言うが、その口調には「もし破ったら容赦しません」という圧が微かに含まれている気がした。彼女のこういう容赦ない部分は、ある意味頼もしい。


「そうでした、これをお返ししておきます」


 そう言ってソフィアが懐から取り出したのは、見覚えのある小さな革袋だった。

 俺はそれを受け取り、中身を確認する。


「……護符」


 入っていたのは、あの古びた木彫りの護符。

 確か、ゴブリンに投げつけて、光を伴い弾けたはずだ。


「無事だったのか」


 俺の問いに、ソフィアは静かに首を横に振る。


「いえ、どうやら魔除けの効果は薄れてしまっているようです」


「効果が……?」


 俺は護符を手に取り、改めて見つめる。古びた木肌には、微かに焦げたような跡と、細かな亀裂が入っているように見えた。


「はい。『天眼』で確認しましたが、護符に宿っていた力は、ほとんど霧散しています。完全に無力化されたわけではありませんが、以前のような魔物を強く退ける力は、もう期待できないでしょう」


 ソフィアは冷静に分析結果を述べる。


「……そうか。こいつも、俺と同じように力を使い果たしたってわけか」


 俺は護符を指でなぞりながら、自嘲気味に呟いた。

 魔物を退けるという奇跡のような力を発揮した代償。それは、護符自身の力の霧散。俺が未知の力を振るい、魔力を失ったのとどこか似ている。この世界では、強大な力には相応の対価が必要なのかもしれない。


「そうかもしれませんね」


 ソフィアが静かに相槌を打つ。

 彼女は濡れた布を取り替えるために立ち上がり、窓辺へと向かった。


「さて、今後の予定ですが」


 窓の外に視線を向けたまま、ソフィアが切り出した。


「貴方が意識を失っていた間に、滞在許可の期限は過ぎています。幸い私やガルド様たちも含め、負傷者の治療や村の復旧支援という名目があるため、もう少しの猶予はありますが、長居はできません」


「……そうだよな。俺のせいで、随分と足止めさせてしまった」


 申し訳なさが込み上げる。

 俺一人のために、護衛の騎士や、ソフィア自身の時間を無駄にさせてしまったのだ。


「貴方の回復を待つという判断は、私とガルド様で決定したことです。気にする必要はありません。問題は、これからどうするか、です」


ソフィアは振り返り、俺を真っ直ぐに見据えた。その青い瞳は、感情を排した分析者のように、冷静に状況を判断しようとしている。


「選択肢は二つ。一つは、貴方の体調が完全に回復するまで、このラーム村で療養を続けること。もう一つは、最低限の移動が可能になり次第、グレイン邸へ帰還することです」


 彼女は淡々と、しかし明確に選択肢を提示した。


 ラーム村での療養――確かに、今の消耗しきった身体には魅力的だ。静かな環境で体力を回復させ、自分のペースでスキルの基礎を固める。

 そして、ランド・ガリオン。彼との関係を築くには、この村に残るのが最善手だろう。将来、彼が敵となるか味方となるかは分からないが、無視できない存在であることは確かだ。


だが……。


 俺は自分の胸に手を当てる。この魔力喪失という異常事態。そして、未だ解明されない俺自身の天恵。これを放置したまま、辺境の村で時間を過ごすのは、あまりにも危険ではないか?


 破滅の運命は、俺が知らないところで着々と進行しているかもしれない。

 グレイン家には、古今東西の情報が集積されている。聖女ヘレナ様、そしてこのソフィアの『天眼』。俺の特異性を解明し、あるいは失われた力を取り戻すための手がかりは、ここラーム村ではなく、聖都か、王都にある可能性が高い。


 スキル習得にしても、ガルドさんだけが師ではないはずだ。グレイン家、あるいはフォルテス家の繋がりを頼れば、より専門的な指導を受けられるかもしれない。

 ランドとの関係は気になる。だが、焦って接触して警戒心を煽るより、まずは俺自身が力をつけ、状況を把握することの方が先決だろう。それに、ソフィアがいる今なら、彼女の助けを借りてグレイン家に戻るのが最も効率的だ。


「……決めたよ」


 俺は顔を上げ、ソフィアの青い瞳を真っ直ぐに見つめた。


「グレイン邸に戻ろうと思う。できるだけ早く」


 俺の決断に、ソフィアはわずかに眉を動かした。意外だったのか、あるいは予想通りだったのか。その表情からは読み取れない。


「……よろしいのですか? 貴方の身体はまだ万全ではありません。移動は負担になるかと」


「分かってる。でも、時間は有限だ。それに……俺自身のことをもっと知りたい。この魔力喪失の原因も、俺の天恵のことも。そのためには、グレイン家の知識と、君の力が必要だと思うんだ」


 俺は正直な気持ちを伝えた。ソフィアは黙って俺の言葉を聞いていたが、やがて小さく頷いた。


「……貴方の判断を尊重します。確かに、貴方の状態は特殊です。原因究明のためには、グレイン邸のリソースを活用するのが最善でしょう。それに、貴方のその前向きな姿勢は……悪くないと思います」


 最後の言葉は、ほんの少しだけ、彼女にしては珍しく感情が乗っているように聞こえた。


「ありがとう、ソフィア」


「礼には及びません。貴方は私の補佐役ですから。それに……貴方の特異性には、私も個人的に興味がありますので」


 付け足すように言ったソフィアの口元に、ほんの一瞬、微かな笑みが浮かんだように見えたのは、気のせいだろうか。


「では、ガルド様たちと相談し、帰還の準備を進めます。最短で明日には出発できるでしょう。それまで、貴方は安静にしていてください」


「ああ、分かった」


 ソフィアは再び手際よく濡れ布巾を取り替えると、俺に安静を言い渡し、部屋を出て行った。


 一人残された部屋で、俺は再び天井を見上げる。


 グレイン邸への帰還。それは新たな試練の始まりを意味するかもしれない。だが、同時に、破滅回避への道を切り開くための、重要な一歩になるはずだ。


 失われた魔法の力。

 新たに片鱗を見せたスキルの可能性。

 そして、謎に包まれた俺自身の天恵。

 手札は少ない。状況も決して良くはない。

 それでも、俺は進むしかないのだ。


 悪役貴族アラン・フォルテスとして、この理不尽な運命に抗うために。

 俺はゆっくりと目を閉じ、回復に専念することにした。

 次に目を開ける時には、新たな戦いへの覚悟を固めて。


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