表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役貴族のイレギュラー~破滅エンドを覆せ~  作者: 根古
第1章 悪役貴族編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/77

第29話 力の代償

 瞼が、重かった。

 いや、それ以上に、意識そのものが深い泥濘に沈んでいるような感覚。

 音が遠い。光が滲む。自分の身体がどこにあるのかすら、曖昧だった。


 どれくらい、そうしていたのだろう。

 ふと、頭の中に響く規則正しい、しかし微かな音に気づいた。

 それは、雨音のようでもあり、あるいは誰かの囁き声のようでもあった。


 〈早く……〉


 聞き慣れた、静かで落ち着いた声。

 誰の声だ? 何を言っている?

 その問いかけが泥濘をかき回し、意識を少しだけ水面へ押し上げた。


 鉛のように重い瞼を、必死にこじ開けようと試みる。

 視界を覆う暗闇に、亀裂が入った。


 ピントが合わない視界の中で、最初に捉えたのは、淡い銀色の髪。

 そして、こちらを覗き込む、大きな青い瞳。

 

「……ソ、フィア……?」

 

 掠れた、自分のものではないような声が、喉から漏れた。

 喋ったことで、喉がカラカラに乾いていることに気づく。


 眼の前の少女――ソフィア・メティスは、俺の声を聞いて、わずかに目を見開いた。

 その青い瞳に、驚きと、安堵、そして微かな呆れを滲ませた。


「ようやくお目覚めですか」


 ややあって、ソフィアはいつもの淡々とした口調を取り戻し、そう語りかけてきた。

 だが、その声には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。


「……俺は、一体?」


 混乱する頭で尋ねる。

 最後の記憶は、ゴブリンとの戦闘。

 頭を殴られ、追い詰められて、そして――何か、よく分からない力を使ったような……。


「貴方はあの後、意識を失いました。それから……丸一週間、眠り続けていたのですよ」


「……一週間!?」


 ソフィアの言葉に、俺は愕然とした。

 たった数時間の出来事のように感じていたのに、そんなにも時間が経っていたとは。

 慌てて体を起こそうとするが、全身に力が入らない。特に左腕と頭部に、鈍い痛みが走る。


「まだ無理に動かないでください。側頭部を強打し、脳震盪を起こしていました。それに――」


 ソフィアは俺に顔を向ける。


「貴方自身の内部にも異常が出ています」


「内部?」


「魔力です。通常、人が生きていれば必ずあるはずの魔力が、今の貴方からはまったく検知できません」


 彼女は言葉を選ぶように、低い声で続けた。


「生体反応は正常ですが、魔力だけが――数値上は“死体”と同じです」


「し、死体……!?」


 強烈な、そしてあまりにも不吉な例えに、俺の背筋を冷たい汗が伝った。

 魔力がない? 死体と同じ?

 起きがけにしては過激すぎる内容に動揺を隠せない。


「……様子を見る限り生命活動に影響をもたらすようなことではなさそうです。ただ、魔法の源となるエネルギーが存在しない。こんな現象は……私も初めて見ました」


 ソフィアは、俺の反応を見て少し言葉を選び直したようだが、その内容は依然として衝撃的だった。

 それはすなわち、魔法が使えないことを差すのだから。


「それって……治るのか?」


 かろうじて、それだけを尋ねる。声が震えているのが自分でも分かる。


「分かりません」


 ソフィアの答えは、無慈悲なほどに簡潔だった。


「魔力回復薬なども試しましたが、効果はありませんでした。貴方の身体が、魔力を受け付けない状態になっているのか、あるいは……」


 そこまで言ってソフィアは黙り込む。


「――貴方があの時、行使した力が引き金になっているかもしれません」


 あの時は必死のあまり、無我夢中で何を考えて、何をしたのかなんて詳細なことは思い出せない。

 ただ、身体の奥底から湧き上がるような、今まで感じたことのない熱量と、それに呼応するかのように最適化されていく動き。そして、半ば本能的に選び取ったスキルの名前。

 あれは一体、何だったのだろうか。


「貴方はあの時、ゴブリンの棍棒を掌底で受け止め、弾き飛ばしました。確か『強撃衝』と呼ばれるスキルでしたか」


 ソフィアは冷静な口調で続ける。

 その青い瞳は、まるで標本でも観察するかのように、俺の顔をじっと見つめていた。


「強撃衝……」


 それはゲームにおいて『強撃』の派生技として存在するスキルの名だ。

 『強撃』がダメージ倍率1.2倍の単純な打撃スキルであるのに対し、『強撃衝』はそれに加えて固定ダメージと、確率で相手を「ノックバック(後退)」させる効果が付随する。

 俺が使ったのは、まさにそれだった。ゴブリンを弾き飛ばし、消滅させたあの衝撃。


 ああそうだ。

 だんだんと思い出してきた。

 あの時、『強撃』では足りない。防御ごと貫くには、さらに強い一撃が必要だ。そう思ったから咄嗟に思いついた『強撃衝』をぶつけてやろうと思ったのだ。


「……不思議とできる気がしたんだ」


 ポツリとあの時を振り返って本心を零す。

 混乱する頭の中で、あの瞬間の感覚だけは妙に鮮明だった。恐怖と焦りが極限まで達した時、まるで自分ではない誰かが導くかのように、身体が勝手に最適解を選び取ったような――。いや、違う。あれは確かに、俺自身の意志だったはずだ。足りないものを補いたい、この状況を覆したい、その渇望が、何かを引き出した。


「できる気がした……ですか」


 ソフィアは俺の曖昧な言葉を繰り返し、眉根を寄せた。その青い瞳には、納得できないという色と、同時に無視できない不可解さへの探求心が混じり合っている。


「通常、スキルというものは長年の鍛錬や、天恵による素養があって初めて発現するものです。付け焼き刃の知識や気合だけでどうにかなるものではありません。貴方の場合、ガルド様との短い訓練で『強撃』の基礎を掴んだこと自体が異常でしたが、そこから派生技へ至るというのは……」


 ソフィアは言葉を切り、再び俺を観察するように見つめる。


「魔法と同じか……」


 俺は心当たりを言葉にする。

 魔法だって鍛錬を積んだわけではなく、詠唱だけで発現できた。

 スキルとは少し毛色は異なるが、過程は同じようなものだろう。


「そうですね、まさに私の同じことを考えていました。とすると――」


 ソフィアは一呼吸おき、俺と目を合わせる。

 きっと彼女と俺の考えは一致しているだろう。


「天恵か」

「天恵です」


 声が重なる。

 以前にも同じことがあった覚えがある。

 あの時と同じように、俺とソフィアの思考は、この不可解な現象の根源として「天恵」という一点に辿り着いた。


「……やはり、そう考えるのが自然ですね」


 ソフィアは小さく頷き、椅子に座り直すと、改めて俺に向き直った。その青い瞳には、先ほどまでの心配や呆れとは違う、研究者のような鋭い光が宿っている。


「貴方の天恵は、通常の魔力とは異なるエネルギー、あるいは法則を源としているのかもしれません。魔法を発動する際も、スキルを行使する際も、貴方はその未知の力を引き出し、消費している。そして今回の『強撃衝』の使用が、そのエネルギーを一時的に、あるいは永続的に枯渇させてしまった……それが、この魔力消失状態の原因である、と」


 ソフィアの立てる仮説は明快で、これまでの不可解な現象を繋ぎ合わせる、一つの可能性を示していた。


「……枯渇か」


 俺はその言葉を繰り返す。もしソフィアの言う通りなら、俺の天恵は、使うたびに何らかの代償を要求する、極めて不安定で危険な力ということになる。魔力消失が一時的なものならまだしも、永続的だとしたら……?


「やっぱり魔法は、もう使えないってことか……?」


 思わず、不安が口をついて出た。せっかく手に入れた力だった。破滅を回避するための数少ない武器の一つだと思っていたのに。


「現時点では、そう判断せざるを得ません。魔力が回復する兆候は見られませんし、魔力回復薬も効果がない以上、通常の手段での回復は期待できないでしょう」


 ソフィアは淡々と、しかし残酷な現実を告げる。


「もちろん貴方の天恵が、魔力とは別のエネルギーを源としているのなら、そのエネルギー自体が回復すれば、再び力が戻る可能性はあります。問題は、そのエネルギーが何であり、どうすれば回復するのか、全く見当がつかないことです」


 つまり、希望はゼロではないが、現状では打つ手なし、ということか。

 俺は大きく息を吐き、天井を見上げた。質素な木の天井が、やけに重く感じられる。無能貴族から脱却し、ようやく未来への道筋が見え始めたと思った矢先に、これだ。悪役の運命というのは、こうも簡単に希望を打ち砕くものなのか。


「ただしスキルであれば、本来魔力なしで身につけることができるもの。きっと今の状態でも『強撃』は行使できるのではないでしょうか」


 ソフィアの言葉に、俺ははっと顔を上げた。

 そうだ、スキルは本来、肉体の鍛錬や技の習熟によって習得するものだ。魔力は補助的な役割を果たすこともあるが、必須ではない。

 『強撃衝』は天恵による発現の可能性が高いが、『強撃』は違う。

 その基礎となる肉体の動きや力の込め方は、ガルドさんとの特訓と、あの戦闘での経験を通して、確かに俺の中に刻まれたものだからだ。


「そうか……それだけでも」


 俺はゆっくりと頷き、鈍く痛む左腕を見つめる。

 あの『強撃衝』の感覚は、まだ微かに残っている。


「魔法がダメなら、スキルで。俺は、絶対に……あんな結末はごめんだ」


 言葉に力が戻ってくるのを感じる。

 まだ身体は万全ではない。頭も痛む。だが、心は折れていない。

 むしろ、新たな目標が見えたことで、再び闘志が湧き上がってくるのを感じていた。


「……その意気です」


 ソフィアは静かに頷き、立ち上がった。


「まずは体力を回復させるのが最優先です。食欲はありますか? 村長夫人が、消化の良いものを用意してくださるはずです」


「ああ、頼む。腹が……すごく減ってるんだ」


 一週間も眠っていたのだ。当然と言えば当然だった。

 ソフィアは俺の返事に小さく頷くと、部屋を出て行った。おそらく、食事の手配と、俺が目覚めたことを皆に伝えに行くのだろう。

 一人残された部屋で、俺はもう一度、自分の両手を見つめた。

 魔力は失われたかもしれない。だが、この手にはまだ、未来を掴む力が残っているはずだ。

 スキルを磨く。身体を鍛える。そして、俺の未知の天恵の正体を突き止める。

 やるべきことは山積みだ。

 悪役貴族アラン・フォルテスの再起譚は、まだ始まったばかりなのだから。

 俺は固く拳を握りしめ、窓の外に広がる青空を、新たな決意と共に睨みつけた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ